【エピソード1:ファンシーを愛する少女】
私、陽菜は、たぶん昔から──といってもまだ中学生だからそんなに昔でもないけど──ずーっと「可愛いもの」が大好きだった。ぬいぐるみやファンシー雑貨や、あとは動物のキャラクターが描かれた文房具とか、もう目につくとついつい買っちゃう。部屋の棚にはカラフルな小物がぎっしり並んでいて、友だちには「陽菜んちの棚、遊園地みたい」ってよく言われる。私としては褒め言葉のつもりで受け取ってるんだけど、言ってる子は「これ以上増えたら地震が来たとき大惨事かも」なんて冗談まじりで呆れてるようだった。
けど、そんな私が最近、特に注目していたのがオンラインVRゲーム「ファンシー×ポップ」。名前がそもそもド直球でしょう? いかにもふわふわしてそうだし、スクリーンショットを見ただけでもキャラクターはもちろん、背景とかオブジェクトひとつひとつが可愛くて、まるでおとぎ話に迷い込んだみたいに思えるの。しかも、これから正式サービスに向けてβテストを実施するっていうじゃない。もう聞いただけでわくわくが止まらなくて、これは応募するしかないって、思い切って募集ページにアクセスして。
ほんとは、中学生なんてまだ子どもだし、あんまり大がかりなVRゲームに参加できないっていう決まりがあるところもあるらしい。でも今回のβテストは年齢制限が緩くて、中学生以上なら保護者の同意があればOKということだった。ちょうど母も父も、「まあ陽菜がやりたいならいいんじゃない」とわりと呑気な感じで許可してくれて。いや、最初はちょっと「大丈夫なの?」って心配してたけど、公式サイトに「安全機能は万全です」って書いてあったから安心したんだって。
というわけで、私はテスト開始までの数日間、期待を胸にふくらませて暮らしてた。だって、あのファンシーでポップな世界の中を、自分が直接歩けるなんて! 頭にVRダイブ用の装置をつけて、本当にその場所に入り込んだみたいに動けるんだよ。いちいちボタンで操作とかじゃなくて、普通に歩いたりジャンプしたりできるっていうし、NPCだってまるで生きてるみたいに話すって言うし。もう楽しみすぎて眠れなくなりそうだった。──ま、実際はあんまり寝不足にならないように気をつけたけどね。
そして、今日がいよいよβテスト開始の当日。放課後すぐ帰って、部屋にこもってVR装置のヘッドセットを装着しながら、「わー、絶対に夢の世界が待ってるぞー」なんて胸をドキドキさせてた。
端末を起動して、案内されたログイン画面にIDとパスワードを入力する。わりと簡単だった。もっと難しいセキュリティがあるのかなって思ってたけど、そうでもないらしい。画面にはクマみたいなキャラクターが「ようこそ! ファンシー×ポップβテストへ!」って手を振ってるイラストが出てきて、それだけで私は「ふふっ」と笑ってしまう。だってクマの頬っぺたがハート型になってるんだもん。
ログインボタンをクリック(というより、VR内で指先を伸ばして選択する感じ)すると、視界がパアッと白くなって、空間全体がふわふわした感じに変わった。ここまでは想定通り。多分、ゲームの起動画面なんだろう。頭の中が少しくるくるするような感覚はあったけど、不快というほどでもなかった。
「──うわあ…!」
私の声が、自然に漏れた。そこには、お菓子みたいにカラフルな町がぼんやりと浮かんでいた。まだ輪郭は曖昧だったけど、近くにチューリップみたいな形の街灯が見えるし、遠くの方にお城のシルエットがある。全部がパステルカラーで、とろけそうなほど可愛い。その上、空も春みたいに優しい青色で、白い雲がキャンディみたいにふわりと浮かんでいた。
「えへへ、やっぱり可愛い…! あ、でもまだチュートリアルを済ませないといけないんだっけ。」
そう思って、ちょっと視線を動かすと──なぜか、視界の隅で“バグ警告”みたいな赤い文字がちらっと点滅した気がしたんだ。え? と思ってよく見ようとした瞬間、「プツン」と音がして、一瞬まっ暗闇になった。
え、待って? 私、何か変な操作した? 焦って手元(というか視線の先)を確認しようとするけど、何も見えない。真っ黒。いや、わずかに赤いコードらしき文字列が行き来してる気がする。これってデバッグ画面? ええと、どうやってログアウトするんだったかな──テスト用の取扱説明書には「ログアウトはメインメニューから」って書いてあったはずなのに、そのメニューが見つからない。
「ごめん、ちょっと不具合? もしもし、運営さーん…?」
思わず声を出してみるけど、応答なし。そもそも音が変。無音というか、耳鳴りだけが続いてる。私、めちゃくちゃ変な汗をかいてるかもしれない。現実の身体って今どうなってるの? いきなりこういうトラブルってアリ? βテストだから何が起こってもおかしくないのかもしれないけど、でも怖いものは怖い。
不安がどんどん膨らんでいく中、視界だけはまた少しずつ戻り始めた。でも、さっき見た可愛い町並みじゃない。なんか、茶色っぽい灰色っぽい、瓦礫だらけの景色がうっすら見えてくる。あれ? こんな背景、チュートリアルにあったかな。まるで戦場跡、もしくは廃墟…?
明らかに最初の「わあ、可愛い町!」とは違う。何が起きてるんだろう。背筋がゾクゾクっとした。周囲をぐるりと見渡してみても、どこにもメニューや案内NPCの姿はない。あれだけパステルカラーだった建物は、ぼろぼろに崩れていたり、片方の壁しか残ってなかったりする。空も曇天。灰色の雲が重たく垂れ込めて、さっきまで私がいた夢みたいな青空とは全然違う。
「これ、どゆこと…?」
自分で言葉に出しても、頭が追いつかない。ゆっくりと歩を進めてみる。すると、瓦礫の山を踏みしめた感触がリアルすぎてギョッとした。こういうVRゲームって、普通は痛覚までは再現しないはず。踏んだときの振動とか質感は多少感じるけど、まさかこんな生々しいとは…。
慌ててメインメニューを呼び出そうと、手元を見る。だけど、何も出ない。ヘッドセットを外すしぐさを脳内でイメージしても、全然外れない。完全に没入型のフルダイブが暴走でもしてるんだろうか。
「嘘でしょう? 誰か、助けて…」
困惑と不安と、それから妙に湿っぽい空気のせいで息苦しい。廃墟の路地を少し歩くと、何かの看板が転がっているのを見つけた。ごろん、と横倒しになって。かすかに読める文字は「パティシエ通りへようこそ!」で、そこにはうさぎのキャラクターが描かれていたはずが、色が剥げ落ちてる。うさぎの片耳もボロボロに欠けている。
「ここ、さっきのファンシーな町…だったんだよね?」
だって看板の形状はさっきチラッと見えたやつと似てる気がする。でもなんで、こんなに廃墟化してるの? 私がバグに巻き込まれて、ゲーム世界の開発途中マップか何かに飛ばされちゃった? いや、もしそうなら運営に連絡がつくはず…いや待って、そもそも通信が切れてる可能性があるのか。
どうしよう。いったん落ち着こう、落ち着こう、私。とりあえず人の気配を探すしかない。それに、なにか「ログアウトする方法」が見つかるかもしれないし。
あたりをゆっくり見回してみるけど、本当に“人”がいない。NPCですらいない。建物はほとんど崩壊してるし、道に転がっているのは割れた植木鉢とか、ひしゃげた街灯。なぜか赤黒い染みみたいなのが地面にこびりついていて、見た瞬間思わず目をそらしてしまった。あれ、何? こんなファンシーゲームに血みたいな演出があるわけ──ううん、考えるのやめよう。今は、とにかく進むしかない。
そう思って、足を動かす。ぐちゃ、と音がして、足元の瓦礫が崩れる。私は思わず「ひっ…」と声を上げた。こわい。誰かに聞いてほしいけど、誰もいないんだ。カラッカラに乾いた空気と、粉塵の舞う路地。遠くから吹く風が、廃材をバタバタ揺らしている音が空しく響いてる。
「このゲーム、ホラー要素なんてあったっけ…」
人気のない廃墟で独り言をつぶやいても、返事はない。胸の奥がぎゅっと締めつけられるように痛む。こんな始まり、聞いてない。ファンシーな動物や可愛い仲間と戯れながらクエストやイベントを楽しむはずだったのに。
次の角を曲がると、大きな建物が倒壊して道路をふさいでいた。迂回しようと裏通りに入ってみると、そこもまた崩れた瓦礫の山。ガラスの破片がキラキラ反射しているけど、それもどこか不気味。町の片隅に、子ども用なのかな、小さなイスとテーブルが転がってた。ミントグリーンのペイントが所々剥がれ落ちて、どう見ても何年も放置されたような汚れ方。
こんなところで立ち止まってても仕方ない。もう少し探してみよう、誰か──ゲームのスタッフでも、NPCでも、生きてる人なら誰でもいいから。歩き始めようとした、その時。かすかに、かさ…かさ…って小さな音が聞こえた。
「えっ、今のなに?」
私は息をのんで耳をすます。空耳じゃない、確かに何か動いた気配がある。人かもしれない。いや、誰かいたら嬉しいけど、こんな状況で“嬉しい”だけじゃなくて怖いという気持ちも大きい。もしモンスターとか、やばい存在だったらどうしよう。ゲームだとはいえ、妙にリアルな痛みを感じそうで怖すぎる。
しばらく黙って待ってたけど、その音は聞こえなくなった。やっぱり空耳かな…。落胆と安堵が入り混じったような気持ちで、また一歩踏み出した瞬間、今度はもっとはっきり「ガサッ」という音が響いた。そちらに反射的に振り向くと、路地裏の暗がりで、何かが動いた。
暗くてよく見えない。だけど、輪郭が少し丸っこい感じ? 動物っぽいシルエット? すると、それがこちらを一瞬振り返った。ん……? なんとなく、耳が長いような…うさぎ? それとも猫? さっき看板に描かれてたうさぎのキャラが現実化したみたいなのが出てきたのかな。
私は少しだけ勇気を振り絞ってそっちに近づこうとした。声をかけるか迷ったけど、「あの…もしもし…?」って小さく言ってみる。すると相手はビクッとしたように身をすくめると、あっという間に奥へ走り去ってしまった。
「待って! 行かないで!」
私は慌てて追いかけようとするが、足場が悪くてうまく走れない。瓦礫につまずいて転びそうになった。苦労して路地を進んだけど、その“何か”の姿はもう見えない。背後に残るのは散乱したゴミと、錆びついたバケツ。どんよりした空気だけが取り残されている。
「もしかして、今のもバグ…? それともNPC…? ああ、もうどうなってるの…」
独り言が段々と情けない声になっていく。怖い。寒い。そしてなにより、心細い。こんな世界に一人っきりなんて、冗談じゃないよ。誰か助けて。誰か、声を聞かせて。
しばらくその場で立ち尽くしていたけど、じっとしててもしょうがないから、また歩き出す。胸が苦しくなるたびに深呼吸して、少しでも落ち着きを取り戻そうとする。だけど、頭の中はぐるぐる。「どうしてこんなことになったの?」と何度も問いかけても、答えは返ってこない。ああ、ほんとにどうしよう。
──こうして私の「ファンシー×ポップ」βテスト初日は、可愛い世界との出会いどころか、薄暗く廃墟と化した謎の空間を彷徨う最悪の始まり方をしたのでした。
可愛いぬいぐるみや夢いっぱいの冒険を期待してたんだけど、まさかこんなに絶望的な光景が広がっているなんて。しかもログアウトできない。誰にも連絡が取れない。こうなったら、何としてでもこの世界の謎を解き明かして、元に戻す方法を探すしかないのかもしれない。
でも、たった一人でできるんだろうか。そもそも私は、ただの中学生で、ゲームのことだってそこまで詳しくないのに。
……だけど泣いてるわけにもいかない。泣いたって誰も助けてくれないし、それより、あのうさぎっぽい何かがまだこの辺りにいるなら、もうちょっと探してみよう。もしかしたら、あれが私にとって唯一の手がかりになるかもしれない。
気持ちを奮い立たせるように大きく深呼吸して、私は壊れかけた路地をゆっくりと進む。カラフルなはずの世界は、いったいどこへ行ってしまったんだろう。この灰色の景色の裏側に、まだ残っているのかな。どうにかして見つけたい。
この世界は、こんな姿じゃないはず。そう信じたいから──私は前に進むことにした。もしかしたら、絶望の先に、ちゃんと光があるかもしれない。だって、ファンシーなゲームなんだもの。ゲームには、必ずクリアできる道があるはず…だよね?
私はそう自分に言い聞かせながら、瓦礫をかき分ける。とんでもない場所に来ちゃったな、なんて半泣きになりつつも、ちょっとだけ勇気を出す。そうしないと、どうにもならない。──こうして、私の試練が始まった。