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ファンシー×ポップ×アポカリプス  作者: ひなた友紀
第2章:廃墟のファンシーランド
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【エピソード3:出会いと新たな現実】

「少し、ゆっくり……」


 私の肩に寄りかかる怪我人の青年(まだ名前を聞きそびれている)は、息を切らしながらそう言った。結局、カフェの厨房で応急処置をしたあと、足元がおぼつかない状態でここまで移動してきたけど、やっぱり相当きつそうだ。加えて、私のほうも砂糖入りの容器を抱え、彼を支えながらの歩行はかなり辛い。何度か足をもつれさせてしまい、そのたびにハルさんに「大丈夫か」と低く声をかけられる。


 建物の外へ出たとき、肌を刺すような冷えた空気が流れ込む。曇った空の下、瓦礫の町並みは相変わらず見慣れないまま。今までも綺麗だったわけじゃないけど、今日は一段と暗く感じるのは気のせいじゃないと思う。多分、午後もだいぶ過ぎて、そろそろ陽が沈む頃合いなんだろう。暗くなる前に拠点へ戻らないと、モンスターが夜行性みたいに活発になるかもしれないし、本当に危険すぎる。


「ハルさん、どのくらいかかりますか、拠点まで……」


「昼のうちに戻るなら急ぎたいが、この状態じゃな……」


 ハルさんが私と青年を見比べ、明らかに苦い顔をする。さらに周囲を見回して、向こうにビルの角が見えるほうを指さした。


「とりあえず、あの角を曲がった先のルートなら、いくつか裏道を通って早めに戻れるかもしれない。だが足を引きずっていると倍はかかるだろう。……敵に出くわすリスクも高い」


「う……」


 思わず声が詰まる。確かに私たちは二人がかりで怪我人を支えていて、砂糖容器まで抱えているから、とにかく動きづらい。しかも陽が傾いてきたとなれば、時間の猶予はあまりない。「もう少し頑張るしかないか……」と呟いて踏ん張ってみるけど、果たして間に合うのかどうか。悪い未来ばかりが頭をよぎる。


「す、すまない……俺の、せいだ……」


 弱々しい声をもらす青年を見て、私は急いで首を振った。


「違いますよ。助けたいって思ったのは私たち自身だし、一緒に帰れば少しは安全になるはずですから。大丈夫、頑張りましょう」


 そんなふうに言うしかない。嘘でもいいから士気を上げないとみんな不安に飲み込まれそうだ。ハルさんは私の決意を確認するかのようにこっちをちらりと見て、「じゃあ、行くぞ」とだけ言う。彼の背中は普段以上に強張って見えるけど、気持ちは同じはずだ。


 建物の影を縫うようにして移動する。日差しが弱くなり始めたせいで、瓦礫が長い影を落としている。そのせいで路地裏はさらに暗く、モンスターが潜んでいそうな不気味さが増していた。青年が重みで足を引きずる分、私はなおさら注意深く周囲を見回さないといけない。いつ壁の向こうから“例の怪物”が飛び出してくるか分からないからだ。


 ガラガラと落石のような小さな崩落音が聞こえるたびにびくっとするし、ビルの割れ目から吹く風がヒュウと鳴くたびに心臓が跳ねる。数時間前にあのうさぎを発見した広場や、砂糖を拾ったカフェのことが遠い昔のようだ。あれからまだ半日も経ってないなんて信じられない。


 ハルさんは地形をよく把握していて、できる限りモンスターの居そうな場所や危険な崩落地帯を避けて進んでくれる。それでも瓦礫を踏む音がどうしても鳴ってしまうし、青年が吐き出す苦しげな息の音も気になる。大通りを避けつつ裏通りを選んでいると、何度も行き止まりにぶつかったりして、そのたびに引き返さなきゃならない。やっぱり時間のロスが大きい。妙な焦燥感に胸がざわざわする。


「……っ、あ、足が……すまない、一度休ませてくれ」


 青年の体が私の肩にずしりと寄りかかる。もう限界に近いのかもしれない。私も砂糖容器を抱えてる分、姿勢が保ちづらいし、腕がパンパンに痛い。だけど、ここで休んだらモンスターに見つかるかもしれない。ハルさんもしかめっ面だ。


「参ったな。……仕方ない、一度あそこの建物に入って休憩だ。大きい物音だけは立てるなよ」


 ハルさんが指したのは、三階建てくらいの建物。壁の一部が崩れているが、屋根はまだ残っていそう。大きな出入口が口を開けているように見える。中が安全とは限らないが、廃墟の路地に突っ立って休むよりは幾分マシなのかもしれない。


 私たちは慎重に建物の中へ足を踏み入れた。中は真っ暗で、窓が割れて外光はそこそこ入るものの、角度的に薄暗さが漂う。少し埃くさい空気を肺に入れながら、床の安定してそうな場所を探す。どうやら一階は広いホールになっていて、奥に複数の部屋や階段があるっぽい。どれも崩れてはいるけど、入り口付近ならなんとか物陰に隠れてひと息つけるだろう。


「ここだな。……ほら、座れ」


 ハルさんが倒れた柱の残骸をどかし、床の埃を払って青年を座らせる。私も砂糖容器をそっと床に置いて腕をほぐす。ふう……本当にしんどい。もう少し筋力があればいいのに、自分の非力さに泣きたくなる。青年は肩で息をしながら、「助かった……」とかすれた声を漏らした。


「暗くなってきてる。ここで一時間も休んだら、拠点に戻れなくなるぞ」


 ハルさんの言葉に、私たちは思わず顔を見合わせる。そんなに時間がシビアなのか、と思うと背筋が寒い。このまま夜になったらモンスターと遭遇する確率が高まるってことだ。むしろ今のうちに急いだほうがいいのかも。けど、この状態で無理に歩いたら、それこそ途中で全滅しかねない……。難しい選択を迫られている。


 青年が申し訳なさそうに口を開く。


「本当、ごめん……。でも、いま少し休まないと立てなくて……少しでいい。落ち着いたらまた歩けるはずだから」


「分かりました。じゃあ本当に数分だけ、呼吸を整えましょう。すぐに出発しますから」


 私がそう提案すると、青年は感謝の視線を向けてきた。ハルさんは無言でうなずき、まるで見張るように周囲を警戒しながら耳を澄ませる。ゴクリ、と唾を飲む音が自分でもわかるくらい静かだ。誰もが言葉少なになり、何か起こるのを警戒している。


 ──そのときだった。どこか遠くで甲高い金属音が響いたような気がした。チーンというか、ガシャンというか、何かがぶつかる音。それに続いて、かすかな怒号のような声が聞こえた気もする。人の声? 動物の声? 耳を澄ませても定かではないが、確実に何かがある。少なくとも廃墟特有の風の音や、自然崩落の音とは違う感じだ。


「……何だ? 誰かが戦ってるのか?」


 ハルさんも音の方向を探るように首をかしげる。外の路地で何かが起きているらしい。もし人間同士の争いなら大変だけど、考えたくないが、モンスター相手に戦ってるのかもしれない。「助けに行く?」という声が脳内に浮かぶけど、今の私たちは怪我人を抱えてるし、砂糖容器まである。下手に突っ込んで返り討ちになったらアウトだ。


「関わらないほうがいいかもしれない……よな?」


 ハルさんが低く呟き、私と目が合う。正直、私も助けたいという気持ちがないわけじゃないが、今の状況じゃ余裕がない。青年を見殺しにして進むわけにもいかないし、こちらが巻き込まれたら全滅しかねない。いったい誰がどこで何と戦っているのかもわからないし。


「はい……私たちが行っても、混乱するだけかもしれない。そっと通り過ぎるのが得策じゃないでしょうか」


「だよな」


 そう結論づけて、三人は短く息を吐く。それもそうだ、私たちには目の前の青年を安全に連れ帰るだけの力しか残ってない。何でもかんでも首を突っ込んでたら、彼も私も死ぬ可能性が上がるだけだ──そう自分に言い聞かせる。でも、内心はちくりと痛んだ。人が戦ってるかもしれないのに、それを見殺しにするってことだから。けど、この世界じゃ綺麗事ばかり言ってられないんだろう。


 青年が肩を震わせているのに気づき、「寒いんですか?」と声をかける。彼は「いや、怖いだけ……」と苦笑いを浮かべる。やっぱりこの状況は誰だって怖いよ。いつモンスターに襲われるか、いつ死ぬかわからない。私だって、本当は泣きそうだ。でもそう言っても始まらない。


「……少し落ち着いたらすぐ出発するぞ。夜までには拠点へ戻る」


 ハルさんの毅然とした言葉に、私と青年はそろって頷く。ああ、何とかなるかな、何とかしたい。とにかく気を張って行動しよう。そう決意して足を伸ばしたそのとき、また遠くでガシャーンという大きな衝撃音が響いた。続いて、はっきりとした人間の悲鳴のような声が飛び込んでくる。


「ぎゃあああああっ!!」


 思わず三人が顔を見合わせる。今のは明らかに人間の叫び声だ。助けを求めてるように聞こえなくもないし、苦痛の悲鳴かもしれない。どっちにしても不安感が増幅するだけだが、あまりにもはっきりと聞こえたせいで血の気が引く。まだそんなに遠くない場所で何かが起きている。


「……最悪だな。こっちに来るかもしれん」


 ハルさんが唸るように言う。それがモンスターだろうと人間だろうと、今の私たちに対応できる余裕はない。下手に動かず、この建物の中でやり過ごすべきか? でも、時間が遅くなると帰れなくなるリスクも高まる。このまま夜を迎えて、外に出た瞬間にモンスターに襲われる可能性だってある。


「陽菜、どうする? 一か八か早足で抜けるか、ここで夜明かしするか」


 そう問われ、私は一瞬迷う。夜明かしなんて考えたくもない。もしこの廃墟にモンスターやならず者が潜んでたら、いつ不意打ちを食らうかわからない。それに水や食糧もろくにない状態で徹夜なんて無謀すぎる。でも、今飛び出していっても恐怖の叫び声を上げてる現場に鉢合わせるかもしれない。それこそ逃げられなくなる可能性もある。


 青年が唇を噛みしめているのに気づき、「大丈夫ですか?」と訊ねると、震える声で「迷惑かけてばかりで……すみません」と呟く。思わず胸が痛むけど、責めるわけないじゃん、と言いたくなる。こういう時にこそ助け合わないとって私は思うし、ハルさんもそうだと信じたい。


「早足で抜けましょう。夜になる前に拠点に着かなきゃ、もっと大変なことになる気がします。何かが近くで戦ってるみたいだし……逆に、そこから離れてさっと帰るほうがいいんじゃないでしょうか」


「……わかった」


 ハルさんの返事は短かったけど、それで全員の意見が一致した感じだ。青年も無言で頷く。もう休憩は切り上げて、行動を再開しよう。少しでも早く拠点へ戻って安全を確保したい。そう決まり、私たちは低い姿勢で建物を出る。


 外の空は、さっきより明らかに暗さを増している。雲が厚いのか、ほんのり赤紫色に染まった空気が町を覆い、廃墟の陰影をさらに不気味にしていた。どこか遠方で響く衝突音はまだ続いているのか、今は聞こえなくなった。逆に、それがひどく不安だ。誰かがやられて静かになったんじゃないか……とか、いろいろ想像してしまう。


 私が青年の腕を支えるように歩き出すと、ハルさんが合図するように先を進む。「できるだけ小走りで」と耳打ちされ、私は必死にがんばるけど、彼が足を引きずっているので思うようにスピードが出ない。焦りは募るが、せめて足音は立てないように心がけている。


 どれくらい進んだだろう。ようやく見覚えのある路地に出たかもしれない。あそこを抜ければあと少しで拠点の近くじゃない? そんな希望が高まったとき、曲がり角の向こうからがさがさっと音が聞こえた。ハルさんが手を上げて制止の合図。私たちは慌てて壁際に身を潜める。


(モンスター……?)


 息を殺して待っていると、角の向こうでバタバタという足音が近づいてくる。複数の足音? いや、よく聞くと人の声も混ざってるような……。「くそっ、あっちから回れ!」「急げ、やられるぞ!」といった怒鳴り声のように聞こえる。人間だ。やっぱり誰かが逃げてるのかもしれない。敵はモンスターなのかな。


 数秒後、角を曲がって姿を現したのは三人の男女。多分プレイヤーか、あるいはNPCではないと思う。血まみれの服を着た青年が先頭を走り、中年男性と若い女性が後ろを追っている。みんなパニック状態で、声を上げながらこちらに気づかず突っ込んできた。うわ、遭遇してしまった……!


「……あ、あんたらも逃げろ! そこにいると巻き込まれるぞ!」


 先頭の青年が私たちに気づき、叫ぶ。こっちが隠れる間もなく視線が合った。どうしようと思った瞬間、彼らの背後から──ガシャン、と大きな衝撃音。そして獣じみた咆哮が響き渡る。私の背筋が凍りつく。あれは、たぶん凶暴化したモンスターの唸り声だ。いやな記憶が蘇る。うさぎを倒したときの恐怖、あの丸っこいはずの体で牙をむいてくる姿がちらついて、心臓が早鐘を打つ。


「まずい、来るぞ……!」


 ハルさんが低く唸る。青年たちはガタガタと音を立てながら、こちらに助けを求めるような目を向けている。でも正直、私たちだって怪我人をかかえて余裕なんてない。一緒に逃げるとしても、人数が増えたら足音も大きくなるし、モンスターを刺激するリスクが跳ね上がる。といって、ここで見捨てるとしたら……。


「死にたくない、死にたくない……! くそっ、なんなんだよあの化け物は!」


 先頭の青年が半泣きで叫ぶ。足を見ると、何かに噛まれたのかすごい血が滲んでる。追いかけてきたモンスターはどんな姿なのか、角の向こうに隠れてまだ見えないけど、轟くような咆哮が少しずつこちらへ迫っているのは間違いない。


「陽菜、どうする……?」


 ハルさんが目で「選べ」と訴えてくる気がする。無視して逃げるか、助けて一緒に逃げるか。しかし、彼らの怪我具合もひどいし、モンスターがすぐそこまで来てる状況で、まともに走れるのか? 私は支えている自分たちの怪我人だけでもアップアップだ。それなのにさらに増えるなんて……冷静に考えて無理でしょ。だけど……。


「くそっ、助けるかどうかなんて……そんなの……」


 結局、答えを出す間もなく、角の先から巨大な影が飛び出してきた。それは、かつてはキュートな犬か猫のようなキャラクターだったかもしれないが、今は闇をまとった怪物と化した姿。ふっくらしていたはずの体は膨張して、皮が裂けたところから紫色の筋肉が覗いている。目は血走り、唸り声が何重にも反響して聞こえる。思わず息を飲む。今まで見た中でも最上級にヤバそうなモンスターだ。


「う、うわああああっ!」


 中年男性が悲鳴を上げ、女性をかばうように後ろへ回る。モンスターは凶暴な唸り声とともに床を爪でガリッと削り、次の瞬間、信じられないスピードでこちらを目指して突進してきた。牙を剥き出しに、体ごとぶつかってくる勢い。でかい……こんなのぶつかったら一発で吹っ飛ばされる。 


「伏せろ!」


 ハルさんが叫び、素早く横へ飛びのく。私も青年をなんとか引きずりながら、怪我人を庇う形で転がるように避ける。砂糖の容器も持ち上げていたら動けないので、咄嗟に床に放り出す形になった。悔しいけどしょうがない。命優先だ。


 どしゅん、と空気を震わせる衝撃が走り、モンスターの突進は少し外れた。勢い余って壁に激突し、壁を崩すほどの破壊力を見せつける。これはやばい……もう息も止まりそうだ。こいつを倒すなんてできるのか? あまりの力に足がすくむ。


 先頭の青年や中年男性も必死で逃げようとしているが、それを見たモンスターが再び体勢を立て直してギロリとそっちを睨む。まずい。彼らはもう走れないレベルだろう。女性は立ち尽くして悲鳴を上げている。


「ハルさん……どうしましょう……」


「戦うしかないが、相手が強そうだな……。くそっ、やるぞ!」


 ハルさんの目つきが鋭くなる。パイプを構えるけど、こっちも怪我人を抱えているし、私も体力が限界。モンスターが猛スピードで動くなら、逃げ切るのは難しいだろう。結局、もう戦うしかないのか。嫌だ。こんな怪物に勝てる気がしない。でも見捨てるわけにもいかない。私とハルさんはその場で踏みとどまり、バールとパイプを握りしめる。青年も支えてた私の手を振りほどいて、壁に寄りかかりながら「戦ってくれるのか……?」と希望と恐怖が混じった顔で問いかけてくる。


「私だって戦いたくないんですよ……けど、どうしようもない」


 モンスターは再び前足を踏み鳴らし、粘液のようなよだれを垂らしながらうめき声を上げる。明らかにこっちをターゲットに定めた姿勢だ。逃げ場はほとんどない。今にも突っ込んでくる体勢に私は膝が震える。だけど、やらなきゃ……やるしかない。


「みんな、できるだけ伏せてください! 私たちが引きつけますから……!」


 声を張り上げて、モンスターに正面から向き合う。怖いよ、怖すぎるよ。けど、ここで私が逃げたら、彼らも青年も確実に喰い殺される気がする。なんだかんだで、誰かが先頭に立たなきゃ終わりだ。覚悟を決めろ、私……!


「……っ!!!」


 モンスターが踏み込んできた──次の一瞬、目にも止まらぬ速度で彼らの頭上を覆うように巨大な体が迫る。歯を食いしばり、私はバールを振り上げる。すると、ハルさんが「構えろ!」と叫び、横合いからパイプを一閃させた。モンスターの肩口にパイプが命中したけど、分厚い筋肉を傷つけるには至らず、むしろ大きく弾かれてしまう。


「くっ……硬い!」


 ハルさんの顔が苦痛に歪む。モンスターはその衝撃にわずかに体勢を崩すが、すぐさまキレたように反撃し、唸り声を上げながら巨大な前足を振り下ろす。私は咄嗟にバールを突き出して迎撃しようとするけど、衝撃に耐えきれず身体ごと吹っ飛ばされそうになる。「きゃっ!」と悲鳴を上げると、見かねたハルさんが私の腕を引っ張り、何とか耐えさせてくれた。しかし、モンスターの一撃はすさまじく、地面をえぐるような力が働く。


「こんなの勝てるの……?」


 目が潤む。だけど逃げ場はない。私たち以外にも人がいるし、荷物も怪我人も置いていくわけにはいかない。もう少しで拠点なのに、ここで全滅するのは嫌だ。必死に歯を食いしばり、バールを握り直す。気持ちを奮い立たせろ、私。


 モンスターがもう一度突撃の体勢をとる。今度はさっきよりさらに殺気が強い。私たちを一撃で仕留める気満々に見える。どうする? どうすればいい? アイテムもないし、何か仕掛ける余地があるか──と焦る脳裏に、ふと「砂糖の容器」のことが浮かんだ。そうだ、さっき放り出したままだけど、もしかすると目くらましに使える……? いや、粉をぶちまけて相手の視界を塞ぐとか、そんな漫画みたいなことができるのか?


「ハルさん、砂糖を……粉を使って目を潰せないかな……!」


 半ばやけくそで叫ぶと、ハルさんは一瞬「はぁ?」という顔をしたが、すぐに察したのかチラッと容器の位置を確認する。モンスターが今まさに唸って突っ込もうとしている。その合間に容器のふたを開けて粉を撒き散らすなんて、時間がなさすぎる。でも今はそれしか策がない。


「やるしかねえ……陽菜、あの容器取ってこい、俺がこいつを少し引きつける」


 言い終わるや否や、ハルさんはパイプを構え直し、わざと大きく足を踏み鳴らした。モンスターがそちらに向き直ると、ハルさんは一瞬だけ私に目配せしてみせる。私は口がカラカラになりながらも、全速力で床に転がっている容器のほうへ飛びついた。ふたを開ける余裕はあるか? 手汗が滲み出て蓋が滑るけど、必死に指をかけて回す。手が震えてアドレナリンが出てるのか、なんとかカチッと蓋が外れる。中には白い砂糖がぎっしり。


 背後で金属がぶつかる音と、ハルさんの苦しげな声が聞こえる。もう時間がない。バールを右手に、砂糖容器を左手に抱え、立ち上がって振り向いた。モンスターはものすごい勢いでハルさんを押し倒そうとしている。このままじゃやられる……!


「うわあああああっ!」


 私は声を張り上げ、容器を思いっきり振り上げる。そのままモンスターの顔面めがけて、粉をぶちまけるイメージで突進。……成功してくれ、頼む! 転びそうになりながらも何とか体勢を保ち、モンスターの背後に回り込むように動くと、ハルさんと視線が合った。大丈夫、私がやる。そう心の中で叫び、容器を思い切り振り下ろす。


 ぱふっと白い粉が舞い上がり、モンスターの顔や鼻先にべったりくっつく。砂糖を嫌がるように、モンスターが激しく頭を振って苦しげな咆哮を上げる。粉が目や鼻を刺激したのか、ドタバタと暴れる動きになった。その隙にハルさんが間合いを取り、パイプを深々と背中に突き立てる──が、肉が硬いのかあまり刺さらず、逆にモンスターの振り向きざまに腕を弾かれる。そのままハルさんは地面に尻餅をつきかける。


「くそっ、効かねえ……!」


「まだ、やる……!」


 私は容器をもう一度振りかざし、残っている砂糖を極力ぶちまける。白い粉がモンスターの周囲を広がると、奴はパニック状態になったように前足や尻尾を振り回して暴れ出す。粉塵を吸い込んでむせているのか、ズルズルと鼻を鳴らす声が聞こえる。今がチャンス……!


「ハルさん、今のうちに!」


 叫ぶと、ハルさんは勢いを取り戻したように跳びかかり、今度はパイプを横から顎下に突き刺す形で力を込める。ガツンという嫌な音がして、モンスターがグギャアアと絶叫。喉や鼻に粉が入り、苦しさで動きが鈍くなっている隙を突いて、さらにもう一撃。思い切りパイプを振り下ろし、モンスターの頭部を殴りつける。鈍い衝撃音がして、巨大な体がぐらりと崩れ落ちた。


「ぐるる……」


 最後の唸り声を漏らしながら、モンスターが地面にドサリと倒れ込む。白い粉が舞い上がり、周囲に淡い霧のように漂っているのが不気味な光景。私は息も絶え絶えで、その場にへたり込んでしまった。勝った……の? 嘘みたい……。倒れているモンスターの胴体がピクリとも動かないところをみると、とどめは刺せたらしい。だけど、こちらもボロボロだ。


「はあ、はあ……やった……」


 呼吸が苦しい。腕も脚もガクガクして、砂糖容器のほうは空っぽに近い。もったいないけど、仕方なかった。何とか生き残っただけでも感謝すべきか。周囲を見回すと、中年男性や若い女性、あの先頭の青年も呆然と立ち尽くしたまま。助かったのか……って表情で、へたり込んでる。


「ハル……さん、大丈夫……?」


 私がそちらに目をやると、ハルさんは肩で大きく息をしていたが、ひとまず立ち上がろうとしている。怪我は……少し腕を擦りむいたくらいで致命傷はなさそう。安堵で泣きそうになったとき、ふと周囲に目を落とすと、途中で床に転がした砂糖の容器が一つ残っている。あちらはまだ中身がいくらかあるかもしれない。でももうそういう問題じゃない。私たち、助かっただけで満足すべきだ。


 すぐ近くにいた怪我人の青年も、呆然としてモンスターの死体を見下ろしている。血がどんどん回復するわけでもないが、とりあえず“今”襲われる危険はなくなった。でもこの先どうするか……。通りの向こうでは、助かった三人も「マジかよ……倒したのか……」と震え声を漏らしている。そりゃビビるよ。私だって震えが止まらない。


「……とにかく、ここに長居は無用だ。二次被害が怖い。おまえらも、ここから離れたほうがいい」


 ハルさんが彼らに向かってきっぱり言う。中年男性はハッとした顔で「確かに……ありがとう。助けてくれたのか? 助かったよ……」とお礼を言いながらぺこぺこ頭を下げる。若い女性は涙目になって「本当にありがとうございます、ああもう死ぬかと思った……」としゃくりあげる。先頭の青年は「お前ら何者なんだ……?」と怯え半分、感謝半分って面持ち。


「まぁ、似たようなもんだ。そっちも怪我してるだろ? 大丈夫か?」


 ハルさんがちらっと青年の流血している足を指す。青年は痛みに耐えながら「モンスターに噛まれて……もう歩けそうにない」と答えた。あっちも怪我人がいるわけだ。状況は私たちとたいして変わらない。加えて、彼らはこっちよりも危ない感じがする。それでもどうにか移動しないと、今度は別のモンスターが来るかもしれない。


「ねえ、あなたたち、拠点とかあるんですか? 私たちもこの辺で拠点を……」


 私がそう訊ねると、彼らは黙って顔を見合わせる。そして中年男性が首を横に振った。「そんなもんないよ……。もともとデータセンターに向かってたんだけど、途中でモンスターに出くわして散り散りになった。仲間も失っちまったし……」


「データセンター……?」


 私は思わず言い返す。確かにこの世界をどうにかするためには、運営のサーバーなりシステムの中枢なりにアクセスすればいいんじゃないかって話は聞いたけど、具体的にどうするかは全然わからなかった。もしかして、彼らはそれを調べるために行動してたのか?


「けど、もうそれどころじゃない。足も痛いし、仲間もやられた。畜生……」


 先頭の青年は自暴自棄になったように拳を地面に叩きつける。見るに耐えないけど、その気持ちはわかる。私だって大切な友達がやられたら正気を保てる自信がない。この世界が変わっちゃって、どうしようもない絶望感が押し寄せてきても仕方ない。


 一方で、ここで行動を共にするかどうかが問題だ。どうやら彼らは複数人いたみたいだけど、今は三人になってる。しかも怪我人もいる。こっちも私たち含めて怪我人が一人、さらにあんまり体力もない。人数が増えれば戦力は上がるかもしれないけど、食料や水の問題も深刻になる。ハルさんが私を見つめ、「どうする?」という無言の合図を送ってくるのがわかる。


「……とにかく、私たちは拠点に戻らないと。あなたたちもケガしてるなら、一緒に来ます? 正直、安全とは限らないし、食料だって十分じゃないですけど、路上でモンスターに襲われるよりはマシかもしれない」


 意を決してそう提案してしまった。一瞬、ハルさんが驚いたように眉を動かしたけど、「まぁ、嫌なら別行動すればいいだけだしな」と小さく呟く。彼らははっとした顔で、食料だって十分じゃないと言われて表情を曇らせるが、それでも協力して乗り切る方が生存率は高いんじゃないかと察したのか、互いに目を合わせながら頷く。


「助かる……。でも、本当に迷惑かけるだけかもしれない」


「それでも、一人よりはいいと思います。ここで別れるのも怖いですし……」


 私が下を向くと、先頭の青年も「……悪いな、頼るしかない」とうなだれる。こうして急遽、私たちは“砂糖容器+怪我人+さらに3人”を抱え込むことになった。ハルさんは苦い顔をしながら「人数が増えて音が大きくなる。襲われるリスクは高まるぞ」と一応警告する。でも彼らは構わない、とばかりに縋り付く。そりゃそうだ、私たちがモンスターを倒してくれたからこの場は生き延びられたんだ。まだ希望があると思うだろう。


 とはいえ、今後どうなるかわからない。不安は大きい。それでも私の中には「助かってよかった」という安堵の気持ちもあるし、せっかく人数が増えたなら、情報交換だってできるかもしれない。何より、こんな地獄みたいな廃墟でも、人と助け合うことで生き抜ける可能性が上がる──と信じたいから。


「じゃあ、急ぎましょう。日が落ちる前に何とか……」


 私が号令するように言うと、みんな腰を上げ、怪我人たちを支え合う体勢をとる。モンスターの亡骸から離れるように路地を辿り、遠回りになっても安全そうなルートを選ぶ。道中、不安な沈黙が何度も訪れるけど、誰も何も言わない。下手に声を出してモンスターを呼び寄せたくないからだ。


 私の足元には容器の砂糖が多少こぼれ、粉々になって舞っている。あんなに必死で見つけた砂糖を贅沢に使い果たしたけど、それで命が助かったなら、多少のロスはしょうがない。残りの容器にまだいくらか残っているはず。それを持って拠点に帰り、何とかみんなで分け合おう。とにかく、今は無事に帰ることだけを考えろ──そう自分に言い聞かせ、私はまた足を動かす。


 加わった三人と、私たちの怪我人、さらにハルさん。数が増えすぎたこのパーティを率いて、廃墟の路地を進むのは本当に苦行に近い。でも、心なしか“一人で死ぬかもしれない”という孤独感は和らいだ気がする。果たして拠点でどう生活するのか、食糧はどう確保するのか、それ以上に私たちに未来はあるのか──わからないことだらけだけど、弱音を吐く暇はない。


 こんなにも必死に“生き残る”ために行動するだなんて、想像もしなかった。ファンシーでポップな世界を楽しむはずが、廃墟と化した地獄をサバイバルしてる現実。いつか本当に終わりが来るのか。いつかはまた、元の可愛い姿を取り戻す日が来るのか。暗い疑問が頭を支配しそうになるたび、“今やるべきこと”に意識を集中させ、私は前を向く。後ろを見ても仕方がない。誰一人として、ここで倒れちゃいけないんだから。


 ──帰り道はまだ遠い。空が赤黒く染まりはじめ、次第に暗い闇が町を覆っていくのを感じる。急がないと、夜のモンスターが這い出してくるかもしれない。怖い。だけど走れない。唇を噛み、心臓の鼓動を感じながら、私は必死で足を前へ運んだ。皆で生きるために、ただそれだけを目指して。


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