真夏のクマゼミ
—野菜を食べないなんて、人生損してるよ—
奴にとって他愛のない一言だと思うが、言われた俺は、今でも苦手な野菜を結構食べている。
好きな人から言われた言葉は、心に残るものだ。
――シャシャシャシャシャシャ
「あぁーー、うるせぇ……」
新宿から夜行バスに乗って、京都駅に到着したのが午前六時十二分。
順調な道のりだった為、少し早い到着だったと、夜通し運転していた運転手がアナウンスで言っていた。
京都駅の南側、八条口で降ろされた俺は、この――シャシャシャシャシャシャの騒音に出迎えられた。そして、――シャシャシャシャシャシャの騒音に囲まれながら、陸橋を渡りここまで歩いてきた。
「すげー、もう並んでやがる……」
日はまだ高くないが、蒸し暑い朝六時だというのに、ざっと見ても十五、六人は並んでいるのが見えた。
俺は慌ててその行列の最後尾に並んだ。前に並んでいたおっさん二人組が
「クマゼミ、今年も元気がええなぁー」
「もうそんな時期でっか……。朝からぎょうさん、元気に鳴いとるわ」
(クマゼミ? クマセミって、あのクマゼミ?)
頭の中で何度もクマゼミ、クマゼミって、慣れない夜行バスの一夜のせいか、寝不足と疲れで頭がおかしくなっている。
ようは単なる蝉だ。子供のころに図鑑に載っていたのを思い出した。
「ホンまによう鳴くわ……」
そう言って、おっさんの一人は首から手拭いを堤て、額の汗をぬぐった。白地に濃紺のセミ柄の手ぬぐい。
(この騒音はクマゼミの鳴き声か……)
確か日本で一番大きな蝉。クマゼミ。
アブラゼミのように個々に鳴くわけではなく、一斉に合唱のように鳴いている。
だからものすごい大音量だ。こんな鳴き声だったとは初めて知った。
それにしても朝の六時半過ぎだというのにこの行列。世の中どれくらいラーメン好きがいるんだ。
まあ、麺類の回転は速いから長時間は待たないだろう。並んでいる間にも、豚骨の煮込まれた匂いが腹を刺激する。
行列に並んでから約四十五分。やっと店内へ入れた。注文は決まっている。
「特製ラーメン大一つ」
昨夜はシメを食べずにそのまま夜行バスへ乗り込んだから、腹減り度はマックス。腹の虫はグーグー鳴っている。
「おまたせしました。特製ラーメンの大です」
くぅー。うまっそう!
「いただきます!」
豚骨醤油だけど、くどくなくて朝一でも全然問題なく食える。自家製のちょい太めのストレート麺とスープが絡む。
たっぷりの自家製チャーシューにみずみずしい九条ネギにシャッキリのもやしが旨い。
一点集中で麺を啜り、どんぶりを持ち上げスープを飲み干した。朝ラー、最高。
「ごちそう様でした……」
満腹満足に店を後にした俺。
あんなに鳴いていたクマゼミの合唱がピタリと止んでいた。その変わりにむっとした暑さが体にまとわりつく。
昨晩まで、新宿で飲んでいて、一夜にして京都来てラーメンを食った俺。決してラーメンを食いたいが為に京都にやってきたのではない。
あの話を聞いて、俺はただ、京都へ行ってみたかった。
♢♢♢
昨日は仕事が休みで、新宿で飲んでいた。
のんびり昼ごろ起床。顔を洗って歯を磨いて、腹が減っていたので、家を出て牛丼屋で遅い朝食セットの昼飯を食った。
その後、特に予定などなく、暇つぶしに行ったパチスロで、好きなアニメのスロット台を打っていたら、隣に座っていた奴が何度も俺の顔をチラチラ見てきた。
ウゼぇし、台もよくないから席を移動しようとしたら、隣の男から「もしかして山尾か?」と声を掛けられた。
よく見ると、その隣の席のウザい奴は中学の同級生だった。
「おおー! お前、高嶋か?」
同じバスケ部の高嶋だ。高校は別だから、十年以上ぶりの再会だった。お互いおっさんになったなって思いながら
「久しぶりだな! 山尾、こんなとこで何やってるんだよ!お前」
高嶋お前もなっ。
「ほんと、卒業ぶりだな」から始まり、後はお決まりの会話だ。
「山尾、今日休み? お前、品川って憶えてる? ほら、野球部の。あいつ新宿で店出しっているんだよ。――えっ、変な店じゃねーよ! 焼き鳥屋。これが結構、安くておいしくてさ。ほかの奴らも飲みに行ってるんだよ! 今から、みんなに連絡するからさ、行こうぜ!」
外見以外、昔とちっとも変わらない高島はこんな感じで、話を勝手に進め、俺は高島に言われるがまま、シケたスロットの台を諦め、パチスロ屋を後にし、山手線に乗り込んで新宿へと向かった。
夏至が過ぎたとはいえ、夕方五時過ぎ。日が長いせいなのか夕方感があまり感じない空の下。
快適な山手線を降り、暑い中ウジャウジャいる人混みをかき分けて、新宿駅から徒歩十分ぐらい歩いた小さな雑居ビルの一階。入り込んだ奥にある小さな店。【焼き鳥屋・小鳥】
(なんか、こう、もうちょっとマシな店名があるだろう)
って、俺の思いなど、さておき。
その焼鳥屋・小鳥の小さな暖簾をくぐると、懐かしい顔ぶれが現れ、小規模な中学同窓会が始まった。
十年以上も会ってないと、募る話もたくさんだ。話のネタが薄まる頃に新たな奴が、「久しぶりー」と暖簾をくぐるから、話は尽きなかった。
まあ、ここまではごくありふれた話だ。
夜の十時過ぎまで、飲んで騒いで楽しんだ俺はフラフラとした足取りで一人、旅の支度などせず。そのまま新宿駅から京都行きの夜行バスに乗った。
酒を飲んだせいで、トイレが我慢できなくなって、休憩以外に途中で運転手さんにサービスエリアに停まってもらったのは憶えていたが、その後は爆睡して、気づいたら京都駅に着いていて、今ラーメンを食い終わったとこだ。
なんだが疲れきった、女子が何も考えず、京都旅に来ましたってみたいな行動だ。