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麗しの物語

 劇は続く。

 次は華やかな異国の宴の場面だ。


 父が娘のラジュワーを披露し、男性たちが「なんと美しい」と口々に賞賛する。

 そうして後日、いろんな場所にラジュワーを呼び出し、求婚の言葉を贈るんだ。

 だけどラジュワーはそっぽを向き、男性全員に厳しい言葉を返す。


「あなたと結婚したら、食事よりも“噂話”で胸焼けしそうだわ」

「私を飽きさせない自信があると言ったの? いま話しただけで私はもう退屈なのだけど?」

「その求婚の言葉、どこかで聞いたわね。……そう、昨日も誰かが同じことを言っていたのよ。もしかして流行中なの?」

「あなたと結婚するくらいなら、鏡の前でため息を百回つくほうがまだ有意義そうだわ」


 この劇の巧いところは、どの求婚の場面も笑いに昇華させたことだと思う。


 ここは本当ならとっても嫌な場面で、ラジュワーの高慢さだけが際立つシーンだよね。

 だけど求婚者たち大きな身振りで嘆き、ひっくり返ったり、転がったりしながら去っていく。

 どの役者もずいぶんコミカルに動くし、男性がいなくなる場面の音楽はいつも陽気だ。だから観客はつい笑ってしまって、そしてその笑いのおかげでラジュワーにあまり不快感を抱かないんだよ。


 あとは、ときどきラジュワーが花を見て、寂しそうな様子になることかな。

 この二つの要素があるおかげでラジュワーはヒロインでいられるんだと思う。


 やがて求婚者がいなくなって、舞台が暗転した。

 ……と思ったら、不意にぽっと二か所だけ明かりが灯る。

 そこに立っているのはムダルに背を向けるラジュワーと、ラジュワーの方を向くムダル。


 微笑むムダルはラジュワーの後ろ姿に向かって手を伸ばし、言うんだ。


「人々は君のことを『高慢で嫌な女だ』と言うよ。だけど一緒に遊んだ君は明るくて優しい子だった。今の君は絶対に嘘の姿だよね? きっと何か理由があるんだろう?」


 ラジュワーは背を向けたまま答える。


「理由なんてないわ。これが本当の、私」


 つんと顔をそびやかすラジュワーはすごく嫌な感じだ。僕たちから見える横顔は「こんな私を好きになんてなる人なんているはずがない」って雄弁に語っている。

 それでもムダルは笑顔を崩さない。


「君が言う“嘘”と“本当”の違いくらい、僕には分かるよ」

「……あなたはとても傲慢なのね。付き合っていられないわ」


 音楽が静かに流れ、ラジュワーは舞台袖へと去っていく。ムダルは彼女を追おうとしたみたいだけど、踏み出しかけた足を途中で止めた。


 このあとからムダルの奮闘する日々が始まるんだ。


 ラジュワーの部屋の下で愛の詩を朗読したり、山ほどの贈り物を持って現れたり、吟遊詩人の姿で近づいてみたりする。

 サラが演じてくれたように、通り過ぎざま投げキッスと同時に求婚したり、玄関横の樽から急に現れて脅かしつつ求婚したりもしたよ。


 そのたびにラジュワーから手ひどい言葉をかけられる。だけどムダルはちっとも挫けないんだ。


「今回も駄目だったか。じゃあ、次はどうしようかな」


 って肩をすくめて次の方法を考える、その繰り返し。


 この劇を好きだって言ってたサラは、心の中でムダルに「頑張れ」って声援を送りながら観てたんだと思う。

 きっとこの場にいる観客たちも同じ気持ちなんだろうな。現に僕の隣でニコールは両手を握りしめて、食い入るように舞台を見つめてる。


 だけど僕は「頑張れ」とは思えない。ムダルには「もういいじゃないか」って声をかけたい。もう諦めようよ、頑張らなくていいよ、つらい思いをしなくていいんだよ、って言いたい気持ちでいっぱいだった。


 もちろんムダルは諦めたりなんかしない。

 彼はある夕暮れ、立派な衣装を着てラジュワーの前に現れる。

 変装も悪ふざけもやめた彼は、堂々とした王子そのものだった。


「ねえ、ラジュワー。この花を覚えているよね?」


 言いながらムダルは両腕いっぱいに抱えた花を差し出す。

 大ぶりの赤い花を目にして、遠くにいたラジュワーが初めて少し、前に踏み出した。


「僕は子どものころのことを今でも思い出せるよ。この花のあいだから見せた君の顔も、手をつないだときのあたたかさも、笑い声も、忘れたことなんて一度もない。だから僕は今日、この花を持ってきた」


 ムダルは今までが嘘みたいに静かで、けれどとても強い声で言う。


「君は、どう? 子どものころの約束なんて、忘れてしまった?」


 ラジュワーは、今度は背を向けなかった。

 ゆっくりムダルを見上げて、胸元で手をきゅっと握る。


「忘れるはずがないわ。あなたが言った言葉も、ちゃんと覚えてる。『大きくなったら結婚しようね、そのとき僕は、両手いっぱいの花束を持って会いに行く』って。ほらね? 合っているでしょう?」


 言ったあと、ラジュワーはうつむく。


「だけど……身分の低い私は、王子の隣になんて立てない。結婚は別の相手としなくてはいけないけれど、あなたのほかの誰とも、結婚なんてしたくなかったの。嫌な女になれば、みんな私の元から離れて行くと思った……」


 静かな音楽が流れ始める。

 ラジュワーの独白に相応しい、寂しい音色だ。


「本当は、傷つけてごめんなさい、っていう気持ちでいっぱいだった。こんな私には、もう二度と近寄らないでねって。……あなたにも、酷いことをたくさん言ったわ……」

「僕にとってはプロポーズのやりとりも、楽しい遊びみたいなものだったよ。子どものころと同じように、ね」


 ムダルは微笑んで、そっと花束を差し出した。


「君と一緒にいる時間はすべて宝物なんだ。これからの時間だって、すべて宝物にしていきたい」


 ラジュワーは震える手で花に触れながら、やっと笑う。


「……あなたは約束通り、花をくれた。……今度は私が、あなたのために咲きたい」


 ラジュワーが花束を受け取った。ムダルの想いが通じたんだ。

 観客席から小さなすすり泣きが聞こえる。


 音楽が高まったあとに一度世界が暗転し、柔らかく光がさす。ラジュワーがあちこちの男性に謝罪し、許されていく場面になる。

 ムダルの両親も二人を許し、ついに迎えた結婚式。

 みんなが祝福する中で、舞台の脇から一人の人物が現れる。最初と同じ吟遊詩人だ。

 客席を向いた彼は朗々とした声を劇場に響かせる。


「花は枯れても、また芽吹く。恋もそう、物語もそう。巡り、続き、姿を変えて咲き誇る」


 言葉に合わせて舞台の照明が狭まり、やがてムダルとラジュワーの姿だけが照らされる。なんだか幻想的な雰囲気だ。


「忘れられたと思えた約束も、風に散ったかのような願いも、必ずどこかで息づいている」


 吟遊詩人は弦をひとつかき鳴らし、観客へと深く一礼した。


「さあ、異国の恋物語はここで幕を閉じよう。次に開く物語は、あなたの胸の内で!」


 彼が両の腕を広げると、幕がゆっくり降り始める。

 最後に見えたのは、寄り添って立つムダルとラジュワーの幸せそうな笑顔。


 幕が降りきり、音楽がやんで、劇場がしんと静まり返る。

 四回瞬きをしたあとで劇場内に響いたのは、まるで嵐みたいな拍手の音だった。

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