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4. ルーク・アステリア

 ――だが、そのとき、私はピーンと閃いた。


(そうだ、リナの“予見”の力――これを使えば……!)


 もう、ぐずぐずしている暇なんてない。

 今すぐにでも断罪劇を止めなきゃ、婚約破棄が確定してしまう。

 そうなると、逆ハーレムという名の断頭台(バッドエンド)が、私を待っている――!


 私はぎゅっと両手を握りしめて、一歩、前へと踏み出した。


「あ、あのっ……ルークさま」


 声が震える。心臓が喉まで跳ね上がってる。

 でも……ここで怖気づくわけにはいかない。


「どうした、リナ?」


 ルークが静かに振り返り、その顔をまっすぐに私へ向けた。


 ――その瞬間、息が止まった。


(う……ひゃあ……か、顔が、ルーク様のご尊顔が……!)


 凛々しさと気品が見事に調和したその顔が、真正面から私を――私だけを――見つめていた。

 意思の強そうな口元。鋭く整った眉。

 そして、吸い込まれるような深い青の瞳――

 見つめられた瞬間、心臓が跳ねて、頭の芯がじーんと痺れてきた。


 こ、こっ、これが全プレイヤーの憧れ……もはや神か何かですか、あなた。

 私はその完璧な美貌に目を奪われ、思わず意識が遠くなる。


 そんな私の様子を見て、ルークはそっと微笑んだ。

 ふわりと柔らかな笑み。私を安心させるように、優しい眼差しを向けてくれる。


 ――は、ひゃーーっ……!!


 無理、無理無理。その笑顔、尊すぎる……!

 私は思わず目をぎゅっとつむり、深呼吸を繰り返す。

 落ち着け私、動揺してる場合じゃない。


 ありがたいことに、ルークは黙って、私の言葉を待ってくれている。

 だったら、ちゃんと言わないと。


「えっと……その、いま……『予見』の力が……っ」


「……予見?」


 ルークの眉がわずかに動いた。

 その声に、ほんの少しだけ警戒の色がにじんでいる。


 無理もない。

 私の“予見”の力は、ごく限られた人にしか知られていない秘中の秘だ。

 私と、ルークと……それからあの3人の攻略対象たちだけの。


 こんな場で口に出すことじゃない。

 だけど、もうそんなことを気にしている段階じゃないのだ。


「ええと……おかしな話なんですけど……

 その……このまま婚約を破棄されますと、ルークさまも、ビクトリアさまも……えっと……」


 私はもう一度、大きく息を吸い込んで――顔を上げた。


「――()()、します……!」


「……何っ!?」


 ルークが身を乗り出し、鋭い眼差しで私を見つめる。

 その気迫に、私は思わずビクッと肩をすくめてしまう。


 だけど、ここで止まるわけにはいかない。

 今、言わなければ――すべてが手遅れになってしまう。


 私は緊張で震える膝をこらえながら、必死に言葉を紡いだ。


「ど、どういう経緯かまでは分かりません……

 でも、お二人が……ひ、非業の死を遂げる未来が……見えてしまって……!」


「……非業の死を、だと?」


 その声は、さっきまでの優しい王子モードとは全く違っていた。

 わずかに震えを帯びた声音。顔色も少し青ざめている。

 周囲の攻略対象たちも動揺を隠せない様子で、互いに顔を見合わせ始める。


 ――そう、彼らは知っている。私の“予見”の力を。

 過去のイベントで、私は何度も彼らのピンチを的確に予見し、救ってきた。

 今や彼らにとって、私の予見は『絶対当たる』シロモノなのだ。

 どんなに胡散臭くても、スルーなどできるわけがない。


 まあ、今回に限っては、全くのデタラメなんだけど!


「……それが本当なら、早急に対策が必要だな」


 ルークが低く、苦渋を滲ませる声でつぶやいた。

 眉間にしわを寄せ、何かを必死に考えているような顔だ。

 しかし、ふと何かに気づいたように目を瞬かせると、静かに私の方へと視線を向けた。


「そうか……先ほど君が目を閉じて、震えていたのは……とても怖い未来を、見てしまったからなのだな」


(えええっ……?)


 思わず変な声が出そうになるのを、私は全力で堪えた。

 私が目を閉じていたのは、ルーク様の麗しい顔を至近距離で見つめすぎて、理性が崩壊しそうになったからで――怖い未来とか、まったく関係ないんだけど。


「それは……可哀想なことをしたな。

 君は、あの一瞬でそんな恐ろしい破滅の光景を目の当たりにしたというのに……」


 ルークの顔には、どこまでも優しい眼差しが浮かんでいた。

 まるで小動物をいたわるかのように、そっと、慈しむように。


「……いや、ここは君に礼を言うべきだったな。

 こんな公の場で、しかも口にしにくい事案だったろうに……それでも勇気を出して、僕に伝えてくれてありがとう」


 ……うん、違うんだけどね!?

 それにしても、この状況で私にお礼を言ってくるなんて……

 ほんと、ルークは誠実の塊みたいな人だ。


 そんな彼が、決意を込めた声で言った。


「でも、もう心配はいらない。

 脅威が分かったのなら、破滅が起きる前に手を打てばいい。

 これから、万全の対策を考えていくとしよう」


 ――なんというポジティブ思考。

 自分が死ぬ未来を知らされたというのに、即座に、対策すれば問題ないと言い切る胆力。

 しかもその前に、私を気遣い、いたわりの言葉とお礼を述べたうえでの発言なのだ。


 ……いや、ちょっと待って、それじゃ困るのよ!


 私はあわてて、小さく手を握りしめながら、おずおずと口を開いた。


「で、でしたら……婚約は“継続”してくださいね?」


「……へっ?」


 完璧王子に似つかわしくない、間抜けな声がルークの口から漏れる。


 だが、私は一歩も引かない。

 ここが、生きるか死ぬかの正念場!


「だって、ビクトリアさまと婚約を継続なされば……破滅は完全に回避できますから。

 これこそが、万全の対策――ですわ!」


 最後ににっこりと微笑みを添えて、私は堂々と言い切った。

 ……うふふ、どうよ。これが私の筋書き。


 “婚約破棄すると死ぬ”――そんな予見を見たことにして、婚約を続けさせる。

 我ながら、完璧なプランだわ。


「えっ……ええっ? ……ま、待ってくれ!」


 ルークは、私の言葉の意味するところを理解した瞬間、明らかに動揺し、半歩私に詰め寄ってきた。

 その蒼い瞳が、あたふたと揺れている。


「……だっ、だがビクトリアは君を――あれほど酷く――いじめていたじゃないか。

 君も、辛そうだった……!

 それなのに、そんな相手と婚約を続けるなんて……!」


 ……うん、まあ、そうなるよね。

 私もこれまで、被害者面でアピールしてたし。


 でも、もう状況は完全に変わったのだ。

 私はルークに正面から向き直り、ほんの少し、困ったような笑みを浮かべた。


 こう見えて、前世では一応、会社の渉外担当もやっていたのだ。

 年配のクレーマー相手にも、何度も渡り合ってきた。

 16歳の王子様ひとりくらい、言い負かせないはずがない。


 私はあえて、令嬢らしい優雅さと慎みをたたえながら、ゆっくりと口を開いた。


「……ご心配には及びませんわ、ルークさま。

 私の気持ちなんて――お二人の命の重大さを思えば、取るに足らないことですから」


 そのセリフに、ルークは目を見開いた。

 けれど、すぐにその瞳は翳りを帯び、眉を寄せて苦悩の表情へと戻ってしまう。


 私は、そんなルークの顔を見つめながら、ふと胸の奥に冷たい風が吹き抜けるのを感じた。

 やむを得ないとはいえ、さすがに残念だわと。


 せっかく、ルークと両想いになれるはずだったのに。

 乙女ゲームの中で、あんなにもルークとの愛を夢見ていたのに……

 ルークからドレスや宝飾品を贈られ、磨かれて、美少女に生まれ変わる未来。

 憧れて、ずっと渇望していたのに……


 それなのに、自らルークを突き放し、恋のライバル――ビクトリアの手助けをするなんて。


 込み上げる寂しさに、心がぎゅっと縮こまる。

 けれど、すぐに頭を振って、その感情を振り払った。


 ――いやいや、よく考えてみてよ、私。


 根っからの喪女気質の私が、“推し”との甘々生活に耐えられる?

 顔を近くで見ただけで心臓バクバクなのに、毎日が感情のジェットコースターだなんて、胃に穴が開くに決まってる。


 それに、先々のことまで考えてみれば――淑女教育もロクに受けていない底辺男爵家の娘が、王子なんてスーパー上級国民のお相手が務まるわけがない。

 美少女に生まれ変わる未来には、王族や上級貴族との付き合いとか、礼儀作法とか、重すぎる義務も付いてくるはずだ。


 だったら、“友人”としてルークの近くにいるくらいが――現実的にはちょうどいいのかもしれない。


 ……そんな風に自分を納得させていたところで、ルークが、ようやく口を開いた。

 まるで一語一語を選ぶように、静かに、けれど苦しげに。


「……ああ……優しい君なら、そう言うだろうな。

 だが、公爵令嬢という立場を使って他人を虐げるような者を、婚約者として受け入れるなんて……それだけは、私の矜持が許さないんだ」


 さすがはルーク――まっすぐで、雄弁で、誠実な人。

 でも、だからこそ、惹かれたんだよね……乙女ゲームのヒロインも、私も。


 だけど、私だって、もう後へは引けない。

 断頭台エンドを回避するという、切実なミッションが、私にはある。


「あの……それなんですけど、ルークさまだって悪いと思います」


 その一言に、ルークが驚いたように目を見開く。


「えっ?」


 私は心を鬼にして、続ける。

 ちょっと胸が痛むけど……仕方ない。覚悟を決めろ、私。


「だって……ルークさまが私を特別扱いして、ビクトリアさまに見せつけたから……

 ビクトリアさまは傷ついて、嫉妬して、きっと八つ当たりされたのですわ。

 婚約者として、それは当然の感情……だと思いますけど」


「み、見せつけてなど……!」


 ルークは目を泳がせ、狼狽する。

 うん、そりゃそうだよね。自覚なんてなかったはず。

 そもそも、これまでの“見せつけシーン”は、私が意図的に演出したんだし。


 でも……ごめんね、ルーク。

 ここは全部、あなたのせいってことにさせてもらう。

 さすがに、ビクトリアを計画的に陥れてたなんて、今さら白状できるはずもない。

 そんなことを言ったら、全員から総スカン――即バッドエンド。


「そうかもしれませんけど……でしたらビクトリアさまの誤解を解いて、優しく導いてあげるのも――婚約者であるルークさまの責務……なのでは?」


 にっこりと微笑みながら、思いっきり“正論”を投げつける。

 内心では土下座したい気持ちでいっぱいだけど、外面はあくまで気品ある令嬢らしく。


「む、むむ……そ、それは……確かにそうだが……」


 ルークの眉間に、深いしわが刻まれていく。

 ああ、そんな風に悩む姿すら美しい――信念と現実の狭間で苦悶する王子の図。

 これはこれで尊すぎる……


「そうですわ! ルークさまの誠実さと責任感の強さを思えば、ここで婚約を継続なさるのが、むしろルークさまのご矜持にも叶うと思いますわ!」


 私は勢い込んでそう畳みかけ、笑顔にさらに力を込めてエレガントに追撃する。

 ぐっ、とルークが言葉に詰まり、口を引き結んだまま固まった。


「そっ……それは、その通り……かもしれないが……」


 ルークの顔色は、みるみるうちに悪くなっていく。

 しばしの沈黙のあと、彼は苦しげに、絞り出すように言葉を続けた。


「……だっ、だがっ……リナは……それで……いいのか?」


「え?」


「その……私が……ビクトリアとの婚約を続けて……いずれ……け、結婚することになっても……

 君は……それで、本当に……平気なのか?」


 ルークは一縷の望みを託すかのように、私を見つめてきた。

 その視線には、大きな未練と――たぶん、罪悪感が滲んでいた。


 その表情を見た瞬間、私の胸にも、ずしんと重たい感情が押し寄せる。

 ――そうだ、私は知っている。この人がどれほど真面目で、誠実で、優しいのか。

 なのに私は――予見の力で彼の心に取り入り、ビクトリアを陥れ、ついには婚約破棄の宣告までさせてしまった。

 それを“イベントクリア”として喜んでいたのだ。

 ……そして今また、バッドエンドを避けるために、それを平然と壊そうとしている。


 なのに今さら「平気か?」なんて聞かれて、どうしてこんなに胸が痛むんだろう。

 ――ルークがここまで私に好意を抱いてくれたことが、本当にうれしい。

 うれしくて、でも、悲しくて、苦しくて――涙が出そうになる。


 “平気じゃないよ”って、もしここでそう言えたら。

 好感度マックスの今なら、きっとルークは私を選んでくれる。

 もし本当に“非業の死”が待っていても、「それでも君と一緒にいたい」とか言って、全てを投げ打ってくれるかもしれない。

 でも、それだけは、できない。


 そんなことをしたら、誰も幸せになれない。

 ビクトリアはもちろん、ルークも、そして――断頭台送りになる私も。


 でも――それでも。

 ここでルークを、完全に突き放すようなことは、したくなかった。

 「あらっ、ルークさま、もしかして何か勘違いしてたの? 男爵令嬢相手に。うふふ……」

 なんて嘲笑してみせれば、ルークはきっと目を覚まし、ビクトリアのもとへ帰っていくだろう。


 そして私は、ルークに軽蔑されて――

 好意も、思い出も、全部、跡形もなく消えてしまう。


 ――それだけは、きっと、耐えられない。

 だって私は、あれほど「ヒロイン・リナ」になりきっていたのだ。

 ルークの一挙一動に心躍らせ、彼の笑顔に何度も救われた。

 それがなければ、私はこの世界に転生してくることもなかっただろう。

 ……その私を、全否定することだけは、できるわけがない。


 だったら私は――“悪女”になろう。

 とびきり身勝手で、男を振り回す、悪女に。


「えーっと、それは……乙女の秘密です」


 私は、にっこりと微笑んだ。


「たとえ、心に秘めた想いがあったとしても、口にすべきではありませんわ。

 だって、ルーク殿下はビクトリアさまとご復縁なされるのですから」


 静かに、でもはっきりとそう告げる。

 私はルークの目をまっすぐ見つめ、悪女らしく、平然と笑ってみせた。


 ――その瞬間、ルークの顔から、すうっと血の気が引いていった。


「……き、君は……それで……」


 絞り出すように言いかけたルークが、続きの言葉を紡ごうと口を開いた――その瞬間。

 私は、そっと――人差し指を口元に立てた。

 そして、片目をつむってみせながら、アラサー喪女の私にできる、渾身の笑顔を浮かべた。


 ルークは、顔を真っ青にしながらも、私の意図を悟ったようだった。

 その瞳が、悲しそうに私を見つめてくる。

 唇は何かを言いたげに震えているのに――言葉にはならなかった。


 私は、ただその姿を見つめていた。

 胸の奥が、ぎゅーっと締めつけられる。


 ごめんね、ルーク。

 でも、これが私なりの、最後の答えなの。


「……私は、お二人の幸せを、心より祝福しますわ」


 そう、艶やかに告げた。


 ――さようなら、ルーク。

 ほんの少しでも、私を好きになってくれて、ありがとう。

 その想いだけは、一生、忘れない。


 これからは――思い出の中の女として、あなたの心の片隅にいられたら、それで十分だから。


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