閑話:憂鬱の日々
白霧学園1-Aクラス。一人の生徒が行方不明になっても、たいして変わらなかった。彼女がいなくなる二週間前に、既に大きく変わっていたからだ。いないように振る舞う、もしくはいじめていたのだから。
皆が、誰かの冗談で笑い転げ、数人が――決して少なくない人数が――、慌てて宿題をやっつけている、そんな昼休み。
一人の少年は、前の席の男子に話しかけられても、上の空。
「……でさ、今日のアニメが…… おい、聞いてんのかよ?」
そう尋ねられ、はっと気付く。
「ごめん、ボーっとしてた」
「おいおい、アル。 前から思ってたがのんびり屋だな!」
「ハハ……。 で、アニメが何だって?」
よくぞ聞いてくれた、と男子が嬉々として話し始める。しかし、またや少年――アルトは、話を全く聞かず。アニメのキャラ名は右耳から左耳へとすっぽ抜ける。
『前から思ってたがのんびり屋だな!』
―――そんなこと言われても。君と初めてきちんと話したのは、たった四日前じゃないか。
心の中でそっとぼやく。しかも、晴れて「友達」となったのは。
幼馴染の、見開かれた目を思い出す。その目は、金色だった。
―――あんなこと、するんじゃなかった……。
四日前。
リゼリアは既に、黒板消しを頭上でキャッチするのも、足を引っ掛けられないように注意するのも、慣れたものだった。陰口だって黙殺している。
ひどい目に遭わなかったことに安心し、今日も日課の読書に戻ろうとした――いじめを止めない自分を情けなく思いながら。
そのアルトに、こっそり耳打ちしたのが、アニメについて楽しそうに話す、前の席の男子。
「おい、お前、足出せよ」
アルトは言葉の意味が分からなかった。―――今こいつは何と言ったのだ?
「アイツ、お前の席の横通る時は、気ぃ抜けてんじゃん? だから」
足を引っ掛けやすいから、やれよ。
アルトは、すぐに拒否しようとして……男子の眼を見てしまった。クラスの眼を見てしまった。
やれよ。……分かってるよな? 仲間外れにされたくないでしょ?
拒否るつもりじゃあ……ないよね?
恐ろしい重圧に耐えかねて、足を出した。
―――リゼ、気付いて。お願いだから。
アルトの必死の願いも届かず、リゼリアは見事に転んだ。
クラス中に巻き起こる嘲笑。転ばされた少女が立ちあがる気配。
アルトはリゼリアの方を向かなかった。……向けなかった。リゼリアの、きっと疑問と失望に染まった眼を、まっすぐ見れそうになかった。
今思えば、あそこで目を逸らさなければ良かったのだ。そこで謝れば良かったのだ。そうすれば、こんな罪悪感に呑まれることも無かったのに。
リゼリアが自分の席に着いても続く嗤い。
アルトは窓の外を見つめ続けた。
―――リゼリアの犠牲で得たトモダチなんて。
ハイライトの消えた目。空虚な笑み。それらを男子に向けたまま、アルトは考える。
―――一度会いたい。
一度でいいから、謝らせてほしい。
今更だろうか。自己満足だろうか。もう姿を消してしまった―――彼女の親友も。リゼリアの傍に居続けた少女を想うと、彼の心に先ほどまでとは違う痛みを感じた。
二人に謝る機会は、無い。会うことも……
でも―――。
アルトはとりとめの無い思考を続ける。
―――そして今日も、昼休みの終わりを告げる鐘が鳴る。