準備も終わったことだし?
ジェフリーが登場したことで、カーテンの向こうは一気に賑やかになった。
「ようこそ。本日はどの劇の夢を叶えに来られましたか? ……ああ、『約束の花束をあなたに』ですか! 今まさに一番人気ですよ、お目が高い! 華やかなお客様が劇中の衣装を身につけたら、きっと舞台の主役と見間違えること間違いなしでしょうなあ!」
なるほど。ジェフリーの口がうまいのは知ってたけど、改めて聞くとやっぱりすごいな。
「こちらの皆様方はいかがです? ……ほうほう、『恋人たちの誓い』と『情熱の仮面舞踏会』で迷っておられると。どちらも良い劇ですから、お気持ちは分かります。よろしければどちらも試着なさってみてはいかがですかな? もちろん試着に料金はかかりませんとも。そのうえでどちらも捨てがたいと思われました、いずれまた夢を叶えにお越しいただくということでいかがでしょう? ええ、おっしゃる通り、上演期間中ならば衣装は逃げませんぞ!」
お客さんに寄り添いつつ、さらりと次の再来を勧めてる。このへんが“商売人”なんだろうね。
なんて思っていたら、近づいてきた足音が僕のいる部屋のカーテン前で止まった。
「ん? こちらの試着室は使用中かな?」
げげ。僕のことは気にしなくていいから、別のとこへ行ってほしいな!
だけど残念ながら、外で女性店員が明るく応じる。
「はいはい、ここは使用中ですよー! 失恋したお客様がいらっしゃるんです!」
「……失恋?」
「そうなんですよー。自分がなんでフラれたのか探るために、女装して女性の気持ちになってみたいんですって!」
いやいやいやいやいやいや!
言ってない! そんなこと一言も言ってない!
「お客様の着替えが終わられたら、ぜひオーナーも慰めてあげてくださいね!」
「……ああ……うーむ……いや、も、もちろんだ……」
引き気味の空気を感じるジェフリーの声を聞きながら、僕は頭を抱えた。
これは間違いなくジェフリーが僕のところへ来る流れだ……。
僕は“グレアム”としてジェフリーに会ったことがある。
もちろん“エレノア”になった状態でも何度も会ってる。
つまり、男装だろうと女装だろうと、ジェフリーと対面したら面倒なことになるかもしれないわけ。
なんとか回避しなきゃ!
必死に頭を回転させた僕は一つの案を思いついた。
カツラを手に取り、咳払いして、頑張って低ーい声を出したんだ。
「うおっほん。店員さんや」
よしよし。ここまで低ければ、いつもの僕とも、女装した僕とも、全然違うはず。
「このカツラはとてもいい。手触りも着け心地も抜群だ」
「お客さん、どうしたんです?」
カーテンの向こうから顔を出した店員さんが不思議そうに首をひねってる。
「急に声がおかしくなってますけど、服を脱いで風邪でもひきました?」
「うおっほん。いやいや、そんなことはないですぞ。ぼく……私はもとからこの声だ。うおっほん、うおーっほん」
「はあ」
「とにかくですな。私はこのカツラにいたく感激した。ここまでカツラに力を入れている衣装屋などそうはないはずだ。オーナー殿はさぞやカツラに造詣が深い方なのだろう!」
カーテンの向こうで誰かが何かを落とす音がした。店員さんなのかな、女性の「どうしたんですかオーナー、急に固まって!」という声もする。
よし、いけるかもしれない!
「いやあ、この店のカツラは本当に素晴らしい! まるで本物のような自然さだ! ここまで頭髪の繊細な美学に通じておられるのだから、オーナー殿は身を持って分かっておられるのかもしれんなあ!」
何かが倒れたような音に続いて店員さんの悲鳴が聞こえ、カランカランというドアベルの音が響く。表の扉が開いたらしい。
「急な用事を思い出した! また来る!」
それを最後にジェフリーの声がしなくなった。カーテンの向こうでは店員さんが何かをばたばた片付けている気配と、お客さんに謝ってる声がする。
僕はほっと息を吐いた。
騒ぎを起こしてしまったのは申し訳なかったけど、ジェフリーと会いたくなかったんだよ、ごめん。
さ、あとは準備を済ませて店を出よう。
そう決めて化粧ケープを探していたら、店員さんが妙にしんみりした顔で近寄ってくる。
「お客さん、苦労したんですね」
「えっ」
「やっぱり失恋のせいですか? でも、大丈夫です。お客さんはまだ若いですからね、きっと髪も生えてきますし、素敵な恋だってできますよ」
あっ、しまった。どうやらこの店員さんの中で、僕にまた余計な要素が追加されたみたいだ。
これがいわゆる「勝負に勝って戦に負ける」ってこと?
がっくり肩を落とす僕に、店員さんはてきぱきと化粧を施してくれた。
うちのメイドとは違って技術は一流だったからそこは良かったけどね。
こうして僕は、
「ありがとうございましたー!」
の声に送られてよろよろと店を出ることになった。
衣装一式の返却は明日。今まで着ていた服は店で預かってくれるって話になってる。
今日は女装のまま宿に戻って、持ってきた服に着替えないといけないなあ。
さすがに貴族街まで歩くだけの時間はなかったから、表通りに出た僕は辻馬車を拾って移動した。
あんまり早く着くと先日みたいに警備兵に誰何されるかもしれなかったから、時間を合わせるためにゆっくりパートリッジ別邸へ歩いて行くと、ちょうどニコールが反対側から来るところだった。
僕を見たニコールは迷うような表情を浮かべてる。さすがに女装してたら、僕だって分からないかな。
「こんにちは、ニコール。ちょうどいい時間だったみたいで良かったよ」
僕が声を掛けると、ニコールはぱちぱちと瞬きをして、口元を手で押さえた。
「まあ……グレアム様でしたか。エレノアお嬢様によく似ておいでですから、びっくりしました」
「に、似てるかな?」
「はい。話すと空気感の違いは分かるのですが、一見すると迷うほどには似ていらっしゃいます」
うーん、そうか。
姉上の化粧とは違う方向性にしてもらったんだけど、やっぱり似ちゃうのかあ。
念のために借りてきた帽子を改めて被ってると、ニコールは僕の全身を眺めて難しい顔をする。
「……それにしてもなんというか、すごい色のお召し物ですね」
「そ、そ、そ、そう?」
「派手と申しますか、目が冴えると申しますか。……これは、どなたのご趣味で?」
「えーと……」
ニコールには「姉上と一緒に女装する」って言ってあるから、「店員さんの趣味です」とは言えない。
だとしたら僕か姉上の趣味だってことになるけど、これが僕の趣味だと思われるのはさすがに嫌だ。かといって姉上好みの色じゃないし。
「趣味というより、金銭的な問題というか」
適当に並べ立てたら、ニコールは「まあ……」と呟いて口を押さえる。
「申し訳ありません、私ったら……」
涙ぐむニコールがどんな想像をしたのか考えるとちょっと怖いけど、とにかくパートリッジ別邸から離れたい僕は「さあ、行こう!」ってニコールを促したんだ。




