振り返ってみれば、大切なものが見えるものです
最初こそ揺れたものの、それもさしたることは無く、むしろ退屈なほど平和なフライトであったということが最高の幸せである……と、言うことで、帰ってきたぜ日本!
今回の旅をざっくりと取りまとめると、子供の順応力って恐ろしいということですかね。
娘はアメリカでの食べ物が口に合わなかったらしく、滞米中の主食はフライドポテト、あとはたまたま見つけた日本食スーパーで買った『どん兵衛』だけという食生活だったのですが、息子の食欲は凄まじいものでした。
「俺、アメリカで暮らしていける気がする」
甘ったるいコーンフレークも、日本よりやや大きめのコーラも甚くお気に入りで、ちょっとアメリカンな味付けの惣菜類もなんのその。
「日本人の味覚には、ちょっとスパイスが強すぎるかな?」って言いながら、どんだけ食べんねん!
そして食生活では不順応だった娘も言葉では……文章では70パーセントぐらいしか伝わらないことを承知で書こう、「おっけー」だったのが「おけぃ」になった。ごく普通に「サンキュー」と礼を言う、買い物のときも親の手を借りずに支払いができる。部屋でアニメ番組を見てゲラゲラと笑う。
宿を取ったのが観光地ではなく、田舎町で地元の人々との距離が近かったというのも大きな原因でしょうが、異国の暮らしに寛容であり、経験したこと全てを吸収する柔軟さは、アザとーをも凌ぐのです。
余談ではありますが、アザとーと子供たちはジモティーと間違えられて道を聞かれたりもしました。「あいどんとのう。そーりー」と言えば、発音の悪さで英語がしゃべれないこと解ってもらえますからトラブルは無かったのですが、どれほど溶け込んでいるんだよ!って笑い話ですね。
海外に馴染めなかった夫と比較してみると、情報収集力が違うんです。夫は突っ立って、情報のほうから寄ってくるのを待っているだけ。それに対して子供たちは解らないからこそ情報を得ようと工夫をする。だから手助けをしてくれる誰かに行き当たることもできるのです。
ともかく、今回は楽しい旅でした。
帰りの空港に向かうタクシーの中で、アザとーは拙い英語を駆使して運ちゃんに話しかけます。
「あめりか、いず、ぐっどかんとりー」
『そうかい、楽しめたかい?』
息子がニコニコと答えます。
「いえす」
イエスとノーしか言えない息子は、それでもなんとなく会話をすることが出来ました。
『ゴールデンゲートブリッジは行ったかい?』
「のー。サンフランシスコ」
『サンフランシスコ? 中華街と、日本人街があっただろ?』
「チャイニーズタウン、いえす。ジャパニーズタウン、のー」
娘も言葉こそ返さないものの、うんうんと頷いています。
夫だけがきょとんとする中、息子は空港でも大活躍でした。
『フライトは大阪行きかい?』
「のー、ナリタ」
『オケィ。ナリタね』
むしろイエスとノーだけなら、さっと出てくるぐらいです。
俺は期待をこめて息子に訊ねました。
「もしかして、英語の赤点、消えるんじゃね?」
「無理だね。書くのは苦手だもん」
そうなのです。学校の勉強が役に立たないとは言わないけれど、生きていくのに絶対不可欠と言うわけではないのです。
むしろ生きていくのに必要な力を家の子達はきちんと持っている。それを確認できただけでも、これはアザとーにとっては十分に実りある旅行でした。




