二章 物語の幕開け(少女と湊のお礼)
「此処か。おーい、小西いるか!」
あれから、結局冬川に根負けした湊は諦め、教室の近くまで腕を組んで歩かされたのだった。
その後、何とか間に合った四限目の授業に出席。
そして昼休みの現在、湊は、
「や、山城先輩!」
小西 明日香の所属するクラスに足を運んでいた。
「あ、そこか」
湊は声が聞こえた方を見やり、歩き出す。
と言っても、廊下側の端っこの席だった為、案外近かった。
「あ、あの、どうしたんですか」
小西は湊から顔を背け、縮こまったまま尋ねた。
「ちょっとな。てか、また怪我してんのか。ほれ、治してやっからこっち向きな」
その行動を不審に思った湊は、鎌を掛けてみた。
「あ、い、いいです。そんな事しなくて」
「いいから、僕が気になってしょうがないんだ」
その小西の反応からして当たりだと確信した湊は、強引に向き直らせる。
正直、ここまでやるのかと湊は憤りを覚えた。
小西は、右側の頬を痣とともに腫らせ、両目を充血させていた。
額にも、痣とたんこぶらしきものがあり、唇も切れているようだった。
この有様だと、制服の下も怪我だらけなのではないのだろうかと湊は思った。
現に、足の方にも真新しい痣や擦り傷が残っている。
湊は無言で治癒魔法を行使すると、徐に口を開いた。
「……なぁ、小西。誰にやられた? このクラスの連中か? 正直に言うんだ」
「ち、違います」
湊の怒りの感情を読み取ってしまった小西は慌てて否定する。
「じゃあ、誰だ?」
「それは……」
湊の気持ちは嬉しいが、小西は口を噤んでしまう。
言えば、湊が何をしでかすのか理解してしまったから。
「この前の連中か」
「違います……」
鋭い視線が向けられるが、小西は堪えた。
そんな頑なな小西に、湊は仕方なく一歩引く。
「なぁ、小西。僕が今日何で小西に会いに来たか分かる?」
「いえ、分からないです」
未だ心に憤りは残るが、湊は小西にそれ以上のことを聞かなかった。
「お礼だよ。小西のおかげで、僕は僕と向き合う覚悟が出来たんだ。だから、そのお礼がしたかった」
俯く小西に優しく語りかけ、ある物をポケットから取り出す。
女物の綺麗な装飾のブレスレットだった。
「これ、腕に着けてみな」
「あの、このブレスレットは一体」
つい受け取ってしまった小西は、そのブレスレットに何とも言い難い違和感を覚える。
「それな、異能力を抑えて制御し易くするための物なんだ」
湊のその言葉に、小西は開いた口が塞がらなかった。
それもそのはずだ。
そんな物が存在するなど、聞いたことがなかったのだから。
「まぁ、そこまでの性能は期待できないけど無いよりはマシだと思ってさ」
「ま、待ってください。そんな、異能力は未だ解明されてないって言われてるんですよ。何でこんな物が」
サラリと言ってのける湊に、小西は唖然としてしまう。
「昔、知り合いから貰ったんだ。それに、異能力は解明されてないわけじゃないんだぞ? 発現条件が解明されてないだけで、異能力の力事態はある程度は解明されてるんだ」
悪戯が成功した時のような笑顔で湊は普通は知らないはずの知識を披露していく。
「一般的には、それを勘違いされて解明されてないなんて解釈されてるけどね」
湊は肩を竦め、情報開示がされていないのも原因だけどと、ため息をついた。
「なら、何で山城先輩は」
「そこは、秘密。全部教えたら、面白くないじゃないか」
小西の困惑を茶目っ気な態度で湊は流す。
「それより、嵌めてみたらどうだ?」
そして、小西はブレスレットを嵌めるよう促され、渋々応じることにした。
「あれ? 力が」
「まぁ、小西の異能力は覚醒前ぽかったから、それに抑えられたら行使するのは無理だろうなとは思ってたけど、当たりだったか」
突如として力が無くなったような感覚に襲われた小西に、湊は理由を説明する。
「えっ、それって」
「事実上、小西はそれを嵌めてる限り、異能力者じゃなくなったって言っていいんじゃないか。心も記憶も、分からないだろう?」
小西には湊の声が遠くに聞こえた。
コンプレックスだったと言っていい異能力。
これのせいで誰とも関われず、イジメられ、奇跡的に親しくなった友人に打ち明ければ突き放され、何度死にたいと思ったか。
それ以外にも挙げれば切りがないないほど、苦しめられたこの異能力。
それがある日突然、抑えることが出来るようになった。
自分があれほど忌避していたモノが呆気なく無くなった。
小西は何時の間にか、湊にしがみついて大声で泣き叫んでいた。
泣いて、泣いて、泣いて。
心の渇きを潤すほどに泣きはらした。
これまでの苦しみを吐き出すかのように泣き喚いた。
湊は、ただ黙ってそれを受け入れていた。
「……ぐすっ、山城先輩すみませんでした」
漸く小西が泣き止んだのは、昼休みが終わる五分前ほどだった。
「いや、こっちこそごめん。安易にこんな物渡すべきじゃなかったな」
そんな小西を見て、湊は自身の短絡的な思考にうなだれてしまう。
「そんな事ありません。私は嬉しかったですよ? 確かに、今までの私は何だったんだって思いもしたし、理不尽な事も考えました。でも、それでも、やっぱり嬉しかったんです」
小西は首を横に振り、それを否定する。
そして、
「だから、ありがとうございます」
飛びっきりの笑顔で、心からのお礼を言った。
と、そこに横槍を入れる人物がいた。
「うぉっほん。あー、そこのカップル、もうすぐ授業開始だからその辺にしとけよ」
五限目の数学教師だった。
「ふぇ? あ……」
そこで漸く小西は現状を認識する。
そして辺りを見渡し、クラスメートが自分達を見ていることに気がついた。
「や、山城先輩」
「ん? 何だ、気付いてなかったのか。てか、此処教室なんだから当たり前だろ」
縋るように見つめてくる小西に、湊はしれっと言い放ち、薄く笑みを浮かべる。
「んじゃ、僕は授業に遅れるからそろそろ行くとするよ」
「ま、待ってください。このまま、こんな状態で見捨てる気ですか!」
満面の笑みで逃げようとする湊に、小西はガシッと腕を掴み、小動物を思わせるつぶらな瞳で逃走を阻止する。
「見捨てるなんて大袈裟な。笑って誤魔化せば、小動物みたいに可愛い小西なら大丈夫! んじゃな」
ニヒルな微笑みを浮かべ、尚も逃走しようと諦めない湊。
「ちょっ、待ってくださいって。無理です! こんな状態じゃ無理ですから!」
しかし、湊を掴んで離さない小西は必死に食い下がる。
「しょうがないな。えーと、あ、お前このクラスだったのか!?」
湊は仕方なく他に巻き込める者は居ないかとクラスを見渡し、ある人物を見つけた。
顔を隠し此方には見向きもしないが、そこにいたのは間違いなく湊の幼なじみであり、楓の親友であった。
「いや、無視すんなよ。お前だよ、聖」
明らかに呼ばれているのに気付いただろうに、聞こえないふりを貫く聖に、湊は眉を潜め今度は名指しをしてみた。
「気付かなければいいものを。このトラブルメーカーめ」
前澤 聖は湊に出来るだけ会いたくなかった。
会えば必ずまた何かに巻き込まれ、平穏な学校生活が終わってしまうと分かっていたからだ。
しかし、もうそんなことも言ってはいられない。
既にそれとは遭遇してしまい、最早回避は不可能なのだから。
すると、聖は渋々自席から立ち上がり、湊の方に振り向いた。
そこにいた聖は、茶色の混ざった赤毛を右側の片方だけ目元まで前髪を垂らし、あとは垂れないようにピンでとめた小柄な少女だ。
つり上がった目元に、赤茶色の力強い瞳が印象的である。
その姿に、湊はやっぱりと一人頷く。
「相変わらず口が悪いな。そんなんだから根暗って言われるんだ。それから、トラブルメーカーじゃない。巻き込まれるだけだ」
「あんた以外に言われたことねぇし、あんたの方が根暗じゃねぇかよ。それと、あんたが巻き込まれると周りも道連れにされんだから一緒だろうが」
教室にいた者には、二人の間に火花が散ったように見えるのだった。
「さて、小西。あの口の悪い女がいるだろ? 後のことはあいつに頼れば万事解決だ」
そこで、湊は小西に話を振った。
「無視すんな。んで、勝手に決めてんじゃねぇ」
「あの、怒ってますけど」
だが、肝心の聖の了承を得ず話を進める湊に、聖が怖い小西は怯えた声を上げる。
「いや、大丈夫だ。あれはツンデレって言われる属性でな、そう言うものなんだ」
怯える小西に、湊は優しく真偽が定かではない事柄を吹き込んいく。
「勝手なこと言ってんじゃねぇ!」
これには、流石に聖も湊に詰め寄り耳元で騒ぎ立てる。
「うるっさいわ! このショタコンが! 可愛いもの好きが!」
「てめぇ、何勝手に人の秘密暴露してやがんだ!」
お返しとばかりに暴露する湊に、今度こそ掴み掛かろうとする聖。
「んじゃ、しっかり面倒みてもらうんだぞ」
だが、それを小西を身代わりにすることで事なきを得た湊は、教室の入口まで走り去ろうとする。
「待てって言ってんだろうが! この年増好きが!」
「ふっ、負け犬の遠吠えだな」
最後に、聖に向かって湊は鼻で笑い去っていった。
ちなみに小西はというと、がっちり聖に抱きつかれたまま身動きがとれなかったとか。