11 告白
「えーと、ここでいいんだよね……」
とあるマンションの部屋の前に立ち、確認するように独り言をつぶやく。意を決して震える指でインターホンを押せば、しばらくしてから「はい」という声が聞こえ、ガチャリとドアが開いた。
そして、その扉の向こうから現れたのは、珍しく驚いたようなカオをしている高梨千尋だった。
「……え、何で楓くんが……」
ヤツの顔を見て何故か少し泣きそうになってしまったけれど、そのセリフを聞いて、さっと眉間にシワが寄る。何度言えばその呼び方を改めてくれるのだろうか。
だけど、わたしは今日ここに喧嘩をしに来たわけではない。いや、どう考えても喧嘩を売っているのはヤツのほうなのだが、わたしが『楓くん』という呼び方に反応してしまうのと同じく、高梨にとってもその呼び方が定着してしまっているのだ。うん、仕方ない。ここはそう思おう。
わたしはうつむいて怒りをおさめるために一度小さく息を吐いてから、顔を上げた。
「あー、いや、友羽の彼氏から友羽経由で、あんたが今日風邪で休んでるって聞いて……その、一応お見舞いに……」
友羽の彼氏は何を思ったのか、何故かわたしにそう伝えるように友羽に連絡してきたらしい。彼がわたしに直接連絡してこなかったのは、ただ単にわたしの連絡先を知らなかったからだ。
そして、わたしよりも先に高梨が風邪を引いたという情報を手に入れた友羽に「仲直りするチャンスだから行ってきな!」と一言付け加えられ、今に至るというわけだ。くそ、やっぱりお節介はほどほどにしてほしい。
「そっか……えーと、上がってく?」
「……うん」
普段なら絶対に断るところなのに、簡単にうなずいてしまうなんて、やっぱりわたしはどうかしている。
しかし、「うん」と言ってしまったからにはもう後戻りはできない。わたしはゆっくりと部屋の中に入っていった。
* * *
「あ、これ、ゼリー飲料とか買ってきたから」
「ああ、ありがとね。でも、楓くんの手料理とかだったらもっとよかったのになぁ」
「え」
「え?」
またあの名前で呼ばれたことに対する怒りよりも、さらりと言われた恋人みたいなセリフに驚いて固まってしまった。
ああ、冗談か、と気付いたときにはもう遅く、変な空気が漂っていた。それを打開したのは、
「えーと……あ、コーヒーでも飲む? って楓くんはコーヒー飲めないんだったね」
はは、と相変わらず人を小バカにしたように笑う高梨だった。それだけで、一気にいつもの雰囲気に戻る。
「そこ座ってて。お茶とかあったかな」
「お構いなく。そして楓くんて言うな。……もう具合はいいわけ?」
「ああ、寝たら大分よくなったよ。心配してくれてありがとね」
「別に、誰があんたの心配なんか」
「ひっど。お見舞いに来てくれたんでしょ?」
「一応だから、一応」
「それでもいいよ、ありがとう。はい、どーぞ」
「どうも」
座っている前にこと、と置かれたカップに入っていたのはカフェオレだった。ふわり、と甘いニオイが広がる。
「これなら飲める?」
「うん」
「よかった。ていうか楓くんって甘党なんだね」
「だからその呼び方はやめろ」
キッとにらみつけても、ヤツはくすくすと愉快そうな笑みを浮かべるだけ。ああ、わたしは今こいつの大すきなカオをしているんだろうな。
――そう、こいつはそれがすきなだけ。そう思ったら、別れた日のことを思い出してしまった。いい加減、忘れなくてはならないのに。
なのに、わざわざこんなことをして、わたしはどうしたいのだろう。わたしは、こいつとどうなりたいのだろう。
「楓くん? どうかした?」
またわけのわからない思考がぐるぐると頭をめぐり、自然とカップをぎゅっと握りしめていたのを目ざとく見つけた高梨がこちらをのぞきこむ。ぱちり、と目が合えば、そこから熱が上がっていくのを感じた。何で、風邪を引いているのは高梨なのに。
わたしの様子がおかしいのにまた気付いたのか、高梨は困ったように眉を下げて微笑んだ。
「あのさ、俺、まだ完全に治ってないんだよね」
「あ、ご、ごめん。じゃあわたし、もう帰……」
「だからさ、うわごとだと思って聞き流してくれないかな?」
「は?」
突然の言葉にわけがわからず高梨を見れば、真剣な瞳をこちらに向けていた。とにかく話を聞けということらしい。わたしは無言のまま浮かしかけた腰を下ろした。
「俺さ、楓くんがすきだよ」




