二十九話 果て無き夜の、その記憶
レインと国王との間に、ピシッと亀裂が入ったような気がした。
凍えるような沈黙が、二人を包む。
それはしばらく続いたが、先に静寂を壊したのは、国王だった。
「......私は力を追い求める魔王。
力の為ならば何をもします。
権力、軍事力、財力、全てに貪欲なのです。
そして、なればこそ、魔王たるあなたを王国に存在することを認めた。
けれど、怨霊の魔王。
私に不利益をもたらすのであれば、即刻排除します。
なので、これ以上勘ぐることは、双方の為になりません」
......答えになっていない。
が、その風貌と佇まいだけは魔王そのものだ。
不気味なほど寒々しい月光が、青白くすべてを照らす。
「あなたがそういうのなら、私も宣言しておくわ。
私の求める物は、平穏。
一切の生活を制限するような事があれば、躊躇はしない。
あなたの築き上げた王国を一夜の内に滅ぼす力が、私にはある。
ねぇ、私をあくまで外に出さないつもりなら、相応の覚悟はできているのでしょうね?」
これ以上の問答は不要だと結論づけた。
この国王からこれ以上何かを聞き出すことは、おそらくできないだろう。
彼だって阿呆では無い。
一言一句、少しでも間違えれば己の隠す秘密が露呈することは、わかるはずだ。
そして、かくいう自分も、あまり自分の情報を相手に晒したくない。
しばらくの静寂の後、国王はゆっくりと口を開いた。
「いいえ、違います。
あなたの望むものは、平穏などでは無い。
不幸です、人の不幸なのです。
人々を呪い、恨み、憎み、そしてその果に魔王という存在になった。
平穏などというふざけた理由で魔王が誕生するはずがないでしょう。
......どうやらあなたは自分自身を忘れているようだ。
そのせいか、力もあまり感じられない、惜しいことです。
そうですね、外出については、検討しておきましょう。
程無い内に、前向きな答えを用意できると思います。
それでは、我が国の騎士の、一層の強化を期待していますよ」
そう言うが早いか、国王はビュン、と飛び去った。
後には、屋根の上に一人立つ、銀髪の少女だけが残された。
◇◇◇◇◇◇◇◇
翌朝。
レインは、ポストに手紙を投函した。
サラ宛に、帰れそうにないから自由に行動していて、と伝えるための手紙だ。
自分を待ってホテルにずっと滞在している彼女らに、現状について何も連絡しない訳にはいかなかった。
「不幸です、人の不幸なのです」
国王の声が脳裏に木霊する。
世界には四体の魔王が存在するという。
強欲、怨霊、恋慕、灼熱。
その中で自分は、怨霊の魔王なのだ。
いや、魔王、なのか......?
魔王にふさわしい実力を持っている事には間違いない。
けれど......。
気づいた時には、足がすでに動いていた。
「あら、魔王についての文献がほしいの?」
場所は、学院内の図書館。
あらゆる書物を蔵書しており、蔵書量は国内随一と聞く。
そんな図書館の入り口で、司書さんが素っ頓狂な声でレインに話していた。
「ええ、そこまで詳しくなくて、要点だけ抑えてる本が欲しいの」
カウンター越しに、白髪の混ざったおばあさんに言う。
「そうねぇ......ちょっと待っててねぇ」
若干小太りの背中をゆさゆさと揺らして、奥へと消えていった。
レインは、広大な朝の図書館に一人残された。
しばらくが経った。
「これなんて、どうかしら?」
分厚い革の本。
黄ばんだ紙がよれよれになって閉じられており、見た目だけでも相当な年季の入った物だとわかる。
表紙には、”明瞭魔物大全”と書いてあった。
「魔物大全?」
「そうよ、ほら、魔物って魔王から誕生するじゃない?
だから、あまり一般には知られていないけど、魔物は誕生する魔王によって大別できるのよ。
けど、こんなこと知ってても強さとかには関係ないし、どっちにしろ倒すから気にする人少ないのよねぇ。
面白いのに、勿体ないことよぉ」
丸っこい白髪の生えかかった頭を左右に降って、本をカウンターに置いた。
今のレインには、全く耳寄りな情報だった。
ありがとう、と言って本を受け取る。
もし、魔物が誕生した魔王によってその態度や諸々を変えるのだとしたら──”あの方”、すなわち国王を追い詰めれる情報をまた一つ手にできる。
全くそう思い込んで、レインは重く分厚い革の表紙をめくった。
が、仰々しく表紙を開いたが、最初にあるのは著者からのなんちゃらだった。
出鼻をくじかれたようで、若干拍子抜けした。
一気に”魔王”の項目まで飛ばす。
はじめに、の下に、何やらが書いてある。
「魔王とは;
世界の理を曲げし者。
人類の敵となりし者。
己の矜持にのみ生きし者」
”己の矜持にのみ”、すなわち自分の望むものの為にしか動かないという事。
レインが”平穏”を望んで生きるのならば、”平穏の魔王”とでも名付けられるはずだ。
そもそも人が勝手につけたのかもわからぬが、読み進める。
「それらは皆、罪を犯した。
世界を揺るがすほどの罪を。
望みを叶えんがために、人を、動物を、魔物さえも、苦しめた。
以下、詳細に記す」
私が、罪を?
罪というのは、比喩にしても、この本によれば自分は世界を揺るがしたらしい。
一体全体、何だというのだ?
直下、すぐに答えは見つかる。
「強欲の魔王;生命の罪。
怨霊の魔王;不死の罪。
恋慕の魔王;時空の罪。
灼熱の魔王;論理の罪。」
が、更に読み進めようとしたその時、向かいに誰かが立った。
司書のおばあちゃんだ。
まだ読み始めて幾ばくも経っていない。
「レイン先生、朝の会議のお時間よ。行かないと、怒られちゃいますよ」
と、直後、ゴーンゴーンと鐘がなる。
教師としての、仕事の時間だ。
この世界について探索できるのは、今の所、ここまでである。
レインは渋々本を司書のおばあちゃんに返して、図書館から立ち去った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
夕方になり、その日の職務がやっと終わった。
早く魔物大全の続きを読もうと、図書館に向かおうとしたその時。
レインを呼び止める声があった。
シェイン教諭である。
「レイン先生、これがあなた宛に」
そう言って、封筒を差し出す。
差出人は、サラだった。
パラパラと開いてみれば丁寧な文字で、要するに、私達のことは気にする必要は無いから頑張ってお仕事してね!、という内容の事が書いてあった。
ついでに彼女たちはランブル市に帰っているらしい。
はぁ、とため息をついて手紙を封筒にしまう。
国王の口車にうまく乗せられた自分が不甲斐ない。
「それで、どうでしょう、生徒たちは」
彼女が読み終えたのを確認して、シェイン教諭が問うた。
けれど、特段報告すべき事象は無い。
「可も無く不可も無いわ。全員真面目にしっかりと言うことを聞いてくれる。けれど、いまいち動きが単純ね。これからはそこを指導していこうと思うわ」
シェイン教諭はそうですか、とだけ言って、何やら憂うような顔をしてから立ち去った。
何かあったのだろうかと一瞬思考したが、そんな事は今はどうでもいい。
足早に図書館に向かった。
「──これらの罪は全て魔王特有の物なり。
世界の神々はこの罪に怒り狂い、彼らを魔力によって抑えた。
我らの至高の存在こそ神であり、その対する悪こそが魔王であり......」
嫌な予感がする。
「それを滅さんとすれば、我々は神々からの祝福を受けられるだろう」
宗教の本なのか?
唐突に出てきた神という単語。
が、”魔王”という項目の直前に”神々”という項目があり、なるほど、ここを読み飛ばしたから訳の分からない宗教本に思えたのか。
ちなみに、その”神々”の項目は、レインの腕の二倍ほども厚い大百科の、四分の一ほどを占めていて、とてもでは無いが読む気になれなかった。
「おや、それで私に聞くのかい?」
そうして事の経緯を説明すれば、おばあちゃんの司書さんが驚いてこちらを見る。
「ええ、無知でごめんなさい」
あんな分厚い項目を読む気に等とてもなれなかったレインは、司書さんに聞くことにした。
全容がつかめればいいので、そこまで詳しくなくていい、と付け加える。
「そうねぇ、簡単に言えば、魔力っていうのは神様が私達に与えてくださった、魔王に対抗する力の事だって信じているのよ、一部の人は。
私はそんな信仰はしていないけど、それでも魔力って不思議よねぇ。
火起こせたり空飛べたり。
そういう信仰が起こる気持ちもわからなくはないわ」
こじんまりと丸い体を揺らしながら、司書のおばあちゃんはゆったりとしゃべる。
まるでそこだけ時がゆっくりと流れているかのようだった。
その後もレインは、魔王の項目を読み勧めたが、大した事は書いてなかった。
世界を揺るがすほどの罪を犯した、魔力量は他の魔物と比べ物にならない、あとは今までの挑戦記録や調査状況など。
相変わらず、”強欲の魔王”については、場所すら書いてなかった。
一つ気になったことと言えば、ミル・シャーロッテは”恋慕の魔王”から誕生した魔物、と記述されていたことだった。




