10.その後の私たち
あの夜の舞踏会を境に、少し世界が変わった。
ルークとその友人たちとの距離は――確かに、できた。
無理もない。
“か弱き令嬢”の仮面を被っていた私が、あの夜、ビクトリアと大立ち回りを演じたのだから。
そして婚約破棄寸前だった彼らとその婚約者たちを、まるで舞台の演出家のように再び結びつけてみせた。
あの瞬間、彼らは私に「得体のしれない何か」を見たのだと思う。
まるで神託でも受けて動いているかのような私に、畏れに似た感情を抱いたとしても、不思議ではない。
以来、彼らは少しだけ視線を逸らすようになり、どこか遠慮がちに接してくるようになった。
――まあ、仕方ないよね。今さら“か弱い”なんて顔、できないもの。
それに、私のほうからも彼らと距離を取った。
舞踏会のあと、誰の誘いにも応じず、そっと引いたのだ。
すると――不思議なことに、彼らの婚約者たちは、驚くほど献身的になっていった。
それまで、どこか尊大で貴族然としていた彼女たちが、急に変わりはじめたのだ。
それはきっと、私のような“略奪者”が現れたことに危機感を覚えたからだろう。
大切な人を繋ぎとめるには、努力が必要――そう実感したのかもしれない。
そして私も、彼女たちへの贖罪として、前世の“攻略情報”をこっそり伝授してあげた。
彼らの好み、趣味、喜ぶ言葉、機嫌の取り方――
ゲームで積み上げてきた数千時間の知見を、惜しみなく。
こうして、私は彼女たち――かつての“敵対者”とも、少なくとも表面上は和解することができた。
なかでも、ビクトリアに対しては、私は改めて頭を下げた。
これまで彼女を陥れてきたこと、断罪の場で脅し、謝罪に追い込んだこと――そのすべてを悔い、心から謝罪した。
自分が助かるためとはいえ、美しく誇り高い彼女の尊厳を踏みにじったのは事実。
私は床に額をつけ、土下座して、必死に詫びた。
これ以上ないほど無様に、泥をかぶるようにして。
……意外にも、ビクトリアは、あっさりと私を許した。
あなただけは許さないとまで断言した相手に、ここまでの寛容を示すとは――
その度量の広さには、正直、心底驚かされた。
さすがは筆頭公爵家の令嬢。誇りだけでなく、器まで備わっている。
それとも――
極限の対峙の中で、互いに譲らぬ思いをぶつけ合った私たちは、どこかで“好敵手”として認め合っていたのかもしれない。
私が彼女の正義に感服したように、彼女もまた、あの瞬間に自分の運命を切り開いた私を、認めてくれたのだろう。
それだけではない。
なんと彼女は、王立学園の卒業後、私を王宮の女官として推薦してくれたのだ。
貧乏男爵家の私が――まさか王宮勤めという“大出世”を果たせるなんて。
給金は思いのほか高く、両親への仕送りも十分にできた。
結果的に、婿取り失敗を責める両親の小言も、次第におさまっていった。
いつしか私は、ビクトリアさまのお茶会にもしばしば呼ばれるようになり、
気づけば――肩を並べて、笑い合う関係にまでなっていた。
もちろん、ビクトリアさまには、ルーク王子の“攻略情報”も全部教えて差し上げている。
ええ、ひとつ残らず、ね。
「ルークさまはですね、紅茶に砂糖を五杯入れると喜びますわよ」
「えっ……五杯も!? それってもはや紅茶じゃなくて、甘味の魔法薬じゃありませんの……?」
そんな調子で、私たちはすっかり親友のように秘密を共有し、笑い合った。
――そんなある日のこと。
ルークが、ふいに私のもとを訪ねてきた。
「……君には、本当に感謝している」
彼の声は、いつになく低く、真剣だった。
「あのとき、君がいなければ――取り返しのつかないことになっていた。
ビクトリアには、心から謝ったよ。できる限りの言葉で、誠意を込めて」
私は黙って耳を傾けていた。
彼の横顔からは、まだほんの少し、迷いの色が滲んでいるように見えた。
「ビクトリアとは、今では驚くほど上手くいっている。
彼女自身も、まるで別人みたいに、よく気がついて……そばにいると、本当に支えられていると感じるんだ」
――そこまで言って、ふっと視線を落とす。
まるで、自分の言葉を確認するかのように、少しの沈黙が落ちた。
「……でも、こんな私が言うのは、おかしいかもしれないけど……」
彼は小さく息を吐いた。
「君は、これで……よかったのか?」
その目には、どこか寂しげな色があった。
未練とも、後悔ともつかない、曖昧で揺らぐ光をたたえて――
私はゆっくりと微笑んで、静かに頷いた。
「ええ、もちろんですわ。
だって、“婚約破棄が成されたら破滅する”という予見――
あれは……本当でしたもの」
ルークの眉がわずかに動く。
私はふふ、と小さく笑ってから、少しだけ声を潜めて――そっと囁いた。
「それに……お二人に加えて、私も破滅するところでしたのよ。
ビクトリアさまが、ギロチンまでご用意されてましたから」
そして意味ありげに、悪戯っぽく付け加える。
「ルークさまも、どうぞご注意なさって。
女の嫉妬は――かくも恐ろしいものですから」
「……!!」
ルークが青ざめた表情で、言葉を失っていると――
「まあ、リナさま? なにをおっしゃっているのかしら」
背後から、透き通るような声が割って入る。
振り返れば、そこにはいつもの優雅な微笑みを湛えたビクトリアさま。
完璧に整えられた姿で、静かに、しかしどこか余裕を漂わせながら、こちらへと歩み寄ってくる。
「リナさまほど恐ろしく――いえ、頼もしいお方は、他におりませんわ。
でも本当に……心から思っておりますの。
リナさまと“友人”になれて、よかったと」
その手には、またしても豪奢な小箱がひとつ。
最近の私は、なぜかこの“ささやかな贈り物”のターゲットになっている。
ドレスに、髪飾りに、宝石に――もう、そろそろ収納が追いつかない。
(……これはもう、完全に“囲い込み”ってやつでは?)
おそらく“予見の力”を重く見た筆頭公爵家が、私を取り込もうとしているのだろう。
私は今、ビクトリアさまの導きのもとで、礼儀作法、歴史、政治――
さらには王宮の淑女教育まで、仕事の合間を縫って学んでいる。
――そんなある日、ビクトリアさまが、さらなる爆弾を投下した。
「リナさまのような“女帝タイプ”には、年下の可愛い殿方がお似合いだと思いますの。
ねえ、ルークさま。あなたの弟君、アルフォンスさまなどいかがかしら?」
「……えっ!?」
「ねえ? リナさまととってもお似合いじゃなくて?」
ルークは目を瞬かせると、ぎこちなく口を開いた。
「いや……あの子、まだ十歳なんだけど……」
「うふふ。アルフォンスさま、いつもリナさまにお会いするたびに、本当に嬉しそうなんですのよ。
“リナお姉さまー!”なんて呼びながら、満面の笑みで駆け寄ってきて――まるで子犬のように」
(……それって、“オネショタルート”じゃないの!?)
私は思い出す。
“セデュース・ラバーズ”には、アルフォンス王子を攻略対象とする、重課金者限定の“オネショタルート”が存在していた。
とはいえ、あのルートは恋愛というより――心から慕ってくる弟と、あたたかく寄り添う“姉エンド”。
穏やかで、優しくて、愛しさに満ちた――私のお気に入りのひとつだった。
……まさか、現実でそのルートが出てくるとは思っていなかったけれど。
以来、なぜか私は、ルークさま、ビクトリアさま、そしてアルフォンスさまと行動を共にすることが増えた。
にぎやかで、騒がしくて、けれどどこかあたたかい――そんな日々の中で。
――私は、心に誓った。
今度こそ、この世界の人たちと、真摯に向き合って生きていこう。
攻略ではなく。
打算でも、駆け引きでも、保身でもなく。
自分の意志で、ちゃんと人と関わっていこうと。
そう――ゲームは終わったけれども。
人生という、この物語の舞台は――まだ、続いているのだから。




