夕日と二人
狭い部屋に男が一人。
そこは暗く、重い雰囲気が漂っていた。
手には飲みかけの缶ビール。
小さなテーブルの上には飲み終わった酒類が散乱している。
テレビには砂嵐が流れており、深夜であることが伺える。
男は涙で顔をぐちゃぐちゃに濡らし、ひどい様相だ。
顔は赤く、目はどれがけの間泣いていたのか真っ赤に腫れ上がり、髪も髭もボサボサ。
手に持った缶は小刻みに震えており、目の焦点もどこにあっているのか、まるで死人のような形相である。
それでも飲みかけの缶を口に運び、一気に流し込む。
まるで何かから逃げるように、酒を飲むという行為に集中している男。
そんな男の姿はかれこれ7時間ほど続いており、あまり見ていられるものではない。
只事ではない様子のその男は、どれくらいぶりか、新しいアクションを起こす。
持っていた缶を何処かへ放り投げ、おもむろに立ち上がろうとする。
部屋に散らばっている酒の種類は様々で、これをこの男一人で空けたというならば、立ち上がれる筈もないだろう。
その推測は確からしく、男が立ち上がることはなかった。
そのままの姿勢で後ろ向きに倒れこんだ男は、それに気にした様子も見せず、這うように移動を開始した。
そのまま転がるように階段を降り、誰もいないリビングへと到着。
尋常じゃない音を垂れ流しながら階段を駆け下りてきた男を心配する気配は全くない。
男はそのままあちこちを強打した体を気にすることもなく、亡者の如く何かを手当たりしだいに探しているようだ。
食器の割れる音や扉が壊れる音が反響し、暗い家の中は空き巣に狙われた後のように物が散乱し始めた。
リビングへと辿り着いた時にはすでに至る所に青痣が浮き上がり、今にも死にそうな男だったが、何かを探し出した時には、割れた破片で切ったのか体は血に染まり、まるでゾンビだ。
そんなゾンビのような見た目に変貌した男は、手に握りしめた何かを見て初めて笑った。
その笑みは、およそ人間の表情ではなく、決定的な何かが欠けているような、異常な恐ろしさがあった。
ぬらりと血に濡れた腕を気にすることなく、手にした小瓶を鬼気迫る様子で空け、中身を全て口に含む。
それをバリバリと噛み砕いた彼は先ほどまでの気持ち悪い笑みを一瞬消し、酷く人間らしい哀しい表情をしたあと、泡を吹いて痙攣し始める。
痙攣がおさまった男はその後、永遠に目を覚ますことはなく、後には散乱した部屋のみがあった。
***
「...うっ。」
目を覚ますとそこには心配そうに飛び回るハクとぴったりと寄り添ったレイの姿があった。
「ありがと。」
そう言ってレイとハクを撫でる手が震えているのに気づいた。
不安が俺を包み込む。
俺はこの世界にただ一人になったんじゃないかと、そんな有り得ないことを考えながら、触り心地の良いレイに思いっきり抱きつく。
そうすると少しだけ不安が薄れる気がするのだ。
レイは何も言わないけど、ふるふると震えて俺を安心させようとしてくれる。
そんな気がする。
ハクも俺の背中に大の字になって張り付いている。
必死に俺を安心させようと頑張っているみたいだ。
なんだか客観的に見た構図を想像してしまって思わず笑ってしまう。
「もう大丈夫だよ。
ありがと。」
そう言うと2匹は嬉しそうに俺の周りでじゃれ合う。
その光景を見て心が洗われていくのを感じる。
やっぱ可愛いなこいつら。
***
「おはよう。」
「おう。」
「行こっか。」
リョウとシンの二人と一緒に登校する。
今日はクラスマッチ当日だ。
「二人とも〈チーム戦〉頑張ってね。」
「明日だけどな。
ま、やるからには本気でいくぜ。」
クラスマッチは2日に分かれており、1日目はバスケ、ソフトボール、バレー、サッカー、卓球、テニスの6種類開催される。
全ての種目の中から最低一種目は出なければならないらしく、何種目も掛け持ちする者から控えめに一種目のみ出場する者まで様々な人がいる。
ちなみに俺は見た目だけで全種目出場させられてしまっている。
曰くスポーツマンっぽいらしい。
...くそ。
ほとんど無表情変態と暴力エルフのせいだったりする。
いつかなんとかして仕返ししてやる。
そして、2日目はチーム戦と個人戦のトーナメントを行う。
チーム戦は三学年合同で行われ、それぞれ各クラスから2チーム選出されているため、42チームのトーナメントとなる。
もちろん学年が上の方が有利であるのだが、こればかりは伝統のあるものらしく文句を言っても仕方がない。
次に個人戦であるが、こちらは各学年での開催になるらしい。
特に制約はないが各クラスから一人以上は出場しなければならないらしい。
こちらはなんとか免れることに成功した。
さすがに二日間全種目連続出場は可哀想という担任の鶴の一声で逃げ切ったのだ。
ありがとう木下先生。
個人戦だが、うちのクラスからは早乙女さんが出場することになっている。
一番に立候補していた。
血気盛んである。
意外なことに暴力エルフことアリスは出場しようとはしなかった。
てっきりその二人が出るかと思っていたのだが。
実際は早乙女さんと田中くんの二人のみの出場となっている。
個人戦はトーナメントではなく、総当り戦らしく最終的な戦績で順位をつけるらしい。
もちろん俺は早乙女さんと田中くんを応援するつもりだ。
「そう言えばリョウは何に出るの?」
ふと気になったため聞いてみる。
「僕はね、シンにバスケを勧められて。」
「ああ、こいつは意外と背が高いからな。
いるだけで役に立つと思ってな。」
ああ、確かに。
普段は猫背のため、あまり感じないが確かに高一にしては背が高い部類に入る。
「本当はひっそり卓球とかやろうと思ってたんだけどね。
お陰で毎日練習大変だったんだから。」
恨めがましくシンを睨むリョウ。
シンは下手くそな口笛で誤魔化そうとしている。
本当に仲いいな。
「じゃ、もしかしたら戦うかもな。」
「ヌイの場合何やってても当たるじゃん。」
確かに。
「俺はサッカーだからな。
ぜってえ負けねえかんな。」
「やるからには勝ちにいくよ。
こっちにはサッカー経験者6人もいるんだからね。」
「なっ、ずりーぞそれは!」
そんなこと言ったってそうなったもんは仕方ない。
俺は背が高いからゴールキーパーだし、全部止めてやる。
そんな風にクラスマッチの話で盛り上がっていると、学校に着いてしまった。
いつもより登校時間が早く感じたのは、きっとなんだかんだで楽しみだったからだろう。
「よし、じゃ、またな。」
「うん。
またね。」
二人と別れて教室へ。
扉を開けると黒板には、絶対優勝やら初戦突破など高校生らしい文字の数々が。
なんだかテンション上がってきたぞ。
「「あ、おはよ!」」
「おはよ。」
「おいみんな!
今日のヒーロー様がやってきたぜ!」
「ちょ、やめてくれよ!」
扉前で談笑していた佐々木さんと林さんのコンビに挨拶を返した俺は中山くんにおちょくられる。
最近はいつもこんな感じである。
佐々木さんと林さんはいつも二人で楽しそうに談笑している。
今回のクラスマッチではテニスのダブルスに出るらしい。
本当に仲良しだ。
中山くんはいつもこんな感じでクラスのムードメーカーである。
いつもふざけているが、本当に嫌がられることはしないナイスガイである。
彼は顔が広く、いつもいろんな友達に囲まれている。
...羨ましい。
「やっときたの?
遅いわよ。
怖気づいてこないのかと思ったわよ。」
「うるせえ、暴力エルフ。
俺はお前を許しちゃいねーからな。」
そうだよ。
お前が推薦とかしなけりゃ全種目出場なんてバカな話にはならなかったんだからな。
「だ、誰が暴力エルフよ!
ぶっ飛ばすわよ!」
「もうぶっ飛ばされてるんですけど。」
逆さまになった視界には腕を振り抜いた形の暴力エ、アリスの姿が。
むう、まったく見えんかった。
日に日に成長していやがる。
...いや、俺じゃなかったら洒落になってねえっつの。
「もー、いっつもいっつもぶん殴られるってわかってるのにそういうこと言って。
実はそういう人種なのかな?」
無表情で告げる山岡はどこから現れたのか俺の真横で体育座りしている。
本当にどっから湧いたんだよお前は。
「うるせえよ。
大体お前も許してねーから。」
「やだー、女々しい男はモテないよ?」
うるせえ。
無表情でウインクすんな。
「あら、おはようございます。
そんな所で逆立ちしてどうされたんですか?」
本当に不思議そうに早乙女さんは告げる。
「いや、なんでもない。」
そう言って立ち上がった俺は周りの視線を一気に受けているのに気づいた。
な、なんだよ。
「はー、朝から夫婦漫才はやめてくれよー。」
「「だ、誰が夫婦(よ!)だ!」
息ぴったりに言い放った俺たち二人の声に教室中で笑いが起こる。
...もういやだ。
「おらー、席つけー。」
木下先生がやってきてその場は収まる。
そのままSHRが始まる。
今日は思いっきり楽しめとか、負けても悔いは残すなとか、熱くなりすぎて喧嘩すんなとか。
最後はなぜかアリスと俺の二人を見て言ってたような気がする。
「よし、じゃあ移動だ。
廊下へ並べー。」
そんなこんなで体育館へ全生徒と職員が集まりクラスマッチの開会が宣言される。
よーし、やるからには全力だ。
勝ちに行ってやる。
「おーい、バスケチーム集まれー。」
「こっちはサッカーだー。」
「卓球、ダブルス組んで。」
「じゃ、バレーはポジション確認するよ。」
「ソフト準備運動やっぞ。」
「テニスはラケット借りに行こー。」
...俺はどうすりゃいいの?
呆然と立ち尽くしているとどこから現れたのか山岡が告げる。
「最初に試合があるのはソフトだよ。」
「どーも。」
山岡に助けられるのは癪だが仕方ない。
...本当に癪だが。
***
「おおー!
すげーぞ御影!」
「「きゃー!
御影くーん、かっこいー!」」
「ナイスプレイだ、御影!
その調子!」
「あ、次こっちだぞ、御影!」
「いや、こっちの方が先だ!」
「先に選手登録済ませて!」
「ちょっと!
遅れたら出場できねーぞ!」
「御影が足りん!」
「こっちも御影欲しいんだがー。」
「後にしてくれ!
こっちは本当にギリギリなんだ!」
「その後こっちね。
ポジションはキーパーだから。」
「道具先に持っとけ。
次が押してんぞ。」
「走れ、御影!」
「ギリギリ間に合った!」
「動きのキレが悪いぞー!」
「はい、次はバレーだから!」
「いや、ソフト二回戦始まるぞ!」
「その前にテニス!」
「おい!
御影まだか!」
「御影!」
「おせーぞ、ヌイ!」
「いいぞ!
御影いなかったら負けてたぜ!」
「ヒヤヒヤさせないでよ御影くん。
来ないかと思ったよ。」
「こっちも御影不足だ!」
「御影足りんぞ。
もう分裂しろ!」
「御影足止まってんぞ!
頑張れ!」
「御影ならやれる!」
「「がんばってー、御影くーん!」」
「お!
ナイスガッツだ、御影!」
「さすが御影!
お前のお陰で勝てた!」
「そんなのいいから次こっちだぞ!
急げ!」
「休んでる暇ねーぞ!」
「あいつもうすぐ死ぬんじゃね?」
「おい、大丈夫かよあいつ。
ずっと走り回ってんぞ。」
「おら!
こっちには御影がいるんだ!」
「みんなー、ヌイが倒れてまーす。」
「な、大丈夫かよ!」
「なんでお前そんなに落ち着いてんだよ!」
「運べ運べ!」
「次こっちに御影いるんだけどー。」
「こっちもだ!」
「いや、流石にこれは無理だろ。」
「いやー、叩いたら起きるよー。」
「「「...鬼かよ。」」」
***
途中意識を失った俺は何かに叩き起こされた気がする。
もう何が何だか覚えていない。
常に走り回ってた記憶しかない。
...クラスマッチ怖い。
本当に死ぬかと思った。
もう、みんな敵だった。
褒められたと思ったらすぐに駆り出され怒鳴られ、昔の俺だったら4回は自殺してる。
「いやー、御影のお陰で1日目は一組がトップだぜ。」
一人で体操座りして震えていた俺に声をかけてくれたのは中山くんだった。
「さすが御影だ。
今日のヒーローは誰がなんと言おうとお前だぜ!」
...中山くん。
思わず涙が出そうになった俺は、彼に人が集まる理由がはっきりとわかった。
...中山くん、いい奴だ。
「ありがとう。
そう言ってもらえると報われるよ。」
「ははは!
報われるってなんだよ!
みんな思ってるよ、そんなこと。
御影がいなかったら一回戦勝てたかどうか。」
そう言って背中を叩く中山くんは凄くいい男だった。
俺が女だったら惚れてるね。
男の今でも揺らいでるんだから間違いない。
そんなバカみたいなこと考えていると続々と一組のみんなが集まってきた。
「御影お疲れ。」
「お前がいてくれてよかったよ。」
「御影くんかっこよかったよ。」
「そういえば、ファンクラブまでできてたよ。」
「御影さまさまだな。」
「まあ、御影の割にはよかったんじゃないかしら。」
あの暴力エルフさんまで俺に繕いの言葉をかけてくれた。
みんないい笑顔である。
いまにも担ぎ上げられそうな勢いがある。
がんばってよかった。
こんなに大勢の人に感謝されるのは初めてかもしれない。
少し涙目になってしまう。
「そ、そんなことないよ。
みんなの力だよ。」
そんな恥ずかしい姿を見られたくなくて、俺はその場をそそくさと後にする。
夕日が差し込む廊下を通り、外へ向かう。
見られてしまっただろうか。
それを確かめる術はもうない。
何の気なしに歩いた先にはテニスコートがあった。
夕日で染まったコートはなんだか寂しげで、ノスタルジックな気分に陥る。
気恥ずかしくなってきた俺は、なんとなく一人でテニスの壁打ちを始めた。
なんか動いているうちは恥ずかしさが紛れていくような、そんな気がしたのだ。
「あ、こんなとこにいたんですね。」
しばらく壁打ちを続けていると声を掛けられた。
振り向くとそこには早乙女さんがいた。
「やあ。」
ちょっと前まで涙目だった俺は、悟られないように素っ気なく返事をしてしまった。
「もう今日のクラスマッチは終わりましたよ?
帰らないんですか?」
「ああ、そうだね。
そろそろ帰るかな。」
そう言ってラケットとボールを貸し出し所に運ぶ。
「がつっ。」
なんとも気の抜ける音が後ろから聞こえ、振り返る。
そこには変なフォームでボールを打つ早乙女さんの姿が。
持ち前の身体能力の高さでなんとか壁打ちを続けているが、なんともかっこ悪い。
「むう。
難しいですね。
御影繡さんはすごいですね。」
「いやいや、そんなコトないよ。
グリップの握り方が違うからだよ。
ここをこうして持つんだ。」
そう言って持ち替えさせる。
そして打ち始めた彼女の動きはさっきまでとは違ってスムーズなものとなった。
「御影繡さんは物知りですね。」
いつか聞いた言葉を言われ思い出す。
彼女はトレイの持ち方も知らなかったんだっけか。
思い出して少し笑ってしまう。
それを見た早乙女さんはむすっとしてそっぽを向いた。
「どうせ私は世間知らずなんですよ。」
「いやいや、そんなこと思ってないよ。」
「じゃあ、なんで笑ったんですか?」
じいっと見つめられた俺は何も言えない。
「...ごめんなさい。」
「...ふふ。
いいんです。
その通りなんですから。」
そう言って少し表情が軽くなった彼女。
「...御影繡さんは本当にすごい人です。
みんなのためにあんなに走り回って、結果も残して、流石です。」
「いや、ただがむしゃらにやってただけだよ。」
本当にそうだ。
もう何をしていたか記憶にもない。
ただ足を引っ張らないように全力で走り回っていただけである。
死ぬかと思った。
「それがすごいんですよ。
私なんか足を引っ張ってばかりで、どう頑張っていいのかもわかりませんでした。」
そう言って悲しそうに下を向く彼女。
「御影繡さんを今日1日見て、すごいなって思ったんです。
上手いとか下手とかそんなんじゃなくて、一生懸命やってた姿に私は心を奪われ、魅入ってしまいました。」
真面目な顔でそう言う彼女。
なんと答えていいものか。
沈黙と夕焼けが俺たちを包み込む。
「...とにかく、御影繡さんはこれ以上ないほど頑張っていました。
胸を張るべきです。
では、明日はよろしくお願いします。」
そう言ってパタパタと走り去っていく彼女。
俺はその後ろ姿をぼーっと見つめることしかできなかった。
今のは励ましてくれたんだよね。
早乙女さんなりに繕ってくれたんだよね。
ああいうあれじゃないよね。
別に特別なあれじゃないよね。
俺の顔は彼女の顔と同じかそれ以上真っ赤に染まっていただろう。
これはきっと夕日のせいだ。
そんなことを考えながら、ふらふらと帰り道を一人歩く。
「明日かー。」
わざと声に出して頭を明日のチーム戦に切り替える。
大将をいかに守りきるか。
...大将か。
拭えない彼女の真っ赤な顔をブンブンと頭を振って消し去ろうとする。
さっきのあれはどういう意味だったんだろうか。
もう、頭の中はそれで一杯だった。




