3. 実はバッドエンド!?
私が脳内でパニックに陥っている間にも、場面は進んでいく。
「そんな……ルークさま。あんまりですわ。
わたくしはただ、リナさまに貴族としての礼儀を教えて差し上げただけですのに……」
ビクトリアは控えめに首を傾け、細く震える声でそう言った。
だが、その表情には、公爵令嬢としての誇りと矜持が滲み出ている。
(こ、これがビクトリア・ジェラール公爵令嬢! こんなに間近で……!)
目の前で進行する断罪シーンとは裏腹に、私の心臓は高鳴りを抑えられなかった。
前世のゲームで何度も見てきた彼女の姿が、今ここにリアルに存在しているのだ。
――透き通るような白い肌、淡いピンクの頬。艶やかに巻き上げられた黄金の髪。
宝石のように輝くエメラルドグリーンの瞳が、冷たくも美しい光を放つ。
これはもう、単なるゲームのキャラではない。
生きている“ビクトリア”だ。
「……君が、礼儀を教えていた? そんな風には全く見えなかったが」
ルークは静かな威圧感を纏ったまま、ビクトリアをじっと見据える。
その言葉には、無言の怒りと王族としての揺るぎない威厳がにじんでいる。
……またしても胸が高鳴りすぎて、私の意識はふっと遠のきそうになる。
(こっ、こここ、これが筆頭攻略キャラのルーク・アステリア王太子殿下!
……なんてカッコいいの!)
私は興奮を抑えきれず、じっと彼の姿を見つめる。
深い青の瞳は鋭く、金色の髪は柔らかな光を受けてきらめき、完璧な貴公子のオーラを放っている。
まさに王子の中の王子。
ゲームの中で何度もときめいた存在が、今ここに生きているのだ。
やがてルークの言葉に重ねるように、その背後から次々と声が上がった。
「……ビクトリア嬢。すでに裏は取れているのですよ」
「殿下、こんな女、もう構う必要ないぜ!」
「へえ……リナに教えたのが“礼儀”だなんて、よくもまあ白々しく言えるもんだ」
(えっ、まさか……氷の貴公子アラン!?
そして、獣系騎士ライナルトに、悪友系のジルベール!?)
私の興奮は、もはや限界を突破していた。
前世の乙女ゲームで、幾度となく心を奪われた三人の攻略対象たちが――今、目の前で私を庇い、断罪劇に加わっているのだ。
アランは、冷たい美貌とクールな頭脳を兼ね備えた完璧主義者。
あの銀の前髪越しに覗く冷淡な視線が、いつもルート終盤でふいに甘く変わるギャップ……あれは反則級だった。
ライナルトは、騎士道と野性味の化身みたいな男。
荒々しい言葉と仕草の中に、誠実さと優しさが隠れてるのがずるい。
戦闘では猛獣のように暴れ回るくせに、ルートによっては子犬のように尻尾振るから……あれもまたズルい。
ジルベールは、まさに“悪友系”の象徴!
茶化してくるけど、いざというときには本気で助けてくれる――そのギャップと、軽口の裏にある知性と気配りの深さ。
友達のままで終わるかと思いきや、攻略ルートに入ると急に距離が近くなってくる、その破壊力たるや。
(ああもうっ、こんなご褒美展開、耐えられるわけがないじゃない……!)
私はいま……人生最大級の“推し”に囲まれた『神シーン』に身を置いているのだ。
もしかしてここ、地上じゃなくて天国なんじゃないの?
本気でそう思えるほど、私は舞い上がっていた。
―――だが、その時。
(……ん? ちょ、ちょっと待って!?)
心のどこかが、ざらっと逆撫でされたような妙な違和感。
言葉では言い表せない、でも確かに胸の奥にひっかかる。
……次の瞬間、私の頭の奥底から、“死ぬ間際の記憶”がぶわっと蘇る。
そして、私は、思い出してしまった……!
死ぬ間際に見た、“逆ハーレムエンド”のスチル。
王子と、アランと、ライナルトと、ジルベールと……攻略対象全員に囲まれて、「君だけを愛している」なんて囁かれながら、うっとり彼らを見上げる、美しく生まれ変わったヒロイン・リナ――
そして、エンディングBGMが鳴り、スタッフロールが流れ始める。
そこまではよかったのだ。うん、そこまでは。
問題は“その後”だった。
私が心臓発作を起こしたのは、さらにその後のスチルが原因――
そう、あの逆ハーレムエンド、実は乙女ゲーム史上に残る“最悪のバッドエンド”だったのだ!
ド底辺の男爵令嬢が、王国の未来を担う若きエリートたちを全員まとめて侍らせて、きゃっきゃうふふ?
さすがにやりすぎだった。
王族も貴族も、それを許すほど寛容じゃない。
スタッフロールのあとに流れたのは――
「希代の悪女」として処刑台に立たされるリナの姿。
民衆の怒号。炎上する広場。
ギロチンの刃が落ち――
Game Over。
そして、画面いっぱいに広がる衝撃のメッセージ。
『バーカ、バーカ。 調子に乗りすぎー
このクソバカ性悪女が! 氏ネヨ』
(……誰だよ、この煽りテキスト作ったやつ!?)
逆ハーレムの達成感でうれし泣きしていた私は、一瞬で地獄へ叩き落された。
略奪ゲーなのに、全員略奪したらバッドエンドだなんて……理不尽すぎる。
その落差に私の心臓は耐えられず、活動を停止したのだった……
……
そして今――
目の前では、まさに逆ハーレム一直線の断罪イベントが進行している。
「まあっ、皆さま。
大勢でわたくし一人を責め立てるなんて、とても紳士の行いとは思えませんこと。
わたくしはルークさまの婚約者として、当然の責務を果たしていただけですのよ」
ビクトリアの目元には苛立ちの色がにじんでいる。
反論というより、開き直りに近い。
だがこのあと、ビクトリアを待ち受けるのは無残な末路だ。
私に対する嫌がらせの証拠が、次々とルークの友人たちによって暴かれていく。
やがてビクトリアは顔面蒼白となり、ヒールの音を響かせて会場を逃げ出すことになるのだ。
だが、修羅場はそれで終わらない。
彼女と手を取り合っていた他の貴族令嬢たちも次々と糾弾され――そして、ルーク以外の攻略対象たちも、彼らの婚約者に婚約破棄を告げることになる。
そして最後に一人残された私のもとに、王子とその取り巻きたちが集まり、口々に求愛してきて、“逆ハーレムの完成”となるのだ。
囲まれる私、頬を染めてうっとりと見上げる私――
――そして
その後に待っているのは……ギロチン台!!
(いやいやいや……やばいやばいやばい……!
このまま進んだら、私、処刑されるって!)
この世界で生き延びるには――
逆ハーなんてしてる場合じゃない!!
(どうする……どうすればこの修羅場から逃げ切れる!?)
私は頭の中で、ぐるぐると緊急会議を開いた。
すぐに思いつく選択肢は五つ。
(1) ビクトリアの好感度を上げる
(2) リナの好感度を下げる
(3) 婚約破棄は悪手だと主張
(4) リナが全員を振る
(5) 実家に逃げ帰る
(どれもムリーーーッ!)
(1)ができれば理想。
ビクトリア自身の好感度さえ上がれば、婚約破棄も撤回されて、すべて丸く収まる。
だけど、リナを虐めた証拠は山ほどあるし、好感度はマリアナ海溝より低い。
今さら持ち直せるほど甘くはない。
(2)では婚約破棄は避けられないけど、リナが皆から嫌われれば、逆ハーレムは阻止できる。
……が、リナ自身の好感度を下げすぎると、それはそれでバッドエンド。
特に、婚約者たちを計画的に陥れてきたことがバレたら――全員から総スカン。
リナの好感度は急降下し、“学園の秩序を乱した者”として、修道院送りにされてしまう。
そもそもこのゲーム、リナの好感度が一定値を下回ると、即バッドエンドに突入する仕様。
自ら好感度を下げにいくなんて、完全に禁じ手なのだ。
(3)「婚約破棄は悪手だ」と主張するのはアリ……っぽく見えるけど、実は無意味。
ルークはすでに国王に根回し済だからだ。
ルークは国王からの信頼も厚く、ビクトリアの悪評も相まって、「破棄して当然」という意見が通ってしまうのだ。
それに、ルーク自身もリナにぞっこんで、ビクトリアとは今すぐにでも縁を切りたいご様子。
婚約破棄を撤回してくれる可能性なんて、ゼロ。いや、マイナス。
(4)リナが全員を振る? それはむしろ火に油。
好感度マックスの状態で振ったら、逆に皆が暴走する可能性大。
仮にうまくいっても、結局リナの好感度ダウンで修道院送りエンド直行。
(5)実家に逃げ帰る? それだけは無理。
婿取りに失敗して、無一文で出戻った娘を、あの両親が許すはずがない。
待っているのは――終わりのない罵倒と叱責、そして過酷な労働。
まさに、生き地獄だ。
――詰んでる。完全に詰んでる。
せっかく乙女ゲームの世界に転生できたのに、ぬか喜びにもほどがある。
どうせ転生するなら、学園の入学式からがよかったよ……
よりにもよって、逆ハーレムルート確定時点に転生とか、運営の嫌がらせか何か?
これ、詰みゲーだわ。
この世界に転生してきた理由、ほんと何?
――まさか、逆ハーレムルート到達者の特典で、ハードモードに招待されたとか!?
そうだとしても、ちょっとハード過ぎない?