第八章 一一月〇五日(木)#2
◆ Meanwhile "Police"
M署内の空気は、ここのところの捜査の行き詰まり感もあってここ数日、もう一つ晴れ晴れとしていなかった。
しかし、今日に限っては、幾分雰囲気が明るく感じる。
外回りの仕事に出ていて、夕方になってから署に戻ってきた刑事たちは、皆一様にその空気の違いを感じとった。
水林警部補、関本刑事の組も、もちろん例外ではなかった。
「何かあったんですかね?」
「さあ……」
関本の問いに、水林も首を傾げている。
どうやら地元特有の何かではないらしい。
偶然通りかかった警務課の巡査に聞いてみる。
「いやあ、詳しいことは分からないんですがね、何でもT署の方で出された捜索願に該当する女性が、何でも二年ぶりに見つかったとかで。
ここのところ、ウチも含めて警察全体であまりいいニュースがありませんからね。今回みたいに偶然に近かったとはいえ、事実上捜索をしていないような人探しで結果が出てしまう、みたいなことがあっても罰は当たらないよな、って雰囲気になってるんですよ。
こういうこともあるんですねえ」
確かに、そういう偶然があってもいいような気はする。
警察は概して嫌われ者であるケースが多いが、そういう個人レベルでの支持者開拓を地道にやっていくことも、警察には重要なことだと、関本も常日頃から思ってはいる。
そうした努力の積み重ねが、少しでも住民の役に立つなら、そして二義的に、自分たちの社会的評価が向上するなら──そう思うのだ。
「でも、どうしてその女性は二年も失踪していたんだ? 何かワケがあったのかな?」
水林が挟んだ疑問は、関本も同感だった。
今の世の中、自ら進んで失踪する人も少なくはない。捜索願を出した人はともかく、見つかってしまったことがその本人には不幸であるケースも、ないわけではないだろう。
「何でも、記憶喪失だったらしいぞ」
「中西警部」
トイレからちょうど戻ってきたらしい中西が話を引き取る。
警務課の巡査は、それを機に持ち場へと戻っていった。
「何でもなあ、M女学院大の女子大生だったそうだが、すべての記憶がすっぽりと抜けたまま、近くのじいさんばあさんしか住んでない農家に、ずっと居候していたらしい」
「……農家、ですか?」
水林が問うと、中西はコクリと一度、頷いた。
「ああ。埼玉県警の刑事が偶然、見つけたんだそうだ。まあ、詳しいことはわたしも知らんのだが。
ま、これで少しでも、世間にアピールできればいいんだが、プライバシーの問題もあってなあ。マスコミに大っぴらに宣伝できないのがつらいところだな。
記憶が飛んでいる、っていうのは、いろいろと厄介なことを引きずってくるものでな。
だからマスコミには言っちゃいかんぞ、おまえらも」
もう空がすっかり暗くなっており、時刻は午後五時三〇分を回っていた。
夜風の寒い、季節になったもんだ──。
◆ 2
「それではまず、先程起きた『狙撃事件』について事情聴取を行いたいと思います。阿部君、佐藤さん、西脇さん、早野さんの順で、スタジオルームの方に一人ずつ、お願いします」
平井と島野と阿部がまず防音室に行く。相澤は千春たちに対するお目付役らしい。
千春が「どうして一度にみんなに聴かないんですか? そっちの方が効率がいいのに」と訊ねると、「それだと客観的な事実が分からなくなる可能性があるんですよ。他人の証言に左右されてね」との応え。
事件直後、阿部が苦い顔をしたのはそのせいだったようだ。
阿部が戻って来、美月が、続いて入れ替わりに西脇が、そして最後に千春がスタジオに入った。
いくつかの形式的な質問のあと、島野はこう切り出してきた。
「電話、もしくは盗聴器による盗聴が行われていた可能性があります。早野さん宅、及びこちらで盗聴器検査を行いますが、よろしいですね?」
もちろん千春は承諾したが──またしても盗聴器とはどういうことだろう?
平川がこの西脇のマンションを知っているとはとても思えないが。
でも、バイクは確かに、彼のバイクだった。
少なくともナンバーについては。
「バイクの男、いえ、人物について、誰それ、という特定はできますか?」
この質問に対しては、随分と念を押したような訊き方だな、という印象を受けた。
そう念を押されると、何とも言えません、と応えるしかない。
念を押されなくても、実際、千春は美月の方に気をとられていて、ほとんどバイクの方は見ていなかったから応えようがないのだが。
「銃声は、何発でしたか?」
「二発──だったと、思います」
「よろしい。どうもありがとうございました」
え? これで終わり?──。
◆ "Police"
関本が自宅に戻ったのは、夜九時頃だった。
本庁所属の関本の、M署までの通勤時間は約一時間。
直線距離だとたいした距離じゃないのに意外に時間がかかる。
故に八時には向こうを出たわけだが、どうも今一つ、成果は上がっていないように思う。
捜査本部による捜査がある程度軌道に乗っていれば、八時に家路につくことなんてできないのが普通なのだ。
一息ついてテレビをつける。
ニュースをやっている時間だ。
刑事になってから、ニュース番組や新聞をよく見るようになった。
高校時代まではそんなことなかったのに。
突然電話が鳴った。
まるで関本の帰りを待っていたかのようなタイミングだ。
訝しげに思って留守電のランプのところを見てみたが、一件も入っていない。
どうやらこれが初めてのコールらしい。
(誰だ?)
そう思って受話器を上げると、聞き慣れた声が関本の耳に届いた。
この声は──。
◆ "Adversary"
(バカなバカな……そんな、そんなワケが──)
男は車を走らせていた。
もう日付が変わりそうな時間帯、車の流れは速い。
思い起こせば二年前──いや、そんな、バカな!
男の頭は、パニック同然の状態になっていた。
あの毎晩二時半に、必ず見た「夢」──。
二年前と同じ道を通る。
時間の経過とともに、東京都、次いで埼玉県へと車を進める。
呪縛──。
まさに、そう呼ぶに相応しい状態だった。
男はそれから逃れられなかった。
もう二年も経っているというのに、いや、経っているからこそ、冷静な状況判断ができなくなっているのかも知れなかった。
呪縛……か──。
もはや先の見えない暗がりに、確実に足を踏み込んでしまっていた。
その場その場で、目の前の課題を一つ一つ片付けて行くことしか、もう男には、できそうになかった。
完璧と思われた計画が、途中でまさかの破綻を生じた。
そしてその失敗が更なる『呪縛』を生み、そして失敗を重ねさせる。
男は車を走らせていた。日付が変わる。
そう。
忘れもしない、あの初めての「夢」から、ちょうど丸二年経った──。
阿部智幸:#2 警察学校を卒業して配属になった交番が横浜駅西口前交番で、仕事を通じて西脇英俊と知り合い、元々の音楽好き(聴き専)もあって友人のような関係になって現在に至る。
元々、県警本部の島野康夫と知り合いで、彼に憧れて警察官を目指した。そのため、現在の刑事課配属は希望通りである。




