02 開始
わけがわからず憎き男の顔を見れば、ヤツはにっと笑みを濃くした。
「頭大丈夫?」
「至って普通だけど」
「あんた、わたしのことすきなの?」
ストレートに尋ねれば、ヤツは一瞬瞠目したが、すぐに目を細めて再びふっと笑った。
「いや、別に?」
それはある程度予測していた答えだったので、特に驚きはしなかったが、だったらどうしてそんなことを言ったのか、と怒りがわいてきた。
「じゃあ、何がしたいわけ? イヤガラセにもほどがあるでしょ。わたし、会場に戻るから」
キッパリと吐き捨ててきびすを返すと、信じられない言葉が耳に飛びこんできた。
「すきなんだよね」
「……は?」
「楓くんの嫌がるカオが」
「いい加減に……!」
これはもう一発殴ってやらなきゃ気が済まない。そう思って勢いよく振り返れば、いつの間に移動したのだろうか、目の前に男の顔があった。
それに驚いてできた躊躇いの隙をつかれ、腕を掴まれる。そして、そのまま壁に押しつけられてしまった。
「……離してくんない?」
「嫌だね。楓くん、今すっごく良いカオしてるよ?」
「悪趣味だな」
「それはどうも」
「いや、誉めてないから」
「知ってる」
にこり、腕を押さえたまま高梨は笑う。マジで死んでくれないかな。
「で、あんたは何がしたいわけ?」
「楓くんの嫌がるカオがもっと見たい」
「死ね」
「ムリ」
「離せ」
「嫌だ」
交錯する視線。会話は平行線をたどり、終わりが見えない。さて、どうしたものか。
ていうかこの状況を誰かに見られたらどうするんだよ。ああ、こいつはわたしの「嫌がるカオ」がすきなんだっけ。もし見られたとしても、むしろそのシチュエーションはこの男を喜ばせてしまうだけなのだろう。
じゃあ、本当にどうすれば――
「ねえ」
「何」
「俺と付き合ってくれない?」
「ふざけんな。すきでもないヤツと付き合えるか」
「俺はすきだよ? 楓くんの嫌がるカオ」
「それだけでしょ。そんなの、愛がない」
「それはつまり、愛があれば付き合ってもいいってこと?」
「は、そんなの絶対有り得な――」
嘲笑うかのように男を見上げれば、ヤツは今までのような憎たらしい笑みではなく、真剣な眼差しでこちらを見つめていた。初めて見る表情に、ひゅ、と息が詰まりそうになる。
「……逆に聞くけど、あんたはわたしと付き合いたいわけ?」
「そうだね」
「すきでもないのに?」
「すきだよ?」
「わたしの嫌がるカオが?」
「うん」
即答かよ。これではまた話が堂々巡りだ。あー、もうメンドくさいなぁ。
はあ、と一つため息をつき、わたしは腹をくくることに決めた。
「いいよ、あんたと付き合ってあげる。それで、あんたは満足するまでわたしの嫌がるカオを見ればいい。だけど、」
掴まれた腕の拳をぎゅっと握りしめ、ヤツをめいっぱいにらみつけた。
「わたしは絶対あんたのことをすきにはならない」
「いいよ。俺も別に楓くんのすべてがすきなわけじゃないから」
ふっ、と鼻で笑った男の返答に、だったら付き合う意味ないだろ、と思ったけど、もう宣言してしまったから仕方ない。半分ヤケクソだ。
「じゃあ、いい加減離してくんない? 戻りたいんだけど」
「ああ、ごめんね」
あー、やっと解放された。と思ったのも束の間、ヤツからわずかに離れたところでぱしっ、とまた腕を掴まれてしまった。
「何す……、っ!?」
振り向いた途端にぐいっと引き寄せられ、ヤツの顔が近づいてきたかと思った次の瞬間、唇にあたたかいものが、触れた。
ほんのわずかな沈黙を経て、固まったままのわたしから離れた高梨はにっ、と至極愉快そうな笑みを浮かべた。
「これからよろしくね、楓くん?」
「っ、あんたなんか大っ嫌いだ!」
「俺はそのカオが大すきだよ」
「死ね!」
「って!」
ありったけの力をこめて足を踏んづけてやると、ヤツはそこを押さえるようにしてうずくまってしまった。今日は低いけどヒールだから、予想以上にダメージを与えることができたようだ。そんなの、わたしが受けた衝撃に比べれば大したことはないけれど。
それでも、ヤツの余裕をなくすことができて、とりあえずは満足だ。
「ざまぁみやがれ!」
わたしは声高々にそう叫び、早足でその場をあとにしたのだった。もちろん、そこに残されたヤツのつぶやきなど、知るよしもない。
「まったく、これからが楽しみだよ、楓くん」




