今回の旅はイージーモードだった……いや、俺が強くなっちまったのか(ふっ)
まあ、サブタイトルほど思いあがっているわけじゃないですが……今回の旅は特に大きなトラブルもなく、旅程もゆったりとしたもので、アメリカの醍醐味というものをたっぷりと味わえる良い旅でした。
勝因はいくつかありますが、まずは旦那がツアーコンダクターとして成長したということ。
いつもならば日程の中のぎっちりと予定を詰め込み、その予定を消化するべく自分のペースで自分勝手に行動してはみんなを振り回すのが常だったのだが……
例えば一日目、過去のダンナならユニバとディズニーの両方を一日で回ろうとしかねない、あいつはそういう男だった。しかし今回はユニバに的を絞り、事前に乗りたいモノの優先順位を決め、上手にパーク内を回ることができた。
それ以降の旅程に関しても同様、余裕をもって組まれているため、まるで駆けずるようにして次の目的地へ向かうということが一度もなかったのだ。
子供たちが成長したというのも大きい。
最初の旅の時、娘も息子もまだ親による荷物の管理が必要な年だった。子供だから疲れて不機嫌になり、仕方なくすべての荷物を私が一人で引きずって歩くようなこともあった。
しかしすでに息子は成人し、娘はしっかり者で荷物を管理してやる必要はない。
むしろ空港での搭乗手続きやホテルのチェックインはほとんど娘がやってくれたし、荷物に関しては息子が私の荷物を持ってくれることもあって、頼もしい限りであった。
だが、最も大きな勝因は……スマホの進化だろう。
アザとーが最初に海外に連れて行ってもらったのは二十年ほど前、スマホもケータイもなく、身一つで言語の壁に立ち向かったものだ。
この珍道中の始まりも然り。当時はまだガラケーで、パソコンこそ持って行ったが、やはり言語の壁に立ち向かうには能力不足であった。
その後、スマホが普及し、そして今回は子供たちもスマホを所有しているため、ポケットWi-Fiを借りてさえおけばどこででもネットを開いての調べ物ができるという最強の環境であった。アメリカはかなりの確率で無料のWi-Fiスポットがあり、これがスマホの利便さをさらに後押しする。
今回は帰りの飛行機が満員で乗れず、旅程を一日延ばしたわけだが、そう言ったときにも窓口は日本でホテルの予約ができる。タクシーに乗るときもあらかじめ行先を画面に表示して運転手さんに見せればいい。さらに徒歩で移動するにもグーグルマップさえあればナビってくれるわけだし、どうしても聞き取れない言葉があったときには翻訳アプリが役に立つ。
と、スマホ一台あればどこに行くにも困らない。
と、文明の利器に支えられての便利道中だったが、それでも最期にコミュニケーションの要となるのは目を見て、相手の話を聞くということである。
アザとー、今回の旅では「サンキューと言われたらユアウェルカム」という定型のやり取りを身に着けた。あと、「エクスキューズミー」も、たどたどしくも使いこなせるようになった。
例え国は違えども同じ人間である以上、日常のちょっとした「ありがとう」や「すみません」までも機械任せでは、相手も気分良くなかろう。
逆に「エクスキューズミー」さえできれば、相手はこちらがどれほど英語が拙かろうと見捨てはせず、親身に対応してくれる。
機械は所詮はコミュニケーションの補助ツールであり、それそのものが生身のコミュニケーションそのものになりえることなどないのだ。
これは文章を書くときも同じ。
母国語である「日本語」というツールをどれほど使いこなすことができようとも、それは所詮はツールにすぎず。
読者の心を開かせるコミュニケーションとしての文章を目指すならば、「言葉」ではなく、心で語れと。
そういった再発見を果たして、アザとーの六年に及ぶ旅は幕を閉じたのであった。




