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5億km²の牢獄  作者: Wolke
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19/19

19:牢獄

 死者数ゼロ。


 狂宴に幕が下り、崩壊した街の復興に警察や消防、〈事務局〉が総出となって尽力した結果、信じ難い数字がカウントされた。


 当然、怪我人は居る。傷の浅い者、深い者、精神に異常をきたした者。症例は様々だが、皆命に別状はない。


 その報告を聞いた愛莉や弥生は狐につままれた気分を味わうことになる。さらに詳細な目撃情報の中には、瓦礫の下敷きになった人物を玉虫色の粘液が救い出したという、俄には信じられないものもあった。


「はっはー。天笠妹にはマジで一杯食わされちまったなー。結局、最初から最後までやりたいことをやり通したヤツってあいつらだけじゃないのかー」


〈事務局〉局舎が瓦礫の山と化したため、彼女たちは別区域の支局に所属を移された。そして現在は傷を癒やすために休養中である。


 ドルマンスリーブのセーターとフレアスカートといった、ゆったりとした服装は普段と同じであるが、弥生の身体には至る所に白い包帯が巻かれている。艶やかな長髪も今は傷みきっており、彼女が纏う倦怠感にも拍車が掛かっていた。


 痛々しい格好ならば愛莉も似たようなものだ。愛莉はセーターにデニムといったラフな格好をしているが、数少ない露出箇所は全て包帯に覆われている。服の中は言わずもがなだ。


 本来ならば病院で大人しくしていなければならないコンビだが、宿神憑きとしての恩恵を無駄なく発揮し、自宅待機という形にしてもらったのだ。彼女たちが現在居る地区は被災地から離れておらず、怪我人は山のように居る。放っておいても自分で勝手に治すのだから、病室を埋めておくのが勿体無い。そういう事情もあり、降って湧いた休暇を二人の少女はのんびりと過ごしていた。


 対外的には、先日起こった神話災害は全て埒外のスケールをしたショゴスの仕業ということになっている。実際は敵どころか共闘関係を結んだ間柄なのだが、奇異な事実が一般人に漏れるわけもない。


 そしてメタトロンが暴走した姿を〈事務局〉が持ち得る最終手段と称し、ちゃっかり世論の支持まで集める程だ。天蓋を覆う神話生物を相手取り、死者はゼロ。街一つを瓦礫にされたことは国や市民にとって痛手だが、人命の救助を最優先した結果だと宣えば、最良の結果を導いていることになる。


 瓦礫の撤去作業や精神を病んだ患者に対しては、効果的に魔術師を派遣することにより、より大きな宣伝効果が期待できるだろう。


 終始渦中に身を投じ、事の真相を知っている愛莉や弥生にしてみれば、何とも笑える話であった。


「ホント。全部、瑠華が都合の良い解決策を用意してくれたみたいよね」


「みたいじゃなくて、実際に狙ってやったんだろうぜー。何から何まで掌の上って感じで、嫌なヤツだよなー」


 そう言って、弥生は締りのない笑みを浮かべる。彼女たちが談笑している部屋は、新しく充てがわれた弥生の個室。故に、部屋の主は誰に憚ることもなく、ベッドに寝そべったまま起き上がることはない。むしろ事が終わってから、彼女が重力に逆らって立ち上がっている姿を、愛莉は未だ目にしていなかった。


 今回の功労者を一人挙げるなら、それは間違いなく紅谷弥生になるだろう。愛莉一人ではメタトロンを相手取って、有利に状況を動かすことなど出来なかった。そして他の者にはメタトロンを打倒する純粋な火力が足りていなかった。


 弥生の的確なサポートがあったからこそ、ここまで円滑に事を収められたのだ。当人にもその自覚があるのか、当分の間は恩着せがましく仕事をサボる心算らしい。


 友人の楽をするためならどんなことでもやってのけるスタンスに呆れ、愛莉は苦笑を浮かべた。実際、しばらくは暇が与えられると彼女たちは睨んでいる。ただしそれは、謹慎的な意味合いが強いだろうが。


 こちらの業界に不理解な民衆は前述した理由で欺けるだろう。しかし同じ〈事務局〉の人間までには通用しない。場数を踏んだ者ならば、戦闘の痕跡から不可解な点を幾つか見付けられる筈だ。あの混沌を形容したような戦闘空間の全貌を推し量れるとは思えないが、違和感は抱く。


 そちらの対処には禅蔵と影沼が当たっている。ヴァチカンからの証言もあり、一定期間影沼が行ってきた反逆行為には、謹慎や減俸といったかなり甘い懲罰が与えられた。神話災害を上手く収めた直後であり、それなりの地位に居る人物に厳罰を与えては波風が立つと判断した者も居るのだろう。


 ただし、彼が破壊した『城壁』と呼称される結界の修復には、無償奉仕という形で携わることになったらしい。それでも、御前の七大天使の一角が秘めた力を上手くデータ化できれば、さらに強固な結界を開発することも可能な筈だ。それこそ、神格の侵攻を妨げられる程に。


 愛莉が最も案じていた影沼徹の処分には、思いの外穏便な処遇が下った。愛莉には知り得ない場所で様々な駆け引きがあったのだろうが、穏当な決着がついたことにより、ほっと胸を撫で下ろす。


 そしてだからこそ、最も厄介な部分を植月禅蔵が請け負うことになってしまった。


 即ち、天笠征悟と天笠瑠華についてである。征悟についてはまだいい。影沼を捕縛中に遭遇した宿神憑きであり、宿神の影響か身体能力が飛躍的に向上している、と簡単な紹介をすればいいだけだ。


 しかし、瑠華については違う。ショゴスを使役し、愛莉や影沼を誘導し、初めから全てを知っているかのように立ち回った少女。万の言葉を用いても、彼女の異質さは伝わらないに違いない。


「でも弥生の気持ちも分かるわ。一年分くらいの労力を、たった一日で消費しちゃった気分」


「だろー? マジだるいよなー。正直、今回と同規模の神話災害が起こったら、あたしは真剣に野に下るつもりだから。いざという時は覚悟しとけよー」


「宿神憑きの私たちが〈事務局〉を抜けれると思ってるの?」


「あたしたちを留めているのは、ちっぽけな良識と利益だけだぜー? 後ろ盾が無いフリーランスも、面白可笑しくて、決して悪いもんじゃないって学べたしなー」


 いざとなったらどうにでもなることが分かって、得たものは多かったな。と、弥生は言う。へらへらと締まらない笑みを浮かべては居るが、彼女は本心を口にしている。


「はぁ……。眠り姫の怠惰に磨きをかけてくれるなんて、やっぱり碌でもない兄妹だったわね」


「まー、そう言ってやるなよー。他人の都合とか究極的に考えないコンビだったしなー。暇を潰せる材料もあるし、しばらくは籍を置いておくつもりだから安心しろよー」


 弥生の口振りでは、いずれ〈事務局〉を抜けることは確定しているようでまったく安心できないのだが、愛莉は話題の矛先をズラすことに専念する。


「暇潰しって一体何をするつもりなの?」


「この神話災害に残った最後の謎でも解くとするわー」


 弥生が指しているのは死者数ゼロという数字についてだろう。死体が無いことに異論は無いが、彼女たちは知っている。行方不明者が少なくとも二名は居ることを。


 災害の後、天笠兄妹は霞のように消えていた。


       ◇


「まあ結局、神殺しだなんて息巻いてみたものの、全知全能の神なんて相手取れるわけがないのよね。今回はわたしとお兄ちゃんの特性が型に嵌まったから上手く事が運んだけれど、それでも神を滅ぼすまでには至らないわ」


 朗々と少女は語る。


 ショートカットの特徴的な銀髪は、窓から差し込む日光によって輝いている。黒のシャツに赤いタイを緩く締め、ファーが付いたモッズコートを二の腕の辺りまでずり落としている。そしてミニスカートによって強調された脚線美。トライバル柄のタトゥーストッキングが異様さと艶かしさを演出し、自然と周囲の目を惹きつけていた。


 目立つ要因は格好だけではない。少女の容貌はかなり整った部類に入り、銀髪に縁取られた小顔やバランス良く配置された個々のパーツは、美少女と呼ぶのに相応しい。


 そして何よりも特徴的なのは、少女の笑い方であった。目を逸らしたくなるような、しかし魅入らずにはいられない、邪悪な嬌笑。退廃的であり背徳的。少女の可憐さは眺めることすら禁忌に触れ、逆に禁を破れと推奨しているようだった。


 少女の名を、天笠瑠華といった。


 少女が座すのは電車の中のボックス席。移り行く車窓の風景には目もくれず、眼前に座る少年を注視する。


 相対する少年も目鼻立ちがハッキリとしており、この車両では人目を引く存在となっている。ジャケットを羽織り、デニムを穿いた姿はどこででも見かける扮装だ。なのに少年が着飾ると、どこか洗練された印象を受ける。


 頭髪は灰を被ったようなくすんだ白髪をしており、それも注目を集める一因となっている。


 その少年――天笠征悟は瑠華の言葉に応じる。


「つまり要約すると、殺すことが出来ないなら発狂させて洗脳して、都合の良いように改造しようって話だよな」


「身も蓋もなく言えば、そうなるわね」


 だって、神様はサンタクロースになってくれないんだもの。嗜虐的な笑みを噛み殺しつつ、瑠華は言った。


「わたしが送り込んだ虚構(ウイルス)はすでに神様(システム)の根幹を犯している。神なんて何事も感知できないまま、異常無しってエラーを吐き出し続ければいいのよ。神話生物は全て無視して、人類を存続させることだけに尽力していればいい。そう思わない?」


「全く以て同意するぜ。で、事のついでにお前は安寧の地を手に入れて、下界には分身を送り込むことで干渉するわけだ。お前、実はニャルラトホテプなんじゃねぇの?」


「それは最高の褒め言葉よ、お兄ちゃん」


 この兄妹の場合、動機は往々にして大したことのない方が多い。今回も元を正せば、瑠華に神託が下ったところから始まっている。他の人間なら反発か享受か、主に二種類の反応を見せるだろうが、瑠華が示した反応は、周囲とは微妙にズレていた。反発心こそ同じだが、根差している感情は「まだ遊び足りないのに勝手に滅ぼすな」というものだ。


 こんな行動原理で人類存亡の危機を防いでしまうのだから、馬鹿げているとしか言い様がない。


 そして兄妹は、すでに終わったゲームの話を打ち切って、次のゲームへ興じだす。


「ところでお兄ちゃん。わたしがマプローを奪い取った深きものどもが居たでしょう?」


「……ん? ……ああ! 魚肉ハンバーグになった奴らの仲間な!」


「そうそう。それでね、報復がしたいのか、最近動きが活発になってるらしいのよ。だから、彼らの本拠地で一騒ぎ起こしてみましょうか」


「あははははッ!! ホント、神話生物って奴らは退屈させてくれねぇな。勿論乗った!」


「場所は終電。ルールはタイムアタック仕様で、囚われのお姫様を無事に助け出すこと。それじゃあ、色々と仕込んで待ってるわ」


 そして好き勝手並べ立てると、瑠華は電車内から消えていた。初めからそこには誰も居なかったように、何の不自然も感じられない。


 連れが忽然と消えた征悟は、驚きもなく窓の外へと視線を投げる。ガラスには自分の顔が反射していた。その表情は抑え切れない愉悦によって歪んでいる。


 終わらない。瑠華との遊戯はまだまだこれからも続いていくと確信できる。それが征悟には、嬉しくて、楽しくて、愉快で仕方がない。


 この悪徳が蔓延る世の中を、逃げ場のない牢獄だと嘆く者も居るだろう。しかし見方を変えてみれば、世界はこんなにも娯楽に満ち溢れているではないか。


 そして征悟は地球上の全神話生物に向けて一方的な契約を交わす。逃がさない、と。享楽の種として、この五億km²の牢獄の果てまで追い詰めてやる。


 車窓の奥では、海原に生じた波が光を受けて煌めいていた。 



 

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