三十四話 そして過去は動き出す
重度の鬱展開が苦手な方は、読み進めない事をおすすめします。
前線基地には、総勢32万4千名の兵士が集まっていた。
国中の兵力の、その殆ど全てである。
最後の基地:ルミエンは、背後に海を備え、正面左右を大人一人の20倍もの高さの城壁と、ちょっとした運河ほどの深さと幅がある堀で囲んだ、大要塞である。
そんな最後の砦に、バレン皇国は数か月前に全指揮系統を移し、自らを後には引けない状態へと追い込んだ。
しかし、そんな背水の陣も虚しく、元々の兵力の差で押し切られた各地のバレン皇国の拠点は、残すところここだけとなってしまったのだ。
「内部には、およそ十数万の兵士が居る。数の有利は我々にあるが、地の利は彼らにある。油断をしないように」
作戦を重々しい口調で説明する軍の隊長だが、作戦らしい作戦は打ち立てず、最早いつも通りの内容だった。
すなわち、レインを筆頭に各地の防衛戦線を押し切って、内部からかき回す。
司令部を乗っ取ったら、あとは数で押し切る。
作戦勝ちなどありはしない、圧倒的な強さを誇るレインの前では、どんな攻撃も無意味な戯れでしかなかった。
天井から毒が降ってきたこともあった、しかし、毒が地面に達する前にレインは毒の降ってくる範囲から抜け出した。
火の玉が四方から降り注いできたこともあった──それは極めて有効だろう──彼女が剣で打ち消しさえしなければ。
彼女の入ってきた途端、すべてのドアを閉め、近くの川から水をその部屋に入れてきたこともあった:靴にしみこみさえする前に、その水は氷魔術によって凍らされ、それ以上流入することは無かった。
ありとあらゆる攻撃が試されたが、その一切が彼女に届くことは無かった。
そして、いつの日からか、相手は作戦を変えた。
彼女に対応するのではなく、軍の他の隊を相手にするのである。
もしくは、そもそも戦わず逃げ惑って、数日間逃走劇を続けた時もあった。
時間を稼ぐ、一日でも長くバレン皇国という国の存在を長くする。
いつからかそんな作戦に成り下がった。
けれど、そんな戦いも今日で終わりだ。
王に進言して、戦いの後、兵と国民は自国民として迎え入れることにした。
勿論辺境の開発などに充てるのだが、殺して肉塊にするよりかはよっぽど有用だろう。
正午、戦闘は始まった。
情報によれば、バレン皇国の王は、街の中心にある大聖堂にこもっているらしい。
市街地なので奇襲などに気を付けるように、と言うのが国王の言っていた言葉だ。
完璧な杞憂である。
陣地から敵の城門に走っていけば、先に到着していた兵士が堀の向こう側に橋を架けるのにてこずっているようだった。
城壁の上からの絶え間ない砲撃に、そもそも近づくことすらできないとの事だった。
「私が彼らの気を引き付けるから、そのうちに対処して。もし向こう岸にたどり着けたら門を開けて橋を下ろすわ」
それだけ言うと、レインは砲撃によってそこかしこが爆発する草原のど真ん中を駆け抜ける。
砲弾が当たらないのは、彼女の常人離れした動体視力の産物である。
軌道、弾速、大きさ。
飛んでくる砲弾の全てが、手に取るように分かった。
堀の淵まで着くと、ピョンと跳んだ。
そして、飛翔する魔術を使う。
ドンッ!!、と大きな音を立てて、水面に水柱が数本立つ。
ある程度の速度で飛ぶと、何もせずとも飛んでいる下に攻撃ができるようになるのだ。
それを利用して、砲手の数人を気絶させた。
ここまですれば残りの兵士が流入してくるのも時間の問題だろう。
レインは市街地の真ん中に降り立つ。
さて、どこから兵士が来るか。
剣を構えるが、聞こえるのは怯える女性と子供の声だけだ。
「あれが、白い悪魔......」
どこかでボソッと聞こえる。
が、聞こえないふりをした。
本国では”白い天使”、敵国では"白い悪魔"。
随分な手の返しようだが、致し方のない事だろう。
評価は、主観によっていくらでも変わる。
街の真ん中に降り立って、周囲を見渡してみるが、一向に兵士が出てくる様子は無かった。
が、自分と戦うだけ無駄という事を理解したのだろうと大して気に求めず街の中心部にある大聖堂とやらに向かった。
程なくして大聖堂に着いたが、兵士には一人も出くわさなかった。
抵抗することを諦めたのだろうか、それとももう自害して果てたのだろうか。
女子供の怯える泣き声は聞こえる物の、それ以外の、例えば鎧がぶつかりあう音などは一切聞こえなかった。
要塞都市は、もぬけの殻だったのだ。
全く抵抗らしい抵抗に遭わず、すんなりと大聖堂にたどり着けたことに若干拍子抜けする。
けれど、この白く高い建物の中に国王がいて、彼を捕えれば戦闘は終わるのだ。
重い扉に手をあて、力を込めた。
ギギギッと音を立てて、扉は開いた。
冷たいひんやりとした空気が、足元を撫でる。
足を踏み入れると、豪華なステンドグラスに囲まれた神聖な空間が、太陽光の光を上手く取り入れて明るくレインを迎え入れた。
そして、祭壇らしき場所の前には老人と、その他数人の兵士が、槍を構えて立っている。
聞かずとして分かった、バレン皇国の国王だろう。
白い髭が胸元まで下がり、よれた服を羽織って佇むその風貌は、最早一国の王では無く、力を失った老いぼれと言ったほうが正しかった。
「そなたが白い悪魔か?」
震える、低い声。
数回反響して、厳かな雰囲気とともにレインの耳に届いた。
「私は天使とも悪魔とも名乗っていないわ。勝手に呼びなさい」
歩みを止めず、答える。
彼を捕えさえすれば、元の生活に戻れるのだ。
戦争などせず、元の、あの毎日に。
兵が居ないのは気がかりだが、最早そんな事はどうでも良かった。
「そうか。まあ、良い。この老いぼれ一人、どうにでもするが良い」
老人は、そう言って後ろにあった椅子に座る。
ゆっくりとした老人の動作だった。
しかしその一瞬、こちらを見つめた顔が不気味に歪んだのを、レインは見逃さなかった。
その目に、ほんの見えない数瞬に、光が宿ったのだ。
「......あなた、何か企んでいる?」
国王というのは、何かを企まないと気がすまない性分なのだろうか。
ガレイ王国のあの国王に会った時は、死人をこの世に繋ぎ止めておくという企みが露呈した。
彼の場合は何か。
魔力量的には、一般人と変わりない。
「私の時代は終わったのだよ。未来は若造に託すことにしたのだ」
ほとほと諦めた口調で言う。
雰囲気は、ついさっきまでの頼りない老人と何ら変わらなかった。
「今の今まで国王の座に座っておいて、言うこと? 一体、何を......」
「半年前、この国一番の要塞であったギリオンをたった数日で陥落させられてから、最早勝てぬと悟った。作戦を切り替え、時間を稼ぐことにした」
レインの声を遮って、老王は語り始めた。
彼女は、止めるはずもなく、その声に聞き入る。
「兵の損失をできる限り抑え、貴様らに一矢報いようと、我々は一計を案じたのだよ!」
目を爛々と輝かせ、そう叫びながら立ち上がる。
何かに取り憑かれたかのように、手を広げて天を仰ぎ、そして続ける。
ほとんど異常な光景だった。
「海を回って、貴様らがこの場に気を取られている間に、背後から叩く!
それが我々の作戦だ。
そうだな、今頃上陸しておるだろう、王都めがけて、一直線に!!
手始めは冒険者の街、ランブルだ。
そうだ、快進撃だ、我が国は初めて貴様らを鏖殺するのだ!!!
兵のおらぬ街など赤子の手をひねるより容易く蹂躙できる!!!!」
そこまで言うと、彼はゆっくりと座り直し、唖然として語を失ったレインを勝ち誇ったように見下した。
「もう遅い、今気づいても何も出来ぬ。さあ、殺すなら殺せ、この老耄を!! 儂の時代は終わったのだ!!!」
その言葉と、現実との間に齟齬はなかった。
街が恐ろしいほど静まり返っていたのも、数ヶ月前から時間稼ぎを主とする作戦に切り替わったのも、全てに納得が行く。
さらに──王都から海へ最短で行くのならば、途中でランブルを通るのは必至だった。
何しろ、街道はそうやって作られたのだから。
「き、貴様ああぁぁぁ!!!!!!!」
レインは、気づけば老王の首を跳ね飛ばしていた。
彼は抵抗などするはずもなく、ニヤリと不気味な笑みを浮かべたまま、絶命した。
すぐに飛び立った。
早く、早く行かねば。
頼む、どうか、せめてサラだけは......!!
いつもの何倍もの速度で飛びながら、レインは必死に考える。
なんで気づかなかったのだろう。
抵抗することの無くなった理由を、もっと早く気づくべきだった。
兵士を殺しておけば良かった。
そうすれば、こんな事態にはならなかった。
明日が会ってからの一周年だ、サラが祝ってくれるって言っていた。
彼女との日々を失いたくない、やっと、やっと手に入れた平穏なのに。
──神様、いるのなら、助けてください。
奇跡を起こす力を、私に与えてください。
両親を失い、家を失い、牢獄の中で永遠とも感じる時間を苦しんできた私が、ようやく見つけた、大切な日々なんです、人なのです。
どうか、これ以上奪わないで、頼むから間に合って──!!
◇◇◇◇◇◇◇◇
日が紅に染まった。
レインは、これまで使ったどんな魔術より大量の魔力を消費して、ランブル市に帰ってきた。
──都市は、燃えていた──
着地の衝撃など考えず、持てうる限りの速度で地面に着地する。
ドゴン!!と大きな爆発音が起きた。
そんな事に気を止めている暇は無かった。
すぐさま家の方角に向かう。
大通りに面した建物はほとんどが壊され、燃えていた。
瓦礫の中を、転びそうになりながらも必死に進んだ。
あの角、あそこを曲がればいつもの家がある。
こじんまりとした、ちょっと汚れた、いつもの家。
サラが、待っていてくれてるはずなんだ。
角を曲がった。
スローモーションのように光景が目に飛び込んできた。
家は、扉が壊され、壁が若干崩れかけていた。
家に飛び込む。
照明はついていない、机の上には用意しかけた三人分の夕食が、並んでいた。
「サラ!! 大丈夫?! いるなら返事をして!!」
返事は無かった──鉄の錆びついたような、血の匂いが鼻をついた。
「サラ!! どこに......」
ペチャ。
足元が、若干滑った。
血だ、血が流れている。
続く先は、元ジェネアの部屋だった。
バタンッと部屋の扉を開ける。
黒い影があった。
刹那、目に飛び込んできた光景を認めたくは無かった、信じたくなかった。
どうしても認めたくなかった、たちの悪い悪夢だと信じたかった。
そこには、背中に大きな切り傷を負った、黒髪の少女が、ベッドの上にもたれかかって倒れていた。
「サラ!!!!!!」
駆け寄って抱える。
手にベットリと血がついた。
心臓はまだ動いていた、弱い、今にも止まりそうな鼓動で。
「レイ......ン、ちゃん」
「喋らないで、大丈夫だから、絶対に助けるから!!」
そうだ、今こそ魔術を使う時だ。
自分は習得している、完全回復の魔術を。
どんな傷でもたちどころに治る魔術を。
「全回復!!」
手をかざし、教わったとおりに魔力を送る。
癒やしの波動が、フワリとサラにたどり着き──
──彼女に触れた途端弾けて消えた。
「レイ...、ちゃん、私、魔術、効かないの......」
サラが弱々しい声で言う。
かすかに聞こえるか聞こえないか、レインでなければ聞き取れないほどの声だ。
「そ、嘘、そんなの嘘よ!! あなたは絶対に助けるから、お願い、まだ死なないで!!」
目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
視界が潤む、こんな現実は嘘に決まっている。
サラが、血の気の無くなって白くなった手を、自分に向けて伸ばした。
微笑んで、そしてやっとの声で続けた。
「ね、ぇ......レインちゃん、私、あなたの事が......」
そして、フワリと崩れ落ちた。
目から光が消えた。
「何、何なの、教えて?! 私がどうしたの、サラ、ねえ、サラ!!!!!!」
大声で呼びかけるが、返事は無かった。
心臓の弱い鼓動が、最後に一回トクンとなって、それっきり音を立てなかった。
サラは、レインの腕の中で、安らかな微笑みを浮かべて、死んだ。




