2. 乙女ゲーム
そう、私は知っている。
この舞踏会の光景も、王子の婚約破棄も。
というか、むしろ見慣れてる。
だってこれ――
(ゲームのイベントそのまんまじゃない!?)
『セデュース・ラバーズ ~略奪する乙女~』
私がかつて、血と涙とお金を注ぎ込んでハマり倒した、鬼畜仕様の乙女ゲーム。
主人公は、貧乏貴族の地味な令嬢――リナ・アルデーヌ。
攻略対象は、王子、宰相家の御曹司、騎士団長の跡取り、王宮魔導師の息子……全員が学園屈指の超ハイスペック男子たち!
そして彼らの隣には、当然のように、美しく、賢く、気高く、完璧な婚約者たちがいる。
そしてゲームの目的は――婚約者たちから、攻略対象を“略奪”すること!
そう、これ略奪ゲーだったのよ……!
略奪、下剋上、愛の闘争。
愛されヒロインなんて甘っちょろいものじゃない。
この世界では、他人の幸せを叩き壊して自分のものにするのがルール!
しかも、現実じゃ絶対にありえない。
地味で平凡で冴えない令嬢が、完璧令嬢を蹴散らして、超一流イケメンを落とす――そんな、胸のすくようなカタルシスが満載なのだ。
もちろん、簡単にはいかない。
ヒロインは攻略対象たちの情報を集め、悩みを解決し、時には窮地を救いながら、イベントをこなして地道に好感度を上げていく必要がある。
同時に、ライバル令嬢たちの嫉妬を煽り、評判を落としていくのも攻略の一環だ。
しかも、イベントは膨大、選択肢は地雷だらけ。毎日ログインし、数えきれないほど周回して情報を集め、鬼のようなフラグ管理……そして、限定イベントのための課金につぐ課金。
でも、やればやるほどヒロインの好感度は上がる。
血のにじむような努力を続ければ、いつかはトゥルーエンドにたどり着ける。
このゲームは、恋愛弱者の夢を全力で叶えてくれるのだ。
アラサー喪女だった私も、このゲームにどっぷりハマっていた。
……いや、ハマらざるを得なかった、というのが正確かもしれない。
私は地方の短大を出て、根拠のない「何者かになれるかも」なんて夢を胸に、都会へ出てきた。
でも、現実はそんなに甘くなかった。
拾ってもらったのは、ブラック企業の事務職――という名の、実質なんでも屋。
日々の資料作成に加え、客先への電話対応や謝罪の同行、打ち合わせのセッティングと、気づけば渉外業務の最前線にも立たされていた。
それなのに、給料は雀の涙、残業は青天井、休日出勤も当たり前。
職場では毎月のように誰かが辞めていくのに、誰も驚かない。
「明日は我が身」だと分かっていても、辞める勇気もなかった。
だって、次がある保証なんて、どこにもないから。
住んでいたのは、築ン十年のボロアパート。
壁一枚越しに隣人の喧嘩の声が筒抜けの、そんな場所。
部屋に帰っても、誰もいない。誰かに待たれていることもない。
出会い? 合コン? 街コン? 無理無理無理。
休日は寝不足の解消と体力の回復のため、ひたすら寝て過ごす。
学生時代から男子とは縁がなく、容姿も「下の中」くらい。
メイクも服も、最低限。おしゃれなんて、他人事だった。
鏡を見るたびに思っていた――もう、一生恋愛しなくていいや。
そんな私にとって――
“略奪乙女ゲーム”は、唯一の逃げ場だった。
現実では何も持たない私でも、ゲームの中では誰かの“運命の相手”になれるチャンスがある。
それだけで、日々の地獄が少しだけマシになった。
睡眠を削り、通勤電車の中でポチポチ周回し、イベントアイテムを集めるために早朝ログインを欠かさず、課金は生活費を削ってまで突っ込んだ。
ボイス付きの新規スチルが欲しければ、限定ガチャを引くしかない。
確率0.5%? 知ってるよ。知ってて沼に飛び込んでたよ……!
選択肢は全て手書きメモで分岐を整理。失敗すれば即リロード。
推しキャラのルートは何十周もして、ルート分岐の背景セリフまで暗唱できるレベル。
恋愛イベントのフルコンプと、隠しルートの条件解放。
そのために私は、年末年始の実家帰省すらキャンセルした。
そうして、そうして、そうして――ようやくたどり着いた、幻のエンディング。
それが、“逆ハーレムエンド”。
ルーク王子を筆頭に、イケメン貴族4人が、満面の笑みでヒロインに愛を告げ、彼女を囲む――
これまで私のことなんて眼中になかった男たちが、全員、命を懸けて愛してくれるという、まさにドリームな展開。
「君なしでは生きられない」だの、「他の誰にも渡したくない」だの、耳が溶けるようなセリフを次々と囁かれて……
画面に映し出されたのは――
ルークたちに贈られた、宝石のようにきらびやかなドレスをまとい、ふわりと巻いた髪に、さりげなく光るイヤリング。
透けるような笑みを浮かべたリナが、男たちに囲まれてうっとりと微笑んでいた。
古びたドレスとすっぴん同然の顔で必死に生きていた、リナ。
ルークたちに選ばれ、愛されて、美しく変わっていった。
まるで、蛹から蝶へと羽化するように――
――画面越しに、私は嗚咽してた。
泣いてた。本当に泣いてた。
心の底から「生きててよかった」って思った――その直後。
ドクン、と胸が痛んで、パタリとその場に倒れた。
たしか、あれだ。
感極まりすぎて、心臓が止まったんだよね。
スマホ握りしめたまま。ガチャ石も300個残したまま。クリアボーナスも受け取らずに。
……
――そして今、私はそのヒロイン・リナとして、この世界に転生している……らしい。
あの『予見』の力も、やたらと冴え渡る勘も、全部納得がいった。
あれは、リナの潜在意識――というか、私の中に眠っていたゲームの知識だったんだ!
……って、え、ちょっと待って。
これって、本当に現実なのかしら?
それとも、ただの夢?
でも、目の前の光景はまぎれもなく『セデュース・ラバーズ』の卒業舞踏会。
推したちも、悪役令嬢も、モブも、大広間の空気まで、すべてが生々しく、リアルすぎる。
ってことは……これは夢じゃない。現実。現実なのね……!
誰だか分からないけど、ありがとう!!
転生させてくれて……本当にありがとう!!!
だって、だって、あのヒロイン・リナに転生できるなんて……!
何千時間も一緒に泣いて笑って、攻略して、バッドエンドで心折れて……
それでも何度も立ち上がって、推しを振り向かせたあのヒロイン。
誰よりも愛したヒロインに、わたし自身がなれるなんて――!
しかも、これは“逆ハーレムルート”のど真ん中。
待って、ということは……あのルーク王子とか、氷の貴公子アランとか、獣系騎士ライナルトとか、悪友系のジルベールとか――
あの、イケメンすぎて現実に目の前にしたら即卒倒しそうな4人に囲まれて、甘くときめく言葉を投げかけられて、夢みたいな恋が始まって、しかも全員から本気で口説かれるってこと……!?
むりむりむりむり!!!!
ちょっと、喪女歴三十年の私が、そんなのに耐えられると思う!?
推しに面と向かって「君を一生愛する」なんて言われたら、心臓破裂するんですけど!?
――いや、でも、逆に考えればこれは、神様がくれた、最高で最後の恋愛チャンスなのかもしれない。
攻略対象たちと、リアルで恋愛できちゃうってこと……?
キスとか、デートとか……結婚とか!?
(……うわ、想像しただけで息ができない……)