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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

彼女が猫生を受け入れる時

作者: 橘アカシ

猫好きの方にかなり不快な表現があります。

基本残酷です。

……たぶん。


*作者は大の猫好きです。

一番最初の記憶は自分が女王であったこと。

物心つく前から煌びやかなドレスを着て数え切れない宝石を首に腕に指に身につけていた。たくさんの人間に傅かれ命令すれば誰もが従い、あれが欲しいと言えば人の物であろうと手に入ったし不快だと思ったものは気付けば視界から消えて無くなっていた。

そうして大人になった彼女はあることに思い至る。

この世界は自分のためにあるのだと。

彼女は贅の限りを尽くし、富を求め、美を求め、食を求め、快楽を貪った。それさえもすぐに飽きると徐に目に入った従者の首を跳ねるよう命じた。

盛大に血を吹いて倒れた従者だった男を見て彼女は言い知れない興奮を覚えた。

彼女は多くの人を殺した。殺して、殺して、飽き足らず何人も何人も殺して、殺して。

首を切って、足を切って、目を抉り出して、体を切り刻んで、赤く赤く染まった彼女はどこまでもどこまでも赤い道を進んでいった。

そんな彼女に怒れる民衆の鉄槌が下る。

残忍で強欲。民の血税を贅沢につぎ込み城に召し上げられた家族が見る影もない姿で帰ってくる。多くの者が涙し、怒りに震え、立ち上がった。

民衆の容赦ない断罪は炎となって城ごと彼女を焼き払う。

彼女は信じられなかった。なぜ自分が糾弾されねばならないのか。なぜ殺されなければならないのか。

悦楽を覚えたはずの赤は恐怖となって彼女に迫る。

誰もが逃げるのに必死で助けを求める彼女を顧みようとはしない。

彼女はやっとの思いで臣下の腕に縋った。しかしその手はすげなく振り払われた。

「全部、全部お前のせいだ!大人しい傀儡であればいいものを欲を掻きおって……っ!!お前なんぞとっとと死んでしまえ!!」

幼い頃から一番身近にいたはずの男は侮蔑の瞳を持って彼女を一瞥し燃え盛る炎の中に突き飛ばした。

彼女は悟った。世界は自分のためにあったのではなく彼らのものにするために自分は小さな世界で利用されていたのだと。

呪いの言葉を吐こうにもすでに彼女の声が届く場所には誰もいなかった。

彼女の金をつぎ込んで手入れされた肌は一瞬で溶け豪奢な絹のドレスが火を飲み込み全身が炎に包まれた。

彼女の意識はそこで途絶えた。





次に目が覚めた時。彼女は一人だった。土と雨の匂いを近くに感じ、全身が濡れているのか不快だった。そこに紛れて微かに漂う煙の臭いを嗅ぎ取り先ほどの恐怖が全身を駆け巡る。逃げないと!そう思うのに足が動かない。否、足の動かし方が分からなかった。自分の体のはずなのにどこをどう動かせばいいのか皆目見当つかず、状況を確認しようと思っても瞼も開けられない。息をするのも精一杯で苦しくてどれほど時間が経ったのか息さえも出来なくなった。




彼女は猫に生まれ変わっていた。

気づいたら本能のままに母猫の乳を吸い四本の脚で歩いていた。藁臭い納屋の一画に母猫と兄弟なのだろう健やかな寝息を立てて子猫が丸まっている。同じ目線にいるそれらに彼女は全身をわななかせた。嘘だ嘘だ嘘だ!彼女は扉の僅かに開いた隙間から飛び出し闇雲に駆けていった。どれほど走っただろう。空は夕闇に染まり、周囲を木々が取り囲んでいた。不安を感じるものの帰り道などわからない。そもそも彼女の帰る場所はあの納屋ではなかった。

帰りたい。でもどこに?

城は焼け落ち、誰も彼女の帰りなど待っていない。

彼女の猫の鼻が危険を感知する。耳に低い唸り声が聞こえ本能的な恐怖に身が竦んだ。

野犬だ。鋭い牙を剥き出し口の端からはだらだらと唾液を垂れ流している。

子猫の身に何が出来ただろうか。逃げることも叶わず彼女は野犬に喰い殺された。




彼女は何度も何度も生まれ変わった。

始めの頃は猫としての本能と人であった記憶に混乱し訳も分からないまま死んだ。

逃げても逃げても最後に行き着くのは死で、何回死のうと猫として生を受ける。死ぬのが怖くなって生きようとしてもろくでもない死に方をする。

親猫に捨てられて野たれ死に、自身よりずっと強い獣に喰い殺され、脆弱なまま生まれ病で死に。

全部の記憶を引き継ぎながら何回も、何十回も、何百回も、何千回も。死んで。生きて。死んで。生きて。死んで。生きて。また死んで。

何回も何回もどれほど時を重ねても。

時代が移り文化が変わろうとも。

死んで。死んで。奪われて。奪われて。




ああ。これは報いなのだ。たくさんの命を無為に奪った当然の因果なのだと。

炎に身罷られたぐらいでは償い切れない罪なのだと。

自身が奪い殺した人々の数だけの呪いなのだと。




諦めた彼女も一度だけ猫の生に幸せを感じたことがあった。

彼女はそれは美しい白猫として生まれた。しかし野良だったために美しい毛並みは泥に薄汚れ、どうしようもない飢餓と寒さに衰弱していた。

街角に蹲る彼女の命は風前の灯だった。そこに一人の青年が現れる。青年は彼女を丁寧に抱き上げると自身の家に連れ帰った。布を敷いたバスケットの中に彼女を寝かせ、火を入れた暖炉の前にバスケットを置く。

炎が迫る。身が焼かれる。最期の記憶が蘇り彼女は恐慌に陥った。

気付いた時、彼女は再び青年の腕に抱かれていた。

「ごめんね。ごめんね。怖かったね。火は消したから。大丈夫。もう、怖いものはないからね」

優しい声が何度も何度も繰り返し繰り返し彼女に語りかける。子供をあやすように大きな手が彼女の頭から背をいったり来たりする。

よく見ると青年は傷だらけだった。顔や腕には引っ掻き傷があり手の甲には小さな穴がいくつも空き血が滲んでいた。この傷は彼女がつけたのだろう。なのに青年は怒るでもなく大丈夫だよと繰り返す。

「少しは落ち着いたかな。ちょっと待ってね。……ほら、ミルクだよ。お腹空いただろう?今はこれだけしかないけど我慢してね」

青年はそう言って彼女の前には平皿の淵いっぱいに入ったミルクが差し出される。

飢えに勝てず彼女は恐る恐るそれに口をつけた。ピチャン、ピチャンと見る見る間に中身は減っていく。無くなりかけたところで青年が注ぎたし彼女の小さなお腹が膨れた頃顔を上げると青年は優しげに微笑んで彼女を見ていた。

彼女は無性に泣きたくなった。お腹以上に心が満たされて苦しいのに心地よかった。

それと同時に彼の優しさが痛かった。どうして人として生きた自分は彼のほんの一握りの優しさも持てなかったのだろう。

本当は寂しかった。たくさんの人に囲まれていても誰も彼女を見なかった。殺せと命じた瞬間彼女に向けられる瞳。その時だけは自身がそこにあることを実感出来た。彼女は狂気に堕ちていった。彼女を思う人間も確かにいた。傍若無人に振る舞う彼女を諌めようとした。しかし当時の彼女は聞く耳を持たず、ただ煩わしく思い悪臣の垂れ流す甘言を聞き入れてしまったのだ。真実の忠臣は彼女の元を去り、彼女にとっての敵だけが残った。

もしあの時彼らの言に耳を傾けていたら大勢の命を刈り取らずに済んだだろうか。

青年の優しさは彼女に後悔の念を抱かせる。

「どうしたの?どこか具合が悪いの?」

青年は心配そうに眉を顰め、無表情な彼女の顔を覗き込む。

ああ。なぜこの体は涙を流せないのだろう。だから彼女は代わりに鳴いた。始めて出した声はたどたどしくけれど次第に大きくなっていく。

おずおずと差し伸べられた青年の手に全身で擦り寄り言葉に出来ない思いを伝える。

「そうだね。寂しかったね。怖かったね。もう大丈夫だよ。これからは僕が一緒にいるからね」

泣き続ける彼女に青年はいつまでも寄り添っていてくれた。




彼女はマリーという名前を貰った。

泥を落とした彼女を見て青年は綺麗だと言い絵を描いた。人であった時も何枚もの肖像画を描かせたけれど、そこにあるのは贅沢な物に身を包みながらどこか余裕のない女ではなく穏やかな目をした一匹の美しい白猫だった。

彼女にその絵を持つことは出来ないけれど青年の温もりと共に記憶の宝箱にしまう。

青年との穏やかで優しい日々。けれど長くは続かなかった。青年は流行り病に倒れ呆気なくこの世を去った。

ああ、そうだ。この魂に幸せになる権利などなかったのだ。

優しい彼に出会えたのは神のほんの気まぐれであり奇跡だったのだ。

冒した罪が許されるはずがないのだから。

青年の亡骸の横で彼女はいつまでも寄り添い続けた。あの日彼がそうしてくれたように。

身寄りのない彼の体は長い間放置されその傍らには白猫の死骸があった。白く美しいままで。


彼女はまた転生を繰り返す。死んで。生きて。死んで。生きて。

時代は幾千移り変わっても。

行き交う鉄の塊に飛び出しては撥ねられ、置いてあった食べ物を食べれば苦しくなり、人に捕まっては嬲り殺され。

死んで。死んで。死んで。死んで。




ある時溺れ死にそうになった。

箱に入られて川に捨てられどうすることも出来ずに激流に飲まれた。このまままた死ぬんだと思っていたのに木の枝に引っ掛り身動きが取れなくなった。

こんな時彼女が思い出すのは青年の温もりだ。彼女に優しさをくれたただひとりの人。

彼に出会ってから自身の業の深さを思い知った。彼女が殺した人もその家族も大なり小なり彼らなりの幸せがあったのだ。それを彼女はなんの理由もなく奪った。彼女の猫の生がそうであったように。


猫とはなんて自分に相応しいのだろう。

気まぐれで、残忍で、わがままで、自分本位。


いたずらに命を奪うところまでそっくりだ。

奪ったから奪われる。それは当然の真理と言えた。


けれど、幸せな記憶を手に入れた彼女はそれで良かったのだと思う。人のままであったなら青年に出会えなかったなら心とは命を尊ぶとはどういうものか知り得なかったのだから。


これは彼女に与えられた“報い”であり“救い”だ。


彼女は薄れゆく意識の中で“もう大丈夫だよ”と語りかける優しい声と全身を包む温もりを感じた気がした。















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