無形の刃
「な……んだよこれ」
悲鳴を聞いて、物陰から飛び出したエーシアが見たものは、目を疑いたくなるような光景だ。
真っ先に視界に飛び込んでくるのは赤。赤、赤、赤。倒れ伏している人々から、零れていく命が地面に池を作っていく。
倒れているのは六人、その全てが女性だ。服の上からでも分かるほど、深く切り刻まれている。それはまさについさっき見せられた被害者の姿と酷似して――
「――てめぇが犯人か?」
人が突然切り刻まれる。そんな怪奇現象が起きれば当然混乱が巻き起こる。ついさっきまで人の往来と憩いによって穏やかな空気に包まれていた広場は一変、阿鼻叫喚と混乱へと様変わりしている。無事だった人々はすぐさま広場から逃げ出した、にもかかわらずに先ほどから一歩も動かず立ち尽くす人が一人。
全身を覆うローブを羽織り、フードで顔を隠しいかにもな様相だ。
「おい、なんとか言ったらどうだ、ローブ野郎。今んとこ怪しさマンマンだぜ? 国中が血眼になって探している殺人犯によ」
「……」
語りかけてもローブの人物は黙したままだ。出来ることなら今すぐにでも倒れてる女性たちに駆け寄りたい、駆け寄って救えるはずの命を救いたい。これでもほんの少し回復魔術を使える。昔の仕事の名残だ。あれほどの重傷を治すことは出来ないが、治癒術師が来るまでの間命を繋ぐことは出来るかもしれない。
が、目の前にいるローブの人物がそれを許さない。正確には、ローブの人物は具体的に何かをしているわけではないが、身にまとうただならざる雰囲気がそれを成しえている。
「っ……」
エーシアは一連の殺人事件の犯人が、目の前のローブの人物であると確信していた。今の状況もさることながら、この人物がまとう死の気配を感じ取っていた。
だからだろう、エーシアは一切油断なく警戒していたことから次の一撃を躱すことができた。
ローブの人物が腕を掲げた。エーシアは全速で右へ飛び込む。直後、エーシアが居た場所に深い切り痕が刻まれた。その一瞬、ローブの人物の腕が見えた。
「――ッ!?」
受け身を取りながらエーシア内心冷や汗をかいていた。
――まずいまずいまずいっ! 地面が抉られてる、なにより視えないっ。速すぎて眼で追えないとかそういう話じゃなくて、そもそも見えない何かで攻撃してるんだ。これが噂の魔法の力ってのかよ――ッ。
エーシアはこの人物が矛先を自分に向けさせるため、自分の恐怖心をごまかすため軽口を叩く。
「おいおいどうしたローブ野郎、女しか狙わないんじゃないのか? 俺もお前と似たような犯罪者だが、ポリシーがないやつは嫌いだね。自分で決めたルールを守れないなんてタカが知れるよ」
「……」
安い挑発だ、と自分でも思う。この一週間騎士たちから逃げ続けてきた人物だ。今回もすぐ逃げ出すかもしれない。
エーシアはこの場で犯人を騎士団が来るまで引きとどめる算段だ。エーシア自体今回の事件には腹を立てていた。大事なストリートマジックの時間を邪魔された、お前のせいで聞きたくもない話をさせられた、そして何より――
「そうやって人の命を平気で奪うのかお前達は……っ」
かつての光景が目に浮かぶ。灼熱の炎がすべてを焼き尽くすした日。今でも夢見るそれはエーシアの脳裏に焼き付いて消えない。
見えてしまったのだ。攻撃をしかけるその一瞬、奴の腕に刻まれた紋章。その悪意にまみれた組織の頭文字が――
「それを見ちまったことには見逃せない。てめぇは今日きっちりお縄について喋ってもらおうか」
受け身を取ってしゃがんだまま、敵を睨みつける。
エーシアには怪盗時代に培い、鍛え上げたからだ捌きと魔術がある。並大抵の相手には後れを取ることはないのだ。
「魔術を使うのは久しぶりだからな……加減はできそうにないんで覚悟しろよ?」
手に魔力を滾らせ淡く発光させる。エーシアに元来流れる碧い魔力。その力で、暴虐を働く悪党と戦おうとするが――
「……」
再び手が振るわれた。それだけの動作で引き起こされる現象はまるで釣り合わない。エーシアは直観だけで攻撃を避け続ける。ローブの人物は手を止めることなく振り始めた。
「……!」
連続的に猛威が振るわれた結果、地面はズタボロに切り裂かれた。激しく土埃が舞い、土埃が晴れた中からは、いたるところに切り傷を作り血だらけとなったエーシアが身体を抑えながらしゃがみこんでいた。
かろうじて急所は外れているため、見た目ほど重症ではないがこれ以上攻撃を受け続ければ、いずれは急所に当たるか出血多量で殺されてしまう。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「……!!」
状況は確かにエーシアが不利だが、相手にとってもこれは予想外のことだった。相手にしてみれば目に見えないはずの攻撃をことごとく躱されているのだ。今までは躱されるどころか一撃で勝負はついていた。非力な一般人ばかり狙い、真の強者と戦うことがなかった弊害が出ているといえる。
「どうした、ローブ野郎。お得意の攻撃がまったく当たってないぜ? このとおり俺はまだピンピンしてるぜ」
「……ッ!」
エーシアの煽りが効いた相手は、ローブから両手を出し、広げた腕を一気に閉じる。その行為からもたらされる結果は先ほどまでの見えない刃とは異なっていた。
「何度やってもお前の攻撃なんて当たら――っうぉ!」
手を顔の前で交差させ、後ろに跳躍してやり過ごそうとしたエーシアに襲い掛かったのは、巨大な圧力。全身にまんべんなく降りかかる力は、跳躍していて空に浮いていたこともありエーシアの身体を容易く攫い吹き飛ばす。エーシアは吹き飛ばされる姿勢を上手く制御できず、きりもみ回転しながら後方の木に背中から激突した。
「っかは……」
肺の空気が一度に吐き出される感覚。呼吸がうまくできない。奇跡的に助かった幸運に感謝しながら立ち上がった。うまく呼吸を整えながら。
「はぁっ、はぁっ、ってぇなあ……でもおかげで判ったぜ。お前の力の正体が」
「……」
「お前、風を操ってんだろ。切り裂く攻撃を受けている間になんとなくそうじゃないかと思ったが今ので確信に変わった」
ローブの人物は相変わらず語ることはないが、攻撃してくる様子もない。エーシアの推察を聞くつもりのようだった。
「俺は初め、目に見えない謎の力で切り裂く攻撃をしてきていると思ったが、さっき吹き飛ばされたときに感じたものは風を受けた感覚そっくりだった。それに見てみろこの体に着いた血の跡を。風を受けた方向にまだ乾いていない血が動いた跡がある。それに今考えれば土埃が舞ったときお前は攻撃を中断した。煙によって風が可視化されるのを防ぐために、そうだろ?」
「……そこまで見破られてしまっては仕方ありませんね」
ここでローブの人物が静寂を破る。被っていたフードを外しローブを脱いだ。隠されていた素顔が明らかになる。ローブの人物、そして一連の事件の犯人の正体が。
「私の姿を見たのです。貴方にはここで消えていただきますよ」
ローブの人物は男性だった。見た目からは三十代の中肉中背の男性で声は少し高いほうだ。ただ何よりエーシアを驚かされるのはその恰好だ。全身は赤茶色のスウェット生地の寝間着にボサボサでしばらく洗っていないであろう頭。顔は痩せこけていて生気を感じられないほどだ。そして何より男から漂う鼻を刺すような異臭。その原因をなまじ察してしまえるためにより嫌悪感が増していた。
「その腕の紋章、てめぇやっぱり教団のッ」
「その通り、私は選ばれたのです。だからっ! あのお方から素晴らしい力まで頂いたのです」
男は目を血走らせ、唾をまき散らしながら興奮気味にしゃべる。ついさっきも誰かさんがこんな風に話してたな、なんて思いながら油断なく敵を見据える。
「そうかい、そいつは良かったな」
「ええ、ええ。貴方も分かってくれますか。しかし残念です、せっかくの理解者を得られたというのに貴方を殺さなければならないっ!!」
男は涙を流しながら、心の底から悲しんでいるようだった。膝をつき、見えない誰かに祈っている。
「いろいろ間違ってるぜお前。俺はお前のことを少しも理解してないし、何よりここで死ぬのはお前のほうだ」
「――いいえ。ここで死ぬのは貴方です」
男は今ままで涙を流して上ずっていた声が一変。冷酷な殺人者にふさわしい声に変わり、うつむいていた狂信的な目をエーシアに向けた。
「――!?」
――息ができない!?
「ヒュー、ヒュー……」
いくら吸っても、空気が入ってこない。
「ふふふ、苦しいですか? 貴方の言う通り私は風を……正確には大気を操れるのです。何も風の刃を作ることだけが私の力ではないのですよ」
得意げにベラベラと自分の力を話す男。そして男の目の前で、のどを抑えながらうずくまるエーシア。状況がどちらに有利化など一目瞭然だった。
――息ができないっ、苦しい苦しい苦しいっ。このまま死ぬのか? 俺はこいつに……、畜生、意識が 遠の、く……、おれは、……ま だ……………………
「見つけたわよ。『マリス・コレクション』」
銀色つぶやきが聞こえた気がした。