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街路樹を走り抜けると目の前が開けた。
「鴨川だ……」
ここまでこれたなら、目的地まではもうすぐだ。
俺は自転車を降りて、鴨川に掛かる橋の袂から川を覗いた。思っていたよりもコンパクトな川だ。水量は少なく、川底が見える綺麗な川だった。
橋の真ん中で渡り辺りの風景を見渡した。
遮るものが何も無く、空と山と川だけだ。
遠くに形の良い山が見え、川には大型の水鳥が何か獲物を狙っているのか忍び足で川を見つめている。青い空には海に漂うクラゲみたいに丸い雲が幾つも浮いていた。
橋を渡り終えると遠くに大きな鳥居が見えた。その隣にはこれまた立派な石碑に加茂大社と彫られている。
上賀茂神社。正式名は賀茂別雷神社。かもわけいかづちじんじゃって読む。
俺は神社の駐輪所に自転車を停め、一ノ鳥居の前に立った。朱色の一ノ鳥居には、しめ縄が結ばれている。
(こんなデカいしめ縄、どうやって取り付けるんだ?)
遠く、二ノ鳥居まで続く長くまっすな道に、真っ白な細かい砂利が敷かれていた。その白い道を挟むように綺麗に手入れされて芝が広がっていた。空と芝の青さに白い道が浮き出されている。
俺は鳥居をくぐり、踏みしめるように、白い砂利の道を歩いた。
世界遺産の神社にしては観光客がまばらだ。
二ノ鳥居に着くと何もさえぎらない広い空と神社を囲む高い木々のみ。
何百年もこの場所に鎮座している。その長い年月が異空間のように周囲の世界と切り離した場所に感じる。正直、違和感しかない。
二ノ鳥居をくぐると正面にでかい砂山が二つあった。立砂って言うみたいだ。その立砂の奥にある、手水舎で手と口を清め、本殿にむかった。
人工的に造られた川が左右に流れていた。岩板の橋を渡ると朱色の門がある。その奥に本殿があった。
俺は本殿を前に一礼し、石段を上がりお参りをした。無事に参拝し終えると同時に急に大粒の雨が降り出した。
中学の同級生から、凜太郎と紗南が結婚したと聞いた。白無垢に紋付袴の二人が幸せそうに微笑んで、撮影された場所がこの上賀茂神社だった。
凜太郎が紗南を選んだのは何となくわかる。凜太郎の好みの女だから……。
俺は紗南になりたかった。彼女は俺の理想で憧れだった。
俺の好きな人が俺の憧れの人と結ばれる。普通の失恋よりもダメージは二倍だ。
二人が結婚したと聞いた時、あまりのショックで周りの音が聴こえなかった。
(それにしてもすごいスコールだ)
目の前が霞むぐらい大粒の雨粒が空から落ちてくる。石畳に打ち付けられた雨粒が靄となって辺りを漂う。
境内で雨宿りしているの参拝客は俺と爺さんの二人だけだ。お守りを販売している若い巫女さんは、授与所の中でぼんやりとこの雨を眺めていた。
滝のような雨音しか聞こえない。この世の中に取り残されたみたいだ。
♢♢♢
上賀茂神社に来たのは初めてだが、京都へは二回目だった。
初めての京都は中学3年生の修学旅行だった。
俺は凜太郎と同じ班で一緒に行動したが、凛太郎と俺は途中で勝手に班から抜け出して今宮神社行った。
凛太郎がどうしてもここの【あぶり餅】っていう餅が食べたかったと言ったからだ。
「なんでこんなところでオレら、モチ食ってるんだよ。先生にばれたらマジで怒られるぞ」
「もう、バレてるよ」
そう言って、凛太郎は香ばしく焼けたあぶり餅をおいしそうに食べた。
何故ここの餅が食いたかったのかと凛太郎に訊くと、凛太郎の母親が独身の時に、ここあぶり餅を食べて、その味が忘れないと言ったそうだ。
「だったら、俺とじゃなくて母ちゃんと一緒に食えよ」
「死んだから、無理」
凛太郎は飼育してたカブトムシが死んだみたいにあっさりと言った。唐突の告白に無言になった俺に、凛太郎は
「ゴメンとか言うなよ。――オレが九才の時に病気で死んだんだ。ほかの親より少し早く死んだだけだから……」
そう言って、凛太郎は店員にあぶり餅のおわかりの注文した。
「一人で行けなかったんだ。だから、一緒に食ってくれたありがとな」
それまで凜太郎と出かけたことはあったが、何人かの友人と一緒だった。2人っきりは初めてだった。凛太郎が今宮神社に抜け出して二人で行こうと言われた時、俺は飛び上がるほど嬉しかった。
これが俺にとって生まれて初めてのデートだったからだ。俺は嬉しくて、ものすごく緊張して、それを凛太郎に悟られないように必死だった。
だけど凜太郎はそんな俺に大切な思い出を語った。
自分のことしか考えて無かった俺は、恥ずかしくて、いやしくて、悲しかった。
今でも思い出すだけで、胸の奥が痛い。
俺はあのあぶり餅を多分、いや二度と食うことはないだろう。餅が不味かったわけではない。
凜太郎が見せた強がった顔と、一人じゃ食べに行けなかった弱さ。そんな凛太郎の傍にいたことができた、あの時のあの時間をずっと心の中にしまって置きたいだけだ。
(あいつはきっと嫁さんとあの餅を食っているんだろう……)
当時の俺はどこかで凜太郎を好きなことを、自分自身で認めなかった。
異性より同性が気になりだしたのは小学生の高学年辺りからだった。
自分は同姓の友達とは何かが違うと何となく気づいていたが、当時の俺は気づかないフリをしていた。
俺はそんな俺自身が嫌いだった。
どうして周りの友達みたいに、女子を好きにならないのだろう? どうやったら、大きいおっぱいや柔らかそうなお尻が強調されているグラビアを見て興奮するのだろう? 思春期の俺は、毎日毎日とても深い悩みに悩んでいた。
子どもから大人になる途中って本当に厄介なもんだ。
今となってはそこまで悩むことではないと思うが、当時の俺にとっては深刻な問題だった。
凜太郎のことを好きだと認めたら、自分が汚い存在になってしまうのではないかと、見えない恐怖にかられた。もちろん誰にも相談できない。
それでも恋というのは力はすごい。苦しい思いの中、それでも凜太郎の傍にいたかった。
あれから大人になって色んなヤツと出会っては別れたが、あの時感じた、あの甘くて切ない、心が締め付けられる感情は、あれが最初で最後だった。
凜太郎と過ごした時間があったから、俺は今ここにいる。
世界遺産に登録されている人気の神社なのに、この雨のせいなのかなんだか独り占めしているみたいだ。
お参りしてこの大雨を食らうのは、神様に嫌われているのか、はたまた気に入られて足止めを食らっているのは、神様しか判らない。
俺が思っているより、結構神様って気分やなのかもな。
雨は五分ぐらいで止んだ。空は晴れ太陽が顔を見せると、さっきまでひんやり空気が一転して蒸し暑くなった。