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二十六話 魔力と老人

迂闊だった、と学長室を出た瞬間に後悔する。

気付けなかった、容易に想像できたはずなのに。


「レイン先生の授業は明日からですので、今日は校内でも見学していってください」


ロジン、と呼ばれていた老人が、先程の会話などどこ吹く風といった様子で話しかけてきた。

この老人もあの学長も、見るに第二等級魔祖。

自分よりかは弱いはずであるが......

実力のほどが知れない。

油断は禁物である。


「ねえ、ロジン」


立ち止まりおもむろに問うた。


「はい、なんでしょうか?」


おおらかな受け答えをする老人。

何とも余裕のある態度だ。

それとは、レインの態度は全く対象的である。


「悪いけどあなたの力は封印させてもらうわ」


サッと手を翳す。

魔力をギュルギュルと抜き取り始めた。

自分より弱いはずだが、万が一の時二体を相手にするのは面倒くさい。

一切の魔力を操作できる能力、その力は最早、高位の魔物に対しても全く余すところなく発揮される。

伊達に何日間も夜中を過ごしてきた訳では無い、これこそレインの持つ力の最骨頂だ。

そして、途端、老人はその顔を豹変させた。


「ガ、ガッ......、レ”イ、ンど、の"..........」


しゃくりあげるような声を上げ、目から光が消え失せていく。


──ドサッ。


ロジンは床に倒れた。

後には、禍々しい渦を巻く魔力を手に保ちながら見下すレインだけが残った。


が、この事態に彼女は驚いた。

魔力を抜き取るだけで、まさか倒れるなどとは思っていなかった。

攻撃を、老人相手にやったのがまずかったか?

否、魔物だから年齢などほとんど関係ないはずだ。

それならば、魔力を全て抜き取った事が原因か。


脈を確かめる。

ピク、ピクと感触が指に伝わってきた。

心臓は、まだ動いている。

死んでは、いない。


ここで殺しても良いかと思ったが、レインは踏みとどまった。

もしコイツが殺されたとなれば、王が動くかもや知れぬ。

この学院で面倒を起こすことは、できる限り防がなければいけない。

結果、微量の魔力を送り返した。

人間と同程度の魔力量になるまで。


「......ガハッ、ゲホゲホ」


ロジンはすぐに意識を取り戻した。

良かった、と安堵する。

このまま意識を取り戻さなければ面倒な自体になりかねなかった。

老人はムクリと起き上がり、周辺を見回す。


「ここは......」


とぼけた顔で言った。


「学院の廊下よ。何か不自然でも?」


もしや自分が手を下した事に気づいていないのでは無いかと思い、なんとなしにごまかしてみる。

しかし、レインのそんな楽観的な対応を嘲るが如く、老人はすぐに口を開き、信じられない事を口にした。


「い、いえ、ここはどこなのです、あなたは誰なのです、私は.....一体.....」


え、と思考が止まる。

意識だけ戻って、そして、この状態はまさか......


「しっかりして、あなたの名前はロジン、学長の補佐役じゃないの?!」


が、老人は未だぼーっと宙を眺め、そして未だに何をも理解できない様子で座っている。

まさか、と思いつつ、これ以上事が悪化する前に、彼の魔力の全てを戻した。


シュルシュルと、老人の体に魔力が吸い込まれていく。

程なくして、それはすべて彼の体の中に戻った。


「お、おや、私は......あれ、レイン様。これは失礼を......転んでしまったようです」


そして、最後の微量が戻った瞬間、ロジンは目を覚ました。

先程の事などなかったようにレインを見、そして自分が廊下にへたれこんでいる事に驚いている様子だ。


「え、ええ。ご老体にあまり無茶をしないで」


なんとなく返事をするが、幾分のぎこちなさが拭えない。

あまり不審に思われる前に、足早に立ち去った。


その後、レインは廊下を歩きながら先程の出来事について考えた。

魔力を抜き取った瞬間、その抜き取られた老人が意識を失った。

ちょっとだけ戻したら人間性だけが戻った。

そして、完全に戻したら記憶も人間性も戻った。


......一体どういうことなのだ。


廊下をすれ違う生徒が、不思議そうな目で見つめてくるが、レインの目には入らなかった。

頭の中をぐるぐるとめぐる、一つの問に、すべての注意を奪われてしまっていた。

”魔力とは、何なのだろう”。

思えば、あまり魔術の技術が発達していない、言い換えれば人々の生活水準があまりに進化していないように思える。

レインの生きていた時代に、ランブル市や王都、はたまたこのブレンドウェイ魔術学院のような場所はなかった。

もっと荒廃した、森か草原であったはずだ。


以前の王城を捨て新しい王城を立てて、さらに都市を複数も作ったのだから相応の時間は経っていよう。

それなのに、魔術の方はと言えば、王の機械人形のように驚くべき技術もあったが、人々の根底には根付いていない。

馬車だってレインの時代からあるものだし、もっと言えば魔術だって進化しているようには思えない。


何か、理由があるのだろうか。

魔力というのは、当たり前に接してきたが、一体何なのだ。

が、そこまで思考が漂流したとき。


「すいません、あ、あのー、どちら様ですか?」


後ろから声が聞こえてきた。

振り返れば、紺色と赤色が基調の制服を着た女子生徒が、不審そうな目を向けてこちらを見つめている。

レインと背丈はほぼ同じくらい、するどい目つきで不審者に対する警戒心を隠さない。


「あら、ごめんなさい。私はこの学院の新しい剣術教師。今日は暇をもらったからこうして歩いているの」


女生徒は一瞬目を丸くしてから、しばし間をあけて返事をした。


「せ、先生なんですね! 失礼しました、私と同じくらいの見た目でしたのでてっきり......」


「いいえ、構わないわよ。ごめんなさいね、驚かしてしまったみたいで」


そんなレインの応答に安堵したのか、女生徒は失礼しました、とだけ言って頭をぺこりと下げ、どこかに行った。

突然の出来事に思考を邪魔されたレインは、魔力についてそれ以上を考えるのは、今は、やめておいた。

気付けば生徒が元気よく行き交う区域になっており、同じ制服を着た生徒がレインに一瞬目を奪われてから、しかしすぐに通り過ぎていく。


見慣れない、同年齢の女性が突如出現したのだ、無理もない。

そんな事より、今の魔術について学ぶのも悪くはないと、様々な場所を見学しようと思う。

幸いにも学長からすべての場所に立ち入る許可をもらっている。

そう考えたレインは、いつにない複雑な心情で、しかし足取りは軽く、校内の探検を始めるのだった。


そこから先は様々な場所の見学をし、そして夕方になった。

実に様々なものを見ることができた。

竜を乗りこなす授業に、はたまた何かの鳥を繁殖させる研究。

かと思えば土を操りゴーレム的な何かを使役させる魔術や、気流を操作して小規模の火災旋風を巻き起こす物まで。


優秀な冒険者、あるいは兵士を生み出す役割も担っているようで、魔術兵器の開発や魔術師の養成、生徒同士の模擬的な剣戟など、見ていて飽きなかった。

ぱっと見で、すべての教育は相当な水準を保っており、流石国の最高峰の研究機関を冠するだけある。


自分が教えるらしい剣術についてだが、自分とは剣の流儀が根本から違っていた。

今の主流は、見るに、相手の剣より早く攻撃を仕掛けることを最重視した剣術か。

その為に、大剣を扱う生徒は全くおらず、片手剣の、しかも非常に軽い部類の剣を選んださらにその上に加速魔法やなんやらを上乗せして攻撃しているらしかった。


悪くは無い、むしろ戦法としては優秀だ。

が、レインにとっては都合が悪かった。

その昔レインが習っていたのは、相手の剣をいなしたうえで、攻撃をする、いわばカウンター攻撃のような物。

はたして生徒が受け入れてくれるのかどうか、非常に怪しかった。


夕食会が一応執り行われているらしいが、参加しなかった。

簡素な食事を適当な売店で、給料から天引きする方式で購入し、そしてそれを頬張ってから剣術の道場に来た。

道場といっても土の上に屋根を付けただけの空間で、おそらく金のかかっていなさは校内随一だろう。

周辺には長椅子やら剣を収納する箱やらが置かれていて、秩序はあまりない。


それはそうと、自分の腕を、確かめておかねば、

剣のしまってある場所は確認してあるので、その中から適当な一本を取る。

がしかし、どれもこれも軽い。

掴み心地など皆無、重さなど感じない。

違和感しかなかった。


何とか色んな剣をつかみ取って行くうちに、ようやく重量を感じる剣に出会う。

悪くはない一振りだった。


さて、剣の師から教わったことを復習しよう。

切っ先を相手に向けて、淡々と見つめ。

狙った一点をバンッと切り込む。

──これが、明らかに自分より弱い者への対応。


自分より強い者に対しては、動かない。

守りに徹する。

しびれを切らした相手が切り込んできた瞬間に、その剣をいなして、バランスを崩した一点に打ち込む。

──これが、自分より強い者への対応。


これに、実際は炎を剣にまとわせたり、見える位置とは違う位置に存在する視覚魔術だったりを組み合わせて、剣戟は執り行われる。

気を付けるべきは自分の知らない魔術くらいか。


剣の一連の動作を確認し終えたレインは、満足げに何もない空間を仰いだ。

色々と試してみた結果、自分の剣術の腕は特段訛っていないことが分かった。

良し、と思い剣を元の箱に戻す。

後は学校の建物に変えるだけ、特別な事は何もない。

気分は、それなりには良かった──信じられない光景を目にするまでは。


土の地面に深くえぐれた溝が何本も入っている。

砂を軽くひっかく程度なら問題は無かったのだが、これは明らかにその程度ではない。

下にある、岩石までえぐり取っている。

元に直せる範疇では、到底無かった。


色々と思考した末、自分は何も知らないという立場をとることにした。

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