9. 舞踏会エンド
ふぅ。さあ、ここからだわ。
私はそっとビクトリアの肩に手を置き、優しくぽんぽんと叩く。
まるで、騒ぎすぎた妹をなだめるような、穏やかな手つきで。
――そして、静かに立ち上がる。
「皆さま!」
朗々と大広間に声を響かせた。
「ビクトリアさまとは、ちょっとした行き違いがありましたが――たったいま無事、解決いたしました!」
広間の空気が、ぴたりと止まる。
「これまで、私に対するいくつかの誤解がございましたが……皆さまもご覧のとおり、ビクトリアさまは誠実に謝罪してくださいました。
そして私は、そのお気持ちをありがたく受け取り――本日ここに、和解いたしました!」
すっと一礼すると、広間の空気がざわりと揺れる。
誰もが――呆気にとられていた。
ルークも、アランも、ライナルトも、ジルベールも、他の貴族たちも。
そして何より、ビクトリア自身が、ぽかんと口を開けたまま私を見つめていた。
けれど――今が勝負。
一見すると、私がビクトリアをやり込めて勝利したかのように見える。
でも本当は、場を引っ掻き回して、“正義の断罪”から皆の目を逸らしただけ。
私のしでかした数々の所業の後始末は、まだ何一つできていない。
(そうよ、今のうちに“既成事実”を作るのよ。
ビクトリアには申し訳ないけれど……彼女が正気に戻って、私の悪行を思い出す前に――すべて、決着をつける)
「さあ、ビクトリアさま」
私はにっこりと笑いかける。
「私たち、和解しましたよね?」
「へ……?」
「私たち、和解しましたよね!?
――大切なことなので、二度言いました」
ビクトリアは、私に促され、わけもわからないまま、こくこくと頭を縦に振る。
呆けたような表情のまま、それでも確かに“肯定”のジェスチャーをした。
「ありがとうございます、ビクトリアさま!」
私は満面の笑みを浮かべ、ぺこりとお辞儀をする。
「私の方こそ、これまで数々のご迷惑、そして多大なるご無礼をおかけしたこと、本当に申し訳ございませんでした。
もちろん、心より謝罪いたします。……ですので――」
そう言って、私はそっとにじり寄り、静かにビクトリアの前で膝をつく。
「私の謝罪も……受け入れてくださいますよね? ね?」
ビクトリアは再び、反射のように、こくこくと頷いた。
――よしっ。
「では、涙を拭いてくださいませ、ビクトリアさま」
私はハンカチを取り出し、彼女の手にそっと握らせる。
ビクトリアは、言われるがままにそれを受け取り、きょとんとした表情のまま――おずおずと涙をぬぐった。
それから私は、そっと彼女の背中に手を添えて、立ち上がるのを助ける。
まるで、仲のよい友人であるかのように、優しく、しっかりと支えて。
そして、くるりと振り返り、広間を見渡した。
「さあ、皆さま。今日は卒業舞踏会ですわよ?」
私は、できるかぎり朗らかに、明るい声で広間に呼びかけた。
両手を軽やかに広げる仕草に、ほんの少しでも皆の緊張が緩むよう願いながら。
「お芝居はここまで。そろそろ本来の目的――楽しいひとときを取り戻しませんか?」
それでもまだ、場は硬直していた。
誰もが、先ほどまでの緊迫した空気を、まだ頭から振り払えずにいた。
私が、ビクトリアに“何かをした”のは明らかだった。
ただそれが何だったのか――分からぬままに、ただ得体の知れなさが、全員の胸をざわつかせている。
私は、そっとルークに視線を送る。
彼もまた、まるで呪文でもかけられたように立ち尽くしている。
――でも、あなたなら、きっと分かってくれるはず。
私が今、どれほど不安定な橋の上に立っているか。
そして――その手を差し伸べられるのは、あなただけだということも。
「ルークさま」
私は頬にそっと手を添え、やわらかなお願いのポーズを作る。
そして、丁寧に言葉を紡いだ。
「どうか、ビクトリアさまと踊ってあげてくださいませ。
……わたくしからの、切なるお願いですの」
その瞬間、ルークの瞳がわずかに見開かれた。
戸惑いを湛えたその表情には、それでもどこか――私の意図を汲もうとする色が浮かんでいた。
やがて彼は、ゆっくりと小さくうなずくと、静かにビクトリアの方へ歩み寄り、そっと右手を差し出した。
「……ビクトリア」
その一言に、ビクトリアの肩がびくりと震える。
けれど――戸惑いながらも、彼女はその手を見つめ、そして、恐る恐る……けれど確かに、その手を取った。
二人は、ぎこちなくフロアの中央へと進み出る。
そして、音楽が――ゆるやかに、優しく流れ始めた。
ルークは慎重にビクトリアの腰に手を添え、ゆっくりとリードを始める。
その動きには、まだぎこちなさと戸惑いが滲んでいた。
そしてビクトリアの方も、まるで触れれば壊れてしまいそうな顔で、ぎゅっと唇を結び、固まったように身をこわばらせていた。
けれど――
何拍か、静かな時が過ぎた頃。
ルークがふと、ビクトリアの顔を見つめ、小さく目を見開いた。
そこには――ほんの一瞬だけ、笑みが浮かんでいたのだ。
それは、儚く、頼りなかったけれど、
かつて彼女と心を通わせていた頃、彼が何度も目にした、懐かしい笑顔だったのかもしれない。
そして――ルークの表情も、少しずつ、穏やかに和らいでいく。
記憶の奥に沈んでいた思い出が、泡のようにゆっくりと浮かび上がり、心に触れたのだろう。
ふたりのダンスは、次第に滑らかさを取り戻していった。
足取りが合い、息が合い、視線が合って――
やがて、舞踏会本来の華やかさを思い出したかのように、
優美な旋律とともに、ふたりはしなやかに、軽やかに、舞い始めた。
――よかった。
きっとルークも、内心、不本意だっただろう。
それでも私の気持ちを汲み取って、この場でビクトリアと踊ってくれた。
だから私は、ルークという人が好きなのだ。
誠実で、優しくて、何も言わなくても察してくれる。
……ほんの少し、ずるいくらいに。
私は心の中でそっと「ごめんなさい」と呟きながら、くるりと振り返った。
そして、広間の隅で固まっているルークの友人たち――
アラン、ライナルト、ジルベールに向かって、にっこりと微笑みかける。
「ねえ、皆さま……」
ほんの一拍だけ間を置いて、私は声の調子をほんのわずかに柔らかくした。
「そちらの素敵な婚約者たちが――今か今かと、お待ちになっておりますわよ?」
アランが目を見開いた。
「……リナ嬢、君は……何を考えて……」
「何をって? “舞踏会”ですわ。
それとも、先ほどの“お芝居の余韻”が、まだ抜けませんの?」
からかうような響きを残しつつも、その声には、ほんのわずかに、訴えるような色が滲んでいた。
私はゆっくりと一歩踏み出しながら、言葉を続けた。
「今日という日を――断罪の日として終わらせるのか、それとも……赦しと再生の日にするのか。
それは、皆さまお一人おひとりのご選択に、委ねられておりますの」
ライナルトとジルベールが視線を交わし、そして静かに、それぞれの婚約者たちへ目を向ける。
令嬢たちは、こわばった笑顔で立ち尽くしていた。
彼女たちもまた、誰ひとり、リナの“お芝居”をどう理解すればよいのか分からないまま、ただ――
祈るように、彼らの手が差し伸べられるのを待っていた。
「……ったく、やられたな……」
ジルベールがぼそりと呟き、ため息交じりに前へ進む。
「……今さら踊ったところで、何が変わるのか分からんが……」
そう言いながらも、彼はゆっくりと歩みを進め、自分の婚約者にそっと手を差し出した。
アランもそれに続き、最後にライナルトもまた、重たい空気を切るように歩み出した。
令嬢たちは戸惑いながらも、その手を恐る恐る取った。
手と手が触れ合った瞬間――かすかに、互いの指が震えていた。
――それで、十分だった。
私の目の前で、ゆっくりと、ダンスの輪が広がっていく。
まだぎこちなく、どこか不器用で――けれど、確かに前へ進もうとする意志がそこにあった。
舞踏会は、静かに、始まったのだ。
私は、胸の奥に詰まっていた空気を、そっと吐き出すように一息ついた。
(……はぁ。なんとか、切り抜けたわね)
私が“攻略”と称して踏みにじってきたビクトリアと令嬢たち――
彼女たちの名誉も、心の傷も、まだ回復されたわけではない。
でも、私はこの舞台で、“断罪”を“赦し”へと塗り替えた。
少なくとも今この瞬間、私――リナ・アルデーヌも含め、断罪されるべき令嬢も、婚約破棄されるべき令嬢も、いなくなった。
ゆるやかに流れる旋律のなか、ドレスの裾が舞い、宝石が揺れ、微笑みが咲き始める。
さっきまで、“断罪”と“破滅”の気配に満ちていたこの空間は、まるでそれが幻だったかのように、優雅な“舞踏会”へと回帰していた。
私は、一歩引いた位置から、その光景を静かに見守っていた。
まるで――観客席から自作の舞台を見届ける劇作家のように。
(ふふ……よくできました、私)
私は、堂々とこの場に立ち――“逆ハーレムエンド”を、自らの手で阻止してみせたのだ。
―――その時だった。
あの聞き覚えのある、ふざけたナレーションが、脳内に再び鳴り響いた。
『ピロリロリーン♪
おめでとうございます!
“超エクストラハード・シナリオ”をクリアしました。
以降は、セデュース・ラバーズの世界を、心ゆくまで、お楽しみくださいませ』
……ちょ、待って。
超エクストラハードってなによ!? 聞いてないんですけど!!