06 撹乱
「楓くん、はい、あーん」
「……」
「いいね、そのカオ。最高だよ」
そのカオ、とは、眉間にシワが思いっきり寄って、普通なら相手が嫌な気持ちになるような表情のことだろう。そんなカオを「最高」だなんて言う人物は、わたしの知るでは限り一人しかいない。
その人物はくくっ、と愉快そうに喉を鳴らし、こちらに差し出していたケーキを自分の口に運んだ。頼むから死んでくれないだろうか――高梨千尋。
今日は休日だったので、本屋に行ったらばったりこの男と出くわし、他人のふりをして帰ろうとしたのだが、異様に輝いたカオをしたこいつにガシッと手を掴まれて、あっさり捕まってしまった。
せっかく会ったんだからお茶でもしようよと言われて即断ったのだが、おごるから、という言葉に惹かれ、現在喫茶店にいるというわけだ。
「楓くんは紅茶派なんだね」
「コーヒーは苦いから苦手なんだよ。そしてその呼び方やめろ」
「ははっ、そうなんだ」
「今バカにしただろ」
「してないよ。かわいいなぁと思っただけ」
「死ね」
何がかわいいんだよ。コーヒーが飲めないなんて、どうせお子様だとか思ってるんだろ。
そんなわたしが苦手なコーヒーを飲んでいる高梨は、カップを置いてからまたケーキをフォークで刺した。
「じゃあもう一回。はい、あーん」
「何の真似だ、気持ち悪い」
「ひっど。俺たち恋人じゃん」
「は、こんな愛の欠片もない恋人がいるかっつーの」
「俺は愛してるよ? 楓くんの嫌がるカオ」
「それだけ、だろ」
「まあそうなんだけどさ、俺は楓くんのこと、すきか嫌いかの二択だったらすきだよ」
さらりと高梨が吐いたセリフは、最後だけ聞けば愛の告白かもしれないが、それまでの流れを聞いていれば、それが真剣な愛の言葉ではないことは明白だし、二択で選ばれたってちっとも嬉しくない。
わたしはジト目でヤツをにらみつけ、きっぱりと言い放つ。
「あっそ。わたしは嫌いだよ」
「ははっ、酷いなぁ、楓くんは」
「楓くん言うな」
そう、わたしたちの間に愛なんてこれっぽっちもない。
ていうかあったら気持ち悪くて死ぬ。まあ、だったら何で付き合っているのかって感じなのだけれど。
「ていうかさ、よくそんなにさらっとウソつけるね」
「ウソ?」
「あの日、わたしのことすきじゃないって言ったじゃん」
あの日、とは忌々しい同窓会の日のことだ。わたしはあの日、こいつと付き合うことを決めたけれど、絶対にすきにはならないとも宣言した。それに対して、こいつもわたしのことがすきではないと言っていたのだ。
つまり、高梨は筋金入りのわたしの嫌がるカオ好きだということだ。自分でまとめておいてなんだが、すごくイライラするな。別にすきになってほしいわけでもないけど。
「あれ、そうだっけ。まあ確かにすきじゃないけど、嫌いでもないんだよね。どちらかといえばすき? みたいな」
「よくそんなんで付き合おうとか言えたもんだな。今さらだけど」
「ホントに今さらだね。その誘いに乗った楓くんも楓くんだし」
「だからその呼び方はやめろ」
「でもさ、どこか一つでもすきなところがあれば、付き合いたいって思うのは普通じゃないの? それがダメなら、一目惚れもおかしいってことになるけど」
急に真剣な口調になった高梨は、さらに先を続けた。
「そもそも相手の全部なんてわかんないし、恋人や親友だとしても嫌いなところが一つや二つはあるでしょ? たとえば水宮サンとか」
「あー、まあね……」
友羽の場合は墓穴を掘るところ。むしろ彼女の欠点はその一点に集約されていると言っても過言ではないかもしれない。
「なのに、全部をすきじゃないならすきとは言えないなんておかしいよ」
「いや、別にそこまでは言ってないけどさ……ていうか何でいきなりそんな熱くなってんの? あんた、そんなにわたしと付き合いたかったわけ?」
突然の変わりように戸惑いながらもそんな結論にたどりついたわたしは、にやり、と意地悪く笑ってみせた。
すると、ヤツは一瞬驚いたようなカオをしたが、すぐに微笑んで、
「そうだよ」
と答えた。まさかの肯定を訝しく思いつつも、その理由を聞いてみる。
「……何で?」
「だって、楓くんの嫌がるカオがいっぱい見られるからね」
「……死ね。そして楓くんて言うな!」
ああ、そんな理由か。期待したわたしがバカだった。
って、期待? 何を? この男がわたしのすきになることなんて有り得ないし、そんなことは間違ってもあってほしくないのに。
自分の中のわけのわからない感情に、胸のあたりがもやもやする。
「ね、楓くん」
「だから、」
「楓くんは俺のこと、すき?」
あごの下で男のくせに長い指を組んだヤツが、にっと不敵な笑みを浮かべた。
「……大っ嫌いだよ」
この答えは揺らいだりしない。わたしはこいつのことを絶対すきになんかならないんだから。
「楓くんは頑固だなぁ。で、これ食べる?」
ヤツはあっさりと話題を変え、頬杖をついたまま懲りずにケーキをすっと差し出してきた。わたしはそれをちら、と一瞥する。
高梨が頼んだのはチーズケーキ。わたしが自分で頼んだミルフィーユと悩みに悩んで諦めたものだった。こいつマジで性格悪すぎだろ。
「……いらない」
「やせ我慢はよくないよ?」
「じゃあ自分のフォークで取る」
「それはダーメ」
わたしがチーズケーキめがけてフォークを差し出すと、ヤツは皿ごとさっと持ち上げた。オイ!
「……じゃあいらない」
「ひっど。だからあーんしてあげるって」
「それが嫌だからいらないって言ってるんだよ!」
「あ、もしかして口移し希望?」
「マジで死ね」
ああ、うん。そんなに頑なに決心しなくても、こんなヤツのことなんてすきになるはずがなかった。




