表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Message~永遠の時を越えて  作者: 笹木道耶
25/42

第六章 一一月〇三日(火)#1

     ◆ Meanwhile "Adversary"


(来た……)

 また、例の「手紙」の主だろうか? 


 季節はもう一一月。深夜ともなれば、窓は閉め切っているのが普通だ。

 だが、この男は通りに面している側の窓を一枚、ほんのわずかだけ開けていた。その隙間から、わずかばかりの冷たい風が入り込んでくる。

 カーテンが下手に揺れたりすると面倒なことになる──男はそう思い、キチンとあらかじめ束ねておいておいた。必ずしも窓を開けなければ外が見えないわけではないのだが、隔てるものが何もない方が様子がよく判るような気がしたのだ。


 この窓の前の通りは、街灯があるにはあるが、それほどの光量ではない。自分の部屋の明かりを消し、息を潜めつつ外をうかがう分には、まず奴に気づかれる心配はないだろう──男はそう考えていた。

 

 そう、昼間のようなことがあってはならない。

 

 ゆっくりと男が近づいてくる。

 奴は──あいつは一体何者なんだ?

 男は毎度、そう思っている。


 顔ははっきりとは見えない。

 もともと視力が低下してきていてメガネの度が合わなくなってきているのに加え、栄養状態の関係からか、鳥目に近い状態なのだ。だから、せいぜいそいつが「男」であることと、その体格ぐらいしか、男には判らなかった。


 写真でも撮ろうか──。

 そんなふうにも思ったが、フラッシュを炊かないと、おそらくは写真屋にことわりを言っておかない限り、現像してはくれないような不鮮明なものになるだろう。双眼鏡の類いや、家庭用のホームビデオも持っていない。デジタルカメラなんていうものも世には出ていたが、この男はそんなものとは縁遠い生活を送っていた。

 第一、持っていたとして、そんなものが何の役に立つ──男はそう思った。

 あの「男」が誰かを突き止めたって、そのことで「彼女」の気を惹くことができるわけでもない──と。


 男が「彼女」に何か危害を加えようとしたなら、そのときこそチャンス──男はそう考えていた。

 五〇キロに満たない体重しかない自分が、取っ組み合いで勝てるとは少しも思っていない。

 しかし幸か不幸か、機関銃タイプのエアガンは持っている。

 ライフルタイプも、拳銃タイプもある。

 こいつらを使えば、距離を保ちながら戦うことも可能だ。

 もっとも、ライフルのスコープが本物であれば、奴の顔も見られたかもしれないのに。


 男は、これが最後のチャンスだと思っていた。

 「彼女」がもしダメなら、もう諦めよう、と。

 それだけに逆に、彼女の命の恩人になりたい、という願望は、切実さを増して強くなっていた。


 警察に、不審人物がうろうろしているから、パトロールを強化してくれと頼むのが、善良な地域住民の一人としてのあるべき行動なのだろう。

 しかし男には、既にそんな発想をする余裕は消えてなくなっていた。

 ただ、ヒーローに、「彼女」の「白馬の王子様」に、なりたかった。


 ただ、それだけだった。

 だから今日は──。


     ◆ 1


 階段を上って行く。ゆっくりと、一歩一歩確実に。

 だが、表情はこわばったまま。

 奥歯をギュッと噛み締め、ひたすら、目前の現象に集中する。


 部屋の前に到着する。

 これですべてが──。(…………)



 千春が目覚めたのは、午前一〇時を回ってからだった。

 こんなにぐっすりと長時間眠ったのは本当に久しぶりだった。それなのに、千春の気分は「爽快」とは程遠かった。

 ベッドの上で上半身だけを起こしたまま、おぼろげな映像が頭をかすめる。

 いや、映像自体は、いつも通り鮮明だったような気もする。

 むしろ問題なのは、その映像を見ている時間が、いつもよりも格段に短かったことだ。


 それに、今回は──。

(どうして目覚めなかったんだろう?)

 

 一〇時間近くも眠ったのに気分が優れない原因は、たぶんこれだ。

 眠るとき、いつでも出動できるように、西脇から借りた皮のハーフコートにマフラー、持参したイージーパンツの生地が厚手のものを手元に準備していた。もちろん、パジャマの上からでも羽織れるからだ。

 それなのに、目覚めもしないとは。

(でも、あれは──)

 紛れもなく自分のマンションだった。

 もし、犯人が昨夜、本当に千春の家に忍び込んでいたとしたら。

 千春の仕掛けた『四重トラップ』。その効果が発揮されているかも知れない。そして、もし発揮されているとしたら、場合によってはそれは、この事件の解決に繋がる、大きな手がかりとなるかも知れない。


 今日は午後から、さえぐさゆみえが住んでいたというワンルームマンションに行く約束がある。「第一の事件」の現場だ。ゆみえの母、芳恵も来る。遅刻は許されない。

 着替えるためにベッドから出て、昨日帰宅したときに持ち出して来た服を手に取る。

 ダークグレーのジャケットに同色のパンツ、ブラックのタートルネックに、ダークブルーのスカーフ。「被害者」とその遺族に失礼のないようにと、自分の持っている洋服の中から選び抜いたものである。インナーは下着の上は長袖のTシャツ。これである程度の寒さは凌げるだろう。故郷である松本は雪国ではないが寒冷地ではあって、千春は寒さには多少強い。

 ソックスと靴はタートルに合わせてブラック。これに普段はあまりつけることのないちょっとだけ高価なペンダントを付ければ準備万端だ。


 部屋を出て洗面所へ行こうとしたとき、廊下の向こうのリビングにいる西脇と、偶然目が合ってしまった。距離はあったが、洗顔前の顔を見られたかと思うと、なんだか恥ずかしい。同じ家の中に他人がいる、というのはこういうことなのだと改めて認識した。

 目が合った以上、「おはようございます」を言う。

 我ながら、なんだか浮わついている気分になっている。

 「事件」の渦中にいるはずの自分が、こんなんでいいんだろうか──そんな不安感が、少しばかり千春の心を揺り動かしていた。


 急いで顔を洗いリビングへ行くと、やや眠そうな目をした西脇が、笑顔で千春を迎えてくれた。

「ハムエッグとトーストってカンジでいい? それとも、こんな時間だし、朝はもう食べないかな?」

 西脇は相変わらず親切で優しい。

 彼が眠そうな顔をしているのは、昨夜も遅くまで起きていたからだろうか?

 一昨日のように、千春の「夢」を具体的な手掛かりにするために。だとしたら申し訳ない気がする。自分はそれらしい「夢」を見ながら、見ていながら起きなかった。

 出動する準備をきちんと、整えていたのに、である。

(でも、それも今日、はっきりするかも知れない)

 千春が見た「夢」が現実と本当にリンクしているのか、それとも単なる偶然なのか。

 その答えが今日、きっと判る。


「あの……もっと水っぽいものの方が──何だか今日、食欲があんまりなくて」

 今日の捜査への緊張のせいか、西脇を必要以上に意識しているという意味での緊張のせいか、その両方か──。

 本当に食欲がなかったので、迷惑を承知で我が儘を言ってみる。すると、「じゃあ、コーンフレークでいい? 何も食べないよりははるかにいいし」と返って来る。

「ハイ。ありがとう」

 西脇の優しさが身に染みて嬉しい。


 五年間の一人暮らしは、こんな生活を自分にはあり得ないものにしてしまっていた。

 朝起きて、声をかけてくれる人がいて、自分に対して気を使ってくれて、それに甘えることができて──。

(あ、あれ?)

 不覚にも涙があふれ、こぼれ落ちて来てしまった。


 千春が戸惑う以上に、西脇の方が動揺していた。

 それもそのはず、いきなり前触れもなく泣き出したのだ。

(また迷惑、かけちゃって、ホント、情けない)

 「強い」と思っていた自分が本当はものすごく「弱い」、ということを、ここ数日で思い知らされた思いだった。



 これまでの人生で、早野千春は、「人は常に打算的に生きている」ということを、嫌というほど見せつけられてきた。


 中学三年生の冬休み、千春を誰よりも愛してくれていた、そして千春をただ一人、支えていた兄、伸一が交通事故で亡くなった。

 これにより、千春は、精神的に自立せざるを得なかった。


 千春や兄、伸一を捨てるようにして、自らの愛に走った母。

 彼女は、千春が追いかけて来ないように当時二〇歳の伸一に中一だった千春を押し付け、その伸一が二年後に他界すると、今度は一人で暮らせとばかりワンルームのアパートを借りて、少しばかりのお金とともに千春に与えただけだった。

 もちろん、その資金も、もとは千春の父が遺した千春の相続分の「遺産」から出ていた。

 幸いだったのは、預金通帳とキャッシュカードを千春が管理することができたことだ。


 そして経済的な自立の機会も、それからすぐ、高校入学と同時にやってきた。

 中学時代はまだあった母からの仕送りに、彼女の「夫」が干渉したからだった。


 母と今は亡き、彼女の夫であった男の子どもである千春を、自分の籍に入れたくないがために、事実婚で済ませているその「夫」。

 彼は千春の母に心底惚れ込み、その「前夫」である千春の父に猛烈に嫉妬した。

 彼と母との間に子どもができないことが何より、その嫉妬心を高めた。

 そして彼は、自分の「妻」である千春の母と、千春が会う事を嫌った。


 母も、自分が年下の「夫」に嫌われることをおそれてか、今なお千春を邪険に扱っている。千春も自分の方から会いたいと思うことはないし、現状ほぼ、実の母娘の交流は断絶していた。

 千春が保護者──法定代理人の署名や印鑑を必要とするときだけ、書面のやり取りがあるだけだ。

 それも、次の三月、千春が二〇歳になれば概ね必要なくなる。

 むしろ千春は、彼らが自分の相続した遺産や今の稼ぎを侵食してきたり、「義父」が性的なコンタクトをとろうとしたりしないことに、まだマシだと安堵してさえしていたのである。


 仕送りが止まった高校時代は、バイトと学校生活とバンド活動で、余裕のある生活はおくれなかった。バイトはとにかく働く場で、少しでも自分が父や兄から受け継いだ遺産を減らさないようにと頑張るだけで精一杯だった。

 学校は勉強と睡眠補充の場で、「意地でも卒業してやる」「なんとしてでも大学まで行ってやる」という心のよりどころであるに過ぎなかった。

 バンドはストレス発散の一環として、ほとんど、ただ練習してライブをやるだけの場。交際相手がいたこともあったが、愛された実感はなかったし、愛した実感はもっとなかった。それでも「重い」とか言われて破局(?)。ただ、交際密度は低くて、結果として淡泊に終われたことは、今思えば幸いだった。


 どうしても、他の人よりも「恵まれていない」自分は、強くなければ、強くならなければいけない、そう思っていた。それが、対外的には「カッコイイ」という評価に繋がったのだが、結果的に友人を遠ざけ、余計孤立していくことに、千春は当時、少しも気づいていなかった。

 そして、自分は世の中で孤立した、孤高であるべき存在。だからこそ強く生きなければならない──そんな人間だ、と思い込んでしまっていた。


 だから、水林による雅に関する尋問のときのように、他人の過去を背負わされるような機会があると、耐えきれなくて泣いてしまう。自分が普段隠している、隠さなければならないと思い込んでいる弱さを、他人を通して、他人に対し投影しなければならないから。


 しかし、この時点でも千春は、自分のこのときの涙の意味を、正確に理解してはいなかった。

 雅への同情の涙だと思っていた。

 彼女の過去を重荷として背負ったからだとしか、思っていなかった。



「もうそろそろ、出掛ける準備をしないとね」

 そう言われて、はっと千春は我に返った。

 相変わらず、彼の表情は優しげなものだった。

 どうして泣き出したか──その表情から、関心がないわけではないだろうに、説明を求めて来ない。

 そのせいで改めて涙を誘われてしまったが、唇を噛み締めてなんとかこらえた。

「ごめんなさい、取り乱しちゃって」

 今まで、人前で泣くことなんてほとんど無かったのに、ここ数日で三回も泣いている。


 一度目は五島佳奈の前で。

 二度目は水林警部補の前で。

 そして三度目は、この西脇英俊の前で──。


 涙を拭いて、もう一度顔を洗いに行く。

 時計を見ると、もう一一時を大きく回っていた。

 三枝芳恵との約束を破るわけにはいかない。


(ホント、情けないぞ。私)


 認めたくはなかったが、認めざるを得なかった。

 自分の弱さを。

 そして、その根源にある淋しさを。

 温かい家族、普通の家庭への憧れを。


 涙の跡を消し、朝食をとり、ペンダントをつけ、髪を一応セットし(ヘルメットをかぶることで崩れてしまうが、一度セットしておくと復帰が比較的容易)、普段はつけることのない口紅をうっすらと塗り、外出する準備は万事整った。

 あとは、昨日持ち込んだ服を詰めたショルダーバッグを持ってバイクにまたがるだけだ。

 それにしても、元から色白なだけに、たまにしかつけない口紅の赤は驚くほど映えていて、千春は自分自身に驚かされた。

 自分がいつの間にか、急激に大人になったような気がした。


 支度が終わったときには、もう千春のマンションに寄る時間はなくなっていた。

 荷物が邪魔だが、直にさえぐさゆみえのマンションに行かなければならない。

 トラップの成果を確かめるのは、とりあえず後回しになりそうだ。


 たまにしか着ないスーツ──実際には、スーツよりは少し緩めのカジュアルの服だが──に、たまにしかつけないペンダント、たまにしかつけない口紅。

 本来はさえぐさゆみえとその遺族に失礼のないようにと選んだモノたちなのだが、今の千春には、新しい自分を感じる、手掛かりの一つに昇格していた。


 まだまだ手探りの、大人の自分──。

早野千春はやのちはる:#3 実家は長野県で、生まれも育ちも長野県。長野県立M高校の出身で松本市に住んでいた。ただ、父親の実家が福井県(京都府との境辺り)で、「葛野深雪」という名前のバックグランドとなっている。

 実は、後に作詞家の仕事に繋がった、歌手としてスカウトされた際に注目されたのは、ライブパフォーマンスの天性の上手さ。舞台映えのするキーボード演奏とノリの良さ、観客の煽りの上手さは才能としか言いようがない。美月には、作詞家としての才能以外にはそこを最も評価されている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ