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Message~永遠の時を越えて  作者: 笹木道耶
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第二章 一〇月三〇日(金)#4

     ◆ 4


 大学から帰って来ると、誰もいない部屋が千春を迎えた。

 今日は最大六人もの人がこの部屋の中にいた。

 それが何だか懐かしいような感じさえする。


 人恋しいのかな、やっぱり。

 こんな私でも。


 今朝、大学に行く前、今日の夜どうしよう、と心許なげに佳奈に言ったら、彼氏を家に連れ込むとか、彼氏の家に転がり込むとか──という冗談の次に、「ドアの前にバリケードをつくるとか、何か、ドアを開けたとき大きな音が鳴るような仕掛けをしとくとか」という提案をくれた。


 佳奈は今日は元気に仕事。

 立ち直ってよかったなと思う反面、傍にいてくれてもいいのに──とちょっと拗ねてみたり。

 でも、自分がもし佳奈の立場だったら、やはり彼女のようにしただろうな、とも。

 現実離れしたことだけに、当の千春だって、改めて考えてみたら混乱してしまいそうなくらいなのだ。


 どれが真実で、どれが夢なのか──。


 ともあれ、佳奈の提案の前者の方法をとることが不可能な千春にとって、後者の、「バリケード」と「仕掛け」の二つくらいしか、現実にとり得る対応手段はなかった。

 もちろん、昨夜のように寝ないで防御に備えたり、ほとぼりが冷めるまでホテルやウィークリーマンションに連泊するなんていう方法もあるが、前者はもはや体力的に、後者はいつまで泊まり続ければいいのかが判らない以上金銭的に、許される状況にはなかった。

 それに、何もしないよりはこんなことでもしておいた方が、精神的にも何かといい。

 そう思って出費を覚悟で護身用品売り場に行ってみた。が、そこは倹約家、自活派。ふと、有り合わせでも何とかできるのでは? と思ってしまって、結局そのまま何も買わずに帰って来てしまう。

 我ながらみみっちい性格だ──。


 確かここにあったはず、とクローゼットを開けると、使ってない小型の目覚まし時計が一つ出てきた。

 この目覚まし時計は、強い衝撃を与えるとけたたましく鳴る、という特記事項を持つ。

 ベッドの高さからカーペットに落ちただけで、それはそれは激しい音を立てるのだ。近所迷惑になるくらい。

 もともと、こんな商品が生まれた趣旨は、止めるのにプレッシャーのかかるような目覚まし時計ならばより確実に利用者の目を覚まさせることができるだろう、というものだったらしいのだが、実際はイマイチ使えないと言って良い。通常考えられる程度の使い方をしていても、容易に暴走することがあり得るからだ。


 しかし今回ばかりは、これは使える。

 買い置きの単二乾電池を入れると、ちゃんと動いてくれた。

 いけるかも知れない。


 まず、ドアノブの下側に、竹の三〇センチ物差し(定規)を、地面と平行になるように、そして左右対称の長さ、天秤のような形になるように取り付ける。

 このドアノブは、外から回したときでも内側も回る。竹の物差しがドアノブと連動するように、細かく切ったガムテープと荷造り用のスズランテープを使い、きちんと固定する。

 完全に固定されていることを確認し、室内の側から見て左側に、目覚まし時計を面積の小さい横側面を下向きにして載せる。そして右側に、目覚まし時計と同じくらいの重さの一〇枚入り三・五インチフロッピーディスクケースを中身ごと載せる。

 FDケースと目覚まし時計が釣り合っている天秤の完成だ。

 天秤状にしないと、時間とともにバランスを崩すかも、と思ったのだ。


 これで、部屋の外から見た場合右側についているドアノブを回そうとすると、目覚まし時計の側が下がり、少なくとも目覚まし時計の方は、玄関に滑り落ちることになる。

 そしてそうなれば、こいつはけたたましく鳴る。

 突然そのようなことが起これば犯人も面食らうだろうし、千春の方も目を覚まし、いろんな防御策をとることが可能になるはずだ──。


 我ながらなかなかの発想、と悦に入っていると、けたたましく電話が鳴った。その音に驚いてドアに体をぶつけてしまうと、今度は物差しの上で不安定だった目覚まし時計が落下し、けたたましい音が──。

 どっちを取ろうか慌てふためきながら目覚ましを止め、留守電がとった電話に割り込む。

「はい、もしもしっ」

 色んな意味で興奮状態にあったため、妙にハイテンションで受話器を取ると、ああよかった、いたんだぁ──という、ややおっとりとしたかわいらしいアルトが聞こえてきた。


「…………あ、美月ちゃん。ふぅ~っ。えーと……ひさしぶり~」


 電話の相手は佐藤美月。

 高校一年生で、千春と音楽ユニットを組む女の子だ。


 現役女子高生ながら、美月は今時の女子高生とは一線を画するタイプである。

 流行を全く追わず、さりとて奇抜すぎることもなく、とてもおしゃれにいろんなものを着こなす。

 その志向は千春とほぼ同じ。

 どこに出ても、どこに出しても恥ずかしくない、とてもカワイイ女の子だ。


「あ、そういえば明日、だったよね?」

 彼女は現在の千春にとって、唯一のパートナーである。

 千春にしてみれば美月の実力の底上げのため、という意図もあるのだが、学祭やライブハウスなどからピンチヒッター的に出演の依頼が来たときなんかのために──を名目に、二人で地道に練習を続けている。実際にライブハウスのステージに立ったこともあって、打ち込み+キーボードのレベルでは、アマチュアの領域では頭が一つ二つ抜き出た存在ではあった。

 二人とも学業優先なので練習日は主に土曜日だったが、ここ二週、千春の方の都合でキャンセルしていた。それだけに次々とストレートに不満をぶちまけてくるところが、若々しくて大変よい。


「ごめんごめん、ちょっといろいろあってねえ。明日まで私が生きてたら、ちゃんと行くから」


 自分でも意味深な言い方だな、と思いながら謝る。

 ちゃんと来てくださいね──と念を押されてから電話を切られた。

 信用ないな、と思わず苦笑しながらため息が出る。


 ハッと我に返る。

 そうだ、美月ちゃんとの会話の余韻に浸っている場合ではないのだった──。


 気を取り直して、「天秤」を再び完成させる。

 寝ているときに事故や地震で落ちたときはご愛嬌。

 命を取られるよりは叩き起こされた方がマシだ。


 続いて、キッチンとユニットバスの間の細い通路の出口に、バリケードを築くための構想を練る。

 シンセサイザーや教科書、夏物の衣類の入ったクリア収納ケースが使えそうだ。

 特にシンセサイザーは大きさもそこそこあって、見た目よりもかなり重い。上手くすれば、これらだけでかなりの時間を稼げるはずだ。

 それと、千春の見た感じでは、犯人は『大きな懐中電灯を使ったりはしない』らしい。

 とするならば、部屋の中が真っ暗になるようにしておき、なおかつ通路に画鋲でも巻いておけば、効果は大きいだろう。ポスターでも貼ろうと思って買ったものの結局使わなかった画鋲が、たまたま手元に一ケース分ある。

 警察が「殺人」を疑わないのは、少なくとも犯人が、土足で部屋に侵入してはいないからに違いない。

 それにあの機敏な動き。アレは、土足の上からでもスリッパ、というのは考えにくいことだった。

 これで、なんとか──。


 掛け時計を見ると、ちょうど夜九時をまわったところだった。

 そういえば、佳奈にも刑事たちにも言わなかったが、昨夜もこの掛け時計が狂っていた。

 朝、佳奈が起きる前に直しておいたのだが、毎度の通りかなりの時間進んでしまっていた。しかしその後は安定して時を刻んでいるらしく、マイクロコンポの時計も、いつも使っている目覚まし時計も、いずれもが同じ時刻を指していた。

 何だかホッとしてバスルームへ向かう。

 昨夜もあまり寝ていないのだ。


 犯人が来るのは、過去二日の経験から、おそらくあと五時間後ぐらいだ。

 そのときに戦う気力を養うためにも、リフレッシュが必要だ。

 風呂から上がったら、画鋲を巻いてバリケードを作ろう──そう考えながら、台所の包丁以下凶器になりそうなものの部屋の奥への移動も忘れない。


 万全よ、万全。


 そう思いながら、明日一緒に練習しようね、美月ちゃん──という心細い言葉が、千春の頭の中を駆け抜けて行った。


     ◆ Meanwhile "Unknown"


(これで、よしっ!) 

 心の中でガッツポーズを繰り出す。


 このレポートを提出できなければ、四年間で大学を卒業するための計画が、大きく狂うところだったのだ。

 あとは帰って寝るだけ──というわけにはどうやらいかない。

 彼からも、そのことについては十分注意されている。

 どこか安全な場所に泊まるように──そう言われているのだ。

 そしてそれが、彼女にとっては頭痛の種であった。


 彼は、本当はオレの家に泊まれればいいんだけどな──と言ってくれたが、彼のアパートは今時珍しい男性専用の学生寮なので、女性が一人で立ち入って、なおかつ泊まるなどということは到底考えられなかった。

 もちろん、誰か泊めてくれる友人でもいればこんなに悩むこともないのだが、もともと友人が少ない上に、数少ない友人も、自宅通学生だったり、はたまた同棲中だったりと、希望に沿ってくれる人物に心当たりがなかったのが運の尽きだった。


 ホテルにでも泊まろうか──。

 ふとそんな考えが真実味を帯びてきた矢先、いいことを思い出した。

 レポートを提出したあと、その足で少し早い夕食をとる。

 久しぶりの横浜だ。

 そう思うと、自分の下宿に帰りたくなった。


 普段自分の下宿にいるときは広いお風呂に憧れたものだが、この期に及んで逆にユニットバスが恋しくなるとは、所詮人間は無い物ねだりの生き物なのだと、身をもって思う。

 下宿に戻り、風呂を沸かして入る。

 窮屈な感触が懐かしい。

 溜たまっていた部屋の片付け、洗濯までしてしまうと、もう夜の九時半を過ぎてしまっていた。

 夜道を若い女性が一人で歩くのは物騒極まりない。

 早いうちにあそこへ行かなければ──。


 念のため、あまりかさばらない小型のブランケットを旅行鞄に入れ、下宿を出るなり急ぎ足で歩き出す。

 明日になれば、また彼らと合流することになる。

 久方ぶりの休暇を存分に楽しもうじゃない、と心にもないことを思いつつ、少しばかりの不安を胸に抱きながら、目的地へと足を運ぶ。

 疲労で少し足の運びは重いが、そんなことは気にしていられない。


 到着したのは午後一〇時五分過ぎ。

 場所は再び国立Y大学。学生部棟一階、「オカルト研究会」の部室だ。


 鍵を開けると、いつもの風景が目に入ってくる。

 ここなら誰も来ないだろうし、きっと大丈夫──と言い聞かせ、部員がいつでも泊まれるようにと常置してある寝袋(女性用)を使う。


 周囲に明かりはほとんどない。電気を消すと、室内は限りなく真っ暗闇に近くなる。

 その電気のスイッチに手をかけるときが、刻一刻と迫ってくる。

 が、その光景を外から眺めている者がいることに、彼女は気づいていなかった。


     ◇


(…………。何て言ったんだ? 今──)


 本当はもちろん聞こえていた。

 彼女の言葉を聞き逃すはずがない。

 その上で、その言葉が間違いであってほしい、と願いながら、しかし、ここで確認してしまったら取り返しのつかない事になるのでは、という恐れからか、問い返すのが遅れた。


 彼女もそのことは察していたようだった。

 改めて、俺を傷つけることになるであろう言葉を繰り返すのに、葛藤があることがその仕草から見て取れた。

 しかし──。


「もうすぐ、お別れの、時間──なの」


 俺に背中を向けたまま、改めて彼女は、「別れ」を口にした。


 ──せっかく、また会えたのに、どういうことだ? 


 俺は完全に冷静さを失っていた。

 いきおい、彼女に駆け寄ろうとする。


 しかし突然、彼女は身を翻した。

 そして、何と──。


 俺が彼女の手を掴もうとしたとき、彼女の手は俺の差し出した手に反発する磁石のように、ふわっと遠ざかった。

 おいっ──。

 そう声を上げようとしたとき、俺の目の前には信じられない光景が存在していた。


(××──!?)


 彼女の名前を叫ぶ。

 しかし彼女の足は、緑の咲き誇る地面をゆっくりと離れ、そして彼女の体は、ゆっくりと、しかし確実に上空へと向かっていた。


(一体、何が起こったんだ──)


 俺の言葉にならない叫び声に反応するように、彼女の表情が曇っていく。


(一体何が──)


 俺の顔も、おそらく相当に歪んでいたに違いない。

 しばらくして、彼女が口を開いた。


「……そんな顔、しないで──」


 彼女の表情は、先程とはうって変わって穏やかになっていた。

 ただ、その両目には、今も涙が浮かんでいた。


(××──!)


 もう一度彼女の名前を呼ぶと、彼女は目を閉じ、そして、うつむき加減で、安らかな顔で、こう言った。


「もう、お別れの時間。あなたと過ごした時間、ほんとうに幸せだった。今まで、ほんとに、ありがとう。

 あたしは──私、あなたのこと、愛してる。

 でも、これ以上、私なんかが、あなたを──束縛することは、できない。

 あなたは、まだ、もう一度幸せを掴むことができるけれど、私じゃ、もう、あなたに、幸せを感じさせてあげることなんて、できないから。

 だから、私は──」


 彼女の言葉を聞いて、もはや正気ではない、哀願の表情になっているのが自分でも分かるぐらい、大きく顔が歪む。


「そんな顔しないで。あなたには、いつでも、笑っていてほしいから。ね? お願い──」


 呆然と、彼女の姿が薄らいでいくのを見つめている俺に、更に彼女は、笑顔に涙を滲ませながら口を開く。


「あなたの幸せを願ってる。

 今ここで、あなたに会えるのは、あなたが私を想ってくれてる、おかげだから。

 そんなあなただから、幸せになってほしい。

 心から、幸せに──。

 ……そうだ。一言、言い忘れてた。

 カノジョが──恋人ができたら、いえ、もし、一緒にやっていけそうな人ができたら、私に必ず、紹介してね。

 私はいつでも、ここに、いるから。

 私はここで、風に、なるから──。

 約束よ、ね──」


 あ・い・し・て・る──。


 彼女の姿が、どんどんと薄くなり、そして消えていく。

 そして、あのときと同じ、一粒の涙とともに、彼女は俺の前からまた、姿を消した。


(××──!!)


 俺は、ただただ、彼女の名前を叫んでいた。

 声にならない叫びが、きっと声にならなくなるほど、彼女の名前を叫んでいた



 ──リアルな夢だった。


 あいつが出てくる夢は、いつでもそこそこリアルだったが、あのときの「夢」は、本当に群を抜いていた。


 そして更に不思議なことに、俺が目覚めたとき、俺の左手の甲には、一粒の雫が落ちていた。


 彼女は確かに「いた」のだ。

 あの雫が、その証しなのだと、俺は今でも思っている。


 あれ以来、一度も見てない、彼女の夢──。

 今なら、言えるような気がする。


 愛してる。

 だから、


 さよなら──、と。

佐藤美月さとうみつき:#1 アマチュアDTMデスクトップミュージック界では知られた若手ミュージシャン。千春とは、雑誌上で開かれる1年に一度のコンテストでの受賞がきっかけで知り合い、お互いに横浜に住んでいるということで交流が始まり、音楽的志向が近かったためユニットを組むようになった。リアルでの交流は半年ほど。

 ちなみに、そのコンテストでは美月がグランプリ、千春は優秀賞を受賞している。

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