『マリス・コレクション』
「まあ、聞いたことくらいは」
「そうよね。誰もが一度は耳にしたことがある、魔法の道具」
「でもそんなのはおとぎ話だ。この世に魔法なんて存在しない」
子供のころ、誰もが一度は聞いたことがあるおとぎ話。その中に出てくる魔導士マリスは、どんな苦境、困難に立たされても懐から不思議な道具を取り出して鮮やかに解決してしまう。その姿に憧れない者はいないだろう。
「いいえ。マリスコレクションは存在するわ。それも身近に」
まるで打ち合わせでも行われていたかのようにテラが次の記事を持ってきていた。しかし今度は一枚ではない。
「これは、ここ数日で起こっている怪死体事件の記事よ」
「この事件がなんだって」
机の上に並べられた切り抜きは、どれも同じ事件を取り上げていた。一番古いもので一週間前で記事の面積もそれほど大きくない。しかし、日を重ねるごとに記事の面積も大きく、内容も詳しくなっている。今朝は一面持ち切りになっている。
「この事件の犯行に使われている凶器、それが『マリス・コレクション』よ」
「……その根拠は」
「それはズバリ! 魔術痕が残ってないからね」
魔術痕、それは魔術を使う際に必ず出る痕跡のこと。どんなに魔術を極めた者であっても魔術痕を無くすことは出来ない。基本的には魔術を用いられる犯行に対してはこの魔術痕を手掛かりにして捜査が行われ、特定するのが定石なのである。
「ここまで犯行を重ねれば、すでに騎士団が動いて解決してるはずよ。それが未だにないということはそういうこと」
「それで、その事件を俺に話してどうする。まさかそのなんとか団ってのに俺も入れっていうんじゃないだろうな」
「そのまさかよ。だからこうしてあなたに来てもらった」
……落ち着け。
「いい? 私たちがこれからやろうとしてるのは誰も不快にしない正義の味方! 快盗なのよ!!」
……まだ我慢できる。
フィアはどこか夢見心地で語りだす。まるで、もう何もかも決まっているかのようだ。
「私たちの目的は世界の救済!! こうしてる間にも世界には盗まれた『マリス・コレクション』の力を使って悪さをしている連中がはびこってるっ。それを止めることができるのは私たちシルフィア団だけなのよ!!」
ここにきて怪しい宗教染みた連中の目的が明かされた。どうもこの頭のおかしい銀髪女はあろうことか子供の妄想じみたおとぎ話を今でも信じており、自分だけが世界を救えるんだと虚言を吐いている。これらの発言でも十分腹が立つが、何よりエーシアをイラつかせるのが――
「正義の快盗 シルフィア団っ、響きがいいわね。これから忙しくなるわよ。あなたには――」
「……黙れ」
「――へ?」
意気揚々と今後の目標を語っていたフィアの表情が凍る。決まっているシナリオを本番でいきなり変更されたかのような展開だった。
「俺に二度と怪盗の話をしないでくれ。当然、お前たちのなんとか団にも入らない」
信じられないといわんばかりに唖然としているフィアの横を通り過ぎながら、帰るために階段に向かう。その途中、話の流れを聞いていたものの一切表情を変えることがなかったテラの隣を通る。その一瞬、テラの手が誰にも気づかれることなく振るわれた。
「……」
エーシアは何も気づくことのないまま、暗い階段を降りて行った。
◆◆◆◆
再び、足元だけが照らされた階段を降りていく。自分の足音だけがこだまする階段を降りていると、自然と先ほどの会話のことを考えてしまう。
フィアとテラ、二人の目的は盗まれた『マリス・コレクション』を取り返すことだという。その手始めに、今街で暴れている凶悪犯を捕まえる、正義の怪盗として。
「――ふざけるな。正義どろうが悪だろうが関係ない。怪盗である以上それは許されない存在なんだ」
気づくと階段は降り終わっていて、改修工事前の一階に着いていた。もう二度と来ないと心に決め、そのまま外に出ようとドアノブに手をかけると、後ろからの声に呼び止められた。
「ま、待ってっ」
「……」
階段にかかっていた黒い靄はいつの間にか消え、そのまま二階が見えていた。それからフィアは切羽詰まった様子で話しかけてきた。
「ちょっとどこ行くのよ。アンタ、今の話を聞いてなんとも思わないわけ? 確かにさっきの私は少し興奮してたけど、世界がヤバいのは本当なのよ」
「そうか、それは大変だな。だったら俺なんかに頼らずにもっと信頼のおける奴らに頼んだらどうだ? ほら、それこそ騎士団なんかにさ。アンタの話がもし仮に本当なら世界のピンチだ。優しい騎士サマも手助けしてくれるだろうよ」
「そ、それは……」
やはり口ごもる、それはそうだろう。なんせ先の話はこの妄想女の出まかせで、そんな与太話を一生懸命説明したところで、一蹴されるだけだ。むしろ必死になればなるほど頭がおかしいやつと思われるだろう。
「それは出来ないわ。私たちの存在はあくまで秘匿しなければならないの。その理由は――」
「その理由はお前が頭のおかしい妄想女だからだ。せいぜい周りに迷惑かけず、仲間内だけで楽しめよ」
「あっ……」
そう言ってエーシアは、フィアが止める間もなくノブをひねり外へ出る。そのまま閉じらていく扉をフィアは見送ることしか出来なかった。
「……」
「いいの、フィア。しんじてないようだったけど、けいかくしったいじょうのばなしにはできない。……しょりしてくる?」
いつの間にか黒い闇が復活して、その闇の中から感情のない瞳が淡々と告げる。その舌足らずの声に幼い故の残虐性を秘めているようだ。
「……」
「? フィア?」
「……ぐすっ」
「ないてるの」
「な、ないでな゛いもん!」
目元と鼻を真っ赤に腫らして涙ぐんでいる銀髪の少女の姿がそこにはあった。フィアはぐしぐしと顔を拭うと、普段どおりのクールな美少女を装った。目元と鼻は赤いままだが。
「そ、その必要はないわテラ。アレは周囲に言いふらすような男ではないでしょう。そもそも自分が指名手配されてるのよ、騎士団にタレコミにはいけないわ」
取り乱しかけたが、フィアは冷静に今後の予定を構築していく。
「私たちは引き続き、事件を追っていくわよ。テラはコレクションの特定をできる限り進めて、私は現場検証と被害者の関連性をもう一度考えてみるわ」
「エーシアのけんは?」
「そっちは何もしなくてだいじょぶよ。渡したんでしょ例のアレ」
「きずいてたの?」
「ギリギリね。でもアイツには気づかれてないと思うわよ。だから大丈夫」
「なんで分かるの」
「そうね……快盗の勘ってやつね」
半ば確信じみた表情でそう断言するのだった。
「……さっきことわられたけど」
「そ、それは言いっこなしで……」
早くも計画が不安になるテラであった。