ボーイ ミーツ おっさん=?
「小説を書く人間はみんな精神的露出狂だ。そうでないと自分の妄想を他人に見せようなんて思わない」
これは以前、私がサークルの先輩に言われた言葉なのですが、そう考えると私はなかなか変態度合が高いようです。なにせ過去に他人に披露した妄想を今度はネット上に晒そうとしているわけですから。
というわけでこの作品は以前、私が所属しているサークルの部誌に掲載したものです。拙い部分は多々ありますが、お暇つぶしにでもなれば幸いです。
「おっさん、おっさん!」
唐突に響いた幼い声に、男はハッとして立ち止まった。前を見ると目の前の石段に小学校六年生くらいの見知らぬ少年が立っていた。
「うわっ」
驚いた男が小さく悲鳴を上げて後ずさりする。男の片足が、今いる石段の一つ下の段に落ちた。
「なんだよ。人の顔見て悲鳴あげんなよ」
さほど驚いた様子も無く文句を言う少年をよそに、男は慌てて周囲を見回す。男はどこまでも続く石段に立っていた。石段には大量の鳥居が、これもまたどこまでも立ち並び、まるで朱色の渡り廊下のようになっている。これだけならまだ普通の神社の風景だが、奇妙なことに鳥居の渡り廊下の外側は、薄く紫がかった闇が渦巻くばかりで何も見えなかった。
目の前に広がる異様な光景に男は息を呑んだ。
しかし次の瞬間、男はある重大な事実に気付き、目の前の光景そっちのけで激しく狼狽え始めた。
突然挙動不審になった男に、少年は訝しそうに眉をひそめながら声をかけた。
「おい、おっさんどうした?」
「・・・・・・どうしたもこうしたもあるか」
男は呆然としながら言った。
「ここはどこだ?いや、その前に」
少しでも混乱を押さえようと男は無意識に額に手を当てた。
「俺は一体、誰なんだ?」
目を丸くする少年の前でそう言うと男はそれっきり頭を抱えて座り込んでしまった。
***
十数分後。体育座りで頭を抱えたまま微動だにしない男に少年が声をかけた。
「なあ、おっさん。もうそろそろ落ち着けよ。そのまま頭抱えてても何にもならねえって」
どこか冷めた口調で言う少年。しかし、男には少年の言葉に答える余裕はなかった。とこも十数分間ただ座っていた訳ではない。どうにかして自分は誰なのか、ここはどこなのか、そして、あわよくばなぜ自分が記憶を失ったのかといったことを思い出そうとしていたのだ。
(思い出せ、思い出せ!なんでもいいから思い出せ、俺!)
男は必死に頭を回転させる。
(ここはどこだ?俺は誰だ?俺の記憶が消えたのはなぜだ?)
その時、男の頭の中で何かが引っかかった。
(記憶が、消える?)
『記憶が消える』。頭の中でそう呟くたびにまるで閉ざされた記憶の扉が叩かれるような感覚を覚える。
もしかしたら自分は今、何か重要な事を思い出そうとしているのかもしれない。そう期待に胸を膨らませつつ更に頭を回転させると、次の瞬間男の頭の中に一気に記憶が溢れだした。
その記憶の中で、男は畳敷きの部屋に座っていた。目の前にはテレビと、テレビにコードで繋がれた長方形の箱状のモノが置かれており、男はその箱から伸びたコントローラーを握っていた。
男がコントローラーを操作するとテレビ画面に映し出された映像が切り替わった。短い文章のようなものが書かれた白い長方形が並んでいる画面だ。男が眠気でぼんやりとした頭でコントローラーを操作すると短い音楽と共に並んだ白い長方形の一つから文章が消えた。そして代わりに現れた黒い長方形には白い文字で無情にも『冒険の書1を削除しました』とメッセージが表示され――
(あ、これ何年か前にゲームのセーブデータをうっかり消したときの記憶だ)
先刻の期待を大きく裏切るしょうもない記憶に男は再び項垂れた。確かに『記憶が消える』ことに関係した記憶ではあるが男が探しているのは自分の記憶が消えた件についての記憶であって、ゲームの記憶が消えた件についての記憶ではない。
座ったまま地面にめり込んでいきそうなほど落ち込む男に少年が再び声をかけた。
「おーい、大丈夫かー?生きてるかー?」
「・・・・・・ああ、生きてるよ」
項垂れたまま男は答えた。失望したせいで幾分か投げやりな態度になっていた。
「うわ、やさぐれてんなあ」
男は顔を上げて少年を見た。少年は石段に座って頬杖を突きながら男を見ていた。
「うるさいな。なんだよ」
「・・・・・・いくらなんでもうるさいな、は無いだろ」
少年が男から顔をそらしながら呟く。それを聞いて男は謝罪の言葉を口にした。
「すまん、八つ当たりだった。気を悪くしたなら謝る」
男が座ったまま頭を下げる。
「いやまあ、別に良いけどさ。そもそも俺が悪いんだし」
「え?」
後半がよく聞こえなかった、と男は聞き返すが少年はそれには答えず、さっさと話を進めてしまう。
「ところでさ、さっきから気になってたんだけど、おっさんは何か自分が誰か分かるようなものとか持ってないの?」
少しの沈黙の後、
「確かにその通りだな。なんで考え付かなかったんだ?」
自分の迂闊さに呆れながら、男はポケットの中身を引っくり返し始めたのだった。
***
最初に出て来たのは鍵だった。
「これどこの鍵だ?」
少年が首を傾げる。
「たぶん俺の家の鍵だな」
「なるほど。で、何か思い出した?」
「いや全く」
男が首を横に振る。
「だろうな」
「次行くか」
そう言うと男は別のポケットを探り始めた。
次に出て来たのは少しシワの寄ったお守りだった。袋には商売繁盛と書かれている。
「あ、これこの上の神社のお守りだ」
少年が石段の上を指さしながら言った。
「神社?この上ってこの石段の先か?」
どこまでも続く石段と鳥居の先を見ながら男は少年に聞いた。
「ああ、この山の中程くらいに稲荷神社があるんだよ」
「へえ。山、か」
男は鳥居の外側で渦巻く薄く紫がかった闇に目をやった。
「とても山の中には見えないんだが・・・・・・」
「ま、まあ、山だからな。色々あるんだよ。それより何か思い出した?」
明らかに何かを誤魔化した少年に違和感を覚えつつ男は頷いた。
「ああ、少し思い出した。俺はこのお守りを神社に返しに来たんだ」
「返す?」
「ほら、初詣で買ったお守りって次の年の初詣の時にお守りを買った神社に持って行って処分してもらったりするだろ?このお守りは去年の初詣で買ったやつなんだが、今年の初詣の時に神社に持っていくのを忘れてな。今からでも間に合うかと思って返しに来たんだよ・・・まあ、去年来た時は普通に山の中の参道を通っていったと思うんだが」
男が首を捻りながら言うと、少年は慌てて「じゃあ次行こうか」と男のポケットをまさぐった。
「げっ」
自分がポケットから引きずり出したものを見て少年は露骨に嫌そうな顔をした。
「そういえばなんか口寂しいと思ってたが、これだったのか」
少年の手の中にあるものを見て男が納得したような顔で言う。
少年が男の上着のポケットから引きずり出したもの・・・・・・それは中身の入った煙草ケースとライターだった。
「これ、おっさんのか?」
顔をしかめながら少年が聞く。
「ああ、そういえば確かに俺は煙草を吸っていた」
頷きながら男は少年の手の中の煙草とライターに手を伸ばす。
「それじゃあ思い出したところで早速一服・・・・・・」
しかし男の手を少年が遮った。
「ちょっと待て、ここで吸うのか?」
少年が男を睨みつけながら聞いた。男は少年の剣幕に目を丸くする。
「ああ、そのつもりだが・・・・・・嫌なら風下側で吸うぞ?」
「風下でも風上でもやめてくれ。俺、煙草の煙が大っ嫌いなんだ」
少年が真剣そのものの表情で言う。
「分かった。分かったから煙草を返してくれないか」
頷きながら言う男に少年は「絶対だぞ?絶対に吸うなよ?」と念を押しながら煙草とライターを渡した。
「おっこれは」
ズボンの尻ポケットに手を突っ込みながら男は呟いた。
「ん?やっと名前が分かりそうなものでも出て来たのか?」
少年の問いに男は期待に顔を輝かせながら答えた。
「ああ、多分な」
そう言いながら男は尻ポケットの中身を取り出す。
「ハハハ、やっぱりな」
男は笑いながら少年に取り出したものを見せる。
「財布だ」
普通財布にはクレジットカードからポイントカードまで様々なカード類が詰まっている。それらのカード類の中に男の名前が書かれているものがあってもおかしくはない。
男はゆっくりと財布を開くとその中のカード類を調べ始めた。
「どう、思い出せそう?」
「・・・・・・ああ」
少年の問いに男は晴れやかな笑みで答えた。
「バッチリ思い出したよ」
「そっか」
少年はそう言うと、ふうと息を吐きながらボソリと呟いた。
「良かった、良かった。これで俺の寝覚めも悪くならなくて済む」
「ん?何か言ったか?」
男が少年に背を向けて伸びをしながら聞いた。
「いや、何にも言ってないよ?」
少年はとぼけた答えを返すとニタリと笑いながら男に近寄った。男と少年の距離は三歩と離れていない。少年の目が爛々(らんらん)と輝き始めた。
男まであと二歩。男はまだ少年に背を向けたままだ。少年の歯が獣のように鋭く尖る。
男まであと一歩。少年が男に声をかけた。
「おっさん、ちょっとこっち見てくれる?」
「ん?なんだ?」
少年に言われて男が背後を振り返る。
そして、男が振り向いたその瞬間、少年の顔が一気に強張った。
「おっさん!なんで煙草吸ってんの!」
「え?あっ!すまん、つい癖で!」
記憶を取り戻した喜びで気が抜けていたのだろう。いつもの癖で無意識に喫煙していた男は、少年の変化に気付く暇もなく慌てて煙草を消そうとした。
しかし、遅かった。煙草の煙が少年の鼻に届いた次の瞬間、
「ギャアッ!」
という短い悲鳴とドロンという少し間の抜けた音と共に周囲の全てが白煙に包まれた。そして、煙が晴れたときには少年も鳥居の外の渦巻く闇も消えていた。後に残ったのは大量の鳥居が設置された山中の石段と、
「えっと・・・・・・何が起こったんだ?」
神社の入り口で消えかけの煙草を持って辺りを見回す男だけだった。
***
数分後。
「・・・・・・ということがありまして」
「はあ、そうでしたか」
男は神社の境内にある休憩用のベンチで茶をご馳走になりながら、自分の身に起こった出来事を話していた。
「それはまた大変な体験をされましたね」
茶をご馳走してくれた巫女が男を労わった。
「いや、まあ大変な体験と言うか、間の抜けた体験というか」
男が苦笑する。
「正直私も何が何だかさっぱりでして・・・・・・巫女さんなら何か分かったりしませんか?」
男が聞くと巫女も苦笑しながら返す。
「さあ私にもよく分かりません」
「ハハハ、ですよね。いや全く白昼夢でも見ていたのか・・・・・・」
男が首を捻りながら笑う。すると巫女は男を見ながら静かに言った。
「でも、結局沢村さんの記憶は元に戻ったんですよね?」
「ええ、まあそうですね」
男は茶を一口飲むと頷いた。
沢村栄治、それが男の名前だった。
「じゃあ、気にすることはありませんよ。たとえ夢でも現実でも沢村さんの記憶が戻った以上、それはハッピーエンドです。そう思いませんか?」
そう言うと巫女は静かに微笑む。
「そうですね」
その微笑みを見て沢村も笑った。
「そういう事にしておきましょう。ありがとうございました」
巫女に礼を言うと沢村はポケットから商売繁盛と書かれたお守りを取り出した。
「あと、すみませんがこれ・・・・・・」
「あ、はい。お守りの処分ですね。お預かりしておきます」
「ありがとうございます。じゃあ私はこれで」
軽く一礼すると沢村は立ち上がり入口の鳥居へと歩き出す。巫女は一度にっこりと笑うと一礼して沢村を送り出した。
***
沢村の姿が見えなくなると巫女は先ほどとは違う背筋が凍るような笑顔で鳥居の脇の草むらに声をかけた。
「隠れてないでさっさと出て来なさい。今なら軽めのお仕置きで済ませてあげるから」
箒を片手に仁王立ちしながら巫女は草むらに潜む何者かに向かって呼びかける。
するとガサゴソと音を立てて一匹の狐が現れた。
「話は聞いたわよ。また神社に来た人に悪さしたんですってね?」
右手に持った箒を左手に軽く打ち付けてパシン、パシンと音をさせながら、巫女は狐に話しかける。
「特に今回はただ驚かすだけじゃなく記憶まで弄ったらしいじゃない」
耳をパタリと伏せて震える狐に、巫女は完璧な営業スマイルに何本もの青筋を浮かべた壮絶な表情で歩み寄る。
「覚悟はできてるわよねえ?」
巫女がまるで槍か長刀のように箒でドンッと地面を突く。と、それまで震えているだけだった狐が突然くるりと宙返りをした。
途端にドロンという少し間の抜けた音と共に白煙が狐の体を覆い隠す。次の瞬間そこには小学校六年生くらいの少年が立っていた。
「ちょっと待ってくれ、俺の話を聞いてくれ」
少年は暴れ馬をなだめるように両手を前に出すと、目の前の巫女に懇願する。
一方巫女は目の前で起こった狐の変身に驚く様子も無く、相変わらずの壮絶スマイルで、
「あらあら~、今回は一体どんな言い訳を聞かせてくれるのかしら~?化け狐さん?」
と言い放った。
この物言いですでにこの巫女に言い訳が通用しないであろう事は想像に難くないが、それでも言わないよりはマシとばかりに化け狐の少年は決死の言い訳作戦を敢行する。
「いや、その、今回はちょっとした偶然というか、不幸な事故のようなもので、」
「言い訳は短く簡潔にまとめなさいって前も言ったわよねえ~?」
「はいっ、ごめんなさい!」
悲鳴のような声で謝罪するのと同時に少年の頭と尻からぴょこんと狐の耳と尻尾が飛び出た。恐怖のあまり変化が一部解けてしまったのだ。
しかしそれでも挫けず、少年は涙目になりながらも言い訳を続けた。
***
「つまりこういう事かしら?あなたはこの神社にやって来た沢村さんにちょっとしたイタズラを仕掛けるつもりで術をかけた。そしたらそれが予想より効きすぎて沢村さんは一時的に記憶喪失になってしまった、と」
「はい、その通りです」
巫女の問いに少年が答える。巫女は幾分か青筋が減った顔で頷くと、少年の頭を見下ろしながら更に続けた。
ちなみに少年は現在、情状酌量を求めて絶賛土下座中である。
「そして、さすがに記憶喪失状態でほったらかしにするのは寝覚めが悪いから記憶の回復に力を貸した」
巫女はそこで一つため息をついた。
「けど、いざ沢村さんの記憶が回復するとやっぱりイタズラをしたくなって驚かそうとしたら、逆に煙草の煙を浴びせられて逃げて来た、と」
狐や狸などの人を化かすとされる動物は煙草の煙や唐辛子を燃やした煙のような刺激の強いニオイに弱いとされている。つまり沢村は術の効きすぎで記憶喪失になりつつも偶然吸っていた煙草で窮地を脱したのである。
(全く、運が良いのか悪いのか)
巫女は沢村が去って行った方を見て苦笑したがすぐに少年に目を向けた。今はこのイタズラ常習犯の狐少年にどんなお仕置きをするかが問題だ。
(とりあえず境内と本殿の掃除でもさせようかしら?でもこの程度じゃ反省しないかもしれないし)
どんなお仕置きにするか悩む巫女。
(どうか、軽めのお仕置きで済みますように!)
情状酌量を求めてもはや祈りにも近い土下座を続行する狐少年。
そんな二人の状況を知ることもなく、
(そうだ、帰ったらあのうっかりセーブデータを消したゲームもう一回プレイしてみるか)
沢村は意気揚々と家路につくのだった。