第八章 一一月〇五日(木)#4
◆ "Adversary"
到着した。二年ぶりに。
車のトランクから大きなスコップを持っていく。
手袋も忘れない。
念のため、夜だというのにスキー用のゴーグルを装着する。
まさかこんな場所で人に会うとは思えないが、万が一ということもある。
山、森の中に入る。
ふと気づいた。
誰かが、最近通ったような形跡がある。
これは──。
いきなり、ものすごい光が俺を照らした。
ゴーグルを通していても、一瞬目がくらみ状況を把握しきれなかった。
いったい何だ、何が起こった!?──。
◆ 4
「いつから、彼が犯人だと思ってたんですか?」
千春はすっかり泣き止んで、リビングのソファーで温かい麦茶をすすっていた。
もう大丈夫だ。
「千春の話から、『共通点だらけ』だったことを見つけたときかな」
西脇はそう言って、話をまとめるため思考モードに入った。
西脇が千春の『夢』の話を信じたのは、自分が優子の『夢』を見て、思うところがあったからだ、と言った。
だがもう一つ、雅が繰り返し言っていた『共通点の指摘』がなぜあれほど早かったのか、という疑問はある。
雅による『西脇英俊犯人説』の根拠の柱の一つでもある。
それが、今千春の前で、明かされようとしている。
「単なる偏見だよ、僕の」
西脇はそう言ってから、今から七、八年も前の話さ──と切り出した。
◆ Meanwhile "Adversary"
──なんだ!? これは……。
強烈な光は、ゴーグルである程度遮られてはいたものの、男に大きな戸惑いを間違いなく与えていた。
男は何が起きたのか把握できず、呆然と立ち尽くした。
突然、両側から人が飛びかかって来た。
二人とも男だ。
長身を生かして抵抗する間もなく、彼は二人の男によって、身体を拘束されてしまっていた。
「な、なんだ貴様ら!」
もがく傍ら、右横にいる人間の顔を見て、彼は絶句した。
「せ、関本……」
呆然とする男の前に、三人の男が現れた。
そして、その後ろには、まだ数人の人影が見える。
どうやら待ち伏せをされていたらしい。
「平川……」
三人の後ろにいる男の顔は、男が意地でも身柄を確保したかった人間のものだった。
男の視線が、前に立つ三人に向く。
「……水林栄純、死体遺棄、及び井川恵殺害、並びに早野千春殺人未遂、銃刀法違反容疑で、緊急逮捕する」
中央に立つ、五〇過ぎの醜い顔が、男の気持ちを逆なでする。
まさか中西ごときに、逮捕を宣告されるなんて。
「島野……」
向かって左に立つ島野警部に目を向ける。
こいつが絡んで来なければ──。
……これも、「運命」か──。
「残念だ、水林君」
向かって右に立つ、平井課長の顔は、いつも以上にやつれて、男には見えた。
しかし、今、一番やつれた顔をしているのは、自分かも知れなかった。
いや違う──。
男は確信していた。
自分の表情がやすらかであろうことを。
なぜなら、もうあの『呪縛』に悩まされることが、なくなるのだろうから──。
◆ 5
「水林は僕たちの大学の同級生ではあるんだけど、同時に先輩でもあるんだ」
西脇は、かすれた自分の声を意識してか、麦茶で喉を潤してから、続けた。
「あいつはもともと工学部の出身でね、僕らが入学したとき二年生だった。
僕と優子が半同棲生活を既に始めていた一年の秋頃、奴は優子に目をつけた。僕たちが二人で、広場でちょっとしたライブをやったことがあったんだけど、それがきっかけだったのかも知れない。奴はそれ以来、彼女につきまとうようになった」
それは意外な話だった。
水林はルックスもいいし、クールな感じのする、しかも優しいところもある人間に思えていたのだ。
「奴の行動は次第にエスカレートしていった。初めは遠くからこっちを見てるだけだったのに、手紙やプレゼント攻撃をして来るようになった。
一度、鍵を掛けてあったはずの優子の家の中に、プレゼントが置いてあることだってあったんだぜ? 犯罪だよ。不法侵入だ。
ただ、鍵をかけてあった、という証拠はさすがに残してないし、奴は真顔で『中に招かれた』と主張した。全然話がかみ合わない。男の僕でも気味が悪くて冷や汗をかいたくらいだった。
今思うと、あれは奴の中ではそうだったんだろう、って思う。
そう奴は信じていたんだ。
優子がいくら『彼氏がいるから』って言っても、『あんな奴彼氏じゃない。つきまとわれて迷惑だろう。君の本当のパートナーは俺なのに、どうして気づいてくれない』って、言いたい放題言ってやがった。
しかも、奴の場合、そういう行動に一定のサイクルがあったんだ。
月曜日は手紙、火曜日は待ち伏せ、水曜日はプレゼントを配達指定で送り付ける、ってな感じでね。規則正しく、まるで一言一句違ってはいけない呪文でも唱えるように。
正直、かなり不気味だったぜ」
なるほど、それで規則性、共通点にこだわったのか。
でも、なぜそれが水林にすぐ結び付くのだろうか?
「阿部君がM署に配属になったとき、上司に奴がいる、という話は聞いたことがあった。
奴は優子に付きまとうために法学部に転部するような奴なんだ。だから、学部の単位が足りず二年生を二回やる羽目になって、それで僕らは同級生になった。
そういう奴だったんだよ。
だから千春から話を聞いたとき、真っ先に奴が犯人像として頭には浮かんだ。
もっとも、盗聴の話を聞くまでは、単なる偏見だとは思ってたよ? 奴本人が本当に『犯人』だとまではさすがに思ってなかった。奴自身は改心した、というか──そういうストーカー気質からの脱却が成功したから、警察官になれたし、なったんだろうと思っていたしね。
ただ、そういう常識でははかりきれないような頭をした輩がいるっていうことだけは、確信を持ってた」
「っていうことは、盗聴器の話を聞いてから、彼が犯人だと?」
千春は、まさに意外な気持ちでいっぱいだった。
まさかそんな早い段階から?
「それでも疑い始めた、って程度だったよ。
実際、学生時代の奴は、警察の介入があって以降、ストーカー行為をしなくなってたしね。奴が優子に粘着してたのは学部の一部では知られるようになってたから、心理学系の教授のところに相談に行ってたらしいって噂も、病院に通っているみたい、って話も聞こえては来てた。だからまあ──治ったんだと思ってたんだよ。むしろ、そういう経験を活かして、あるいは再発をさせないために警察官になったのかな? とすら思っていたくらいだった」
でもなあ──と言い、西脇は続けた。
「奴は七年前、ウチの電話を盗聴してたきらいがあった。それも優子の部屋として使っていた、あのベッドルームの子機のね。有線電話では、仕掛けをしない限りそう簡単に盗聴はできないから。
でも、この家のセキュリティを破るのは奴でも無理だったんだろう。一応調べてもらったこともあるし、注意もしてたんだけど、入られた痕跡は一度もなかった。
だけど子機の盗聴なら、決して難しいことじゃない。
例えば、優子が電話でした女友達との約束の出先に奴が現れたりとか、そういうことがあった。
こっちも二人でいろいろ調べて、何ができる可能性があって、何ならまず不可能なのか──くらいは仕分けできるようになってた。警察にも相談してたんだけど、全然動いてくれなかったからね。自衛するしかなかったんだ。
で、子機の盗聴はできそうだった。だからウチでは防衛策として、子機を一切使わないことにしてた時期があったんだ。
『共通点の多さ』は、妙な几帳面さというか、整然とした段取りというか独特のこだわりというか──そういう常人にはなかなか真似できないような傾向の現れだ。だから、あの『脅迫状』を見たときは──万事休すというか何というか。
機械モノに詳しい人間で、実際に盗聴しようと思えば、それを実行することができてしまう人間。
鍵を開ける能力があるらしいことも情況証拠。
そんな能力のある奴、そうそうはいないでしょう?
そして改めて仕掛けられた二つの盗聴器。
僕の知る限りに限定すれば、犯人は奴しかいなかった」
「……なるほど」
千春は、どうして西脇があんな犯人像の推理をあっと言う間にやってのけたかが、ようやく分かった気がした。
△
《一一月五日 『捜査会議』 証言⑫ 島野康夫》
・水林栄純『動機』について
「春日桜を知るある女性に、三枚の写真を見せたんですよ。井川恵の写真については完全に騙されたようでした。『この写真の人は、今、どこにいるの?』と詰め寄られたぐらいでしたよ。
三枝祐美恵については、ワイドショーネタになっていたせいか、わりとすぐに見破られてしまったんですが、早野さんについては迷っているようでした。そして結局、彼女は、別人だと見破った」
「つまり、『犯人』は春日桜と似ている度合いの強い順に後回しにして、犯行を重ねるつもりだった。そういうことです。とても理由になっているとは思いませんが──でもそういうことなんでしょう」
▽
『一人暮らし。夜起きていられて、自由に時間が使え、次の日の生活に影響しない』
この犯人像は、まさに当時の、学生の頃の水林に該当していたに違いない。
当時の彼が、推理する上での重要なサンプルになっていたのだ。
ところが、実際の犯人はそんな『学生』ではなく、またしても水林本人だった──。
「奴はしかし、転部までしたわりには、割とすぐに優子から手を引いた。警察がちょっと間に入っただけで退いたんだ。その真意は分からなかったけど、でも奴からこういう言葉を聞いた人がいた。
『女の価値観はわからん。すべての面で勝っていても、選ばれないことがある』って。
ものすごく自意識過剰な話だよな? でも、逆にそれはプライドの高い奴が、警察に小言を言われたことが堪えたのか、それとも僕に負け続けることに耐えられなくなっていったとか、そういう程度のことなのかも知れない」
西脇は、ルックス的にかなり良い方だと千春は思う。
水林もルックスは確かに良い方だ。ただ、タイプが全然違うので、好みによって意見が分かれるだろうな、という程度の違いだ。
西脇は水林より背が低い(成人男性の平均くらいだ)が、ガーリッシュなかわいらしいルックスで、水林は長身で、どちらかというと、正統派の二枚目、というだけ。
つまり客観的に言うと、「差」なんてたぶん──ない。
となると、水林は極度のナルシストだった、ということか?──。
「今回の一連の事件の動機は、詳しくは分からない。正直解りたいとも思わない。けど──あいつはまた、ストーキングしてたんじゃないかな? 例えば、春日桜さんの」
あり得ることなのかも知れない。
そして、その面影を千春たち三人の女性に見た──そういうことなのかも知れない。
「あのバイクの爆発のとき、すぐに奴が駆けつけて来たことでピンと来た。
千春を運んだ救急車の中で、島野さんにそれを言っといたんだ。
そして今朝の銃撃。
昨日、あの子機で千春が美月ちゃんに『入口まで迎えに行く』と言ったのを、奴が聴いてた証拠だ。奴なら、ウチの子機電話の盗聴は、簡単にできるはずなんだ。電話機、換えてなかったしね。
それに──あのバイクはナナハンだった。あの音は四〇〇じゃ出ない。最初から拳銃を撃つつもりだったんだろうし、走り慣れたバイクじゃないとさすがに無理だと思ったのか、それとも、重要参考人のバイクがなくなったら、さすがにバレると思ったのか、あるいはその両方か。
ナンバーが平川のバイクと同じだったんなら、ナンバーだけ付け替えたんだろうね。ご丁寧にマフラーまで外して。運が悪けりゃ、交通課に検挙される可能性だってあっただろうに」
あとは、警察に任せるだけだ。
◆ "Adversary"
「バイクを使った『狙撃』は手掛かりの宝庫だったな。アレがなければ、『捜索令状』は取れなかったかも知れないのに」
島野がそう言うと、水林は首を左右に振った。「捜索令状」という言葉が、心に響いたに違いない。
「何もかも、終わりのようだな」
ゴーグルとスコップは既に没収されている。
抵抗するどころか、これでは自殺することさえできない。
「君に、会わせたい人がいる」
島野はそう言うと、水林を拘束している二人の刑事を促し、ついて来させた。
水林の手には、既に手錠がかけられている。
「なっ、こ、これは……いったい!?」
水林は絶句した。
白骨化した、右手らしきものだけが、地面から突き出ていた。
「歯型の鑑定のため、平川君に承諾を得て頭部だけ掘り出させてもらったけど、あとはそのままだ。自然にこうなっていた」
「ば、馬鹿な! 俺は、あいつを相当深いところに埋めたはずだぞ!? しかも、『屈葬』の形にして──。
わ、わかった、わかったぞ! なんて悪趣味な連中なんだあなたたちは!?
俺は確かに桜を殺した。
でも死体にこんな仕打ちをするなんて、お前らだって同類じゃないか!?」
いつもクールな様子だった水林が激高しているのに、中西も平井も驚いているようだったが、島野と平川が反論を言おうと口を開く前に、一番遠くにいた老境に達しつつある男性が口を開いた。
「これこそ、『思念』のおりなす『神秘』だ!
……無念だ、死後二年も経過していなければ、そして、お前が余計な殺人をやろうとさえしなければ、実験は成功したんだ!
そして彼女は永遠の命を! 永遠の命をおっ!!
それを貴様は──」
突然、平川が男性を殴り倒した。
すぐさま刑事たちが彼を止めに入る。
彼の顔には、言いようのないほどの怒りが露わになっていた。
「な、なにを──」
「命を弄ぶのもいい加減にしろ! 仮に姉貴が、『復活』したとしても、その『思念』は強力な『怨念』に過ぎない。『災い』をもたらすだけだというのが分からないのか!?
現にこうして、犠牲者も出ているというのに!」
平川は、大柄な体を震わせながら立ち尽くしていた。
水林がそれを見て、怪訝な顔をしている。
「さあ、行くぞ」
「……今の出来事の説明をしてもらいたいですね?」
「全部しゃべったら教えてやろう。三枝祐美恵さん殺害についてもな?」
「ふん」
刑事たちに誘導され、水林、平川、そして殴り倒された男性──宮腰俊一郎が次々と、別々の車に乗り込んでいく。
現場には埼玉県警の刑事たちだけが残り、作業に取り掛かっていた。
神奈川県警の刑事たちを乗せた車が、次々と発車していく。
「よく俺が、ここに来ると思いましたね?」
いつもあまり表情を変えないはずの水林が笑っている。
平井はそれに気づいて、こいつも実は、この二年間、つらかったのかも知れないな──と、なぜか思った。
「強力な『思念』とやらに取り憑かれていた君が──危険を冒してまで早野さんを狙うほど追いつめられていた君が、その精神を追いつめている根本を見逃すはずはない、そう期待した。
だから今日、君たちを早めに捜査本部から解放した。
そして君が車で自宅を出たという報告を受け、東京との県境で待機していた我々が、先回りすることになった。だから正直、半信半疑、ここで逮捕できるかどうかは、賭けだとは思っていたよ」
水林はそれを聞いて、ふふっと小さく笑ったあと、島野に訊ねた。
「そんな賭けまでして、俺をこの時間に、あの場所で逮捕する必要があったんですか? メリットなんてどこにもないじゃないですか。俺の部屋を捜索すれば、いろんなモンが出て来るのに」
「メリットは、あるさ」
水林が横に座る島野の顔を凝視する。
だが、島野は彼の方を見ずに、こう言った。
「被疑者自殺だけは、どうしても避けたかったんだ。四年七か月前のような──ね」
平川武司:#2 春日桜の実弟で、神官の家系に連なる者。両親の離婚に伴って姓が異なっている。
姉と良く似ている井川恵とは交際関係に限りなく近い関係だった。
失踪した春日桜が既に死んでいると確信しており、井川恵に姉の思念を感じている。井川恵の行動もそれに沿っていた。
春日桜に代わり、壊された「封印」を施すべく、表面的には利害が合った宮腰俊一郎と井川恵とともに3人で行動していた。
井川 恵:#2 人文学部2年生の平川武司と「運命的な出会い」を果たしたと思っており、珍しく積極的に、自身としては目一杯「アタック」して、交際関係と言って良い関係に持ち込んだ。
ロングヘアで美形と言って良い容姿だが、髪の手入れ等にはそれほど頓着しておらず、ファッションにも特段関心はない。が、要所ではきちんとできるだけの常識やセンスは持ち合わせており、一通りの髪や身体のメンテナンスの知識は有している。そのため、おめかしするとかなり印象が変わるのだが、本人は目立つのが嫌いなのでたまにしかしない。
春日 桜:2年前、私立M女学院3年生のときに失踪した女性。当時24歳。163cm、49kg。
新潟県内の短大を卒業したあと1年間、地元企業でOLをしていたが、退職して横浜市にある私立M女子学院大学に進学した。失踪当時3年生だった。
山歩きが「趣味」で、関東甲信越各地の山を単独で歩き回っていた。
大学近くのお花屋さんでアルバイトをしており、その「趣味」のおかげで女性にしては力持ちで、スタミナがあり立ち仕事を苦にせず、花にも詳しいため、バイト先では大きな戦力として機能していた。
平川武司の実姉で、神官の家系に連なる者。ただ、能力は開花しておらず、短大卒業前後まではごく普通に生活していた。春日は母方の姓で、母方は神官の家計ではない。
開花したあとの神官としての才能に秀で、非常に大きな「力」を持っていた。
本来は国立Y大学の宮腰俊一郎教授の師事したかったが、Y大は受からなかった。そのため、宮腰俊一郎の息子、一馬が助教授を務めるM女子学院大学に入学。以後、一馬の支援を受け、神官としての活動にあたった。これは結果的には宮腰俊一郎に師事するよりもずっと良かったことなのだが、運悪く、神官の職務とは全く関係のない犯人に付け狙われ殺害された。




