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Addiction  作者: nirva
序章
2/14

退行

――261708060940

 上から照り付ける光。

 暖かく柔らかい光だが、コンクリートの床と壁が、スポンジのように光を吸い込んでしまう。

 なぜか汗に塗れていた私は、あまりの気持ち悪さに目が覚めてしまった。額からは滴が流れ、まるで頭から水を被ったようだ。枕もシーツも大きな染みが目立つ。

 空調が整えられているとはいえ、汗で濡れたままの服は流石に冷たい。このままでは風邪を引いてしまう。

 脱衣所で服を脱ぎ、シャワーを入念に浴びる。

 床に打ち付ける水の音が、どこか懐かしく感じられた。ずっと聴き入ってしまうような中毒性を見出しているのは、きっと世界中で私だけだろう。特に理由は無いが、はじけるような音が何となく心に響く。


 シャワーヘッドをホルダーに掛け、鏡に付いた水滴を拭き取る。

 ふと、自分の肢体の細さが気になった。もっとご飯食べなきゃな、筋トレしないとだめかな、なんて思ったり。まあ、この身体を誰に見せる訳でもないけれど。

 部屋に戻った私は、あらかじめ用意されている下着を身に着け、薄手の白いワンピースを着る。この部屋は気流も気温もすべて調整されているから、薄着でも年中快適に過ごせるのだ。

 光に向かって思いっきり身体を伸ばし、うーっ、と声に出した後に深呼吸を一回。これが私のルーチンだ。

 一番気持ちよくて、一番好きな時間。この光は、私に安らぎを与えてくれる。



「ゼロ、薬の時間だ。」


 鉄の扉が開き、黒いスーツ姿の男が部屋に入る。右手には大きな注射器。

 それは私の為のモノ。三日に一回の注射が必要な私にとって、人間でいられる唯一の生命線と言っても過言ではない。


「今日は暴れてないんだな。」

「そんなにきついことしてなかったから……。」

「ふん……。」


 それでも規則だからと、他の人よりも細い私の腕に針を立てる。

 薄い皮を針の先端が破って深く刺さり、噴出音と共に中の液体が流れ込む。


「あっ……ぁ……んっ、はぁあゥ……!」


 無意識に体が震え上がって、思わず艶やかな声が漏れる。

 みっともないなあ、こんな声。自分で聴いても恥ずかしいのに、他の人に聴かれるなんて、何かの辱めか。

 それでも今の私は、その辱めに興奮している。薬が回ってきたのだろう。

 全身が麻痺するような感覚。殆ど力が入らずに倒れ込み、徐々に体が痙攣していく。

 正直、この時間は嫌いじゃない。

 何も考えなくていい時間。

 人間でいようとしなくてもいい時間。

 薬を打たないと、この感覚は味わうことができない。

 自分から腕を差し出す程度にはすでに依存していた。


「……よだれはちゃんと拭いとけよ。」

「ひゃ、ひゃあい……わかりッ、みゃひたぁ……っん……。」


 男からの呆れたような声の忠告に、全くろれつの回らない口調で返事する。

 こんなの、はたから見たらただの薬物中毒者だ。だけど、俗物を見るような男の視線も解らなくはない。実際、薬ありきの生活を送っているわけで。

 でも、そんな他人の目なんかどうでもよくなるほど気分が良い。

 何処にでも飛んでいけそうな、ふわふわとした気分。

 私の意識が飛んでいく。

 とおいところにきえていく。

 もう、なにもかんがえりゃれなゃい

 めちゃうひゃ な みゃま くらく なって どこ か にとん で


―――


「”精神安定剤 25ml”、ねぇ……。」


 空になった注射器をもって、男は呟いた。

 隔離部屋のガラスの向こうにいるゼロを見て、思うことは数え切れないほど貯まっていた。

 その呟きに反応するように、後方のドアが開く。


「気になるか?その薬のこと。」


 そう問いかけてきたのは、ゼロの担当医だった。


「ああ、いや……。量多いなって。」

「嘘つけ。成分書いてあるとこに内容量は書いてねえよ。何で出来てんのか気になってんだろ?」


 適当に嘘をついて誤魔化そうとしたが、すぐにばれてしまった。結構な距離があるのに分かったなんて、よほど目が良いのだろうか。そんな目の下はくまだらけだが。


「まあ……そうだな。注射は俺担当なのに、知らないことも多いし。」

「分かった、教えてあげよう。」


 誰もいない部屋でただ一人、奇声を上げて笑い続けるゼロを見ながら、担当医は淡々と説明を始める。


「成分はだな、確か……覚醒剤と大麻とヘロインと、あとはMDMAとか他にも色々入ってたような。それらを全部足して、百で割ったのを濃縮して液体化した物だ。」

「やばいだろそれ……。」

「ああ。”安定剤”なんて、そーんな優しい心使いなんかクソ程も無い。」


 担当医とは初めて喋ったのだが、この口調からして、相当な奇人であることは間違いないだろう。さしずめ、マッドサイエンティストといったところか。”馬鹿と天才は紙一重”という言葉がよく似合う。


「あとは効果だが……ほら、ゼロはほっとくと勝手に狂うだろ? そうなる前にこの薬を打つと、強制的に精神を狂わせて、そのー……なんつうの?」

「リセット?」

「そうそう、そんな感じだ。」

「だからって三日置きは早くないか?」

「いいや、三日置きが一番安全に狂ってくれるのさ。部屋も壊さないし、その場で気絶して笑うだけ。目覚めても、少しの時間だけ幼児退行するだけだから、とにかく安全なんだよ。薬も薄めてあるし、乱用で身体が壊れるなんてことは無いと思うぞ。」


 確かに、さっきまで笑い続けていたゼロが、いつの間にか黙り込んでいる。死体のようにも見えなくはないが、時々身体がびくんと動いているから、気絶しているだけなのだろう。

 しかし”無いと思う”という全く信用できない担当医の言葉が、本当はゼロは死んでいるのではないだろうか、と男にそう思わせた。

 そんなゼロを眺めていると、担当医は「自分には打つなよ」と冗談を言ってその場を去っていった。

 風になびく白衣の所々が、薄く赤みがかっている。

 捲った袖から見えた担当医の腕は、注射痕で沢山だった。

 冗談が恐怖に代わるには十分な視覚情報で、ありもしないことを考えてしまう。


「……狂ってんな。」


 担当医の印象を一つにまとめた、男の答えだった。

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