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続くか分からない小説の一部たち

変生(仮)

作者: 森藤 シギ

お腹がすきました。

 何もかもがつまらなかった。

勉強に口を出してくる両親や浅知恵をひけらかす兄、私のことを自分のいいように扱う姉、都合の悪いことが起こると全て私のせいにする教師にすぐに離れていく友たち。

何もかもが腹立たしくて何もかもが煩わしく、何もかもに絶望した。

どうして私は幸せになれないのだろうか、どうして誰かに愛されることはないのだろうか。ずっと考えていた。

そう考えているうちに全てに興味が持てなくなった。

果てには、生まれてきた理由や今生きている理由、死ぬことがいけないと言われている理由など答えのない、または数え切れないほどの答えがあるとりとめのないことを考え始めて。

結局、答えなど見つけられなかった。考えられなかった。

答えにたどり着く前に私は死んだ。

何の未練もなかった。

死ねばきっとこの言いようのない苦痛から逃れられると信じて。「死」とは暖かいものだと願って。

私は死んだのだ。






















 目の前で母が泣いている。

私を見ているとあの人を思い出すからと言って。

簡単に母を見捨てて母の姉に手を出した、母にとっては憎い裏切り者である男の面影が私にはあって耐えられないのだ、ということを私は知っていた。

たとえ、直接言われなくとも手を出されなくとも私は知っていたのだ。

年頃の男女間の問題などたいてい痴女のもつれからくるものである、という謎の固定概念が私の中に存在しているために導き出されたただの私の憶測でしかなかったのだけれども。

ただ、これは事実であった。母が母になる前は、その男をいつも睨んでいた。母の姉には、苦々しい表情を向けていた。そして私には泣きそうであるのに無理やりそれを隠そうとしているようなへんてこな笑顔を見せていたことは。

母は苦痛であっただろう。それでも私を育てた。

何にも興味を示さない口数少ない年不相応な私の面倒を熱心に見てくれたのだと思う。

ご飯を抜かされることはなかったし暴力を振るわれることもなかった。

よく話しかけてくれたし、手は震えていたけれども撫でても抱きしめてもくれた。

それでも限界だったのだろう。

6歳になった時に私は捨てられた。

母は言ったのだ。


「ごめんなさい。姉さん。」


目の前にいる私にではなく、今から捨てる子にではなく、私を産んだ母に涙を流して詫びたのだ。

私に愛情がなかったわけではないのだろう。母は自身の愛する姉の子であるから私を愛し、もう会うことのできない姉の面影を私に求め、親切にしてくれた。それは、私自身に向けられた母からの愛ではなかったけれども、私に与えられたものに違いがなかった。

むなしくない、といえば嘘になる。

とてもむなしかった。

愛してほしかった。

でも、それよりも羨ましかったのだ。死んでからも愛される私を産んだ母やそんな母を愛し続けた私を育てた母の一途さが。

私はそれが欲しかった。



今日から私は児童養護施設で過ごす。

路地で野垂れ死ぬことがないように児童養護施設に引き渡されたことは母が私に与えた最後の愛情のカタチであろう。

母は私に心情を語ることは少なかったから、最初から最後まで私が見て感じ、語ってくれた母の少しの心情から憶測したものでしかないけど。






 正直に言おう。児童養護施設は劣悪な環境であった。

沢山の子どもが敷き詰められていたのだ。

これは例えである。実際に敷き詰められていたわけではない。

いうならばひしめき合っていた、といった方がしっくりくる。

そのうえ、衛生環境が悪く、毎日3食口にすることができない。

私が生きていた時には経験しなかったし、母に育てられている間にもこのような環境は見たことがなかった。

不衛生による病気の発症、飢えからくる成長不足や食料の取り合い。

私はここに来たばかりで慣れていないため、よく標的にされて食べ物は取られた。

誰かが病気になるとすぐに広がるし、免疫力の弱い児童たちは亡くなっていった。

毎日、顔も知らない同じ場所に住む子どもたちが死ぬ。だが、施設にいる子どもたちが減っているようには見えず、逆に日に日に増えているように見える。

亡くなった子たちを追悼する間もなく、私は私が生きていくために必死になっていた。

その中でふと思い出した。かつて、私は私自身の手によって私の命を終わらせたのだ。

死を恋がれ、その先に幸せがあることを願って、今ここにいた。

今この環境が私にとっての幸せだとでも、苦痛でないものだとでも言えるのだろうか。

生きることのしがらみから抜け出そうとしたのに、実際はさらに絡みついただけで逃げ出せはしなかった。

幸せになろうと思うのはいけないことなのだろうか。愛が欲しいと願うのは無意味なことなのだろうか。


「お前だけが不幸なんじゃない。」


設内にある小さなビオトープで人知れず泣いていたところで、言われた。

相手は自分の知らない男の子だ。といっても、私は前から人を覚えるのが苦手だったから、前に会ったことがあるのかどうかは分からない。

ただ彼は池にかかっている橋に腰かけていた私を見下すように言ったのだ。

腹が立った。

誰が私だけが不幸などと思うものか。私は不幸だ。だけども、みんな不幸だ。

彼は生意気なガキだった。

何も言わない私に彼は生意気そうに鼻をならし、心底腹立たしそうな顔を見せて建物の中に戻っていった。

私は一層泣いた。

誰だって不幸なのだ。幸せなどありはしないのに、彼は他人がいかにも不幸せであるような態度をとれば気分が悪そうにするなんて。

まるで、幸せがこの世に存在することを信じているみたいだった。

それが可哀想なことだ、と本気で私は思い、泣いたのだ。


 まるで生き地獄だ。

死を願い、死したにも関わらず、私が私であった時の記憶を持ったまま再び生を受けて、前世という比較対象を知ったまま、不便で苦痛な生活をしている。

ならばもう一度死を願ったところで死は叶わず、さらに苦痛が増して生きていくこととなるのだろう。

ならば生きるしかない。苦痛を味わいたくない。どこにも幸せなど存在しないけどさらなる苦痛を味わうよりはマシだ。


生きることしか残されていないことがすでに苦痛でしかなかった。















かつおベースの辛めのスープに平たい麺

チョーシューはトロトロで〆は焼きおにぎりをスープにつけて

そんなつけ麺ラーメンが食べたい

メンマ、ネギマシマシで

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