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海峡を越えて(仮)  作者: 飛龍頭
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丘の上には馬が眠っている。まつげが長い。一頭が首を持ち上げて、遠くを見る。丘の向こうには海が広がっている。青草の匂いが鼻に付く。初夏の日差しが腕の皮膚を焼く。車越しで馬を見るのは、いつ以来だろう?初めてではないのは確かだ。そうだ、あれは外国の・・・

私はサイドブレーキを下ろし、車を発進させた。道はまだまだ続いている。山沿いの道は崖のように切り立っており、下は海だ。

*

車を海岸沿いの道を走らせ、島の北端に着いた。ここからは、国境の向こうにある、隣国が見えるという話だった。しかし、今日は白い雲が、ぼんやりと空を覆っている。晴れてはいるが快晴ではない。遠くの方まで、うまく見渡せない。

*

国境の向こうには、故郷が見える。ただそれをひと目見たいがために、この島の、その北端までわざわざやってきたのだ。どうか、晴れてくれないか。一瞬でいいんだ、と私は祈った。しかし、何に?私は特定の宗教に対する信仰は持ち合わせていないし、だとすれば、神(あるいは、それに類するもの)に祈ったとは言えない。

よくはわからなかったが、とにかく、私は雲が晴れて故郷がちらりとでも見えるのを望んだ。しばらくたっても、雲は晴れない。厚い、白い雲に覆われた海の彼方には何も見えない。

やってしまった。私はそう思った。こんな山奥までわざわざ来ておいて、目的を達成できなかったとすれば、それは全く持って無駄骨ではないか。大変困った。選択肢はそれほど多くかなかった。しばらく待つか、諦めて帰るかだ。私は後者を選んで、車に乗り込んだ。

*

その島の繁華街(というには寂しすぎるが)の居酒屋で食事をとった。あなごの天ぷらを塩で食べた。衣はサクっとしており、噛むと肉汁が溢れる。これは、うまい。ゆず胡椒で食べる。やはり、これもうまい。ビールが進む。渇いた喉に染み渡る。よく冷えている。

一心地つくと、これからの予定について考えた。しかし、これといって、考えることはなかった。晴れるまで、この島で滞在するか、家に帰るか、だ。ビールをもう一杯頼もうか迷っているうちに、隣の席のおじさんに話しかけられた。

「日本の方ですか?」おじさんはこの店の常連のようだ。どことなく肉体労働者だろうなと思わせる雰囲気があった。

「ええ、そうです」私は、小声で返す。

「では、どちらから?」

「東京です」

「東京ね。若いころに行きました。船乗りをやっていたんです。東京、横浜、神戸・・・。」

私は適当に相槌を打ちながら、おじさんの話を聞いた。それによると、おじさんは今は土木関係の仕事をしているらしい。最初の直感は当たっていたわけだ。

話が宙ぶらりんになって、なんとなく間が開いたところで店を出た。東京だったら、こういう店には入らないだろうな、と思った。個人経営の店で常連が、新入りの客に話しかけるような・・・。まあ、いい。これは旅行だし、選択肢が他にそれほどなかったのだ。あの店で会った人たちとは、もう二度と会わないだろうな、と思った。

店を出るとホテルに向かった。とても年季の入ったホテルだ。平たく言うと、かなりボロい。看板が無ければ廃墟だといっても疑う人はいないだろう。玄関で、予約した名前と看板の名前が一致しているのを確認してから、私はドアをあけてホテルに入った。

*

ホテルのフロントにはおばさんがいた。年は50代か60代くらい、髪は緩やかなパーマを当てており、茶色に染めている。部屋は最上階にあった。廊下にある階段から、屋上に行けた。屋上では物干し竿が3列ほど並んでおり、洗濯物が干せるようになっている。屋上までの手すりは金属製だが、錆びて、赤茶色の地が見えている。錆びの匂いが鼻を付く。部屋に戻り、TVをつけた。この地方のテレビ局の放送しか入らないようだった。放送では、この町で近々行われる祭りの告知をやっていた。私をそれを見るともなしに見ながら、横になった。廊下の本棚にあった漫画を手に取る。コンビニで売られている、カバーが薄くて、ページ数が多い漫画だった。しばらく横になっているうちに、眠りが訪れた。静かで、深い眠りだ。

*

結局は、東京に帰ることにした。船で本土にもどり、そこから鉄道に乗った。鉄道の車内は快適だった。駅弁を買って食べた。蟹飯だった。ほろほろした蟹の肉がご飯とよくあう。売り子を見つけて、ビールを買い、それをあけた。

*

東京に戻ってきた。地下鉄に乗り継いで、最寄り駅に着く。そこから、10分ほど歩けば我が家だ。途中の道は、上り坂、下り坂があって、いい運動になる。我が家はマンションの三階の一室だ。久しぶりの家の中は空気が滞っていて、古い布きれのような匂いがする。私はまっすぐ窓まで歩いていき、全開にした。むあっとした、熱気が部屋のなかに入ってくる。これでいい。私は扇風機をつけた。

*

部屋の中で何日、寝ただろうか。腹が減った。冷蔵庫の中には、すぐ食べれそうなものはない。外に出て、買出しにいかねばならない。ぬるいシャワーを浴びて、服を着た。外に出ると日差しがまぶしい。目にしみる。近くのスーパーまで2分ほどで着いた。ビールと、スナック菓子類を買った。何をしてるんだろうな、と私は思った。このままではいけない。いいから、外へ出るんだ。外の世界へ。

*

家に戻って一心地つくと、私はベトナム行きの片道切符を予約していた。旅に出よう。ここにいても仕方がない。外に出るんだ。外の世界にはきっと・・・。出発は4日後だった。私はパスポートの期日に余裕があるのを確認した。

*

出発の日。25リットルの登山用のザックに衣類をつめこんだ。あとはパスポートと財布と携帯があれば何とかなる。

空港で日本円を少しドルに替えた。ゲート前には2時間近く早く着いていたので暇だった。携帯を弄りながら時間をつぶす。

やがて搭乗の時間がやってきた。国外に出るという実感はまるでなかった。いつだってそうだ。いつもないなら、なぜそのような実感があるかどうかを毎回確かめる必要があるのか。ないな、私はそう思った。ただ、習慣の問題なんだろうな。一種のお決まりのパターンなのだ。外国に旅立つ直前に、国を離れるという実感があるか確認する。そんなものは無くたっていいし、確認する必要はない。ただ、せずにはいられない。

*

ベトナムのホーチミンシティの空港に着いた。メーターのない怪しいタクシーを避けて、信頼できる会社のタクシーを探す。この街は初めてではないので、そういった手のことについては慣れたものだ。乗り込むと、私は運転手に行き先を告げた。市内にあるベトナムの郷土料理屋だ。鰻のスープがうまい。スパイスが効いていて、日本にはない味付けだ。これが食べたかったんだよな、としみじみ思った。実際に店に着いて、そのスープを口に運ぶと、口のなかに酢の酸味と鰻の肉汁が広がる。サイゴンビールを飲む。うまい。料理屋は木の色を基調とした、落ち着いた内装をしていた。カップルや、友人同士だと思われる二人組が静かに食事をとっていた。

*

その日は近くのゲストハウスに泊まった。室内の注意書きなどはすべて英語で書かれていた。欧米系の旅行者を主な客層としているのだろうな、と推測した。部屋は個室を選んだ。相部屋のドミトリーに比べると値段は高いが、今日は長旅で疲れていたし、一人きりになりたかったのだ。室内にはダブルベットと洋服を掛けるポールスタンドのほかに何もなかった。風呂とトイレは共用だった。私はすぐに荷物をおろして、ベッドにもぐりこんだ。まぶたが重かった。

*

その日、私は夢を見た。正確には、目が覚めた時点で、夢を見た、という実感が残っているだけであり、その夢の内容は思い出せなかった。ただ二つの顔が頭に浮かんで離れなくなっていた。口角を上げて、歯を見せて笑う憎たらしい顔。それは以前勤めていた会社の社員であった。そのうちの一人は入社時期が自分より3年早く、もう片方は同期だった。会社員だった頃を思い出すと、胃の底のほうが鈍く痛んだ。私はトイレに行き小便をしたあと、歯を磨き、顔を洗った。備え付けのフェイスタオルで顔を拭く。気分はいくらかましになった。いやな気分になったのは、悪夢を見たからではなく、夢の世界から現実に引き戻される過程で過去を思い出したからだと思った。

*

午後には人と会った。名前はケリーと言った。彼女はベトナム人であり、私は彼女にネットを通じて日本語を教えていた。ケリーはその時のハンドルネームで、本名はしらない。今では彼女は流暢に日本語を喋る。ゲストハウスの近くのカフェで待ち合わせをした。

「お久しぶりですね」ケリーは言った。私たちが実際に会ったのは、三ヶ月前の旅行の時が始めてであり、今回が二回目だった。久しぶりというには、それほど月日は経っていなかったが、そのことに関して私は何も言わなかった。

「久しぶりだね。元気にしてた?」

「まあまあです」私はケリーの近況を聞いた。名古屋にある日本語学校に進学するつもりであること、そのための資金が要るので新しくアルバイトを始めたことなどを。その後、私が話す番になって、会社を辞めたことを伝えた。

「どうして辞めたのですか?」

「旅行に出たくなったからだよ」私は言った。それは確かに理由の一つではあったが、それだけではない。「この数ヶ月は旅行ばかりして暮らしていたんだ。ベトナム、シンガポール、マレーシア、フィリピン、韓国・・・いろんな国に行ってみて、今ではもう満足しているよ。」

「これからはどうするんです?次の仕事は探していますか?」

「一般的な意味での就職活動はしていないし、これからもしなくて済むならしないつもりだ。実は最近、小説を書いているんだよ。最初はフィクションを書こうとしていたんだけど、途中から半自伝的というか、自分の身に実際に起こったことを織り交ぜて書いている。この小説は、どこかに発表して大勢の人に読んでもらうためというよりも自分のために書いているようなものなんだ。小説を書いていると癒されるんだ。昔あったつらいことや悲しいことを人に聞いてもらうのと同じような効果があるのかもしれないね。心理療法的な意味合いでのカウンセリングなどと似たような効用がある気がする」

「どんなつらいことがあったんですか?話して楽になるなら話してもいいですよ。聞きますから」

「いろいろある。根本的には家庭の事情なんだろうね。私は昔から家族との仲があまりよくなかったんだよ。とくに母親との関係は良好とはいえなかった。母は2年前に亡くなった。でもまだ許せていないんだ。亡くなったときも、悲しみよりも憎しみが強かったし、正直言って、母を失ってからのほうが気持ちが楽になった。」

「お母さんに何かされたんですか?」

「その質問には答えにくいね。いや、答えられるんだけど・・・母は子供の頃から病を患っていたんだ。精神科に通っていた。躁うつ病だと診断されていたらしい。それとは別に、私が小学校の3年だったか4年だった頃に身体の病気にもなったんだ。乳がんだった。片方の乳房を全摘出した。数年後にはもう片方の乳房もとって、さらに数年後には子宮がんにもなって、子宮も切除した。最終的にはがん細胞が脳にまでまわって、がん性脳髄炎で死んだ。最期のほうは寝たきりになっていて、介護は父と姉にまかせきりだった。」と私は言った。「ずっと病に侵されていたせいか、ものすごく気性が激しかった。ひどいことも言われた。八つ当たりなんじゃないかと思った。今でも思ってる」

「気の毒に・・・元気だしてね」

「ありがとう。でも、もういいんだ。もう終わったことだから」

「でも、あなたは今も苦しんでいる。そうでしょう?」

「まあ、そうだね・・・時間が経てばこの苦しみも癒されると思ってる」

「あと、小説を書くことによっても」

「だといいんだけど」私たちは店を出た。勘定は私が払った。

*


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