三十二話 戦争
感謝祭が終わると、程なくして年は終わる。
レインは再び教師としての職務に戻り、サラも冒険者として活動を再開した。
そんなとある日の事だった。
見慣れない便箋に入った手紙が、一通レインのもとに届く。
差出人は、国王だった。
「今宵、南の都市、ギーテンバールにてバレン皇国と開戦する。即刻参られたし」
短い文面だったが、内容はそれ以上の意味を孕んでいた。
この数日間、戦争をするなどと言う情報は全く聞かない。
新聞でも、人々の噂でも、とにかく一切の情報を、この手紙が来るまで知らなかったのだ。
通常の戦争ならば、宣戦布告が行われ、一般市民を巻き添えにすることが無いよう相手国で避難が執り行われる。
それと同時に、軍も整備され戦争の体制も整う。
他の国と戦争をするならばとられるはずの、最低限度の規則だ。
が、しかし、今回それは行われなかった。
それが意味する所は、奇襲である。
しかもギーテンバールとは、隣国バレン皇国の特産品でもあり主要貿易品でもある、貴金属の鉱山が、近い。
そんな主要な場所を奇襲すれば、全面的な大戦争となることは必至だ。
ガレイ王国は長い歴史の中で幾度となく戦争を繰り返し、ほぼ勝利してきた。
ほぼ、と言うのはもちろん負けたこともあり、バレン皇国はそんな数少ない負けたことのある国の一つである。
故にこの両国の関係は劣悪であると聞き、さらにこの二つの勢力を筆頭に世界が二分されているのだ。
これは、歴史に残る大戦争となる。
全身の産毛が逆立つ。
一体これから何万の兵が死ぬのだろうか。
死ぬだけならまだ良い方だ、国王があの約束を守ってくれるのか。
気付いた時には足は既に地面を蹴っていた。
「あ、レイン先生、どこへ?!」
途中呼び止める声が聞こえたが、気にせず走り続ける。
校舎の外に出て、刹那、バヒュッ、という音とともに飛び立った。
魔力を推進力として宙を飛翔する、かなり高度な魔術。
いつもなら人目を気にしてあまり使わないのだが、今回ばかりはそうもいかない。
出来うる限りの高速で、空を裂いた。
ギーテンバールの都市は封鎖されていた。
軍が街に至るあらゆる道路に検問を張っていて、通ろうとしたら名を聞かれた。
レイン、と言ったら、名がすでに通っていたらしく、鎧を着た兵士はその道を丁寧に譲ってくれた。
道を進むことしばらく。
本陣の様な建物の前には、ひと際兵士が集まっていたので、すぐにわかった。
国王は、なおさらすぐにわかった。
「おや、レインさん。お早い到着何よりです。作戦は、深夜に行いますので、今は仮眠をとっていてください」
いつか見た、あの特徴的な髭の中年男。
偽りの顔である。
「一体どういう事!? 宣戦布告もせずに、まさか、あちら側の住人を見殺しにする気?」
あちら側、と言うのはもちろんバレン皇国の所有する鉱山都市に住む住人である。
何万、何十万と言った人々が、今日も生活しているのだ。
「貴様!! 一体この方を誰だと......」
近くにいた兵士が、槍を一斉に構え、レインをけん制した。
が、国王はそれを鎮める。
「皆さん、彼女は大丈夫です。多少の無礼は看過するように」
そういうと、一呼吸おいて彼は作戦の全容を説明し始めた。
「あの鉱山都市は、バレン皇国の財源でもあり、また弱点です。
故に、警護も非常に厚い。
おそらく向こうはこちらの行動に既に気付ているでしょう。
我々としては何としてでも陥落させたいが、見ての通り、鉱山都市が故、高地を常に取られるという地の利も相まって、天然の難攻不落の要塞と化しています。
正攻法で行っては損害が大きすぎる。
運よく陥落できたとしても、その後、反撃されてはこちらの領地も奪われかねません。
そこであなたの出番なのですよ。
貴女が先陣を切って要塞都市を混乱に陥れてください。
ああ、市民についてなら心配はいりません、ほら、既に避難を開始しているようですから」
王はそう言うと、目を敵国の鉱山都市;アイリックにやった。
レインも遠くに目を凝らせば、なるほど、色とりどりの服を着た人々が山間の道を渡っている。
おそらく住人なのだろう。
それにしてもよく言うものだ。
自分がいけば敵などいないはずなのに、こうまでして国王を演じるとは。
権力を失いたくないのだろう、どこまでも強欲である。
「......分かったわ。約束、覚えているでしょうね」
「ええ、もちろん。ああ、あと気を付けてください。あちら側の魔法歩兵部隊は中々に強力ですから」
国王は、それだけ言うと、奥にあるひと際大きな建物に入っていった。
時は既に夕刻であった。
夜。
作戦は実行に移された。
同時に、伝説が一つ生まれた。
「第一小隊、応答せよ!!!!」
若い兵士の声が、虚空に響く。
「おい、魔術狙撃部隊、どうなって──くそ、通信装置が死んだ!!」
ガーガーとノイズだけが聞こえる。
次の瞬間、兵士は何かを言える前に、目を白くして気絶した。
「ごめんなさいね......ここが中心部かしら」
一番堅牢に守られていた扉をいとも容易く吹き飛ばしたレインは、敵の指揮の中枢を発見する。
中には、青ざめた表情の、中年の兵士が数人。
「やめ、やめてくれ、妻子がいるんだ、頼むやめてくれ......!!」
プルプルと震える。
目は恐怖に染まり涙が溢れ、呂律は回っていなかった。
剣を構えその首を刎ねようとしたが、その瞬間、何かが脳裏をよぎった。
サラとのあの愛おしい、日常。
最後に見た彼女の顔は、自分を笑顔で見送る一幕だ。
この中年の兵士にも同じような尊い日常が、あるのだろう。
敵軍とは言え、自分にそれを奪う権利が果たしてあるのだろうか。
しかも自分は、国家に忠誠を誓った訳でもない、ただの約束によって動いている人間。
レインは剣をおろすと、ゆっくりと告げた。
「......都市の後ろはまだ封鎖が完了していないわ。抵抗しないのなら、出ていきなさい」
◇◇◇◇◇◇◇◇
数時間後、作戦は終了した。
歴史に残る快挙だった。
"白い天使"、これがレインについて、兵士の間でまことしやかに囁かれるようになったあだ名だ。
鎧も着ないで戦場を駆け巡り、瞬く間に一部隊を無力化させ、そして止まらぬ速さで次の目標を見つけ出す。
その光景は、兵士に畏怖と同時に勇気を与え、士気を大いに上げた。
文句のつけようのない快挙のはずだった。
「素晴らしい戦績ですね。敵の本部を乗っ取った後、魔法歩兵部隊三つを無力化させて、こちらの損害はほぼゼロ。素晴らしいです」
後日。
場所は、ギーテンバールの本部に設置された国王専用の部屋。
レイン一人だけが呼ばれ、空気は重々しくのしかかっていた。
「それで、どういう事か説明を頂けますか?」
ズン、とより一層空気が重くなったのは気のせいだろうか。
「あのような所で敵に情けをかけて、一体どういうつもりなのです?」
国王の鋭い目線が突き刺さる。
レインは、泰然自若と構えて動じなかった。
「そうね、情に流されたのかしら。私らしくないわ」
国王の眉が、ピクリと動く。
作り物にしてはよく動く顔だ。
「情に? あなたが?」
「ええ、情に。何か問題でも?」
シンと、静寂が支配した。
国王は、何か思案にふける様子で黙り込む。
それをレインは、何も言わず黙ってみていた。
その静寂は長かった。
国王は髭を弄りながら何かを考えていた。
しばらくの後に、国王はようやく口を、ゆっくりと開く。
「......なるほど、理解が出来ました。いえ、全てに合点が行った」
何かに勘付いた口調だった。
その口元は、不気味に笑っていた。
「レイン。今回はご苦労様でした。この勝利は我が軍にとって大きな意味を持ちます。次の作戦でも活躍を期待していますよ」
そう言うと、国王はガタンと立ち上がり、出ていくよう手を振る。
「え、ちょっと! 一体......」
「今回のあなたの仕事はここまでです。早く、出ていってください」
有無を言わさぬ態度だ。
レインは、何も言い返すことが出来なかった。
儀礼的な一礼をし、部屋を後にした。
その日の夕にレインは王都へと戻った。
やはりというべきか、そこは大変な騒ぎであった。
そこかしこで、鉱山都市の奪還、戦争の開始が報じられ、それに奮起する者、心配する者、嘆く者、様々な声が聞こえる。
レインの活躍は公にはされ無かったが、自身にとってもその方が都合がいいので、むしろ助かる。
何食わぬ顔で学校の職務を変わらずこなし、その日の仕事を終えた。
サラはどちらかというと心配する人間だった。
学院からの出入りが自由になったレインは、殆どの先生がそうするように、毎日自宅へと戻っていた。
普通ならば通勤できる距離ではないが、レインの飛翔魔術の桁違いの速度ならば、可能だ。
「ええー、レインちゃん、作戦に参加したんでしょ?」
「大丈夫よ、怪我なんかしないわ」
学校から帰ると、サラが夕食を作っているところだった。
レインはそれを途中参戦で手伝うのが、いつもの日課である。
窓枠が風でガタガタと音を立てた。
暖炉でぱちぱちと薪が弾けた。
「それでも......って、ちょっと! 火で遊ばない!」
サラが怒って目を向ける先では、ちびっこ二人が燃えきった薪を再び火に焚べて遊んでいた。
そんな光景を微笑ましく思いながら、レインは野菜を切る。
トントン、と心地よい音が耳に優しく響いた。
「ごめんごめん......て、本当に大丈夫なの? ある日帰ってきたら腕が切られてました、なんて私嫌だよ?」
暇を持て余したちびっ子に、火では無い暇つぶしを与えたサラが、戻ってきて言う。
ついでに彼女は、グツグツと煮えたぎるスープの味を確かめた。
アツッと言いながらも、味は合格だったようだ。
「大丈夫よ。私が負けることなんて無いから」
そう言うとレインは、切った野菜を火で炒めて、柔らかくする。
かみきれるくらいの柔らかさになって、スープの中に放り込めば、完成だ。
美味しそうな香りが小さな家の中に広がった。
完成したわよ、と声をあげれば、ちびっ子達がはしゃぎながらよってくる。
サラは、食器をテーブルの上に並べてくれていた。
いつしか送った四人分の食器一式だ。
......あの時助けた兵士も、今頃妻子とこんな風景を楽しんでいるのだろうか。
そうであるのなら、国王になんて言われようと、私は自分の行いを誇れるだろう。
一人の人として、これ以上に嬉しい事は無いのだから。




