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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

元騎士と狼王

作者: 神榛 紡

 殺し合いは怖い。

 鼻を衝く血の匂い、負傷者の呻き声、死に際の断末魔、そして、手に残る死の感触。どれもこれも、ここに居続ければこうなるという未来を突き付けてくる。

 それでも、殺さなければ生きてはいけない。いや、ただ殺すだけでは駄目なのだ。派手に、より見るモノを楽しませる事こそが我々に課せられた使命なのだから。

 

 「だから、仕方ないんだ」

 

 地に横たわる人型、いや、もはやそれは人型とは言えないだろう。両腕が潰れ、片足が吹き飛び、そして頭が切り離されて転がっている。

 何の心構えもなく見てしまえば胃の中身をぶちまけてしまうような状態だが、もはや慣れたものだし、何より、これを、この惨状を生み出したのは他でもない己自身だ。

 自分でやった事に後悔して吐くなどという資格は、私にはない。

 私は今日もまた生き残るために、そしてここから、この闘士という身分から解放されるために、例え心底軽蔑している観客や主催者相手だろうと卑しく媚びを売り、そのための死山血河を築き上げる。今私が考えるべきはこれまでの死者を悼むことでもなく、これからの死者に苦悩する事でもない。

 

 「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 声を張り上げて両腕を天へと掲げる。まるで野生の獣のように見えるだろう私に返ってくるのは今日の『ショー』を楽しんだ歓声であり、敗者に賭けていた者達の罵声である。

 心を殺し、全ての方向へとアピールして立ち去らねばならない。お前達のために今日の朝まで同じ釜の飯を食らった同胞を殺した訳ではない。お前達のくだらない娯楽のために私達は生きているのではない。そう叫びたくとも、涙を流して悲しみたくとも許されぬ自らの矮小さを呪い、業を憎悪して猛る。

 百戦連勝。それがここにおける解放の条件。それさえ成せば、無一文であるが外へ出られる。出られさえすれば、鍛え上げた肉体と技量、認めたくはないがここでの名声を使って護衛や用心棒として働き、日銭を得られるだろう。

 そうして檻へ戻るために入ってきた通路を振り向き、未だ下りたままの鉄格子に嫌な予感が走る。

 

 「審判!『さあ、前座が終わったところで今回のメインディッシュ! 果たして元騎士の勇猛はかの猛獣に届くのか! 襲い掛かるは遥か東の大国にて猛威を振るった魔物! 彼の地において悪夢とまで呼ばれた異形の怪物! その名も! ベニーロイ!』

 「謀られたか! どうあっても私を生かしておくつもりはないという事だな!」

 

 私の声を遮って響き渡った、魔術によって拡大された声。それを受けて、私は貴族達が座る貴賓席を睨み付ける。ニヤニヤと品の無い笑みを浮かべるゴミクズ共を皆殺しにしてやりたいが、それよりも先に私と対戦相手が入ってきた門とは別の、第三の門が音を立てる。

 ゆっくりと鉄格子が持ち上がっていくその門の役目は、捕らえられた魔物を闘技場に放つ事だ。

 そこから現れたのは四足の獣。灰色の体に紅のラインを走らせた、人の二倍以上の巨躯を持つ狼であり、しかしその全体像は紅のラインから立ち上る陽炎によってボヤけている。

 

 「東から流れてきたという狼王。生け捕りにするとは、いかほどの犠牲を払ったのだ……」

 

 その爪は燃えることも許さず獲物を溶かし、竜の如く焔を吐き出す狼の王。苛烈な攻撃を掻い潜り、その身に刃が届いたとしても、並の武具では体毛の一本も斬る事適わず溶け落ちるという。

 この国において上位に位置する魔物の一体であり、捕獲に成功したとなればそれだけで英雄扱いされてもおかしくないほどだ。私の知るこの国の戦力では、捕獲どころか討伐ですら壊滅的打撃を被りかねない強大な存在を生け捕りにしたとなれば、この闘技場においても話が聞こえてこないはずがなく、となれば成したのはごく最近であり、惜しげもなくこの場に投入してくる事から、私への殺意の高さが窺える。

 実際、今の私の装備では、渡り合う事すら怪しいところだろう。

 

 「最後の花道としてこのような強敵を用意してくれた事に感謝すべきか、ここまでする事に呆れるべきかは分からないが、まあ、やるしかないのだろうな」

 《ガアアアアアアアアアアッ!!》

 

 静かにこちらを睨み回していた狼王がやる気になった私に反応してか、大きく吠える。鼓膜を揺さぶるそれを発した口元からは、ブレスとまではいかずとも、正面に立った際の末路を示すように炎が漏れ出ている。

 正面に立つならば斜め前、可能なら常に側面か背後を取らねばブレス一つで終わりかねないだろう。

 それに、四足の獣であるならば、後背を取るのは基本だ。

 

 「それでも楽にやれるとは思わないが、闘士ウランドロス、参る」

 

 無詠唱の身体強化を発動。同時に対火属性の防御用魔術を複数展開し、前へ出る。先ほどの戦闘において消耗しているというのもあるが、万全であっても魔物相手に長期戦は愚の骨頂。可能な限り接近し、可能な限り削って、懇親一擲の一撃で削りきる。

 できなければ、残るのは死だ。

 

 「私は、まだ死なない」

 

 紙よりマシな程度の防具で、それも正面から突進する愚か者に見えるだろう。当然のように、愚か者へと火炎の息が壁のように襲い来る。

 火属性に特化させた障壁が三枚、少しの時間を作って割れる。所詮個人の物、数秒しか持たない。

 

 「思い通りにはならない」

 

 だが、それでも数秒あれば火の壁を抜け、脇を抜けるには十分だ。

 生と死の境界線を駆け抜けるのも慣れたものである。この程度こなせなければ、私はこれまでに駆け抜けた戦場で死んでいただろう。

 一つ目の壁は越えた。そのまま薄い脇腹を切り付けたくも思うが、それよりも一歩踏み込み、回避のために前へ、私から離れるように跳んだ狼王の後ろ足を斬り付ける。

 やはり毛が硬い。僅かな体毛とほんの少しの傷が戦果で、しかしそれで良い。

 

 「なまくらだろうと強化すれば傷が付く」

 

 なら、殺せる。殺して見せる。

 そのためにも、逃がす気は無い。そのまま後ろ側に狼王を追うように跳び、着地する時には体の向きを逆へ捻りそのまま横へ跳ねるように退(すさ)る。

 真横を爪が薙ぐように通過していく。僅かに届いた赤く輝く爪が物理障壁を砕き、火属性耐性を付与した鎧に浅く、しかし確かに爪痕を刻んだ。

 

 「読み違えたか」

 

 過去最高の難敵だ。今までの経験から弾き出した最善の、そのさらに上を行く。今も、念のために施した耐性付与が無ければ、僅かな爪痕ではなく全身を覆う炎の洗礼を受ける羽目になっていたかもしれない。

 胸部の革鎧から感じる熱を感じながら、振るわれた腕を追うように踏み込んで振るわれた足の付け根の毛を少しだけ斬り飛ばす。同時に三歩分を一歩で無理矢理下がり、地面へ這うように体を落とした。

 伏せた上を、背筋が凍るような風を切る音が通り過ぎるが、それを追うように両手両足に魔術も使って移動しつつ体を起こす。

 そのまま狙うのは左後ろ足。さきほど傷つけた足首の関節だ。尻尾を振り薙いで回転した狼王の横を抜け、寸分(たが)わず剣を振るう。しくじれば折れるような、本来なら絶対にやらない愚行を、死力を尽くして成功させる。

 体力は有限で、あらゆる全てが敵よりも下回り不利であるこの状況。この程度こなせずにいてひっくり返す事ができようものか。

 

 「シッ!」

 

 死臭に吸い寄せられた蠅のように、どれほど危険であっても、幾度死を感じても離れない。この距離を失えば確実な死が待っていることを理解しているが故に、死線の上を駆け抜け、幾度となく刃を振るう。

 だが、捕らえられたと言っても王の名を戴く怪物だ。狼王の周囲の熱気、それが突如として急上昇し、狼王の周囲に巨大な火柱が複数立ち上る。

 もし、飛び退るのが少しでも遅れていれば、いかに炎に特化した障壁を張ろうとも消し炭と化すことは免れなかっただろう。観客が決闘場に張られた結界すら揺るがす火柱に悲鳴を上げるが、それすらも目の前の火が立てる轟々という死の音がかき消す。

 本当に、とんでもない相手だ。

 

 「ようやく、私を敵として認識したか」

 

 左後ろ足に歩くたびに痛みが走るだろう深さの傷を与えてようやく、狼王は私を歩く肉ではなく、明確な敵対者として認識したのだろう。できれば、もう少し慢心していて欲しかったが。

 狼王の警戒心による膠着(こうちゃく)。その間に僅かでも体力を回復させ、魔力を練り上げる。

 狼王が見から動へ移る瞬間、魔術を放つ。

 

 「【氷花】」

 

 氷属性の基本魔術。ただし数はそれだけで上級魔術と同等以上の威力を発揮するほどの数を一度に展開、射出する。

 同時に狼王側から放たれたのは蒼炎の太陽。大量の水分と高温の炎がぶつかれば、待っている結末は一つだ。

 

 言葉で表現する方が陳腐に思えてしまうような、大地を揺るがす轟音。それは観客の安全を保障するはずの障壁すら破壊してその猛威を振るう。

 しかし、それだけの力を受けてなお、王は眼前に君臨する。

 何が起きるか理解していて対策もしたが、背中から壁に叩き付けられた矮小な己と、初めての経験だっただろう強力な爆発に耐えようとした結果か左足を庇うような仕草を見せる狼王、果たしてどちらがマシな負傷具合なのか。

 

 「愚かよな、人間」

 「ふっ。愚か、か」

 「ああ。我も、貴様も、今や愚かな道化だ」

 

 低い唸るような声。観客の多くが負傷で呻くか悲鳴を上げて逃げ出す中、このように喋るのはもはやお互いしかいない。驚きはしたが、それよりも愚かという言葉に苦笑するほかない。

 

 「確かに愚かだ。私がここにいるのも、貴族達の謀略の結果だ。騎士として王国最強と呼ばれた私も、人を人とも思わぬ愚物の握る権力には勝てなかった。早晩、この国は滅ぶだろう」

 「この国だけで済めば良いがな」

 「魔族どもの事か。だが、もはや私にできる事はない。すでにこの国は奴らの傀儡で溢れ返っている」

 

 まだなんとかなると思っていた。なんとかできると思っていた。だが、現実は違った。

 

 「奴らの手は王族の中にまで伸びていた。騎士団の中枢も奴らの物となっていた。私に掛けられたでたらめな冤罪も容易に通ってしまう程にな」

 「我を捕らえたのも、魔族であった。故にこそ、問おう。この現状、どう見る?」

 

 闘気を収めた狼王が周囲を見回して言う。

 そこに広がるのは地獄絵図だ。混乱の坩堝と化した闘技場の中で、我々をまともに見ている者などどこにもいない。

 狼王の言いたい事は理解したが、それでも、実行することはできない。

 

 「私の冤罪を晴らすために、姫が動いてくださっている。お前が去るのは止めん。だが、私は……」

 「それでどうにもならないからこそ、貴様はここにいるのだろう。我と共に来い。魔族どもを叩き潰さなければ、何をしたところで好転などしない」

 「だが、それは姫を裏切ることになる」

 「そう思うのであれば、貴様が己が手で冤罪を証明せよ! 姫とやらに女々しく貴様の責を押し付けるな!」

 

 鉄塊で頭を殴られた気分だった。これまでの闘士として戦いを強要される陰鬱な日々で曇った意識が晴れ渡り、歩くべき道が見えたように思える。

 姫と交わした最初の約束「何があっても生きて姫の元に戻ってくる事」今では己を縛る鎖となっていたそれが、私を道の先へ導いてくれる(しるべ)へと変わる。

 

 「そう、か。そうだな。私は騎士だ。奴隷ではない。そうか、私はいつからか、進むべき道を間違えていたのだな」

 「理解しなのならば行くぞ。混乱もいつまでも続くものではなかろう。早急にここを去る」

 「ああ。私はいつかここへ帰ってくる。そのためにも、今はこの国に背を向けよう」

 

 翌日、国中に元騎士の男と強大な狼王の手配書が回ったが、一人と一体が捕らえられる事は無かった。

 彼らがこの地を再び踏むことになるのは数年後、この地が完全に魔族に呑み込まれた後になる。

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