第1話 早く断罪してください
それは、本来ならば悲劇の幕開けであるはずだった。
玉座の間は祝祭のように飾り立てられ、しかし空気だけはやけに乾いている。貴族たちは扇子の陰でひそひそと囁き合い、楽団は「今まさに断罪が始まりますよ」という顔で荘厳な前奏を引き延ばしていた。
中央に立つのは、この国の第一王子――ライベルト殿下。
その隣には、淡い桃色のドレスをまとった聖女のごとき少女、レティシア。
そして、彼らと対峙するのが――
悪役令嬢、リディエル・フォン・アルセイン。
(ああ、ついにこの日が来ましたわね)
リディエルの中身は相川あかね、元・一般市民。
彼女の胸を占めるのは恐怖でも屈辱でもない。
(離島めぐり……! 白い灯台……! 潮風……!)
そう、断罪とは終わりではない。
辺境送りへの片道切符である。
辺境とはすなわち港町。港町とは船。船とは島。
完璧な三段論法。
王子が一歩前へ出た。
「リディエル。お前がレティシアに行ってきた数々の嫌がらせ、その罪――」
「早く断罪してください」
静まり返る玉座の間。
王子の言葉が途中で凍りつく。
「……何?」
「ですから、早く断罪を。わたくし、予定が立て込んでおりますの」
ざわり、と貴族席が揺れた。
レティシアが目を瞬かせる。
「り、リディエル様……? えっと、まだその……わたしは、きちんと説明を――」
「不要ですわ」
リディエルは優雅に微笑んだ。
「どうせわたくしは悪役令嬢。ここで華麗に断罪され、辺境へ追放される運命なのでしょう?」
「運命、とは……」
王子ライベルトの眉がひくりと動く。
本来ならば彼はここで、怒りと悲しみを滲ませながら罪状を読み上げ、正義の鉄槌を下すはずだった。
それが――
「さあ殿下、どうぞ。壇上も温まっておりますし」
催促されている。
断罪を。
王子は初めて気づいた。
これは儀式だ。
罪を暴き、悪を裁き、正義を示す舞台。
だが、当の悪役がやる気満々である場合、どうなる?
ただの処分である。
「お前は……本当に反省していないのか?」
「しておりませんわ」
即答だった。
「なぜなら何もしておりませんもの」
再びざわめき。
レティシアが慌てて口を開く。
「で、でも! リディエル様は時々とても怖い目でわたしを……!」
「それは寝不足ですわ。潮汐表を夜通し読んでおりましたの」
「ちょうせき……?」
王子が額を押さえる。
話が進まない。
いや、進んでいるのかもしれない。
妙な方向に。
リディエルは一歩前へ出た。
「断罪しないのであれば、仕方ありませんわね」
「な、何をする気だ」
「嫌がらせを行います」
息を呑む貴族たち。
「具体的には、レティシア様の前で毎日幸せそうにお茶を飲みますわ」
「それはただの優雅な生活ではないか!」
「殿下の執務室の本棚を、五ミリずつずらします」
「地味に嫌だな……!」
「さらには、王都の港の潮流を研究し、最高の出航日を勝手に決めます」
「それは誰も困らないだろう!」
王子は叫び、そして気づく。
――主導権がない。
断罪とは、裁く者が握るもののはずだ。
だが今、この場を支配しているのは。
悪役令嬢。
しかもやたらと旅行計画に前向きな悪役令嬢。
レティシアが小さく呟いた。
「リディエル様は……本当に、辺境へ行きたいのですか?」
その問いに、リディエルは一瞬だけ素の顔を見せた。
きらり、と瞳が輝く。
「はい」
迷いのない声。
「わたくしは、島を巡りたいのです」
玉座の間に、奇妙な沈黙が落ちる。
王子はその瞳を見てしまった。
そこには打算も悪意もない。
ただ純粋な――憧れ。
そして、ほんの少しの焦り。
(早くしないと出航日に間に合いませんのに)
という焦燥。
王子は深く息を吸い込んだ。
本来の台詞を、半ばやけくそで吐き出す。
「リディエル・フォン・アルセイン! お前を……辺境へ追放とする!」
わあ、と貴族席がどよめいた。
レティシアが「あっ」と小さく声を上げる。
リディエルは――
満面の笑みで一礼した。
「ありがとうございます、殿下」
「礼を言われる筋合いはない!」
「では失礼いたしますわ。船の予約がございますので」
「予約済みなのか!?」
こうして、悪役令嬢リディエルは断罪された。
涙も叫びもなく。
ただし、王子ライベルトの胸には妙な違和感が残った。
彼女は一度も、助けを求めなかった。
彼女は一度も、彼を見なかった。
その背中は――
あまりにも軽やかだった。
玉座の扉が閉まる。
潮の匂いが、ほんの少しだけ流れ込んだ気がした。
悪役令嬢の旅が、今、始まる。




