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時は待ってくれない

 服を返して、昨日の僕の服を引き取って、支払いを終えて、


「また来てくださいねー! 次に会うときはお客さんが幸せになってるよう祈ってますよー!」


 店員さんに余計なことを言われながら表へ出ると、ルークはもういなかった。

 なんとなく安堵しながら宿へ戻って僕は荷物をまとめた。こっちでも支払いを済ませると、栗毛馬を引き出して、パートリッジ本邸へ帰るために王都を後にした。

 別邸には行かなかった。


 途中の町で一泊して、見慣れたいつもの“町”に到着したのは、王都を出た翌日の夕方にもならない時間。

 だけどご褒美のハジケモモを食べた途端に馬はヤル気をなくしてしまったんだ。ダラダラ歩く馬をなだめすかしながらパートリッジ本邸に戻ったのは、夕食なんてとっくに終わった時間になっちゃってた。


 ありがたかったのは、僕が屋敷の建物に近づいたところで男性使用人が出迎えに来てくれたこと。

 喜んで歩き出す馬から降りて「どうして僕が帰ってきたって分かったの?」って聞いてみたら、彼は少し笑って「馬たちが教えてくれました」って言うんだ。

 まあ、馬たちはこの使用人が大好きだし、そういうこともあるのかもね。


 彼が馬の世話を引き受けてくれるっていうからありがたくお願いして、僕は荷物を持って屋敷の扉を開けた。出迎えのひんやりした空気の向こうからやってきたのは老執事だ。あたたかい笑顔と「おかえりなさい」の言葉をかけて、僕に食事はどうしたのかって尋ねてくる。


「まだ食べてないよ」


 って答えたら、「では、簡単なお食事を用意いたします」って言って去って行く。しゃっきり伸びた背中を見ながら僕は、


「あのね、王都の別邸に送金ってしてる?」


 って聞いてみた。今のところ、家の金銭関係はこの老執事が基本的に管理してるんだ。

 振り向いた執事は僕に向かって軽く頭を下げる。


「半年に一度お送りしております」

「それはいくら?」


 執事からの答えを聞いた僕は「ありがとう」と返事をして階段をのぼる。途中で、


「グレアム」


 って声を掛けられて、文字通り飛び上がった。


「父上? どうしたんです?」

「あー……いや、なんだ。その……王都は、どうだったね」

「……すごかったですよ」


 僕がそうとだけ答えると、父上は「んむ……そうか」とかごにょごにょと何かを言ってまた顔を引っ込めた。

 ……なんだったんだろう?

 首をひねりながら僕は自室の扉をゆっくり開き、荷物を脇へ置く。暗い中、手探りで椅子を引き出し、腰かけてぼんやり天井を見上げた。


 静かだなあ。王都での喧騒が嘘みたいに思えるよ。

 でも、浮かんでくるあれやこれやは、本当にあったことなんだ。


 馬、本当に速かったな。ハジケモモは高かったけど。

 宿が綺麗で安くてありがたかったよ。おかげで予想よりお金が余ったし。

 ゴールデン・ペタル、まさかジェフリーの店だったとはね。

 ニコール、元気そうでよかったな。


 そうして僕はふう、とため息をつく。


「劇、圧巻だったなぁ……」


 しかも、その戯曲を書き上げたのが――。


「……姉上は、すごいなあ……」


 何回目か分からない称賛の言葉を僕はぽつりと口にする。

 さっき、執事から聞いた額は僕の想像よりもずっと少なかった。あの別邸をあんなに綺麗な状態で維持できるなんて思えない金額だ。王都の別邸を維持しているお金の大半はきっと、姉上が――ロナ・エグディが工面したもので間違いない。


「本当に、姉上は、すごいや……」


 僕の心に湧き上がる気持ちは尊敬だ。

 だけどそれは同時に、僕の胸を痛くさせるんだ。


 姉上は、すごい。

 王都でしっかりとした自分の道を見つけてる。


 それに、ルーク。

 最後に会ったときとはなんだか印象が変わってた。

 サラのために生きるって決めた彼は、なんだか清々しい空気があったな。


 ……だけど僕はどんな変化があった?

 自分で問いかけておいて僕はただ、ため息をつくしかない。


 僕が王都へ行ったのは姉上やサラ、ルークたちの関係性について知りたかったからだ。

 確かに知ることができたよ。でもそれは同時にみんなのすごさと、自分の不甲斐なさを浮き彫りにしただけだった。


 ゴールデン・ペタルで会ったルークは「途中で立ち止まったから、本当の意味ではムダルになれなかった」って言ったよね。

 だけど僕は途中で立ち止まるどころか、足を踏み出すこともなく諦めた。何もせずに逃げたんだ。


 なんだか目の奥がツンとしてくる。

 みんながそれぞれ足掻いて進んでる中、僕は一人で立ち止まって、目を背けてばかりいた。ああ、僕は、なんて臆病だったんだろう……。


「坊ちゃーん! おっかえりなさーい!」


 廊下の向こうから大きな足音と、大きな声が響く。メイドのものだ。


「お夕飯できましたよーって執事さんが!」

「……ありがとう」


 本当は食欲なんてなくなったけど、用意してくれたのに無下にするわけにはいかない。

 のろのろと立ち上がった僕は、そっと扉を開けて、階下へ向かったんだ。


 その後の数日間、僕は鬱々として過ごした。周りの凄さと、自分の駄目さを思い知って落ち込んでね。

 だけどその後にふと、「自嘲しててもしょうがないな」って思うようになったんだ。


 だって時間はずっと流れていく。今日の続きには明日があって、明日の続きには明後日がある。

 領主の息子として生きる未来はもうじき終わるけど、僕はこれからも生きていくんだ。


 だったらそのときのために僕だって“できること”を増やしていかなきゃいけないんじゃないかな。

 姉上が新しい人生を見出したようにね!


「……よし」


 翌日から僕は、姉上が送ってくれた資料を読み込むことにした。

 これはもしかしたら、僕がどこかの家へ働きに出たときに役立つかもしれない。


 加えて僕は今まで以上に使用人たちの手伝いをすることにした。

 喜んでたメイドはともかく、執事や下働きの彼は少し困った様子だったけど、「僕の未来にとって必要なことなんだよ」って説得を重ねたら最後には二人とも折れてくれた。

 男性使用人と一緒に本邸のあちこちで雑務をこなす傍ら、執事と一緒にお金の流れをきちんと把握するようにもしたんだ。メイドの後始末も……まあ、増えたかな。


 そしてパートリッジ本邸を出来る限り整えていった。


 といっても残念ながら庭園は僕じゃどうにもできないから放置。せいぜいが使われてない部屋を掃除したり、窓枠を塗りなおしたり、倉庫を修繕といった具合かな。

 もうじきこの屋敷も他の誰かの手に渡るだろうけど、そのとき少しでも「いいところだな」って思ってもらえたら嬉しいもんね。だってここはずっと僕が……パートリッジの人たちが、暮らしてきた家なんだ。


 でさ。こんな毎日を過ごしてたら、時間が経つにつれて僕にも“できること”が増えていくんだよ。

 それがなんだか楽しくってね。


「僕は大したことないけど、何もできないわけじゃない」


 とも思えてきて、この先も何とかなるような気になってくるんだ。

 楽観的かな?

 でも、暗くしてるよりずっといいよね。


 こうして、気がついたら二か月近くが経っていた。

 あと五日もすれば新しい年が始まる。

 豪華な料理を作ったり立派な飾りつけをしたりはもうできないけど、せめて少しでも綺麗にして年を迎えよう! ってことで、僕と三人の使用人は大忙し。


 ――『イアン』という男性が本邸へ訪ねて来たのは、そんな日の午後だった。

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