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Message~永遠の時を越えて  作者: 笹木道耶
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序章 メッセージ



 自分自身の幸せと 愛する人の幸せと

 選ぶとしたら あなたはどちらを選びますか?




     ◇


 ……ここは──?


 ふと意識を取り戻した。

「……ここは──?」

 呟いてみたが、頭が朦朧としているせいだろうか? 違和感を覚える。

 こういうときはとにかく落ち着いて行動することだ。

 ……それにしても、いい天気だ。

 あまりの心地よさに、もう一度眠ってしまいそうになる。


 ?! ──?


 歌声が聞こえた。

 微かだが、でも確かに今──。

 今まで夢心地だったのがウソのように頭が冴えていく。


 ……この場所は──!?


『あたし、風になってみたいなあ』


 ?! ──!

 そうだ。ここは──。


『そしたら、優しく頭、撫でてあげるから』


 間違いない。

 あいつだ。

 遠い記憶が呼び起こされる。

 これはあいつの声だ。


 もう長いこと会っていない。その理由は何だったただろう──いや、そんなことはどうだっていい。

 だってあいつは、いるんだから。

 すぐそこに、いるのだから。


 歌声のする方へ視線を向ける。そして改めて確信した。

 あいつがこのあたりの場所の中でも特に好きだった、あの小さな丘の上──そこが歌声の発信地なのだ。


 会いたい。

 もうかなわないと思っていた願い。

 諦めていた想い。

 でも、今──。  


 息が切れることなど忘れているかのように、一気に坂を駆け上がる。


 あいつに会いたい!

 あいつに会える!

 あいつに、会える!──。


 歌声がどんどん大きくなる。近づいている。その確かな手ごたえとともに坂を登り切る。


 ──いた。


 いつもの場所で、お気に入りと言っていたあの襟の大きなブラウスに、赤を基調とした柄物のやや派手なスカーフ。そして、顔の作りや普段のメイクからはやや想像しがたいあの、ふやけたような穏やかな笑顔──。


 歌っている。

 時折目を閉じ、とても気持ちよさそうに。

 ややハスキーがかった、特徴のある声。

 そして、彼女独特の浮遊感のある歌──。


 自信作だと言ってた歌。

 この歌を知っている人間はこの世で二人しかいない。


 俺と、そしてあいつ──。


 足が止まる。

 一瞬、これ以上近寄っていいのだろうかと不安になる。

 このままずっとあいつの姿を、顔を、見ているだけでもいいのではないか? 

 もし近づいたら、そのときこそあいつは、消えてしまいやしないだろうか。


 いや、そんなことはない。

 だって、あいつは今、すぐそこに、いるじゃないか。

 確かにいる。大丈夫だ。


 大丈夫だ、絶対──。


 繰り返し心の中で、俺は念じた。


 ふと、歌声が途切れた。

 我に返って顔を上げると、あいつがこちらを見ていた。

 目が合った。

 面と向かって目を見合わせるのは本当に久しぶりだ。

 だが、そんな感傷に浸れるほど心に余裕は無かった。


 どうして良いか分からず立ちすくんでいると、あいつは微笑み、そして、声をかけてきた。


     ◆


「ああっ、もうっ!……」

 思わずパソコンのキーボードに振り上げた手を叩きつけそうになる。

 もちろん思い止どまったが、そのおかげで、怒りのやり場に困っているという現実は何ら解決していない。

 グラスに入ったコーラが目に入る。一気に飲み干す。

 氷が小さくなるまで放っておかれ、かつ、もう一一月にもなろうかという季節の下でのコーラ一気は、さすがに頭に大きな衝撃を与えた。奥歯を噛みしめ両手で後頭部を抱え、大袈裟に頭を振る。

 しかし、こうまで筆が進まないとは──。


 大学二年生になって、履修科目のほとんどが専門科目になったのはいいが、春先の情報収集を怠ったツケか、レポートだの小テストだのを科せられることが多くなってしまった。

 もちろん、それは初めからある程度は分かっていたことなので、一年生のときにやっていた塾講師のアルバイトを辞めたりと、対応策はきちんととっていたはずなのだが、それでも対処しきれないという現状に陥りつつある。

 不甲斐ないことこの上ない。


 大学と、そしてこの六畳一間のワンルームマンション、六階建ての最上階、七〇一号室との間を往復するだけの生活。そこまでは覚悟の上だった。やりたい勉強をやるのだし、そのために大学に入ったのだ。

 そして、その覚悟を裏切らないほどの多忙な日々が夏休みまでは送れていた。大変だったが、充実していた。爽快感すらあった。


 冷たいコーラによる衝撃から覚め、腰のあたりまである長い髪を後ろに束ねたあと、手元にある受話器を取った。

 携帯電話は持っていない。

 それほどアウトドア派でもないし、移動手段は専らバイク。そして何より、電話をかけ合うような友人があまりいない。

 仕事は、今のところ固定電話の方が使い勝手が良いし、いろんな意味で信用がある(*筆者注:電話加入権を持っているかどうかが、信用に影響した時代がありました)。FAXも使える。ケータイは、コストに対して、まだ使うだけのニーズはない。


 リダイヤルボタンを押した。

 少し経って、コール音が、静かな部屋に微かに響く。

 そもそももともと電話をかけるタチではないので、普通に生活していると、前に誰に電話したのか判らなくなることもある。

 だが、ここ最近は、毎日のようにかけている相手がいた。

 それなら、電話機にその番号を登録してしまえばいい、と思うのが普通だろう。しかし、そこはこの早野千春にとってはこだわりのあるところだった。


 要するに、この相手方は、電話番号を登録するような人間ではないのだ。なので、あえて意地になって、基本的には番号を一つ一つ押していく方式をとって早一か月近く。リダイヤルでかけられる確信があるときは、そうしていた。

 この間、一度も通じたことがない相手──。

 相変わらずコール音が空しく響き渡るだけ。

 彼もまた、千春の知る範囲では携帯電話を持っていなかった。それなのに固定電話を留守電に設定することさえもしていないらしい。まあもっとも、これだけ何度かけても出ないのだから長期不在なのだろう。だとすれば、それも当然のことなのかも知れないのだが。


 失踪──そんな言葉が頭を過ぎる。

 単に電話線が抜けているだけかとも思って彼の家付近を訪ねたこともあるにはあったが、やはり家にいないようだった。彼のバイク──らしいものも駐車場に置いてあった(バイクカバーの下なので、確証はないが)し、少なくとも、バイクで日本一周放浪の旅とかに、出かけて行っているわけではないだろう。


 彼の家は今時珍しい男性専用アパートである。なので、あまり深く裏をとってみたわけではない。

 千春がある夜に、バイクで近くを通ってみて電気がついているかどうか確認したことが一度あるだけだ。しかしそれでも、おおよそ人が住んでいるような気配のないことくらいは判った。


 ──死んでたりして。


 新学期に入ってからだけでも一か月、千春は彼と一度も会っていない。

 夏休みを含めると、もう三か月近くにもなる。


 ──くだらないことを考えるのはやめたほうがいい。


 彼には悪いが、あそこはかなりのボロアパートと言える古い木造の建物で、しかも彼の部屋は一階の道路に近いところにある。異臭騒ぎになっていないところを見ると、やはり不在と考えるのが妥当だろう。

 それに今の世の中、やる気さえあれば国内外問わず、一、二か月放浪生活に出るのも、男性ならそれほど難しいことではないのかも知れない。取り立てて仲がいいというわけでなし、自分さえ今の境遇を乗り切れれば何ら問題はない。

 それに今あいつを捕まえても、せいぜい愚痴るぐらいしかできないのだ。

 だから、彼の消息を追うことは、あまり意味があるとは言い難い。

 と、まあ、そういうわけ、なのだが──。


 しかし、それでも何もしないよりは気は晴れる。

 そんなことをしてもレポートは一行どころか一文字すらも進まない。それでもやはり、一言ぐらいは文句を言いたいではないか。


 もちろん、そう思うのにはそれなりに正当な理由がある。

 それは彼、平川武司が、社会学科に所属する千春を、レポートさえ書ければ『優』なんて楽勝だから──と自分の専攻である史学系の科目「古文書学」に巻き込んだことだった。

 あの古文書オタクが、オレ、この道のエキスパートだから、分からないことがあったら何でも教えてやるし、場合によっては、オレが早野さんの分もレポート書いてやってもいいからさあ──なんて言うから。


 確かに彼は、草書すら簡単に読んでしまう古文の達人だったし、やっぱり単位は一つでも多く欲しいじゃないか。そして履修申請し、前期を無事、しかも良い形で乗り切ってしまった──これが、千春にとっての「不幸」の始まりだった。

後期が始まり一か月、レポートの締め切りが翌日に迫っているこんな状況になるまで、平川の奴に一度も会えないどころか連絡すら取れないなんて、予想もしていなかった。

 また前期のように、平川のサポートを享受しようなどと、軽く考えていたのに。


 なーんて、結局それは千春の不心得が招いた問題でもあって、責任はもちろん自分でとるべきものではあるのだが、しかしそうは言ってもやはり恨みがましく思えるものだ。単位修得を諦めてしまえば何ら問題はないのだが、単位の計算上、やはり取っておきたいという気持ちに変わりはない。

 それに、ここまで努力したのだ。

 今更「切る」ことなんてできやしないししたくもない。


 しかし、夏休みがあけて一か月もの間、あんなに真面目な人が大学に現れないとは、普通じゃないな、とも思う。

 やはり海外でも放浪しているのだろうか? 

 「人生勉強」とでも称して。

 千春の知る範囲で彼と比較的親しい男子学生に聞いても、誰ひとり、彼の行く先を知る者はいなかった。

 連絡も取れないらしい。

 これは人づてに聞いた話であるが、彼は一人暮らしだが、帰れるような『家』はないのだという。

 何でも父親とは死別、両親の離婚によって別れ別れになった母親とも連絡は一切とっていない、とか。

 ただ夏休みを一か月多く取っただけならいいけど。


 壁に掛けてある時計を見ると、いつの間にか一一時と四分の一時を過ぎていた。素直に一一時一五分と言わないのはフランス語選択のせいだ。

 ふと目覚まし時計にも目を走らせる。やはり一一時一五分を指しているのを見て、なんだかほっとする。


 最近、この掛け時計の方がたまに狂う。


 父の形見であり、兄が、大好きだから──と引き取ったため、兄の形見にもなってしまった掛け時計。もう古いからなのかも知れないが、何故か遅れるのではなく進んでしまう不具合が出ていた。しかもそれが、ある時突然、急速に。千春が気がついたときには大幅に針が進んだ状態になっており、というかそれだけであって、千春が実際に時計を見るときはいつも、普通の速度できちんと時を刻んでいるのである。


 つまり、指している時刻がいつの間にか飛んでいることが稀にある、というほかは、正常に動いているのである。

 単にキカイがへばっている、というのなら修理に出した方がいいのだろうが、何かそういうのとは違う気がしている、アンティークな古時計。


 ……とにかく、今はレポートを仕上げなければ。

 しかし、いろいろと思いを巡らせる現実逃避状態に陥っている今の千春では、もうこの作業は無理だった。

 レポートは六〇〇〇字前後、あと一二〇〇字程度だ。書くことはある程度決まっているし、明日の授業は二時限目から。まだ多少の余裕はある。

 そう思い始めると、もう止まらなかった。

 前日も徹夜同然だったし、前々日は本当に徹夜だった。

 もともと千春は体力の無い方だ。「三徹」はつらすぎる。


「とりあえず、五時に目覚ましをセットしてっと」

 独り言を言いつつタイマーをセットし終えると、着替えを用意してから、バスルームへと向かった。

 千春の部屋の掛け時計は、午後一一時二〇分を指していた。


 時は一九九八年、一〇月二八日、水曜日──。

※作品投稿開始後1週間経ちましたので、第1部分と第2部分についての掲載順を、本来の順番にさせていただきました。(2018.8.12)

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