ゴルファーの姫、レストルームを探す
さて、こうして小一時間ほども楽しんだだろうか、やっと目当ての本も決まり、会計を済ませて表に出たところで、やっとゴルファーの姫が帰ってきた。
案の定、青い顔をしている。
「トイレ、借りれなかった」
「ああ、やっぱりね。じゃあ、軽くおやつがてらどこか食べ物やさんに入ろうか」
ここで素直に相手の提案を聞き入れるのは『姫的にありえな~い』とでも思ったのだろうか。
「いや、いい、トイレ借りたいだけだから、大きいお店さがす」
大きいお店といってもスーパーなどがあるでなし、観光客用にオープンなスタイルのおみやげ物屋があるでなし。
それでも少し大きな洋服屋にはいり、そこでレストルームの表示を見つける。姫はとびきりうれしそうに微笑んでいた。
「ちょっと、トイレ借りれるか聞いてくるね」
背に腹は変えられぬとはよく言ったものだ。あの姫が……引っ込み思案で会話系のコミュニケーションといえば家族の誰かに必ず押し付ける姫が、自ら店員のところに行って「エクスキューズミー」を言っている。
「やっぱり生存に直結する欲求のためなら、人間って己の限界以上の力を発揮するよね」
そんなことを娘と話したのはイヤミなどではなく、心底感動したからである。
ただ、惜しいことにこの姫、表情に乏しいために切羽詰っていることが相手に伝わらない。
「どうしよう、パスポートかアイディー見せないと貸してくれないって。パスポートは金庫に預けてきちゃったし、日本の免許証でもいいかなあ」
そんなことを言い出すぐらいには混乱しているのだが、表情は普段より少し青ざめているだけでまったく普通だ。
「もうさ、限界だからトイレ貸してくれないならここで漏らすって、少しごねておいでよ」
「むりだよ、そんなこと言えないよ」
語学能力的にも、性格的にもむちゃブリすぎたか……
「じゃあさ、今回ここに来た目的は果たしたわけだし、バスに乗って帰っちゃおうか」
「うん、いまなら『波』も引いてるし、そうしよう」
バスを待つ間の姫は、トイレを貸してくれなかった店員に対する文句をぶつくさとつぶやいた上に、うっかり浜に上がってしまったエビのような動きで背中を大きく跳ね上げる。
「あ……あ……無理。ちょっと隠れてできるところないか探してくる」
涙目で住宅街へと消えてゆく。
その間、私は娘に帰りのバスでは補助として姫に付き添って欲しいと依頼した。
「むずかしいことをお願いしたいわけじゃないよ、ただ、行き先を運転手さんに伝えるだけでいいから」
「え~、めんどくさい~」
そこへ姫がしょんぼりと戻ってくる。
「さすがに住宅街すぎて、ほどよい草むらとかなかったわ」
「まあ、そうだろうね」
この会話だけを聞くと私がひどく冷酷にも思えるだろうか。実はこのトイレ騒動、出発前のダンナの言葉を知っていれば自業自得でしかないのだが。
トイレに関していうならば、『見知らぬ土地でトイレにたどり着けると思うな』がアザとー家の信条、だからこそ出発前にホテルの部屋でトイレ争奪戦までくりひろげて膀胱を絞ったのだ。
ダンナはこの光景にイラっとしたようで、大声で私たちを怒鳴りつける。
「なにやってるんだ、トイレなんかどこでもあるだろう」
「どこでもはないから、こうして準備してるんじゃん」
「トイレトイレトイレって、バカみたいにトイレだな」
「ん~、よくわかんないけど、馬鹿にされてるってことは伝わった」
「どうでもいいからさっさとすませてくれよ。俺はロビーで待ってるから」
といったやりとりがあったのだ。ね、自業自得。
なんてことを責めても仕方ないので、真っ青な顔をした姫をバスに押し込む。
娘が簡単に「このバスはアラモアナに行きますか」と英語で運転手にきく。運転手からは「イエス」の返事だ。
ほらね、思い切って聞いてみればなんとかなる。
こうして無事、アラモアナの大きなショッピングセンターにたどり着き、あっさりとトイレを見つけることができた。
こうして、ゴルファーの姫は窮地を脱することができたのであった。




