覚悟の変身
「はっ!!」
突如現れたフィアは、男とエーシアとの間で庇うように立ち、腰に装着していた銃を素早く抜くと、間髪いれずに撃ち放つ。男は大気を操れるとはいえ、銃から放たれる弾丸を防ぐことは出来ないと判断したのか、後ろに飛び避けた。
「――っぷっはぁ!? はぁーーーっ! はぁーーっ! はぁーっ……助かった……」
男が飛びのけたことにより大気の制御が緩んだのか、エーシアに再び空気が与えられる。仰向けに寝転がり、全力で息を吸った。息を吸えることに全力で感謝しながら。
「なかなかひどい姿ね、エーシア」
「はぁ、はぁ。お前のその恰好はなんだよ」
フィアの着ている服エーシアが初めて見るものだ。有体に今のフィアの姿を一言で表すと……
「恥ずかしい……」
フィアの恰好はいかにもな怪盗スタイルそのままだった。自身の髪と同じ銀色を基調として貴族のような服装、マントに手袋、ブーツ。シルクハットを被り目元を隠すマスクを着けていた。似たような、というかほぼ一緒の恰好で活動していた過去の自分を見ているようでムズムズする。今巷で話題の共感性羞恥というやつだろう。
「なんなんですか貴女は……」
「フィアっ! 気をつけろ、奴は大気を自在に操れる!!」
「風を……? なるほど、なら――テラ」
二本指を耳に当て、虚空に向かって話しかけるフィア。その口ぶりからどこかにいるあの幼女と会話しているようだ。いくつかやり取りを交わした後、フィアは再び銃を構える。見れば不思議な形をした銃だった。
「――あぁこれ? 見てなさい、これはすごいから」
フィアはエーシアが自身が持つ銃を注視していることに気づくと、自信気に見せつけてきた。
白い大型の回転式拳銃だった。だが、普通の銃ではないことは明らかだ。各部に線が走り、その中を魔力が通っているのか淡く発光している。
「まずは、スキャンね」
フィアは、ピンっと指で一つの弾丸を弾き、頂点を過ぎ落下してきたそれを横から掴む。流れるままに銃のシリンダーに弾丸を装填。すると、信じられないことが起きる。
『走査弾』
「銃が喋った?」
陽気な男性的な声が元気よく銃から発せられる。
「これが私たちの切り札、シルフィアチェンジャーよ」
「そんな玩具で私に勝つつもりですか!?」
風が男の感情に呼応している。通常の風魔術と違い、まるで手足のように風を操っている。エーシアと同じような末路をフィアが辿ると思われたが、結果はその逆。驚愕したのは男の方だった。
「なぜ、当たらないのですか!?」
「仕掛けがわかればっ、何も怖いものはないわ!」
風の刃が飛んでくる。フィアは完璧に避けて後続して飛来する刃すら見越して態勢を計算していた。
風の壁が押し寄せてくる。フィアは直撃する瞬間跳び、体を地面と水平にすることで影響を最小限にしてやり過ごした。
無風の檻が造られる。フィアはすぐさま息を吸い込みながら、影響外にまで退避する。
「今」
態勢を崩しながら、一瞬の隙をついて一射。放たれるのは鉛玉ではなく、魔力弾。しかも単発ではなく連続的に照射されるレーザー型だった。
「くっ……」
男は、崩れた体勢から銃射してくるとは思わなかったのか、避けることができずレーザーを受けてしまった。
「……? ふふふ、どうやら不発のようですね。痛くもかゆくも――」
「――完了。マリス係数百越え、マリスコレクションね。そしてその正体は――」
「――やめろ」
男の雰囲気が一変した。今までのどこか余裕を含み相手を見下しているような態度から余裕が失われる。男から今までにないドスの効いた声が発せられた。
「コレクションナンバー六、『旋風の指輪』。そうでしょ? その左薬指の指輪」
「……」
「『その昔、かの大魔導士マリスは船で旅をしていると大きな、大きな嵐に遭いました。このままでは船は波に攫われてしまいます。するとマリスはポケットから一つの指輪を取り出して、その指輪の中に嵐を丸ごと閉じ込めてしまいました。それからというもの、その海域では嵐はぱったりと止み今でも穏やかな海が広がっているのでした』。そのモデルとなった海域が年中無風のサザラテラ海ってわけね」
マナケルジア国の領海の東部に、一年中風が吹かない海域がある。詳細は割愛するが、今でもその謎は解明されておらず学者たちは様々な仮説を立てていた。
海底に原因があるのでは、地軸と重力場が、いや魔術的な観点で……など活発に議論が交わされておりマナケルジア七不思議に数えられている。
しかし、その海域のおかげでまだ魔術が発展していない時代では、船が風の影響を受けれないため他国から攻められにくいといったさながら自然の防波堤の役割を果たしていたため、古来からマナケルジア国民にとって大切な海域であることは確かだ。
「お話はもうよろしいですか?」
「ええ、この話どころか、あんたから『コレクション』を頂いてあんたは騎士団に連行されてこの事件はお終いね」
拍子抜けだわ、と残念がる動作をわざわざ相手に見せつけるように大げさにするフィア。最早勝負は決したと思い込み完全に気を緩めていた。その一瞬を敵は突く。
「死ねぇええええ!!!」
フィアが着けているマスク越しには、はっきりと視えていた。自身の命を刈り取らんとばかりに飛んでくる六つの風の刃の形が。
「あのねぇ……不意打ちするならせめて声は我慢するぐらいの努力はするべきよ。いい加減諦めなさ――」
ひらり、と難なく交わしたフィアのわき腹がざっくりと切り裂かれ、大量の血が噴き出す。
「そ、そんな……嘘――あぐぅっ!」
わき腹を抑えている所に容赦なく大気の壁が押し寄せ、フィアは大きく吹き飛ばされた。当然受け身を取ることは出来ず、地面を転がりながら着地しピクリとも動かなくなった。フィアがシルフィアチェンジャーと呼んだ銃は、彼女の手から離れ運よくエーシアの下に転がった。
「フィア!」
ここでようやくなけなしの魔力で薄く回復魔術をかけていたエーシアが復活するが、事態は一刻を争う。今すぐにでも彼女のもとへ駆け寄り治療しなければ命に係わる。そう思い立ちすぐさま駆け寄ろうとするが、恐ろしい魔力に中てられ動きを止めてしまう。その魔力を発しているのは男だったが、なにやら様子がおかしい。
「クハハハ、素晴らしい。力が溢れてくる……。ああ、これならどんなことでも出来そうだ」
「……っ、い いますぐその指輪を、外しなさ い……」
「――!? フィア、無事だったか、いや喋っちゃだめだ! 黙って寝てろっ」
男が嵌めている指輪から、見るも悍ましい黒紫色の魔力が淀みでて、男の身体に吸収されていく。黒紫色の魔力が身体に吸収されていくたびに男の身体に変化が現れる。まず一番最初に現れるのは眼。眼球の毛細血管が浮き出て充血し、遠目からでも分かるくらい赤く染まっている。全身の筋肉が肥大化し、元の血色が悪く貧相な体つきとはかけ離れた異形な体に変えられていく。
「それいじょう、は もう」
「おい、もう喋るな! 傷はまだふさがってないんだ」
必死に傷に手を押し当てつたない回復魔術で施術するエーシア。しかしエーシアの魔術は致命傷を一瞬で完治させる魔法のようなものでなく、あくまでその人自身が持つ治癒力を手助けさせるというもの。フィアの身体の強さ次第であっけなく命は失われてしまう。手を血だらけにしながらエーシアはここしばらく見せることのなかった真剣な表情で魔術行使をしていた。
「戻ってこい、戻ってこい、戻ってこい!!」
ふと、エーシアは緊急事態にも関わらず思ってしまった。”俺は何故こんなにも必死にこの女の命を助けようとしているのだろう”と。
この女は今日初めて会ったばかり、関係性もほとんどない。しかもそのきっかけは最悪中の最悪だ。聞きたくもない話を聞かされ心の傷を無神経に掘り起こされた。事実だけならコイツを助ける義理はない。それどころか腹が立つこいつを身代わりにして今すぐにでも逃げ出すべきだ。そもそも怪盗と戦いとは無縁の職業だ。相手に見つかり戦闘が発生している時点で怪盗として二流もいいとこだ。
なのになぜ俺は――
「……はぁ、はぁ。もう、いいわ。助からないって わかるから…… あんたは逃げなさい」
なんで、そんなこと言うんだよ。
「はぁ……、まきこんで、わる、かったわね。あこがれ だったのよ? わたし、そういうでんせつとかおはなし、が すき だから」
そんなこと、助かってからでも言えるだろ。俺たち互いのことほとんど知らないんだから。後からいくらでも話し合えばいいだろ。だから──
「諦めんなよ! お前、言い逃げとかそんなこと許さないからな!」
全身の魔力を絞って回復魔術に回す。今のエーシアには、切れそうな命の糸をなんとか繋ぎ止めることが精一杯。このまま時間を稼いで然るべき回復術士に診せる必要があるが、そんなことを敵が許すわけがなかった。
「ははハ。私は無敵デス、この力があればなんっでもできル!」
男にとってはただ軽く風を吹かせただけだったが、それは最早暴風を超え嵐とも言える凶悪で強力な風へ進化していた。
大気の圧力だけで、地面が割れ、男を中心とした嵐が巻き起こる。当然エーシアとフィアは吹き飛ばされる。重体のフィアを抱きしめながら庇い転がされる。
「っ! フィア、大丈夫──」
──フィアは息をしていなかった。
「……」
まただ。また俺は目の前で誰かを助けることが出来ずに──
フィアの亡骸を抱えながら膝を付くエーシア。敵からは俯いている彼の表情を伺うことができなかった。だからこそ、彼は判断を誤った。
「貴方も同じ場所へ送って差し上げましょう。さようなら──ガハッ!?」
男の動きが止まる、止めれる。その原因は左手の指輪。『旋風の指輪』にあった。止まらないのだ、淀みでる黒紫の魔力が。底を感じさせない勢いで流れていく神代の魔力にただの人間が耐えられるはずがない──だから耐えられるように身体が変わる。
「ぐ、ぉぉおお? あがぁあがあああああ!!」
ボコボコと、身体の至る所で隆起を繰り返し、身体が作り替えられていく。皮膚は裂け、強靭な鱗状の肌が出てくる。背中が裂けた中からは背びれのようなものが生え、手足は完全に変貌。鱗に覆われ鋭い爪が生えた醜いものに。目は濁り頭部も鱗に覆われ牙が生えている。
体格が二倍ほど大きくなり、尻尾まで生え完全に姿は変わった。
「がぁあああああああ──……ップハァ!!』
「っ!?」
『アア、何年ブリだぁ!? この姿になれたのはヨォ?』
「……」
それは完全に人の姿から逸脱していた。元の影すらありもしない、唯一の名残といえば四肢があるということだろうか。びっしりと生えている緑色の鱗は爬虫類を想起させるように刺々しい。手足の爪は歪に生えそろい、鋼すら切り裂きそうな鋭利さだ。
『オイ、コゾゥ……。ドウシタ、オレトヤラナイノカ』
「俺は……」
もう一度、横たわるフィアを見る。息はしていなくとも、王都の回復術師にかかれば助かる可能性がある。可能性が一割でもあるのなら――エーシアは立ち上がる。そういう男なのだ。
「お前を倒してコイツを助ける。それだけだ」
『ハハハ。ナラ――アガイテミヨ、ニンゲン』
――来るッ!!
エーシアに攻撃手段はほぼない。ならば頼れるのは、
「フィアが持ってた銃っ」
飛び込み前転しながら、転がっている銃のもとへ。銃まではあと十メートル。敵の攻撃を掻い潜りながら進まなければならない。
『ソノオモチャガソンナニダイジカ!』
爬虫類型の怪物が手を掲げる。狙いはエーシアが目指している銃そのもの。動く物体に当てるより、動かざる的に当てる方が容易く、目標も銃に自ら向かってきている。狙いは当然と言えた。
「間に合えェえええええ!!」
再び跳ぶ、頭から飛び込んだエーシア。怪人から放たれた風の刃。どちらが先に銃へ届くのか。
結果は――
『ナニィ!?』
「っぶねぇ! 無事か!?」
結論から言うと、先に銃に届いたのは風の刃の方だった。エーシアはあと一歩ほど間に合わなかったのだ。しかしエーシアは銃を手に入れていた。その理由は至極単純、効かなかったのだ。怪人化して破壊力が比べもものにならないほどの殺傷力を孕んだ風の刃を受けたが、銃本体には傷一つすら負うことはなかったのだ。
この結末に驚愕を隠せない怪人は、見た目によらない冷静な思考で考え始める。
『(アノジュウ、オレノカゼヲウケテムキズデイルダト……。キケンダナ)』
エーシアは風の刃を受けた後の銃を拾い、飛込からの受け身を取ってすぐさま銃口を怪人に向ける。
が、エーシアは知らなかった。今手にしている道具が秘める力、神代の最高峰の技術が結集された最高傑作な魔法具だということに。そして、その力を最大限に引き出す弾丸をすでに手にしているということに――
目の前の男、正確にはその男が手にしている銃を危険視した怪人はすぐさま攻撃を繰り出す。今までとは違い、面の風。しかし中で気流が渦巻いており巻き込まれればすぐバラバラにされてしまうだろう。
怪人が風を放つと同時にエーシアも引き金を引いていた。
それがまさに引き金になったのだろう、――――世界が、止まる。
最早隠すことは不要と考えたのか、土煙を巻き込み地を抉りながら突き進んでくる風の壁。本来は不可視のはずが、巻き込んでいる物のおかげで大まかな概形を捉えることが出来た。その本来自由に吹き荒れる風が静止していた。
「なんだよ、これ……」
世界の彩度が落ちている。彩りが落ち、世界全体が灰色に加工されているようだった。だが、そんな色彩がどうでも良くなるような出来事が目の前で起きている。自分以外のすべての時間が静止している、そうとしか表現できない。
エーシアは油断なく辺りを見据える。怪人すら時間を停止されていることから、この状況を引き起こしている原因はこの怪人ではないようだが、それはつまり第三者が関与しているということ。もしかしたら怪人の仲間がいるのかもしれない。
「よ、少年」
「っ――!? 誰だっ」
不意に呼びかけられる。声がしたのは真後ろ。エーシアは声がした方向に銃を素早く向ける。
「おいおい、そう警戒しないでくれよ。俺は少年の味方だぜ?」
銃を向けた先にいたのは、二十代後半と思わしき男性だった。手入れをしていないのかボサボサの銀髪に、無精髭を生やしている。服装はゆったりした大きめの布をかぶっていて、古代の服装に近い。どこかでみたことのあるような顔つきをしているが――
「お前か、これを引き起こしているのは」
「ん? いや、この状況の大半はお前の影響だぜ。俺はそのアシストをしてるだけさ」
あっけらかんとこの世界の真相を語る男。だが、その中に聴き逃がせないワードが入っている。
「待て、この状況は俺が起こしてる? どういうことだ」
「あ? あー、あのガキなんも説明してないのか……メンドいなあ」
「いいから話せっ!」
頭をかきながら気だるそうに話す男。そのやる気のない態度にエーシアは段々と腹が立ってきていた。こんなやり取りをしている間にもフィアの命は消えかかっているのだ。一秒でも早く、奴を倒さなければならないのに――
「おーこわ。まぁまぁ焦んなって。この世界にいる限り外の世界の時間は止まったままだ。嬢ちゃんはだいじょぶだぜ」
「信頼できるか」
「まーそうだよな。けどそれはこの世界から出たら分かっから。それまでは俺の話に付き合ってくれや」
「……」
「メンドクセェからいきなり本題いくぞ。マリスチェンジャー、それを持ってるってことは決めてんだろうな、快盗になる覚悟が」
「それは……」
男はいきなりエーシあの核心に当たる部分に踏み込んできた。しかし、このおかしな銃を持つことと、怪盗になる覚悟とどう関係があるというのか。
「? あー、ここはお前の精神世界みてぇなもんだからなぁ。なんとなく分かるぜ。お前は一つ勘違いをしている。俺が聞いてんのは快盗になる覚悟だ。怪盗じゃない」
「怪盗じゃなく、快盗?」
「そう、快く盗む。それが快盗だ」
「快く盗む、だと……」
「そうそう嬢ちゃんもそう言ってたろ? 正義の快盗シルフィア団って――」
「ふざけんなッ!!」
エーシアはたまらなく大声を出した。ここのところ心を取り乱してばかりいる気がするが、堰を切った想いは止められない。底が開いたバケツから水が溢れるように次々に溢れてくる。ここ最近に溜まった鬱憤、過去から溜まり積もった感情、後悔。混ざりに混ざった感情が止まらない。
「快盗だろうが怪盗だろうが関係ないんだよッ! 正義の快盗なんか居やしない! 誰かの物を盗むしかできない存在なんだよ怪盗ってのは、だから必ず傷つけるっ! 誰かの想いを踏みにじる。そいつにとっては高く売れて綺麗な宝でも、持ち主にとっては一生に値する掛け替えのないお宝なんだ。それなのに怪盗というのはそれを平気で奪っていく!! 何が正義だッ!! 自分の罪を小綺麗な言葉で正当化してるだけだ!!」
「――それが、お前の本音、か」
「はぁ、はぁ、はぁ」
男はエーシアの胸の内の告白を真剣な様子で聞いていた。
「お前の意見はもっともだ。確かに誰かを守りたい、正義に尽くしたいのなら騎士団に入るのが正解なんだろうな。――でも、それじゃ成せない正義もあるんだ」
「……」
「お前も見ただろ。そこにいる怪物を」
灰色の世界で静止したままの怪物を指しながら男は言った。
「この世には魔術では理解できないことがたくさんある」
「『マリス・コレクション』……」
「……改めて言われると恥ずかしいな」
「?」
「あ、いや何でもねぇ。気にすんな。今お前が言った……コレクションなんかがそうだ。あれは人智を超えた力を秘めているんだ。大昔の大馬鹿野郎が作っちまったモンだが……それが今危険な連中の手に渡っちまったんだ」
「まさか……」
「お前も知ってるようだな」
体が震えだす、エーシアの根底に刻まれたもう一つの記憶。炎の記憶。その記憶を刻み込んだ組織が関わっている――
「魔導……研究会」
「今はそういうんだってな。まぁ根っこは同じだ。古の伝説『魔法』を追い求め続ける狂信者達の集まり。研究の為ならどんな悪事も厭わない正真正銘のクズたちだ。そんな連中にコレクションが渡ったらどうなるか……分かるだろ?」
「そんなの、世界の一大事じゃねぇか! なぜ国はそれを対処しないんだよ」
「この話を一回目に聞いたお前の反応が物語ってると思うぜ」
「――あ」
指摘されて思い出した。信じない、当然だ。おとぎ話のお宝が現実にあって、世界が脅かされている。そんな話普通信じる者は居ないだろう。
「それに連中は狡猾だ。そうそう尻尾を出す真似はしない。今回は奴の独断専行だ、恐らく奴は直に組織に消されるだろうな。お前が何もしなくとも。でもそれは、目撃者は残らない、結果お前も嬢ちゃんも周囲の人達も口封じで殺されるだろう」
「そんな――」
「だからこそ快盗がいるんだ。組織からも、騎士からも姿をくらまし、人知れず善行を成す快盗の存在が」
「!?」
エーシアの中で何かが切り替わった音がした。
「お前が怪盗の存在が憎いのは、なんとなく分かる。同じような目をした男を知ってるからな。でも、そんなお前だからこそ世界を救ってほしいんだ」
「……俺は」
「第一お前、なんでマジシャンなんてしてんだよ。怪盗みたいな格好してさ」
「そ、それは……」
核心を突かれた。エーシアも考えていたことだった。いや、無意識のうちに考えないようにしていたことだ。
「お前、怪盗が好きなんだろ? 本当は。だから最初は怪盗になって、辞めた後も似たような格好で、培った技術でマジシャンなんかやってるんだ」
他人に言われてはっきりした。怪盗時代の服装を真似たのも、正義の怪盗を嬉々としてかたるフィアに無性に腹がたったのも、全ては俺が過去に囚われていたから。また誰かを傷つけるんじゃないかって怖いからだ。
「……この力があれば、誰かを救えるのか?」
「誰かどころじゃない、お前は世界を救える」
「……もう誰かを傷つけることはないのか」
「お前が、誰かを傷つける奴を懲らしめちまえ」
「……正義の快盗になれるのか」
「成れる。弱きを守り悪しきを滅ぼす正義の快盗になれる」
もう迷いはなかった。
「……いい顔だな。迷いに迷って後悔を重ねまくった誰かとは見違えるな。もう、俺が言うことは何もないな。合格だ、かの伝説の力をお前に託そう」
その時、灰色の世界に亀裂が走る。殻が剥がれていくようにポロポロと、灰色の壁が剥がれ落ちその向こう側に、いつもの色づいた世界が見えている。
「これは……」
「世界が崩壊しかけてる。お別れだ少年。もう迷わずに進めよ」
「おい、お前はっ!!」
世界とともに、男の身体も剥がれていた。
「あ、忘れてた。もうまだ渡すものがあるんだった」
男は何やら顔を手で覆い、動かしている。その後、何かをエーシアに向かって投げた。
それをエーシアは受け取り、手のひらの上で眺める。なにやら白い球体が二つ手のひらの上に乗ってるが……それらが不意にぎょろりと動き、エーシアと目が合った。
「気持ち悪っ!?」
ぺしーん! と二つの眼球を地面に叩きつける。眼球は叩きつけられた感覚があるのかのたうち回っていた。気持ち悪い。
「ギャアアアアア!? な、何すんだお前! 早く拾え、時間がないっ」
そして持ち主である本人にも感覚が共有されるらしい。空洞となった穴を両手で抑えながら眼球同様のたうち回っている。手足がある分より痛そうに見えた。
「うぇ……気持ち悪……」
うにうにと動き回る眼球を、人差し指と親指で一つ摘むことが精一杯だった。
もう一つの眼が懇願するような瞳でうるうる見つめてきても知らない、おい涙ぐむなどっから出てるその涙は。
「ホントは二つ持っていって欲しかったが仕方ねぇか……」
崩壊する世界の中、何か恐ろしいことを言っている気がしたが無視した。灰色の世界はもう二割も残っていない。あと数秒でこの結界が切れ恐ろしい怪物との戦いが再び始まるだろう。しかし、不思議なことにエーシアは恐れてはいなかった。
最後の会話だ。恐らくもう二度と会うことはないだろう。色々釈然としないところはあるが、この男のおかげで迷いは晴れたのだ。言うべきことがあるとエーシアは思った。
「お前が誰かは知らないが、ありがとな。おかげで迷いは消えた。俺はもう一度目指してみようと思う、正義の快盗ってやつを」
「大事にしろよ、その想い。宝魅人と戦うときは心のいちばん大切な物が重要だからな」
「何?」
「ってことでお別れだ。最後は偉人らしくカッコつけさせてもらうぜ」
もう男の身体は半分も残っていなかったが、気にすることなく男は続けた。
「――戦え、我が子孫よ。エヌラーペの遺志を絶やさぬために」
「薄々そんな気がしてたが、歴史の挿絵ほどカッコよくはなかったな」
「話は終わりだ、少年。気をつけろ、時が動き出すぞ」
「分かってる。絶対に倒す、そう決めたからな。ゆっくり眠れご先祖さん」
すでにエーシアは男を見ていなかった。はっきりと敵を見据え、戦闘態勢に入る。
「頼んだぞ、少年」
フッと、風に流されるように最後の結界が消失。と同時に世界が息を吹き返した。まず、拘束されていた風が自由を取り戻す。万物を切り裂く無形の刃となってエーシアに襲い掛かる。それを躱すエーシア。
『コレデオワリダ』
怪人の奥の手、それは遠隔地点の風の制御。”風は怪人から発生する”敵はこう相手に思わせ正面を防御させ意識の裏をかいて、相手の背後から攻撃を仕掛けるのだ。それを今回は四方から。エーシアを囲むように旋風を発生させようとしていた。
まさに絶体絶命、狙いは必中、食らえば即死。命を奪うための死神の鎌がまさに、命を刈り取ろうとしたその時――正義の快盗は不敵に笑いこう言うのだった。
「――シルフィアチェンジ」
黒色の弾丸を取り出して――