あの日の約束
時刻は少し遡る。
「おら、さっさとしやがれ!」
田岡先輩の言葉にどうしようかと視線を交わし合う二人。
ウォンさんはあたふたと目を回し、ヌイは非難の目を向ける。
そうこうしているうちに、ヌイは業を煮やした田岡先輩に捕まり、例の瞬間移動で警察署外に。
あぁ、とどちらがつぶやいたのかわからない声が部屋に残る。
ウォンさんは応接室に一人取り残され、突然消えた二人の姿を探してオロオロしていた。
一方、急に視界が変わったことで、慌てるヌイを他所に、緊迫した声が飛び込んでくる。
「動くな!
大人しく手を挙げ投降しなさい!」
外で待機していた警察官複数は、各々が白い武器を持ち、今しがた警察署から現れた二人を警戒している。
「...何だこれは?」
ギロリと隣にいるヌイを睨みつける男。
俺がやったんじゃないと、ヌイ。
そんなヌイの言葉に、自分を囲んでいる警官たちをにらみはじめる男。
その真っ赤な目と威圧感に、思わずジリジリと後退する警官の面々。
今にも飛び出して行きそうな田岡先輩に危機感を覚えたヌイは、慎重に言葉を紡ぐ。
「あの、田岡先輩?
俺を連れ出したのはどんな要件ですか?」
取り敢えず、外に向いている意識を自分に集中させようと試みるヌイ。
先ほどまでの恐怖の鬼ごっこから、自分なら何とでもできると考えたが故の行動である。
「やっぱり、こいつらはてめえの差し金か!」
ヌイの作戦は成功した。
いや、大成功してしまったというべきか。
何が癪に触ったのか、田岡先輩は怒り狂い、目の赤さがマシに見えるほど顔を真っ赤にして叫ぶ。
その獣のような咆哮に、ヌイも一歩後ろへ距離を取る。
そんな完全にアウトな男の様子に、警官達も一層警戒を強める。
それでもいきなり拘束に動こうとしないのは、やはり男の見た目だろう。
報告を受けたのは魔暴化の発症者であって、目の前の危険人物には魔暴化の症状の一番の特徴が確認できない。
故に一歩を踏み出せない。
そんなところだろうか。
「何の話ですか、僕は何もしてませんよ。」
冷静に返すヌイの様子に、田岡先輩の顔の赤さが薄れて行く。
そうか、と呟き自分に注意を向けている警察の面々を睥睨する。
そんな田岡先輩の様子を他所にヌイは考える。
それは先ほど、この場所まで瞬間移動でやってきた時のこと。
確かにヌイは肩を掴まれ、気づいたらここにいた。
一瞬の油断で触れられてしまったのだが、その時の違和感に思考を巡らせる。
ヌイは少し前までのコンビニでの出来事を思い出す。
黒い靄に包まれた田岡先輩の攻撃を一度だけ受けた時、確かに【スキル】の発動を感じ取った。
それは、"今までの今日"を振り返って見てもわかるように、何かしらの毒のようなものに対して【耐性】の【スキル】が発動したのだろうと推測していた。
そして、その推測は当たっていたのだが、先ほど肩を触れられた際にはその時の【スキル】の発動を感じ取れなかった。
つまり、今現在の田岡先輩はコンビニでの田岡先輩とは何かが違うということ。
見た目一つをとってしても、コンビニ当時とは全く違う。
逆に、変わっていないところといえば、真っ赤な目に謎の瞬間移動。
それと、ヌイへの怒りなのか何なのか、頑なにヌイを狙っているだろう行動の数々。
魔暴化の件もそうだが、あの真っ黒な部屋の本の文を信じるなら、田岡先輩はファントムに取り憑かれているはずである。
どちらの言い分をとってみても、今の状況の把握は難しい。
今の田岡先輩はどんな状態なのだろうか。
見た感じでは、少し気性は荒いし、異常な能力を持っているのだが、元々知っている田岡先輩と根本的なところでは変わりないように感じる。
まるで、田岡先輩が"空渡り"の能力だけを引き継いだかのように。
何にしろ、知っている情報が少ないし、その少ない情報すらも頼りにならないこの状況。
誰か説明してくれと天を仰いだヌイの耳に、田岡先輩の怒声が飛び込んでくる。
「御影!
俺と決闘しやがれ!
俺が勝ったら澪ちゃんは俺のもんだ!」
田岡先輩は、警官達が自分に何もしてこないことに自分の行動を優先したらしい。
そんな彼の言葉に、今の状況を必死になって考えていたヌイの思考は消散する。
「はい?」
今の状況とは全くと言っていいほど関係ない名前が出たことで、一瞬頭の中が真っ白になったヌイ。
思わず聞き返してしまう。
「澪ちゃんを賭けて決闘だ!
丁度そこに見物客もいるみたいだしな!
正々堂々とヤリ合おうじゃねえか!
何だか知らんが今の俺はすこぶる調子がいいみたいだからな!」
全く自分の知りたい状況については説明されなかったヌイだったが、何となく納得していた。
なるほど、彼は田岡一人だ。
そう認識した瞬間、ヌイは今まで感じていた恐怖が消えていくのを感じた。
何を恐れることがあったのだろうか。
そして思い出すのはあの日の約束。
「...怪我せずぶっ飛ばしてやる。」
小さな声でつぶやくヌイ。
今まで情けない声で逃げ回っていた男の声とは思えない、低く怒りの篭った声に田岡一人は思わず一歩退がる。
田岡一人の視界には、怒りの表情を浮かべた男が。
「筋肉ゴリラ野郎。
一回ぶっ飛ばしてやる。」
しっかりと目を合わせ告げたその言葉は、決闘のゴングになったようで、ヌイは思い切り駆け出す。
その頭の中には、田岡一人の現在の状態や、魔暴化について、黒い部屋での本の内容などを考える領域など微塵も残っておらず、ただ目の前の筋肉ゴリラをどうぶっ飛ばすか、ただその一点に思考は集約していた。
そんなヌイの様子にニヤリと口元を歪めて迎え撃つ筋肉ゴリラ。
一体どんな攻防が繰り広げられるかと、周りの野次馬と化した警官達は固唾を呑んで見守る。
もはや、拘束するタイミングを完全に見失ってしまっていた。
そんな彼らの予測に反し、決闘は一方的なものとなる。
筋肉ゴリラが消え、ヌイの背後に現れ拳を突き出す。
全くの死角から繰り出されたその拳に、まるで背中に目があるかのように見もせず躱すヌイ。
そのまま腕を掴み背負い投げの要領で地面に叩きつける。
何度も死に戻りを体験したヌイの肉体は、筋肉の塊を易々と投げ飛ばせるまでに至っていた。
「..ガハァ!」
地面に叩きつけられ、呼吸ができない筋肉ゴリラに向かって拳を振り下ろすヌイ。
「グッ!」
呻き声を上げながら間一髪のところで姿を消し、距離を取る筋肉ゴリラ。
呼吸を整えようとしている彼に、間髪入れず【スキル】を使用するヌイ。
「なっ!?」
驚きの声と同時、床に膝をつく。
【風魔術】によって押さえつけられた彼は"空渡り"すらもできないのだろう。
必死に押しつぶされないように耐え続けている。
地面には亀裂が走り、どれ程の力で押さえつけられているのかがうかがえる。
そんな筋肉ゴリラにゆっくりと近付いていくヌイ。
もはや、身動き一つ取れない彼に拳を振りかぶる。
「...歯ァ食いしばれ!」
バキィッ、と嫌な音を鳴らしその巨体を宙に浮かべる筋肉ゴリラと、やりきった感を醸し出し天に拳を突き上げるヌイ。
そんな彼らを見つめるのは呆然と立ち尽くす警官の面々。
その中には、今しがた追いついたウォンさんの姿もあった。
丁度追いついたのだろう、何が起こったのかわからずコツコツと音を鳴らしながら走ってヌイの近くにやってきた彼女は、視線でヌイに説明を求める。
そんな彼女の様子に冷静さを取り戻したヌイは、どう説明したものかと頭を働かせる。
そんなヌイの元にフラフラと近付いてくる影。
ヌイとウォンさんの二人はその人物に警戒を強め、注視する。
ヌイの元までやってきた筋肉ゴリラ...田岡一人は、直前で膝を折り、ヌイの体に縋り付く形で触れる。
特に危険を感じなかったヌイは、その行動を受け入れ田岡一人の様子を伺う。
ウォンさんは一歩下がり、何が起こってもいいように白武具に手を伸ばす。
「...うぅ、うっ!
お前はやっぱり男だ!
負けた!」
それと同時、パタパタと足音がして顔を出したのはカイン、リョウに原田先輩の三人。
「なんだこれ。」
そんな呟きが聞こえた気がする。
「と、とにかく!
田岡一人、お前は一度署の方で話を聞かせてもらおうか!」
そう言ってウォンさんは、慌てて白武具で筋肉ゴリラを拘束する。
もはや抵抗する気もないのかワンワンと泣きながら連行されていく彼の後ろ姿に、なんとも言えない哀愁を感じる。
それに連なって、その他の警官達も警察署へ戻っていく。
そんな姿を見ていると、ウォンさんが振り向く。
「すまないが、こちらも対応に時間がかかる。
今日は少年等は帰ってもらって構わない。
後日また話を聞きたいが、よいか?」
「あ、はい。」
「すまない。
協力感謝する。」
黙って見送る四人組。
「じゃ、じゃあこれで?」
「あ、うん。
協力ありがとう。」
原田先輩の言葉にカインが答える。
「じゃ、じゃあ自分も戻るよ。
今日は協力ありがとう。
あと、危険な目に合わせてしまって。
本当に申し訳ない。」
伏し目がちに告げるカイン。
そんな彼にリョウが答える。
「いえいえ、結局誰も怪我してませんし、ねえ?」
そう言って視線を交わす三人。
「あー、そうですよ。
あとは警察の方に任せます。」
「御影も無事だったことだしな!
あとはよろしくっす!」
そんな三人の笑顔に伏せていた顔をあげ少しはにかむ。
「そう言ってもらえるとありがたいよ。
じゃ、また後日伺います。
一応連絡先メモらせてもらっていい?」
「はい。」
軽く連絡先を伝ると、警察署に帰っていくカイン。
三人になった彼らは誰ともなく笑い出す。
「さっきまで恨むとかなんとか言ってたのがひどく滑稽だよ。」
「ああ、そうだな!
的外れもいいとこだ!
てか、御影のほうで何があったんだよ。」
「何?
何の話?」
「ああ、さっきな...」
今までの経緯を話し合う三人。
彼らの表情には満面の笑みが浮かんでいた。




