三十三話 尊き彼女
戦争状態への突入というのは、当然の事ながら、大変に影響力を持った事態である。
国民の意識は常に戦況に向き、新聞の一面は毎日戦果についてで、レインは半ば辟易していた。
けれど、表向きはガレイ王国の一員として母国の勝利を願い、そして要望があらば赴く。
従順な兵力の一部として。
彼女の存在は内密にされてはいたが、それでも情報統制を無視して話す者がいたらしく、所々で噂になり始めていた。
「勝利の日には白い天使様が舞い降りるらしいぞ」
「俺は勝利の女神だと聞いたんだが」
「女なのか、じゃあマジで女神なのか?」
「分からんが、俺の友人の兵は”白い天使”様が舞い降りた日には確実に勝てるって言ってた」
誰もが”白い天使”様の事を賛美していた。
一人を、除いて。
「レインちゃん、白い天使って、もしかしてレインちゃんの事じゃないの?」
ある冬の夜、サラが問うてきた。
本来であれば、隠すべき内容ではあるが、サラ相手に隠し事はしたくないと正直に答えた。
返答を聞いてサラは若干曇った顔をしたが、それでも母国の為にどうしようも無い事態なのである事を理解してくれたらしく、死なないでね、と短く一言だけ言ってからいつもの明るい彼女に戻った。
自分の正体をここで言えたらどんなに楽な事かと懊悩する。
けれど、サラがそれで安心してくれればいいが、どちらかと言えば自分に畏怖してこれまでの関係が壊れてしまう可能性の方が高く思えた。
戦場に自分が赴くたびに心をすり減らして帰還を待つ彼女のことを思うと、胸が苦しくなる。
早く終わってほしいものだと、何もない天井を仰いだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
春になった。
戦争はまだ続いていた。
けれど、勝利までは時間の問題だという考えが、国の中に広まっていた。
ガレイ王国は、歴史に残る快進撃を何度も連発する。
難攻不落の、盤石な、天然の、と形容される大要塞を、次々と攻め落として行き、バレン皇国の領地は残すところあと半分だ。
更にその敗走っぷりを見た周辺諸国がこぞってバレン皇国を裏切り、まさに四面楚歌、それが現在の敵国の状況だった。
「レインちゃん、”花鳥祭”、一緒に行こうよ!」
ある日戦地から帰ってくると、サラが目を輝かせて言ってきた。
花鳥祭とは、サラも初めて聞くらしいが、春の特定の日に一斉に咲く花があるらしく、それを祝うために王国の北方の都市で執り行われる祭りの事らしい。
レインは断るはずもなく、二つ返事で了承した。
数日後にその花が有名だと言う都市に着いた。
キレイな花だった。
ピンク色に満開に、まるで川のように咲く小さな花々。
ほんのり甘い匂いを周辺に漂わせ、風光明媚、この四字が実に似合う。
その日、何かの偶然か、戦闘は起きなかった。
連日のように報道されていた戦況日報が今日だけはなりを潜め、新聞の一面は花鳥祭に集まる人々について、格調高く美しい文で綴られていた。
夏になった。
レインの参戦した戦いの数はもうそろそろ三桁に突入しようとしていた。
勝てることは勝てるのだが、何しろ広大な土地を持つバレン皇国なので、負けるたびにその指揮本部を海側へと動かして、凌いでいた。
だがその悪あがきが通用しなくなるのも時間の問題だ。
あとほんの一月もしない内にバレン皇国の領地は完全に無くなるだろう。
世界は一つの大きな大陸だけが人間の住める陸地で、後は海である。
この事はレインの住んでいる時代から変わっておらず、大きな海は、残りの世界を覆っていた。
海の果に何があるのだろう、とレインはよく気になっていたのだが、文献によれば、海をどこまででも進むと大陸の反対側にたどり着くらしかった。
要するに、世界は球体なのだそうだ。
それはともかくとして、バレン皇国は敗走に敗北を重ね、とうとう残すところ、少しの軍事港と、そして要塞都市だけになってしまった。
兵力は潤沢であった──何故かガレイ王国の”白い悪魔”は、こちらの兵士を殺すことなく逃してくれるのだ。
けれどその兵士に与える兵糧も、住まいも、給料も底をついてしまい、バレン皇国の敗戦は、火を見るより明らかだった。
バレン側についていた国は、こぞってガレイ王国に従属した。
中には忠誠心とやらで気迫ばかりの抵抗をする国もあったが、そんな物が何をもするはずがない。
次々と鎮圧され、そして有史以来初めての大陸統一が間近に迫っていた。
そうして夏も終わりかけの、ある日の事。
レインは、朝になりようやくランブル市にある家へとたどり着く。
戦線を押すにつれレインが戦う場所も必然的に大陸の反対側になり、戦のあるたびに大陸をほぼ縦断するようになったのだ。
その日も同じであった、ほぼ酸素のない超高高度を目にも止まらぬ速さで飛び続け、それでも夜中に出発して明朝にようやく到着できる、そんな距離になっていたのだ。
「ねね、レインちゃん、海に行ってみない?」
朝食のハムを口に運ぼうとしていた時の事だった。
サラが、身を乗り出して問う。
同時に、ちびっ子達が目を輝かせて、海?!、と反応した。
レインも、少しの間を開けてから答えた。
「海? そういえば近いわね、ここから」
ランブル市から程ない所に、名所でもある砂浜がある。
おそらくその事を言っているのだろうと、すぐに分かった。
「そそ、私そこに行ってみたかったんだ! でもさ、ちびっ子どもを一人で面倒見るのは無理だし......って去年は諦めたんだけど、今年はレインちゃんがいるから! という訳で、行ってみようよ!」
サラの話は毎回急だ。
思いついたように、前々から計画してきた事をいう。
そしてレインは、呆れ口調でいつものように返答するのだった。
「楽しそうね。行ってみましょう」
数日後、レインたちはその海浜にやってきた。
季節も相まって、家族連れ、カップル、レジャー等様々な人々でにぎわっていた。
砂に打ち付ける波は、重力に引かれて徐々に形を崩していったあと、白く砕けて水しぶきを上げる。
清涼感あふれる、夏場のビーチだった。
「レインちゃん、ごめん、遅くなった!」
一足遅く更衣室から出てきたサラが、走りながら言う。
さっきから砂浜で勝手に鬼ごっこをしているちびっ子二人に負けず劣らず、彼女もずいぶんなハイテンションだ。
海で遊んで興奮するのではなく、海を見て興奮するとは、この場所には何か霊的な力でもあるのだろうか。
平素よりレインの数倍も元気溌剌なサラが、今はその数倍溌剌である。
「別に構わないけど......この服、もう少しどうにかならないのかしら、落ち着かないわ」
「え? 水着の事? 海なら着る物だよ! ほら、皆こんな感じでしょ?」
レインは、袖の無い服は、あまり好まない。
丈の短い服も、好まない。
背中はともかく、胸元を開ける服も、好まない。
今着ているこの服は、好まない三拍子がすべて揃っていた。
ついでに言えば、腹部を露出する服も、好まない。
「そ、そうだけど......何よこの下着みたいな恰好は。こんなの街中で着たら変質者よ」
周りを見れば、確かにサラの言う通り、上下のみを隠す服装である。
けれど、周りがそうであるのと自分がそれで良いのとでは、若干事が違う気がした。
「街中で着てないから変質者じゃないの! ほら、行こう! せっかくだし海入ろうよ!」
何やらよくわからぬ理屈である。
けれど、よくよく考えてみれば公衆浴場だって服を着て入らないのだし、ここはそういう場所なのか。
......がしかし、そういう場所なのは良いとして、男を入れるとは解せぬ。
せめて男女別に分けてくれなければ羞恥心で落ち着かない。
そんな具合に、レインは心の中で色々と文句を言いつつも、手だけはサラに引かれて海へと駆けていくのだった。
三週間後。
季節は、夏から秋に移り変わろうとしていた。
レインに、最後の徴兵状が来た。
文面には、最後の決戦を仕掛けるから、明後日までに前線基地に来い、と書いてあった。
明後日であれば、今から出発せねば間に合わないだろう。
いくらレインと言えど、飛んでいくのには相応の時間がかかるのだ。
「レインちゃん、もう行く?」
サラが、家の前で物寂しそうに言ってきた。
「ええ、明後日って書いてあったから。大丈夫よ、これが最後」
そんなレインの返答に対し、いつもなら頑張ってね!と声をかけてくれるのだが、今日のサラは何とも落ち着かなさそうな顔をしてこちらを見つめていた。
決戦と言うのは、総じてかなりの規模の戦になる。
相手も必死の、それこそ死を覚悟して抵抗してくるわけで、後には引けないという事実によって人間は何倍もの力を発揮したりする。
サラが心配をするのも、無理はない。
「あ、あのさ、レインちゃん」
サラが覚悟を決めたように口を開いた。
何?、と応じれば、さらに一瞬躊躇うような顔をした後、思い切ったように言う。
「明々後日かな、あの、レインちゃんと私が出会った日だよ! 一緒にお祝いしたいなーって......」
そう言いながら、語尾が小さくなっていった。
言われて初めて気付けば、もうそんなに経ったのか。
一年前の日々が、懐かしい。
「あら、もうそんなに経つのね。それで、本当は何かもっと言いたいんじゃないの?」
語尾が小さくなっていった理由は、何か別なところにあるとレインは確信した。
お祝いしたいなんて事ならば、本来のサラであればもっとハイテンションに飛び回る兎のように、言うものだ。
「あ、そそれは帰ってきてくれたら言うから! とにかく、頑張ってね!」
レインの鋭い切り替えしに、サラは慌てて取り繕う。
また感謝祭の時の様なサプライズを用意してくれているのだろうか。
何にせよ、ここで探るのは野暮と言うものだろう。
「あら、じゃあ、そうね、帰ってきてからの楽しみに取っておくわ。それじゃ、いってきます」
くるりと踵を返して地面をトンッと蹴った。
魔術でふわりと体が浮く。
下から、頑張ってねー!、と元気の良い、いつものサラの声が聞こえてきた。
最後、全力で取り繕うサラの顔が若干紅潮していたのは気のせいか。
初秋の若干涼しさが混じる、だがまだ温かい空気の中を、レインは微笑ましく思いながら飛んだ。




