第2話 追放先は港町
追放とは、もっとこう、しめやかなものだと思っていた。
黒塗りの馬車に揺られ、泣き崩れる侍女たちと別れを惜しみ、空を見上げて「なぜ……」と呟く。そういう湿度の高い情景である。
しかし現実はどうだ。
「到着しましたぜ、嬢ちゃん。ここが辺境、グレイヴ港町でさ」
御者のぶっきらぼうな声とともに、馬車の扉が開いた。
潮の匂いが一気に流れ込む。
白い波頭。
無数の帆柱。
行き交う船員たちの怒号。
リディエルは一歩、地面に降り立った。
(……最高ですわ)
心の中で拍手喝采。
ここは王都から三日の距離にある港町。
貴族たちが鼻で笑う「流刑地」。
だが彼女にとっては――
楽園の玄関口である。
「本当に置いていくんですね?」
付き添いの役人が確認するように言った。
彼はどこか同情めいた目をしている。もっとも、涙ぐむほどではない。
「ええ。ありがとうございます。手続きはこれで完了ですわね?」
「は、はあ……。生活費は最低限。住居はあちらの安宿を」
「十分ですわ」
即答。
役人は目を丸くした。
普通、ここで文句の一つも言うものだ。
「こんな場所に住めるか」とか、「王族に取り次げ」とか。
だが目の前の悪役令嬢は、まるで遠足前の子供のように目を輝かせている。
「では、失礼いたします」
役人は逃げるように去っていった。
周囲の港の人々は、ちらりと彼女を見る。
「あれが追放された貴族らしいぜ」
「ほう……ずいぶん元気そうだな」
同情の空気は、ない。
ここでは身分も悲劇も大した意味を持たない。
潮と魚と風がすべてだ。
リディエルはくるりと一回転した。
ドレスの裾がふわりと舞う。
「さて」
鞄から取り出したのは、一枚の大きな地図。
王都ではこっそり集めた“辺境諸島航路図”。
石畳の上に広げる。
ぱさり。
通りがかった船員が足を止めた。
「嬢ちゃん、何してる」
「島の確認ですわ」
指先がすべる。
第一島、灯台の島。
第二島、修道島。
第三島、海賊島。
さらに沖合には、名もない小さな点。
(全部、行きますわ)
胸が高鳴る。
王都では許されなかった自由。
悪役令嬢という檻。
だが今は違う。
彼女は、ただの追放者。
つまり、どこへ行っても誰も止めない。
「まずは一番近い灯台島……潮流は北向き、明日の朝が最適」
ぶつぶつと呟きながら、地図に小さな印をつける。
その姿は完全に観光計画中の旅行者である。
「おいおい」
笑い声が落ちてきた。
顔を上げると、日に焼けた船乗りが腕を組んでいる。
「嬢ちゃん、島巡りか?」
「ええ」
「物好きだな。あそこは何もないぞ」
「何もない、があるのですわ」
にっこり。
船乗りは一瞬言葉を失い、それから豪快に笑った。
「はは! 面白え。明日の朝、俺の船が出る。乗るか?」
リディエルの瞳が、きらりと光る。
「おいくらですの?」
「追放された貴族からは割増だ」
「結構ですわ」
即答。
「ただし、灯台守のおじい様への差し入れをお手伝いします」
「……なんだそりゃ」
「干し肉と薬草を少々。港で仕入れられますわよね?」
船乗りは目を細める。
ただの箱入り令嬢ではない。
現実的で、妙に具体的だ。
「いいだろう。朝、日の出と同時だ」
「承知しました」
契約成立。
船乗りは去りながら、ぼそりと呟いた。
「変わった追放者だな……」
リディエルは地図を丁寧にたたんだ。
遠くで波が砕ける。
空は高い。
(明日、出航)
胸の奥がじんわりと熱い。
王都では誰も彼女を見送らなかった。
涙もない。
嘆きもない。
だがそれでいい。
ここでは誰も、彼女を悪役とは呼ばない。
ただの一人の旅人。
宿へ向かう足取りは軽い。
潮風がドレスを揺らす。
港町の夕陽が、彼女の背中を黄金に染めた。
追放先は港町。
そして港町は、世界への入り口だった。




