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1. 逆ハーレムルート

「ビクトリア・ジェラール公爵令嬢!

 本日をもって、貴女との婚約を破棄する!」


 ――この国の第一王子、ルーク・アステリアの怒声が、大広間に響き渡った。


 ここは王立学園の卒業舞踏会。

 貴族子女たちの青春を締めくくる、一夜限りの祭典だ。

 豪奢なシャンデリアが天井からまばゆく輝き、白と金を基調とした大広間には、宝石のような笑顔が溢れている。

 そこはまさに、若き貴族たちの夢の舞台――華やかさと祝福に満ちた、人生で一度の晴れの場だった。


 ――にもかかわらず。

 完璧と名高い王子の、あまりにも衝撃的な宣言によって、空気は一瞬で凍りついた。


 ルーク王子は、まるで絵画から抜け出したような美貌を持つ青年だ。

 金の糸を紡いだような柔らかなブロンドの髪に、湖のように澄んだ青い瞳。

 ひとたび微笑めば、乙女たちはみな頬を染める。


 だが、彼の真価はその外見だけではない。

 学園では常に首席を維持し、剣術にも秀でた文武両道の“完璧超人”。

 生徒会長を務め、教師や生徒たちからの信頼も厚い。

 まさに「王になるために生まれてきた」と称される、王国の希望――


 ――であるはずの彼が、この晴れ舞台で、“婚約破棄”という暴挙に出たのだ。


「……婚約破棄、ですって?」


 毅然とした声が、静まり返った大広間に響いた。


「そのような大事を、ここで突然お告げになるとは――

 一体どういうおつもりかしら、ルークさま。ぜひご説明いただきたいわ」


 そう言い放ったのは、王家を代々支えてきた名門、筆頭公爵家の長女――ビクトリア・ジェラール。

 黄金の髪を美しく巻き上げ、宝石をちりばめた豪奢なドレスに身を包んだ彼女は、まるで舞踏会の光そのものを纏ったかのような輝きを放っていた。


 透き通るような白い肌と青緑の瞳。

 その整った顔立ちは、誰もが思わず息を呑むほど美しく、こちらも“完璧”という言葉が似合う。

 学園では才色兼備の筆頭とされ、成績も常に上位。

 幼い頃より第一王子ルークの婚約者として育てられてきた、いわば“将来の王妃”として誰もが認める存在――だった。


 だが最近、彼女の評判には陰りが見え始めていた。

 男爵家の地味な令嬢に嫌がらせをしているという噂や、ルークと人目も憚らず口論する姿が目撃されるなど、芳しくない話がささやかれていたのである。


「身に覚えがないとは言わせない」


 ルークは冷ややかにビクトリアを見下ろしながら、超然と言い放つ。


「貴女は、公爵令嬢という立場にありながら、弱き者に対して不当な振る舞いを繰り返していた――

 特に、リナ・アルデーヌ嬢に対しては、明確に悪意ある行動をとっていたと、私は認識している」


 その言葉とともに、彼はそっと手を伸ばし、傍らにいた令嬢の肩に優しく触れた。

 その仕草は、明らかに“守る”という意志がこもっている。


 ――その令嬢こそが、他でもないこの私。リナ・アルデーヌ男爵令嬢。


 (リナ)は……学園内では特に目立たない存在で、成績も中の下。

 辺境の男爵家という低い身分に加え、地味なドレスに控えめな化粧、痩せ気味の体つきで、おどおどした態度が染みついている。

 濃い紫の瞳に、撫子色の髪、素材そのものは悪くない――はず。

 けれど、お金がなくて化粧に手をかける余裕もなく、髪は短めで手入れも行き届いていない。

 煌びやかな公爵令嬢とは対照的に、会場の片隅にいても気づかれない存在、それが私。


「ま、まさか……私のせいで、こんなことに……」


 私は、戸惑いを隠せないといった風に、伏し目がちに小さく肩を震わせてみせた。


 ――だが、その心中では、婚約破棄の宣告にほくそ笑んでいた。


 (……ふふ、ようやく、ここまで来たわね)


 そう、私はこの日のために、すべてをお膳立てしてきたのだ。

 ルーク王子に近づき、少しずつ距離を縮め、信頼を得て――興味を引き、やがて好意を抱かせる。

 その源は――私が持つ《予見の力》である。


 未来の断片を見ることができるこの能力で、私はルークの身に降りかかる危機を、何度も未然に防いできた。

 始まりは、図書塔の階段でルークが足を滑らせる未来を見たことだった。

 私は偶然を装って先回りし、身を張って彼を受け止めた――令嬢である私に寄りかかってしまったルークは、顔を真っ赤にして恐縮しきりだった。


 それ以来――

 錬金実験の暴発を予見して「今日は近づかない方が……」と進言したり、乗馬中に馬が暴れる未来を見ては、注意を促したりと――それとなく、彼を助け続けた。

 そしてある日、思いつめたように“予見の力”を持つことを打ち明け、その秘密を共有した。

 やがてルークの心に、私への強い信頼と庇護欲、そして淡い好意が芽生えるのは――時間の問題だった。


 一方で、ビクトリア・ジェラール公爵令嬢には、別の“刺激”を与え続けてきた。

 ルークと仲良く談笑する姿を、あえて彼女の視界に入れてみたり。

 偶然を装ってバランスを崩し、ルークに支えてもらう場面を見せつけてみたり――といった具合に。


 当初、ビクトリアは冷静だった。

 「貴族の令嬢たるもの、婚約者のいる殿方には、むやみに近づくものではありませんわ」

 「誤解を生むような振る舞いは、慎むのがたしなみですわ」

 ――などと、もっともらしい忠告をくれていた。


 けれど、ルークがたびたび私を庇うようになるにつれ、彼女の苛立ちは次第に募っていった。

 そしてついに、彼女は私に“直接的なちょっかい”を出し始めたのだ。

 取り巻きの令嬢たちを使い、グループ活動で私を孤立させ、提出した課題が“なぜか”紛失するように仕向け、机の中に「分不相応」と書かれた紙を忍ばせる――

 私は涙を浮かべながら、ルークにそれを報告した。

 結果、彼のビクトリアに向ける目は、次第に険しくなっていった。


 やがて学園内では、「ビクトリア公爵令嬢が、気弱な男爵令嬢をいじめているらしい」という噂が、静かに広がり始めた。

 完璧な令嬢と称えられていた彼女のイメージに、ゆっくりと綻びが生じていく。


 そう――

 傲慢な“悪役令嬢”の、出来上がりである。


(うふふ……完全に計画通りだわ。これでビクトリアもおしまいね!)


 私には、ビクトリアのような高貴な家柄も、輝くような美貌も、煌びやかなドレスも、豪華なアクセサリーも、何ひとつない。

 ほとんど平民同然の、貧乏男爵家の一人娘。


 ……そんな私が、この学園に来るまでに、どれほどの苦労をしてきたか。

 いや、来てからだって、地獄だった。


 私の家は、田舎にぽつんとある、見るも無残なほど寂れた屋敷。

 男爵とは名ばかりで、領地からの収入なんて雀の涙ほど。

 父は昼間から酒びたり、母は宝石一つないのを恨みながら、一日中文句を言ってばかり。

 そんな両親が私に望んだことは、たった一つ――


 「いいかいリナ、学園に行ったら金持ちの婚約者を捕まえて帰ってくるんだよ。

 それが、お前の“仕事”だ」


 愛情も誇りもなく、ただ、打算と欲望だけで送り出された。

 馬車に揺られながら、私は夢を見た。

 学園には、自分の運命を変えてくれる“白馬の王子様”がいるのではないかと。

 けれど――そんな幻想は、初日に打ち砕かれた。


 学園の門をくぐった瞬間、私の常識は崩れ落ちた。

 見渡す限り、絢爛なドレスに身を包んだ貴族令嬢たち。光沢のある靴、きらめく宝石、そして輝くような笑顔。

 令息たちも、洗練された立ち居振る舞いに、磨かれた教養を身につけ、まるで絵本の中から抜け出してきたようだった。


 ああ……場違いだ。

 ここは、私のような人間がいていい場所じゃない――

 質素なドレスに古びた靴、髪も自分で結い上げ、最低限の礼儀作法しか知らず、机に座れば勉強についていくのが精一杯。

 誰が、こんな没落寸前の男爵令嬢に目を留める?

 声をかけてくる令息はいても、それはいつも退屈しのぎの冷やかしだった。


 ……そんな日々の中で、ふと気づいたのだ。

 「予感」が、異常に当たることに。


 たとえば、学園の食堂で「あ、今日は焼き菓子が出そう」と思ったら、本当に出た。

 誰かが転びそうだ、と感じていたら、廊下でちょうどその生徒が足を滑らせた。

 最初は、ただの偶然だと思っていた。

 けれどある日、私ははっきりと「見た」のだ。


 ――水たまりに足を取られて、重そうな本を落とす令嬢の姿を。


 それは夢ではなく、目を閉じた瞬間にふっと浮かび上がった映像。

 何気なく外へ出た私は、正門近くでその令嬢とすれ違った。

 ……そして彼女は、本当に足を滑らせて、叫び声をあげた。


「だ、大丈夫!?」


 私はすぐに駆け寄って、彼女を支え、落ちた本を拾い上げた。

 その時の彼女の、感謝に満ちた笑顔を、今でも覚えている。


(これって……私の“力”?)


 そう思った瞬間、ぞくりと背筋が震えた。

 この力があれば、私は変われるかもしれない――

 これはきっと、私が幸せになるために授かった、ささやかな奇跡に違いない。


 最初は、ほんの出来心だった。

 たまたま、あの完璧王子のルークが足を滑らせる未来が見えたから、先回りして、試しに彼を受け止めてみせたのだ。

 すると、驚くほど簡単に、ルークと仲良くなれた。

 ――この力は使える。そう確信した。


 それ以来、私は、大それた望みを抱くようになった。

 とびきり上等な紳士たちと仲良くなって、チヤホヤされてみたい。

 「リナさま、ご機嫌はいかが?」「今日もお美しいですね」なんておだてられて、薔薇の花でも贈られて。

 ……想像するだけで、頬が緩む。

 だって、それの何が悪いの?

 貴族の令嬢ならば、誰だって一度は夢見るでしょう、そんな世界。


 家柄があるなら、それを使えばいい。

 美貌があるなら、それを武器にすればいい。

 権力、財産、家の格、交友関係、天才的な頭脳――あるなら使えばいい。

 だったら私は、“予見の力”を使う。それだけのこと。


 だって私、ずっと我慢してきた。

 貧乏も、親の身勝手も、場違いな学園生活も。

 お金がないからって、身だしなみにまで手が回らないのを陰で笑われて。

 夢を見ることすら、慎まなきゃいけなかった。


 だから――望んだ。心の底から。


 それからは、ルークに加えて、宰相家の御曹司、騎士団長の跡取り、王宮魔導師の息子まで……

 みんな“予見”の力で窮地を救ってみせて、自然と距離を縮めた。

 そして、お礼のついでに買い物やお茶、勉強に付き合ってもらい――

 それを“たまたま”彼らの婚約者の目に入るように仕向けて……嫉妬に狂わせた。

 彼女たちが勝手に騒いで評判を落とし、彼らが私をかばい始めるのに、そう時間はかからなかった。


 結果、ただの男爵令嬢である私が、とびきり上等な紳士たちにチヤホヤされる――その夢が、今まさに叶いつつある。


 ねえ、これって、最高に素敵じゃない?



 ―――だが、その時だった。


『ピロリロリーン♪

 悪役令嬢の断罪イベントが発生しました!

 おめでとうございます! 全攻略対象者の好感度がマックスです!

 これより“逆ハーレム・ルート”をお楽しみください』


 突如として、私の脳内に――なぜか聞き覚えのあるファンファーレと、軽妙なナレーションが鳴り響いた。


(は? なにこれ?)


 そう思う間もなく、ズドンッ! と脳天に衝撃が走る。


 ――記憶が。

 記憶が……戻ってくる。


(うそ、うそ……なにこれ!? 頭が、割れそう――っ)


 なだれ込んでくる、膨大な情報と感情。

 それは、私の――『前世』の記憶だった。


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