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苦悩と助平爺


「どうしたものか...」



机が二つに椅子が三つ、そんな殺風景な部屋には三人がそれぞれ椅子に腰掛けて座っている。

部屋の真ん中にある机を挟んで二人が向かい合い、端に設置されたもう一つの机には、壁に向かって座って何やら記録を取っている者が一人。


ここは警察署の取調室であるようだ。


先ほどため息まじりに呟いたのは、きっちりと短く揃えられた黒髪に、切れ長な目が特徴的なウォン=リン、その人である。


その対面に腰掛けているのは、今回の事件の中心人物、田岡一人であり、先ほどの一件から今までの間ずっと、嗚咽まじりに下を向いて涙を流している。


会話すらできないこの状況、ウォン=リンは取り敢えず田岡一人が落ち着くのを待つことにした様で、この場にいるもう一人の人物に話しかける。



「カイン、先ほどの少年たちとこの男の情報は纏まったか?」



「はい。

住所、年齢、所属校、スキル、連絡先、関係性等々、粗方まとめ終わりました。」



ピシッと、それらの情報が書き記されているであろう書類を手渡すカイン。


受け取ったウォンは、パラパラと書類に目を通し頷く。


「うむ。

今のうちに彼らの予定でも聞いておいてくれ。

そうだな、遅くとも来週までに細かい聞き取りを行いたい。」


「わかりました。」



パタパタと取調室から出て行くカインを見送り、現在男泣き真っ最中の人物に向き直る。


目の前の人物からは、先ほどまで人外のような殺し合いをしていた男の面影はない。


今回の事件は魔暴化の症例として初めてのもので、正直どう対処していいのかわからないというのが本音であり、現在はアルタイルの街に向かって進行していた大量の魔物の対処に出た署長の帰りを待っている状態である。


「...しかし、見れば見るほどただの学生だな。」


その言葉は誰に向けたものでもなく、ただの独り言。

しかし、その言葉は目の前の人物の耳に入っていた様で、のそりと顔をウォンに向ける。


ビクリと、一瞬身構えるウォンだったが、向けられた視線に危険を感じず、向かいのイスに腰掛ける。


「もう落ち着いたか?」


取り敢えず会話をしようと、切り出したウォンだったが、目の前の人物の目の色に若干の嫌悪感を抱く。


魔物の象徴ともいう赤い眼。


そんなこと考えるべきではないと、首を振り目の前の人物に意識を集中させる。


「...俺は、おかしくなってしまったんでしょうか?」


飛び出した言葉は先ほどまでの様子とは一転して弱々しいものであり、男の不安や恐怖といった感情が滲み出ている様に感じた。


「...最初は声みたいな"何か"が俺の頭に溢れてきたんだ。

けど、気づいたらコンビニで貴方に拘束されていて、この場所に。」


ポツリポツリと語り始める男の様子に先ほどまでの勢いはなく、まるで懺悔でもしている様な有様である。


「...そんな状況に混乱して、最初は逃げ出そうとして。

したら、よく知る奴の気配を感じて...そいつの元に向かったんだ。

どうしようもない怒りを感じて、取り敢えず一発ぶん殴らねぇと気が済まなかった。

そんな衝動が俺を動かして...」


今にも泣き出しそうな人物にウォンは目の前の人物がただの学生で、被害者であることを再認識した。


彼だって、このわけのわからない状況に混乱しているのは当たり前だ。


「普段から俺はあんな感じで、あいつとの喧嘩も三回目で。

けど、今回の俺がおかしいってのはわかってた。

そんな俺をあいつは簡単に負かしやがった。」


そう言って田岡一人は笑った。


「自分が化け物になった様な気がして、がむしゃらに、衝動のままに、あいつに挑んだ俺は、いとも簡単にあいつに負けたんだ。」


すっかりさっきまでの凶暴な気配を感じさせず、学生らしい顔で語る。


「俺は、嬉しかったんだ。

おかしくなった俺を簡単に返り討ちにしやがって、まるで"お前はただの不良だ"って言ってくれた様な気がして。」


ウォンはそんな様子の田岡一人を見て、もう問題はないと感じた。


この男はただわけのわからない力に混乱していただけなのだと、もう大丈夫だと思った。


「ふーん。

報告受けてすっ飛んできたけど、問題なさそうだねぇ。」


今まで何もなかった空間に、白と黒のデザインが特徴的な服装を着込んだおじさんが。


「署長、急に現れるのはやめてください。」


呆れた様に吐くウォンの様子から、いつものことであるらしいことが伺える。


「ま、調書はとってあるんでしょう?

今日はもう返してやりなさい。」


「え、いいんですか?」


「いいも何も、それ以外にどうするんですか?

此処にずっと拘束しとくわけにもいかないでしょう?」


そんな署長の言葉に言葉を詰まらせるウォン。


「しかし、何かあってはいけませんし。

しっかりと検査して...」


「...ウォンちゃんの言うことも分からないでもないけど、現段階では検査のしようもなければ、最適な対策もない。

初めての事例ですし。

取り敢えず、彼の精神のためにも一旦家に返すべきだと判断しました。

まあ、近くに白武具持ちは待機させておくけどね。」


そこまで言われて仕舞えば反論することもできないと判断してウォンは、田岡一人に向き直り帰宅を促す。


「...俺は、自分がまたおかしくなりそうで怖い。」


下を向いて震える田岡一人の肩に置かれる手。


「大丈夫。

君の衝動がまた現れたとしても、我々が止めるよ。

大人に任せなさい。」


「でも...」


「じゃ、おじさんと一戦交えてみる?

全力できていいですよ。」


署長の爆弾発言が溢れる。


恐らく先ほどの事件時の警察の動きから実力に不安を抱いたのだろう。

なんて言ったってただ傍観を決めていたのだ。


そんな彼の心情を察し、署長の急な提案は下された。

在ろう事か、もうすでにファイティングポーズをとっている。

この場で始めるらしい。



「ちょ、署長。

幾ら何でも此処でなんて...」



「大丈夫、大丈夫。

全力できなよ?

おじさんが君を安心させてあげよう。」


ニヤリと笑うおじさん。


「じゃ、本気で。」


唐突な戦いがウォンの目の前でゴングを鳴らした。



***



「いやー、冷やっとしたねぇ。」


「もう、急にあんな事してもらっては困ります。」



現在、部屋には署長とウォンの二人のみ。


先ほどの急な戦いは危なげなく署長の勝利に終わり、田岡一人は安心して帰路に着いた。


「...しかし、今回の件はどうもきな臭いねえ。」


今までの、のほほんとした雰囲気を一変させ、剣呑な空気を纏う。


「急な魔物の大量発生に、安全システムの不具合。

それに彼の存在。」


「...偶然では?」


「偶然にしてはタイミングがバッチリすぎるよねぇ。」


そう言って書類を漁る署長。


「今回の中心人物は、彼ともう一人。」


開いたページには御影繍の名前が。


「うーん。」


「...しかし、魔暴化ですよ?

偶然と捉えるのが妥当かと思いますが。」


確かに普通に考えれば、タイミング悪く魔暴化が発症したとするのが一番である。


「まあ、そうなんだけどね。

これは私のただの勘ですよ。」


「...そうですか。」


署長の勘はよく当たる。


その言葉をなんとか飲み込むウォンだった。


「うーん。

ま、考えても仕方ないですかねぇ。

あ、ところで。」


「はい。

何でしょうか?」


「今日もウォンちゃんはおっぱいが大きいね。

いい目の保養になるよ。」


はあ、とため息をこぼしてジト目で署長を睨む。


「...セクハラですよ。」


「ああ、これは失敬。

つい。」


はあ、と大きく溢す様子を見ればいつものことなのだろう。


署長、もとい助平爺は言いながらウォンの胸に視線は釘付けである。


「はあ、いつか本当に訴えられますよ?」


「ああ、ご忠告どうもありがとう。

気をつけます。」


「...失礼します。」


そんな様子を全く気にすることなく、書類を手に部屋を後にするウォン。


あれで女職員には人気なのだから、世の中わからないものである。


そんな呆れた表情を浮かべ廊下を歩くウォンは、視線の端から走り寄ってくる人影を確認した。


「先輩!

今週の土曜に取り付けられました。」


「...そうか、ご苦労。」


「...?

先輩お疲れですか?」


首をかしげるカインの仕草に、お前は女かという言葉をグッと堪える。


「いやな、署長がいらしてな。」


「え!

だ、大丈夫でしたか?

あの助平爺に何かされませんでしたか?」


仮にもこの場の最高権力者に向かって酷い言いようである。


「こらこら、助平爺はいかんぞ。」


「あ、そうですね。

けど、助平爺ですよ。」


はあ、今日何度目かのため息をこぼすウォンであった。



***



暗い室内に男が一人。


フレームのない眼鏡を装着し、何やら端末をいじっているようである。


「ドウシマスカ?」


イントネーションが外れた特徴的なその声は、暗闇から聞こえる。


「...計画は破棄。

別働隊編成後"無能者"の拉致に移る。」


「...カシコマリマシタ。」


ふっと気配を消したその声の主に目もくれず、端末からの情報に目を向けたままの男は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。


「...御影繍、何だこいつは。」


憎々しげに呟いたその言葉は闇と消えた。


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