第七章 一一月〇四日(水)#2
◆ "Police & Supporter"
刑部大介は、島野警部が来るのをM女学院大学の正門の目の前にあるコンビニエンスストアの中で待っていた。
待ち合わせは一二時半頃だったが、島野が到着したのは一二時四五分。聞けば、小林亨という男への事情聴取で予想以上に収穫を得、それで遅れたとのことらしい。
「島野さんメシは?」
「食ったよ、とても綺麗な女性とね。大学の学食で食事をとるのは、生まれて初めてだったな、そういや」
「いいなあ、ずるいっスよそれは」
「ふふふ、そんなこといってるうちは、司法試験なんか受からんぞ。そしてまた、辻村さんに怒られる、と」
「やめてくださいよ。まったく、叔父貴が二人いるみてえだ」
大介はおにぎりと菓子パンを持ってレジへ向かう。島野から千円が差し入れられたので、ついでに揚げ物も追加した。
女子大の中は、まだ昼休みらしく、そこら中に若い女性があふれかえっていた。
高田馬場にある有名私立大学に二年前まで通っていた大介だが、法学部だったせいか女っ気はあまりなかったので、こう女ばかりだと何だか怖い気がする。
二人が歩いていると、四方八方からひそひそ話が聞こえてきた。
何のことはない、ここは女子大なのだ。ある意味、いい年した若い男性が二人で歩いていれば、話のネタになるのも当然と言えるのかも知れない。
宮腰一馬には、昨夜のうちに連絡してアポイントメントをとってある。
もちろん刑事の来訪は告げていないが、「春日さんのことでお邪魔させていただきたいのですが」というと、二つ返事でOKが出た。
やはり彼女のことを気にしているのだろう。
その一馬のいる文学部棟へ足を向ける。
宮腰一馬助教授は、東洋史を専攻する、今年でまだ三二歳という若手の研究者である。二年前の時点で既に助教授だったそうだから、ペースとしはかなり早い出世だ。
建物に入ってからも、訝しげな表情の女子学生に数多く出会った。ただ、彼女たちは二人の顔をじっくりと見たあと、急に態度が変わる。中には、露骨に色目を使う者までいて、大介一人で来ていたとしたら、おそらくはナンパされるまで校舎内をうろついたに違いな──それだと立派に不審者なので、そんなふうに妄想的に思っているだけだ。
しかし、そんな女子学生たちの視線をかわすかのように、島野は颯爽と風を切って歩いていく。それに遅れじとついて行くには、ナンパ待ちをしている余裕など、全くあるはずもなかった。
宮腰一馬は、おそらくは女子学生が放っておかないだろうな、と思うほど端正な顔つきをしたやせ形の男だった。ただ、その表情自体はいかにも「研究者」という感じで、研究以外のことには興味を持てない筋金入りの学者タイプのように、大介の目には映った。
「ようこそ、わざわざお越しいただいて、どうも申し訳ございません。
あの、それで、春日君のこと、何か分かったのですか?」
大介一人だったらその迫力に、い、いえ、特に何も──とか言ってしまいそうなほど鋭い目付きだが、しかしそこはさすが島野、全く動じない。
「手掛かりが一つ浮上したのです。で、お伺いした次第でして。
ああ、申し遅れましたが、自分は、神奈川県警捜査一課の島野といいます」
「……警察?」
「はい。警察です。失礼ですが、宮腰さんと言えば、あの高名な国立Y大の宮腰教授と同じ名字ですよね? ご親類か何かですか?」
いきなり本題の一つに切り込む。
もっとも、これが本題であるとは普通聴かれている方は考えないだろうが。
「刑事さん、だったのですか? 探偵事務所の方では……」
「オレが、辻村探偵事務所の調査員なんです。刑部大介と言います。どうぞお見知りおきを」
そう言って名刺を渡すと、さすがに当惑の表情を浮かべながらこちらを見ている。
探偵と刑事と、両方と一度に顔を合わせる機会など、現実にそうあるものではない。
しかも同席している刑事はいわゆる「殺人課」。
それを知っていれば、なおのこと当惑するのが普通の反応だろう。
「こちらこそ、自己紹介がまだでしたね、失礼しました。宮腰一馬です。よろしくお願いします。
……刑事さん、Y大の宮腰とは『宮腰俊一郎』のことですか?」
そうです、と島野が短く応えると、ならそれはわたしの父です、と英文和訳のようにそっけなく、一馬は返答した。
「そうですか。いやあ、自分の知り合いに彼の教え子がおりましてね。何でもかなり面白い論文をお書きになるそうで」
「くだらないですよ、あんなもの」
意外にも、宮腰一馬は父親のことを、躊躇いなく、一言で切って捨てた。
「それより、そんなことを聴きにいらしたのではないのでしょう? こちらとて、それほど暇ではないのです」
表情にはそれほど変化はなかったものの、警察という言葉に気を悪くしたのか、本当に時間がないのか、やや突き放した態度になっている。大介は、前者のような気がしてならなかった。
「失礼、実は我々が捜査している別の事件を追っているうちに、辻村探偵事務所と春日桜さんにたどりついてしまいましてね。それでは早速本題に入りましょう」
島野と大介は、代わる代わる当たり障りのない質問を繰り返した。
そのことなら、以前探偵さんに話しましたが──と一馬が言ったときには、「探偵には守秘義務がありましてね、捜査情報は、警察と言えども流してはもらえないんですよ。ですから直接あなたからお聞きしなければならない次第で」と島野が返し、大介がそれに頷く、という繰り返し。
始めはある程度熱心に応えてくれていた一馬も、だんだんと時間が経つにつれ苛立ってきているように、大介には思えた。
彼女は真面目で優秀な学生でしたよ。友人は少なかったようですが。
二年生のときからゼミに所属していたので、三年生だった中では付き合いは長かったのですよ。
私生活については全く話す方ではなかったので、失踪の理由なんか判りません──。
新しい収穫と言えるものはほとんどなかったが、二年前までゼミの同僚だった女子学生たちは皆卒業していて、今はもうこの部屋に出入りしている者は一人もいない、という負の情報は得ることができた。
(こりゃあ、ダメかな)
大介がそう思い始めたとき、島野がついに切り札を切った。
「ではもう一つ。先週の土曜日、国立Y大で女子学生が殺される、という事件があったのをご存じありませんか?」
一瞬──まさに一瞬、といっていいほどわずかに、一馬の表情が変わった。
だが、すぐに今までの通りの態度に戻った。
見間違い?──そう自信がなくなる程度には、彼の態度は自然だった。
「イエスですね。知っています。でも、詳しいことは何も存じ上げておりません。
ただ、先日刑事さんたちがわたしのところにも見えられましてね。色々訊かれましたよ。
もっとも、わたしは本当に何も知らないので、そう応えるしかなかったのですが」
一馬はそう言うと、二人を追い出しにかかろうと中腰の体勢になりかけた。
しかし島野がそれを制す。
「では、彼女が宮腰教授──あなたのお父様のゼミの参加者だ、というのはご存じなのですね? ならば話は早い。
被害者の、井川恵さんのお顔は、ご覧になったことがありますか?」
静かに、一馬は頷いた。
今まで表情をあまり変えなかった彼が、少し不安げな表情になっているのに、大介は気がついた。
「彼女と春日桜さん、似ているとは思いませんか?」
虚をつかれたのか、一瞬表情が強ばった。
そして、その表情が元に戻らないうちに彼の方から切り出してきた。
「それはその事件の犯人が、春日君をどうかした犯人だ、とでもいうのですか?
……ばかばかしい。そんなの偶然でしょう」
「しかし実は、他にも同じように被害に遭ったと思われる人が、あと二名おられるんですよ。そして、その二人ともが、春日さんにどことなく面差しが似ている。これは偶然でしょうか?」
「……それは──わたしは捜査のプロではないし、そもそも判断する立場にない、と考えますが。
ただ──確かに春日君と、この間刑事さんに見せられた写真の女性は似ていると言っていいかもしれません。それはわたしも、そう思います」
「それを、その刑事には?」
「今言われて、初めて実感を持って分かったんです。だから申し上げておりませんよ、もちろん」
一馬はもう冷静さを取り戻したようだった。
心が揺らいだことまでは確認できたが、反応そのものはかなり薄い部類だ。一筋縄ではいかない感じ。
「もう、よろしいでしょうか」
一馬が切り上げようとする誘いに乗って立ち上がり、それでは──とドアの方へ向かいかけたところで、島野が「ああそうだ、もう一つだけお願いします」とコロンボばりに振り返った。
「彼女が、どうしてあなたのゼミに入ったのかは、ご存じないですか?」
そのときになって、ようやく一馬が明らかに動揺した。
「さ、さあ……。彼女の趣味や向学心はわたしには分かりませんから。……まあかなり熱心で、まじめな学生でしたがね、彼女は。おっと、過去形じゃいけないな」
平静を装おうとしているが、そうはさせじと島野がたたみかける。
「彼女は短大を出てOLをやっていたのに、なぜわざわざ、しかも新潟から横浜の、しかも失礼ですが、あまり知名度が高いとは言い難いこの大学に、金銭的に余裕もないのに来たのだと思いますか? それについて何か御存じないですかね?」
なるほど。
向学心で──というのは、見方を変えればそういう考え方もできるのか、と大介は思った。『宮腰一馬』に師事したくて、彼女がわざわざ来たのではないか、そう島野は言いたいのだ。
「知名度の低い大学とは厳しいですね。……いいでしょう。
確かに彼女の第一志望はここではなかったようです。そこに落ちてしまったからここに来た、それだけの話だと思いますよ」
「その第一志望とは?」
「国立Y大学人文学部と聞いています。
……さあ、これから講義の準備を始めなければならないのでね。お帰りいただけますか」
一馬は笑みを浮かべながらも、今度は有無を言わさぬ調子で二人を退けた。
ただ、島野もただでは退かない。
「それではまた、講義が終わった頃にでも、お邪魔させていただきますよ」
「すごいですね、さすが島野さん」
「マグレだよ」
二人で一度キャンパスを出る。
車に乗り込むと、すぐに島野は電話をかけた。
どうやら県警本部へ連絡し、若い女性の警察官を私服で一人、応援に回してくれ、ということらしい。
「確かにY大とM女学院じゃ、偏差値にしてもかなりの開きがあるから、次善の手だったんじゃないスかね?
やはり、怪しいと思いますか?」
「ああ、大いにな」
島野はそう言うと、禁煙パイプを口にくわえた。
そういえば今まで一度も、島野がタバコを吸っているのを見たことがない。
「それにしても、どうしてあんな『彼女は、どうしてあなたのゼミに入ったのですか?』みたいな質問が思いついたんですか?」
島野はフフッと口から息を吐き出すと、さらりと言ってのけた。
「不自然だったからさ。今、君が言った通り、ここはそれほどレベルの高い大学じゃない。それなのに、彼女は二一という年齢で入学した。それも学士入学ではなく、仕事を辞めてまで普通の受験でな。
しかも彼女は、二年のときからゼミに所属していたという。他の同僚ゼミ生がみんな卒業した、というのは普通のゼミ生が三年生以上だ、ということになるだろう?
それに奴は──宮腰一馬は、自分の父親の研究を一言の元に否定した。『くだらない、あんなもの』とね。まるで父親について全く触れられたくないみたいだし、それなのに、畑違いのはずの論文の内容を知っているようでもある。
それに」
「それに?」
「奴の態度。何か隠して──いや、何かを知っている、そんな気がするんだ」
◆ 2
授業中、千春の心は今日の捜査と、今までの調査の復習でいっぱいだった。
実はこの授業の前、千春は大きな失敗をした。
島野と一緒に学食で食事をしたのはいいが、彼と別れたあと掲示板を見てみたらなんと、今日の四時限目の必修授業が休講になっていたのだ。おかげで刑部大介が迎えに来るまでの一時間半以上の間、暇つぶしをしなければならなくなった。
(そういえば、今日は「夢」、見てないんだよね)
せっかく「夢」の現実性が少しずつ立証されてきたというのに、そうなった途端にこうである。
少し悔しい──といっても、誰も殺されないに越したことはないので、「『夢』を見ないのが良い知らせ」とでも思っていた方がいいかな、と気持ちを前向きに切り替える。
しかし、それにしても、今日の捜査では非常に多くのことが判った。島野も予想以上の収穫ですと言っていたほどだ。
小林亨は、大きな害のある「ストーカー」ではなく、ただ「姿を見たい」「声を聞きたい」というレベルで満足してしまうタイプであるらしい。粘着はするし、気持ち悪いとも思うし、ふとした拍子にエスカレートしないとも限らないが、それでも執着の薄い、切り替えの早い「ストーカー」とは言えるらしい。比較的珍しいタイプだそうだが、発覚してないだけで、ある意味ではどこにでもいる可能性のあるタイプらしい。
そんな彼が千春を「発見した」のは、電波発信型の盗聴器が発信した音や、コードレス電話の会話を盗み聞きしようとする目的で、裏ルートで特注──半分自作した受信機を操作していたときだった。
時期は一〇月の上旬から中旬頃。日頃、曜日や日にちを気にする生活をしていないので日付ははっきりと覚えていないらしい。
千春の電話はコードレスではないので、おそらく例の盗聴器の電波だろうと思ってそう訊いたら、彼は、たぶんそうです、とあっさり言った。
「電話なら、相手との会話のキャッチボールでしょう。でも、あなたの部屋からの音は、日常生活で出る音、例えば冷蔵庫を開ける音、CDやテレビの音、換気扇の音などでしたから」
そんなプライベートな「音」を聞かれていたかと思うと、恥ずかしい以上に怒りを感じて表情に思わず出してしまったが、島野になだめられ何とか平静を保った。
小林は「ごめんなさい」を繰り返し何度も頭を下げた。
この人は、本当にただの臆病者なのかも知れない、と千春は思った。
常習的に盗聴を繰り返しているというだけで大迷惑だが。
警察が調べて、「他に生きてる盗聴器はない」と言っていたので、あの盗聴器が犯人なのは確実だ。
そして、あの盗聴器は小林が仕掛けたものではない、ということにもなる。
彼は、電波発信型の盗聴器の場合、一般的には、それほど広範囲はカバーできないことを知っていた。だから、近くにヤマを張っていたら、窓の外、受信機が受信する音と千春の部屋の消灯や点灯のタイミングの一致などで、被盗聴者が千春だと判ったと、そういうことらしい。
そしてそれ以来、だいたい毎日、一〇時頃大学へ出掛けるときに、千春がマンションを出てバイクに乗って走り去るまでを隠れ見てから就寝し、千春が帰宅する午後五時六時頃に起きて、また彼女の姿を盗み見る、という生活リズムを、彼はとるようになった──のだそうだ。
彼は千春の生活状況から、千春が今フリーである、つまり恋人がいないと踏んでいた。
ただ、彼には一つ、大きな不満があった。
それは盗聴器が、「いつも稼働しているわけではない」どころか「受信できる時間の方がはるかに短い」ことだった。
どういうわけか、その日その日で受信できる時間帯が違ったり、時間の長さが短かったり長かったり、一秒も受信できなかったりと、かなりムラがあったらしいのだ。だから彼は、いつも受信可能な状態に受信機を開放したままにしていなければならなかったらしい。
もちろんそれは、彼の都合以外の何ものでもないのだが。
そしてもちろん、盗聴器を撤去した一〇月三〇日以降は、一度も受信できていないという。
小林が最後に受信したのは、一〇月の三〇日に日付が変わってからだった。
それ以前の一〇月二九日や一〇月二八日は受信できず、一〇月二七日は受信できた、と。これ以前のことは覚えていない、ということだが、これは一体何を意味しているのだろうか?
そして例の一一月一日、彼は「ある男」のシルエットを見た、と言った。
その男が例の手紙を投函した人物だろう、と。
一〇月二七日、小林は原稿を書きながら、千春のマンションの方を見ていた。そしたら千春の部屋の電気がいつまで経っても消えない。それで「珍しいな」と思って、外を見るのに専念した、という。
もう夜なので出歩いている人はいない──そんな気安さで窓の外を窺っていたら、足音が聞こえてきたので、彼は不意に身を隠した。おそるおそる覗き見るように見てみると、その足音の正体は男性らしく、しかも何と、千春の部屋の郵便受けに何か入れたらしかった。
そんなシーンを、彼はタイミングよく見てしまったのだ。
小林は気になった。
そんな時間に来るなんて、彼女を狙っている奴に違いない、そう思った。
ラブレターなら即破棄、千春が誰かの手に渡るなんて許せない、そう思った──のだそうだ。
公の機関を介在させた郵便ではないのだし、構うものか──そう思って彼は、手紙を自分の手に回収した。
それが、あの一通目の手紙だった。
それ以来、小林は毎日、深夜の時間帯、ずっと外を見るようになった。
とても好意的に言えば、自主的に張り込みを行ってくれていた、ということになるのだが。
問題は──。
小林は、その男が、一〇月三〇日の午前二時半頃、一一月一日の同じく午前二時半頃(このときも手紙を投函)、そして昨日、一一月三日の午前二時半頃に現れたところを目撃した、と証言した。
ただ。
彼は、その男が「中肉中背くらいの体格だった」と言うのだ。
◆ Meanwhile "Adversary"
(あの目、気に入らなかったんだ)
小林は、もう昼だというのに、まだ寝ついていなかった。
早野千春と会話ができたはいいが、もう彼女とかかわることができなくなってしまった。
彼女は完全に彼に嫌悪の視線を投げていたし、何より警察の介入があった。
警察の狙いが自分ではなく「あいつ」であったことは不幸中の幸いだった。
だが、きっとあの男のせいでこうなったのだ。
こっちとしても──。
小林は静かにほくそ笑んだ。
その笑みは、あまりにも屈折した人生を送ってきた者のみができる、そんな表情だった。
(王子様には、なれなかったが──なら、本当の王子様を抹殺するのみ──)
刑部大介:辻村探偵事務所のアルバイトスタッフ。辻村功の甥(実姉の息子)。24歳。W大学法学部卒で現在は司法浪人生(司法試験受験者で現在は無職の者を指す)。
弁護士になってからもきっと役に立つから、という理由で辻村の仕事を手伝いつつ、司法試験の勉強をしている。辻村の仕事は企業の裏側のものが多くなってきているが、一般民事にしろ企業法務に行くにしろ、表街道を歩くには弁護士資格があった方が良いという思いを強くしている。




