在るべきものを在るべき所へ
町はずれの通学路の途中、急な坂を登った小高い山の上にレンガ造りの古い趣のある一軒の店。
子供たちになぜか人気の「Witch House」には、魔女と呼ばれる女店主と二匹の猫が居ます。
白猫の名前はブラン、黒猫の名前をスヴァルトと言いました。
大人は、あまり登りたくないような急な坂の上の店。
子供たちは、そんな急坂でも気にせずに坂の上のこの店にやって来ます。
大人になるにつれてこの店から足が遠のくのは、この店がやはり魔女の店で、子供たちにしか魔法が見えないからなのでしょうか?
魔女は言います。
「子供の頃は、みんな魔法が見えるし、魔法が使えるのよ。でも、大人になるとだんだん見えなくなって使えなくなるの。それが大人になるってことかもしれないわね」
そんな「Witch House」は、本来は雑貨屋。
時々、大人の客がやって来ます。
今日は、ひとりの若い女性が「Witch House」にやって来ました。
「こんにちは~」
その女性は、恐る恐るドアを開いて、店の中を覗き込むように入って来ました。
店内には人の気配は無く、出窓に並べられた猫のベッドに白と黒の二匹の猫がまるまって寝ていました。
「ごめんください~」
女性は、もう一度声をかけてみましたが、店の中はし~んと静まり返り、猫の小さな寝息が聞こえるくらいでした。
彼女は、そのまま店の奥に入って行き店内に置かれている不思議な家具や絵、木彫りの置物、ネックレスや指輪、ブローチ、髪飾り等の小物などを見ながら、中二階に上る階段を登っていました。
しっかりした造りの木造の階段は、やはり古さからでしょうか、一段上がる毎にギシギシときしむ音がしました。
彼女には、その木がきしむ音ですら、古き良きこのモダンな建物が奏でるおしゃれな音に思えました。
「懐かしいなぁ」
そう、彼女は子供の頃によくこの店に駄菓子を買いに来ていたひとりなのです。
「何年ぶりだろう。子供の頃には、この店の素敵さがわかってなかったなぁ。ただ、店の手間にある駄菓子コーナーしか見てなかったわ」
と、ふふふと笑いながら、さらに奥へ登って行った。
そこにも、素敵なガラス細工やからくり仕掛けの人形や時計が置かれており、その手前にいくつかのアクセサリーも飾ってありました。
その中に、彼女の誕生石であるサファイヤがあしらわれ素敵な指輪がありました。
こんな高価そうな貴金属を無造作に飾ってあって、強盗に入られないのかしら?と心配になってしまいました。
そんな時、彼女のスマホから音がしました。
「…。」
彼女は、スマホが入っているポケットに手を入れましたが、それを出しませんでした。
そして、小さなため息をついてその場所から移動して、さらに奥へ進むとそこには、西洋の中世の館にあるようなマントルピースが有り、その上にも可愛らしい小物が沢山ならんでいました。
「下にも暖炉があったのに、ここにも暖炉?」とつぶやきながら、その暖炉を覗いて見ると、奥で何か動く生き物が見えました。
「えっ?さっきの猫ちゃん?」
暖炉には、炭も薪も無く、使用している気配が有りませんでした。
「飾りに置いてあるのかしら?」
「だとしたら奥も深く無いわよね?猫ちゃんの隠れ家になっているのかしら?」
彼女が腰をかがめて暖炉の中を覗き暖炉の奥で猫の目が輝いたと思った瞬間、
「あら?」
彼女の体がぐらりと傾き、よろめいたと思ったら周囲が歪んでいました。
「ええっ?えっ?」
貧血でめまいでもおこしたのかと思っていたら、周囲だけでなく彼女の周りの世界が全て歪んでいました。
気付くと、そこはあの「Witch House」の店内ではありません。
「ここって…」
猫が導くように彼女の前を走って行きます。
彼女がその後を追って走って行くと、そこは…
「ああ、ここは私たちの大学だ」
授業に向かう廊下に彼女は立っていました。
すれ違う人は、みな彼女と猫に全く気付いてないようでした。
向かい側から歩いてきた集団をよけ切れず、ぶつかると思った瞬間、人々は彼女をすり抜けていきました。
「えっ?私幽霊になったの?」
思わず猫に尋ねてみると、猫は一声にゃ~と鳴きました。
そして、彼女は自分の両掌を見つめ光に手を透かしてみました。
やはり透けて見える!
彼女は死んで幽霊になってしまったのでしょうか?
ぼ~っと、そのまま廊下に立っていると、後ろからまた男女の学生が歩いて来ました。
「あ…」
それは、彼女のよく見知っている顔と彼女自身でした。
「授業に遅れちゃうよ、利久斗くん」
「蒼玉は、先に行ってて」
「何を待っているの?」
「別にいいだろ?早く行きなよ遅刻するよ」
「もう!」
蒼玉は、怒った様子で先に行ってしまいました。
その場に残った利久斗は、後ろを振り返ると、元来た方に戻って行きました。
そして、しばらく歩いた廊下の隅で腹を出して転がっている虫をつまみ上げました。
腹を見せていた時は、わかりませんでしたが、持ちあげてみると背中の殻が七色に輝く美しい虫でした。
「やっぱりタマムシだ。こんなところに珍しいなぁ」
「蒼玉は、虫が嫌いだから、こんなに綺麗な虫でもギャーギャー言うに決まっているからな」
と、言いながら、彼女がお騒ぎする姿を思い出して、にやにやしながらタマムシを見つめていました。
「お前は、昔から縁起の良い虫と言われているのな。女子が持っていると恋がかなうとか、虫がつかないとか、幸せになるって話もあるけれど、俺は男だからさ。さらばだ!」
そういう言って利久斗は、窓を開けてタマムシを外に逃がしてあげました。
その様子を見ていた透明人間になっていた蒼玉は
「ああ、そうだったのね。あの時、私を先に行かせたのは私が虫嫌いだったから」
あの時すっかりヘソを曲げていた自分を思い出しました。
当時、蒼玉と利久斗は付かず離れずで、友達以上恋人未満の関係でした。
不器用だけれど、誰にでも優しく、言葉足らずな利久斗は、誤解されることも多く放っておけない存在でした。
スポーツが得意で、なんでも卒なくこなすスポーツマンの彼は、女子に男子にもモテる方でしたが、利久斗本人はそうした事に疎く、今まで誰とも付き合ったことが無いとのことでした。
利久斗と蒼玉が知り合ったのは、大学のバスケットのサークルでした。
高校までバスケット部に入っていた蒼玉は、大学で友人を作りたいと思いバスケットのサークルに入りました。
そこに居たのが利久斗でした。
初めは、口数も少なく、ぼさっとした利久斗を見ても、なんとも思わなかった蒼玉でした。
しかし、一緒のサークルで活動しているうちに、誰にも分け隔てなく優しく接する姿と、バスケの試合となるとスィッチが入ったようにコートを駆け回り、シュートを決める彼に徐々に惹かれていきました。
たまたま同じ学部で、取っている授業も同じものが多く、自然と大学内でも一緒に行動することが増えていきました。
周囲には付き合っているように見えていたかもしれません。
しかし、蒼玉は、一度だって利久斗に好きだと言われたことも無ければ、そんなそぶりを見せられたこともありませんでした。
たまに、見たい映画が重なった時に一緒に行ったり、買い物に付き合ったりしたことはありましたが、それをデートというのか?甚だ疑問でした。
月日が経って、後輩が入って来ると、背が高くバスケの上手い先輩は後輩の憧れの的になって行きました。
男子の後輩からも好かれ、女子からのアプローチも増えていきました。
蒼玉は、内心気が気ではありませんでしたが、特に彼氏彼女という関係でも無い自分がヤキモキしても仕方ないのかと思っていました。
傍から見れば恋人同士にも見えなくはないのに、付き合っていないと知るや否や蒼玉を威嚇し来る女子の後輩も現れて、イライラさせられる事もしばしば。
サークルでの新入生歓迎の飲み会の席で、図々しくも利久斗の両脇を後輩が独占して座った時も蒼玉は、なんとも無いふりをして自分は男子の先輩たちと楽しそうに飲んでいました。
利久斗の方をチラチラと見ながら。
そんな時の利久斗は、いつもの優しい笑顔でニコニコと笑いながら相手をしていました。
利久斗が、時々ふと疲れたように下を見る顔に、その時の蒼玉は全く気付いていませんでした。
しかし、今スケスケの透明人間になってどこにでも行ける姿になった蒼玉には、全てが見えていました。
「ああ、利久斗も無理して付き合っていたのよね、あんまりお酒は強くないもんね」
今なら、彼の憂鬱そうな表情を見てとれます。
しかし、あの時の彼女にはそんな余裕も無く、嫉妬心で目が濁っていました。
強くも無いくせにいつもよりハイペースで酒を飲み、ちょっと酔いも回っていました。
店の外に出ると、二次会へ行こうと騒いでいる者たちに囲まれ利久斗が困った顔をしています。
そこへ女子の後輩たちがやって来て利久斗の腕に抱きついて
「せんぱいも行きましょうよー!!」
と、騒いでいました。
その様子を見ていた蒼玉は、いつもなら帰る方向が同じ利久斗に家まで送って貰っていたのに、
「先輩の家で二次会しませんか?」
と、仲の良い女子の先輩に絡んでいました。
「いいねぇ。蒼玉ちゃん!ついでにうちに泊ってく?」
「泊る!泊る!」
と、酔いで足元がふらついたまま先輩と路上ではしゃいでいました。
そんな酔った蒼玉を心配した利久斗が、そっと近づいて来て
「蒼玉だいじょうぶか?」
と、声をかけ来たのに
「だいじょうぶ!だいじょうぶ!今日は先輩んちに泊って飲む!」
と、女子の先輩と腕を組んでずんずん歩いて行ってしまいました。
「おー、俺たちも行くぞ!」
と、男子の先輩がその後を追います。
そんな蒼玉たちの後姿を利久斗は、ただ悲しそうに見送っていました。
後輩の女子たちに絡まれながら…そして、
「ごめん、俺帰る。酒強く無いから気持ち悪くなって来た。悪い」
そう言って、後輩女子たちの腕を振り払って払ってひとり帰って行きました。
ひとり駅のホームで寂しげに電車を待つ利久斗の背中。
透明になった蒼玉は、思わず利久斗に駆け寄り
「ごめんね、ごめんね。利久斗」
と、背中にしがみついて思わず涙を流して謝っていました。
そう、あの後、利久斗は、しばらく蒼玉の前に現れなかったのでした。
利久斗は、蒼玉が男子と女子の先輩たちと朝まで飲み明かして、泊まったものと思っていたのです。
しかし、蒼玉は男子の先輩も付いて来たのを知り、やはり途中で気分が悪くなったと言ってタクシーを拾い、ひとりで帰って来ていたのでした。
「利久斗は、私に幻滅したのかもしれない」
「ああ、今ならわかる」
「自分は、利久斗は全く悪く無いのに、嫉妬で馬鹿なことをして、利久斗を傷つけていた」
透明人間の蒼玉は空を見上げて、ただ後悔の念をかられていました。
その足元に、そっと猫は寄り添っていました。
すると場面は変わり、利久斗が家庭教師のアルバイトをしている場面に代わりました。
「先生、ありがとうございました」
と、女子高生の母親らしい女性がおじぎをすると、
「お父さんが傘を持たずに出たらしく、駅で待っているみたいなので、駅まで一緒に行きましょう」
と、女子高生は自分のも靴を履いて傘を2本持って言いました。
「お父さんに、傘を持って言ってあげるのか!偉いな」
利久斗と生徒の女子高生は、傘をさし駅に向かって歩いて行きました。
駅には女の子のお父さんが、ふたりを待っていました。
「こんばんは、お帰りなさい」
と、利久斗が生徒の父親に挨拶をすると
「こんばんは、先生。いつもありがとうございます」
と、生徒の父親も言いました。
「お父さん、おかえり。はい、傘!」
と、娘が黒のこうもり傘を父親に渡すと、父親も嬉しそうに娘の傘を笑顔で受け取りながら、手に持っていた小さな紙袋を代わりに渡しました。
「お父さん、ありがとう、忘れていなかったのね?」
娘は、そう言って父親から貰った紙袋をそのまま利久斗に渡して言った。
「先生いつもありがとう!バレンタインデー!私とお父さんから」
「えっ?」
と、利久斗は、驚いていました。
「チョコは、彼女から貰うでしょ?だからマフラー。まだ寒い日もあるから使ってね」
女子高生とその父親は、ニコニコしながら利久斗の顔を見ていました。
「ああ、ありがとうございます」
利久斗は嬉しそうに受け取ると、女子生徒と父親にお辞儀をしてホームへ去って行きました。
「ああ、あのマフラーは家庭教師先の女の子とお父さんからだったんだ」
透明人間の蒼玉は、去年のバレンタインデーの翌日に、真新しいマフラーを嬉しそうにしている利久斗にヤキモチを妬いたのを思い出していました。
「私は、去年のバレンタイン何あげたんだっけ?」
「ああ、手作りチョコレートと下手クソな手編みの手袋をあげたんだったわ」
透明人間の蒼玉は、利久斗の家まで後に着いて行きました。
利久斗は、家族と暮らしています。
蒼玉と学区は違うが比較的近い地区に住んでいました。
しかし、彼の家の中に入ったことはまだありません。
透明人間ながらも、ちょっとドキドキしながら利久斗の部屋の中まで着いて入って行きました。
男の人の部屋の中に入るのは、小学生以来初めてでした。
利久斗の部屋は思った以上に殺風景でした。
ベッドとソファーとテレビ。
机の上にはノートパソコン。
その横には本棚が有り大学の教科書や高校の頃の参考書が入っていました。
下の方はマンガ本のようでした。
ソファーとベッド上にはぬいぐるみがいくつか置いてありました。
その中には、蒼玉とゲーセンで取ったキャラクターのぬいぐるみもありました。
机の上のノートパソコンを閉じると、そこにはフォトフレームが置いてありました。
その中には、サークルの皆で撮った写真が入っており、写真の中の利久斗と蒼玉は隣同士、笑顔で写っていました。
利久斗は、さっき貰ったマフラーの入った紙袋をポンと置くと、タンスから何かを取り出しました。
それは、蒼玉があげた手袋でした。
その手袋を両手にはめ、さっきの紙袋からマフラーを取り出して首に巻くと、
「あったかいな。これでこの冬の防寒は完璧だ」
と、つぶやきました。
そのマフラーと手袋を外すと、机の引き出しから、今度は何かの紙袋を取り出しました。そして、
「コーヒー、コーヒー」
と、言いながら部屋を出て行きました。
しばらくして、煎れたての湯気がたったホットコーヒーの入ったカップを片手に戻ると、さっき取り出した紙袋から、さらに箱を取り出しました。
「あ、あれは私の手作りチョコだ!」
透明人間の蒼玉は、思わず叫んでしまいました。
そんな蒼玉の言葉など、全く聞こえない、姿も見えない利久斗は、箱からチョコレートをひと粒取り出して口にそっと放り込んみました。
「ん、甘いね!」
と、言いながらチョコレートを味わって、熱いコーヒーを飲みました。
「この組み合わせが最高だ」
と、言いながら箱を開けて、中に入っているチョコレートの数を数えて言いました。
「あと、15日は楽しめるな」
そう言って箱を閉じ、再び机の引き出しの中へ入れました。
「はい、バレンタイン」
と、言って蒼玉が渡した時に利久斗は照れくさそうに一言
「ありがとう」
と、言ってくれただけでしたから、利久斗がこんなに喜んでくれているとは夢にも思ってもいませんでした。
下手したら、捨てられはしなくても放置されているかも?とすら思っていたのです。
透明人間の蒼玉は、
「そんなものならいくらでも作ってあげのに。チョコが好きなら、もっと美味しいチョコレートなんていくらでも売っているでしょうに」
そう言いながら、心が温かくなるのを感じて嬉しかったのでした。
そして、その1ヶ月後のホワイトデーの日のことを思い出していました。
その日は、一緒にテーマパークに行って大好きなキャラクターのぬいぐるみを買って貰いました。
楽しい一日ではありましたが
「私達って付き合っては無いのよね?」
「告白されても、告白してもいないもの」
蒼玉は、そんな事を紋々と思いながら一日を過ごしていました。
そして、その帰り道ついに我慢できずに、利久斗に聞いたのでした。
「ねぇ?利久斗。私たちって付き合っているの?単なる友達?」
利久斗は、ビックリした顔で全ての動きが止まっていたが、小さく
「付き合っている…というか付き合いたい」
と、言いました。
「あの時は、本当に嬉しかったなぁ」
けれど、あれから半年。
お互いに卒論や就活も有り、忙しく、すれ違いの日々で、全く会えていません。
ここのとろは特に、蒼玉を避けているのかと思うほど…
「ごめん、予定が入っていて会えない」
「今日はバイト」
「その日もちょっと…」
そんな事ばかりで、他に好きな人が出来たんじゃないかと疑う気持ちが大きくなって来ていた蒼玉でした。
「でも、今こうして透明人間になって利久斗を見ていると、利久斗がそんな人では無いとわかる」
それでも、やっぱり蒼玉の不安はぬぐえませんでした。
足元に寄り添う猫は、そんな蒼玉の顔を見上げながら、「ダメだな」というように頭を振りました。
いつの間にか透明人間の蒼玉は、高級ブランドが立ち並ぶ繁華街の通りをひとり歩いていました。
猫の姿はもうありません。
そして、いつか利久斗と一緒に歩いていた時に見つけた、おしゃれなお店のショーケースの前に立っていました。
「ああ、これ」
「私の誕生石の9月のサファイヤと利久斗の誕生石の3月のアクアマリンの両方があしらわれていて素敵だなと思った指輪だわ」
「あれ、どこか別のところでも、同じ指輪を見たような?」
と、思っているうちに、頭がくらくらして来て、再び蒼玉の周囲の世界が歪みだし目の前が真っ暗になりました。
そして次の瞬間、目を開けると元のWitch House」の中の暖炉の前に立っていました。
蒼玉は、思わず自分の両掌を裏返したり、表にしてみたりして透けていないかを確認してみました。
どうやら、スケスケの透明人間では無く、肉の詰まった普通の人間に戻っているようでした。
一体、なんだったのかしら?と思いながら、店の一階に戻ろうと元来た方へ歩き出しました。
そして、さっき来た時に見た、ガラス細工やからくり仕掛けの人形や時計が置かれていた中にあの指輪が無い事に気づきました。
さっきの幻の中で見た指輪は、あの指輪だったのだと思い不思議な気持ちになっていたのでした。
蒼玉が、その場でぼ~っと立ち尽くしていると、後ろから人の気配がしてハッとしました。
そこには、この店の女店主が立っていました。
「いらっしゃい。久しぶりに来てくれたのね、嬉しいわ」
と、魔女は言いました。
「えっ?私を覚えているのですか?」
「もちろんよ、あおいちゃんでしょう?」
「あ、はい。そうです」
蒼玉は、驚いて魔女を見つめました。
「ずいぶん立派な大人になっちゃったけれど、うちの店に通ってくれた子供の名前は忘れないわ」
魔女は、嬉しそうに蒼玉を受け入れるように両手を広げて言いました。
「あの、さっき、あそこに有ったはずの指輪が無くなっていたんですが…」
と、蒼玉が言うと魔女は別段慌てる様子も無く
「全ては在るべき所へ、持つべき人の元へ戻るものよ」
と、笑って彼女を下に招いてお茶を勧めました。
いつの間にか一階の大きなテーブルの上には、ティーセットが置かれ、ティータイムの準備が出来ていました。
魔女は、お茶を注ぎながら言いました。
「今日のお茶は格別よ?幸せな気分になれる特別なお茶だから」
そう言って彼女の前にティーカップを置きました。
「さあ、飲んでみて」
蒼玉は、魔女に勧められるままそのお茶を飲むと、魔女の言った通り幸せな気分になりました。
そして、魔女はティ―スタンドからマカロンを1つ取って言いました。
「これはね。素直になれる魔法のスイーツ。今のあなたに一番必要なものよ?」
そのマカロンを蒼玉に手渡しながら言いました。
「これを食べたらお行きなさい。在るべきものを在るべき所へ戻し、持つべき人の元へ戻すためにね?」
蒼玉が、渡されたマカロンを口に入れると、それはすっと口の中で溶け、口いっぱいに幸せな甘さが広がりました。
そして、蒼玉は元気に立ち上がり
「ありがとうございました。素直になって、在るべき所へ戻ります」
と、言って蒼玉は、「Witch House」を出ました。
そして、ポケットからスマホを取り出して電話をかけました。
呼び出し音が鳴るかならない鳴らないうちに相手が出ました。
「ごめんね、利久斗。私、戻るべき所へ戻るわ」
「今どこ?すぐ行くから」
電話の向こうの利久斗は、わけがわからずに慌てていました。
「坂の上の魔女の家よ」
利久斗は一瞬、蒼玉が自分をからかっているのかと思いましたが、子供の頃によく通っていた「Witch House」を思い出して言いました。
「ああ、あの駄菓子を売っている魔女のお店だね。今すぐ行くから坂の下の公園で待っていて」
利久斗は、スマホを片手に猛ダッシュで走っていました。
蒼玉が、ゆっくりと「Witch House」の前の坂を下り、坂下の公園へ行くと、そこには両手を膝について肩で息を切らした利久斗がいました。
「利久斗!」
素直になろうと心に決めていた蒼玉は、利久斗に駆け寄って言いました。
「ごめんね。私いつも自分勝手だったわ。勝手に思い込んで、勝手に感情に振り回されて…利久斗の気持ちなんもわかってなかった」
急な蒼玉の謝罪に驚いて言葉が出て来ない利久斗に向かって、蒼玉は続けて言いました。
「そもそも、こんな私が利久斗に好かれる理由なんてひとつも無いのに…わがままで、自分勝手で、嫉妬深くて、僻みっぽくて、勝手に怒って、勝手に泣いて、利久斗を困らせる事しかしないのに…本当にごめんね」
すると、利久斗は小さな声で言った。
「そんなことない。そんなことない…」
「えっ?」
利久斗が下を向いたままつぶやくように言ったので聞き取れず、蒼玉は、思わず利久斗の目の前まで行って顔を覗き込みました。
利久斗は、顔まで汗だくになっていたのでまるで泣いているようにも見えました。
「俺が口下手なせいで、蒼玉に誤解ばかりさせてしまって、俺が悪いんだよ。自分のことをそんなに悪く言わないでくれ」
と、やっと息をついた利久斗が顔をあげました。
「俺の好きな蒼玉は、そんなヤツじゃないよ」
「でも、でも、私の良い所なんて思い出せないでしょ?」
蒼玉は、今まで自分が利久斗にして来たことを思うと、利久斗に嫌われても当然だと思っていました。
「いいや、勝手に落ち込んだり、笑ったり、怒ったり、泣いたり、くるくると表情が変わるところも可愛いと思っているし、朝が苦手な俺に毎朝モーニングコールしてお越してくれたり、料理が苦手なのに頑張ってお弁当作ってくれたり、なんでも一生懸命だし…いっぱい、好きなところいっぱいだよ」
蒼玉は、自分が素直になるだけで、利久斗の素直な気持ちをこんなに聞けたと、感動して涙が溢れて止まりませんでした。
そしてたまらず、利久斗に抱き着いてしまいました。
利久斗は、汗だくの自分に気づいて
「ごめん、汗だくで臭いよ?」
と言いましたが、蒼玉はそんなことはどうでも良いと、利久斗を力いっぱい抱きしめました。
そして、利久斗も遠慮せず蒼玉を抱きしめて言いました。
「別れようって言われるのかと思って焦ったよ」
「うん。私も正直迷っていたの。だって、もうここ何ヶ月も私を避けていたでしょ?他に好きな人でも出来たのかな?って。別れようって言われるのが怖くて逃げ出したかったの」
利久斗は蒼玉の言葉を聞いて、思わず大きな声で叫んでいました。
「そんなこと、あるわけないじゃないか!」
今の蒼玉にもわかっていました。
街中でたまたま蒼玉が見かけた利久斗と仲良く歩いていた可愛い女の子。
あれは、透明人毛になって蒼玉が見た家庭教師先の女の子でした。
蒼玉は、勝手に浮気相手だと思い込んでいたのです。
利久斗は、蒼玉に浮気を疑われていたと知って心底驚いていました。
そして、大慌てでポケットの中を探り小さな箱を取り出して言いました。
「俺さ、バイト増やして働いていたんだよ」
「蒼玉の誕生日だろ?それまでにこれを買うお金を貯めたくてさ」
そして、その小さな箱を利久斗の大きな両手で持ち、蒼玉に差し出しました。
「貰って!」
と、頭を下げる姿は、「お願いします」と手を差し伸べて、告白する時のようでした。
蒼玉は、恐る恐る小さな可愛いリボンの付いた箱を利久斗の手から受け取りました。
そして、その箱を開けると、そこには「Witch House」と、繁華街のショーケースで見た、あのサファイヤとアクアマリンの指輪が輝いていました。
「サファイヤって和名で蒼玉って書くだろ?蒼玉の誕生石だって聞いていたけれど、この指輪に一緒に付いているアクアマリンが俺の誕生石だったんだよ」
「それを知って、どうしてもこの指輪を蒼玉に付けて欲しくて、バイト増やしてなんとか蒼玉の誕生日に間に合わせたかったんだ」
と、利久斗は照れくさそうに言いました。
「もう!どうしてそういう事を内緒にするのよ!」
「てっきり私と一緒に居たく無くて、用事を入れているのかと思っていたじゃない」
蒼玉は涙でメイクが落ちるのも気にせず泣きながら言いました。
利久斗もいまにも泣き出しそうな顔で
「逆だよ。会いたいのを我慢して働いていたんだから。これでフラれていたら俺一生立ち直れないよ」
と、言っていいながら、箱から指輪を取り出して蒼玉の指にはめました。
自分の指に付けられたそのキラキラと輝く指輪を見つめながら
「一生大切にするからね!」
と、蒼玉は嬉しそうに言って利久斗の顔を見上げました。
「俺、ちゃんと付き合おうって蒼玉に告白していなかっただろ?だから、これを渡してちゃんと付き合って下さいって言い直したかったんだ。本当に鈍臭い男でごめんな」
「ううん、そんなこと無い。優しくて、不器用で、誠実な利久斗だから好きになったんだもん!」
こうして、在るべきものが、在るべきところへ戻ったのでした。
そんなふたりを遠くから見守っていた、白猫と黒猫は、満足げに二匹仲良く坂道を駆け上がり魔女の元へと戻って行きました。
町はずれの通学路の途中、急な坂を登った小高い山の上にレンガ造りの古い趣のある一軒の店。
子供たちになぜか人気の「Witch House」には、魔女と呼ばれる女店主と二匹の猫が居ます。
いつもは、子供しか寄り付かない店ですが、時々、昔、子供だった人もやって来ます。
魔女は言います。
「子供の頃は、みんな魔法が見えるし、魔法が使えるのよ。でも、大人になるとだんだん見えなくなって使えなくなるの。それが大人になるってことかもしれないわね」
「今日のお客様は、まだ子供の心を持っていたから間に合ったわ」




