考える前に行動するが吉、ということもあるのです
サンフランシスコ空港に着いたのは夜中の12時になろうかという時間。当然、タクシーに乗ります。
アザとーの夫はホテルの住所を書いた紙を無言で渡します。
実はこのホテル、むしろモーテルなので相当マイナーなのか初日のタクシーの運転手さんも苦労して検索してくれたところなのです。この運転手さんもケータイ端末を取り出して住所を入力してくれました。
いつもと違うルートであることに気がついてはいたのですが、何しろこちらはビジターです。口出しするわけにはいきません。
『この辺がその住所のはずだ。このホテルかい?』
タクシーがついたのは高級ホテルが立ち並ぶ大通り。
アザとーの宿はいかにも安宿に相応しい、もっと生活感あふれるところなのです。
「のー、ここじゃない」
タクシーの運ちゃんも、アザとーの旦那も不機嫌な顔です。ふと思いついて、昨日乗った電車の駅名を言って見ます。
「カルトレイン。ヘイワードパークステーション」
『ああ? ヘイワードパーク? ここはサンマテオ駅の近くだ。全然違うじゃねえか。先に言えよ……』
よくよく確認すると、番地がひどく違っている。いくら英語ができなくても悪意に聡いアザとー、番地の入力ミスをごまかそうとやたら早口な英語でまくし立てているのだけは伝わるのです。なめんなや!
おまけに料金表を取り出して、百ドル以上かかるとか言い出す始末。おまけに道がわからないらしい。
「オーケー、サンマテオステーション。カルトレイン」
タクシーの運ちゃんはそれすらも道行く老夫婦に訊ねる。
『サンマテオ駅はどっちにあるンすかねえ?』
『カルトレインのかい? 教えてもいいが、電車はもう終わっちまってるよ』
『電車は無い? まあいいや。行き方だけは教えてくれ』
ここ数日でヒアリング能力だけは上がっているし、表情で感情を読むのは得意な方なのです。英語を話せない厄介な客に不機嫌なのはバレバレですよ?
『電車も無いのにどうするの? 電話とか、持ってる?』
心配そうな老婦人に礼を言って、タクシーは走り出します。着いたのはちょっとした飲み屋街が立ち並ぶ小都会の駅。
さすがに悪いと思ったのでしょうか、タクシーの運ちゃんが少し眉を曇らせます。
『もう電車は無いって言われたんだぞ。いいのか?』
早口にしたつもりでも、アザとーは『トレイン』という単語だけは聞き逃さないのです。
「おーけい。なんとかするからノープロブレムなのです」
『まあ、ならばいいけどよ』
少しばかりのためらいだけを残して、タクシーは去っていきました。
「どうするんだよ、お前がきちんと説明できないから……」
タクシーの運ちゃんに対してもだけど、夫に対しても我慢の限界です。
「黙れや。住所渡しただけでろくろく説明もしなかったのはお前じゃろが!」
「俺はちゃんとホテルの名前言ったもん! あの運転手が悪いんだもん!」
「そんな誰も知らんようなホテルの名前じゃなく、先に駅に行ってもらえばよかったんじゃ! 運ちゃんもそう言っとったわ!」
「ぐうう」
聞き取り力の上がらなかった夫にはそれすらも解らなかったようなのです。
「でも、どうするんだよ! 電車は無いんだぞ!」
「ふん、始発を待てばいい」
幸いに寒い季節でなし、駅舎に間借りすればいいだけの話です。
「だいたいが、そんな英語力で良くも恥ずかしげ無く海外慣れしているとか言ったな? これ以上恥をかきたくないなら黙って着いて来い!」
ぶつぶつと「どーするの」をくりかえす夫と、諦めムードの娘、それにここ一番の時には手足となってくれる息子を引き連れて、俺はまず情報収集に回ります。
駅舎には先客がいました。どう見てもホームレスな方です。いざとなったら何とか交渉するしかありませんが、娘が意外に繊細なので出来れば避けたい選択肢です。
発音が伝わらないときのために駅名をメモする俺の横で、息子は少しテンションが上がってきたみたいです。
「スタンドバイミーごっこ、する?」
レールを歩いていこうということです。
「やめてくれよ。あのスピードで走る電車相手じゃ、逃げ切れないぞ」
だが悪くは無い。少し距離はあるが、たった一駅です。
「まあ、時間だけは腐るほどあるし? 行けるところまで行ってみるか」
線路沿いの道を行こうと歩き出したとき、奇跡は起きました。
『あんたたち、何してるんだい?』
一台のタクシーが停まってくれたのです。
『今日はもうノーキャリーなんだが、困ってるみたいだからよ』
恰幅のいいあんちゃんは気さくです。
「アイ、ごーとぅー、ヘイワードステーション」
『ヘイワードねえ?』
「おーけい?」
『ま、いいよ』
あわてて乗り込んで、ホテルの名前を言います。
「ハワード、ジョンソンモーテル、プリーズ」
『ああ、ジョンソンホテルね』
俺のテンションが一気に上がります。
「ジョンソン、オーケイっ?」
『もちろんさ』
「良かった……」
半泣きになる俺に小さく微笑みをくれて、あんちゃんは車を進めました。
着いてみてわかったのですが、歩けない距離ではありませんでした。もちろん、道がわかれば、ですけど?
『ここだろ、ハワード、ジョンソン。な?』
「イエスっ! さんきゅー、さんきゅー!」
『どってことないよ』
降りるときに『釣りはいらないのかい?』と言われたことを考えれば、さすがにドケチな夫も相当にチップを弾んだのでしょう。
むしろ弾まなかったらサンフランシスコの海でコンクリ抱かせるわな。
こうして、ナイスガイなタクシーのあんちゃんにより、アザとー家最大の冒険は無事に幕を閉じたのです。