大丈夫だと伝えたい
カジノですか? 本当にちょっぴり、100ドル程度遊んだだけですってば。
それでも本場の雰囲気というのはちゃんと楽しめた。何しろあのテーブルに座っただけでピリッとした緊張感が指先から駆け上がるのだ。
それでもアザとーはもともとがギャンブルにのめりこむタイプではないし、今現在、人生といういちばんリスクの高いギャンブルで勝っているので旅行先でまで意地汚く勝ちにこだわる必要などないのだ。
うん、ちょっと負け惜しみ……
ともかく、今回の旅の目的はアメリカという国を体感するを子供たちと楽しむこと、その目的は十分すぎるほどに果たせたと思う。
前回は食生活のギャップにやられてほとんど活動しなかった娘も、今回はハンバーガーにかぶりつき、ホテルのチェックインから搭乗手続きのときまで、ダンナに付き添って通訳として大活躍した。
道案内に関しては息子が、ガイドブックからネットまでを駆使して情報を集め、一家を先導した。
大丈夫、うちの子供たちはちゃんと成長している。
そして今回の旅で私が学んだこと……世界はでかく、俺はあまりにも小さいということである。そのことを強く感じたのはラスベガスからサンフランシスコへと向かう飛行機の中でだった。
今まで乗った中でいちばんへたくそな機長だった。もちろん気候は良いのだから墜落の心配などしていない。操縦が荒いのだ。
急激に上空に上るのだから耳がキンと鳴る。硬い空気を踏んでゴン!と期待が跳ね上がる……しかし足下にはアメリカの壮大な景色、明け方の薄い雲は脱ぎ捨てられるようにゆっくりとひらいて、広大な畑がパズルのようにみっちりと並んでいるさまや、寛容に見えるほど裾野を広げた山の連なりが横たわっているさまが広がっている。日本よりもそれらが大きいのだから、ずいぶん低く地上近くを飛んでいるのではないかと錯覚もする。
だがここは地上から遠く高い。その証拠に風景の向こう側はゆったりとした弧で地球の丸さを窓外に描き出している。
そんな飛行を楽しみながら、ふと考えた。
「人間は傲岸である」
こうして飛行機で空を飛んでいると人間が空を支配したかのように錯覚することもあるが、それはあまりにも思い上がりである。飛行機は地球を包む大気の層の上っ面一枚を滑っているだけに過ぎない。はかなくて頼りない乗り物だ。
「ああ、そうか」
ふと、自分がなぜ書くことをやめられないかに思い至った。
私は人間が好きだ。そしてこの窓外の風景をすばらしく美しいと感じるのは、その風景が内包するちっぽけな人間の存在を愛しているからだ。
ここからでは見えないほど小さな豆粒よりも小さな人間という存在を思う、私が書くときにしている思考作業は実はこれに良く似ているのではないかと。
「大丈夫。俺はまだまだ書けるさ」
父が遺してくれた最高の財産がこれだと、俺は自分の右腕を知らずさすりながら今一度つぶやく。
「大丈夫、書ける」
こうして一番大事なものを機上で再確認して、俺の今回の旅物語は幕を下ろしたのである。




